Vol.7 『フレッド・アステア』の続きの続き

 ジンジャー・ロジャースとのコンビ解消後、1940年にフレッド・アステアはMGMで『踊るニューヨーク』の撮影に入ります。監督はノーマン・タウログ、共演者はエリノア・パウエルとジョージ・マーフィです。この映画の原題は『Broadway Melody of 1940』といい、ブロードウェイ・メロディ・シリーズの4作目でシリーズの最終作です。共演のエリノア・パウエルは1930年代に大活躍したタップ・ダンサーで、タップの女王と言われていました。ダンスの神様とタップの女王の共演は、私にとっては奇跡のような映画です。正確無比でパワフルなエリノアと軽快に華麗なダンスをするフレッドとのダンス・シーンは最高ですね。この映画では二人のタップ・ダンスを十二分に堪能出来ます。ジョージ・マーフィはストレートーの俳優もしますが、歌も踊りも笑顔も素晴らしい俳優です。後に彼は映画会社の社長やアメリカの下院議員にもなった方です。この映画でフレッドはジョージと組んで、初めて男性コンビで踊ります。この映画は当初カラー映画を予定していましたが、第二次世界大戦時の為モノクロで撮影されました。映画の出来は良かったのですが、世界情勢が不安な事もありスマッシュ・ヒットにはなりませんでした。

エリノア・パウエルのダンス・シーン(左)
ジョージと踊るエリノア(右)
レストランで踊るエリノアとフレッド(左)
ビギン・ザ・ビギンを踊るエリノアとフレッド(右)

 その年フレッドは、パラマウントから公開される『セカンド・コーラス』に出演します。監督はハンク・ポッター、振り付けはお馴染みのハーミー・パン、共演者はポーレット・ゴダード、バージェス・メレディス、アーティー・ショー楽団です。フレッドは、アーティー・ショー楽団の指揮をしながらダンスをするアイディアを実行しました。この映画の音楽はジャズで構成されていたので、フレッドにとっては初めてのスウィング・ジャズ物となりました。

ポーレッド・ゴダードと踊るフレッド(左)
アーティー・ショー楽団の指揮をしながら踊るフレッド(右)

 『セカンド・コーラス』の撮影終了後、フレッドには次回作の予定が入っていませんでした。そのような時、コロンビア映画社のプロデューサーだったジーン・マーキーから、若い女優との共演に関するオファーがありました。B級映画に数本出演しているが、本来ダンサーで将来大スターになるだろうと言いてきました。その女優リタ・カンシーノは、ヴィルボード時代の旧友エドゥアルド・カンシーノの娘で、芸名がリタ・ヘイワースになったばかりでした。後日コロンビア社から連絡があり、出演を承諾してくれるなら続けてもう一本撮りたいとの依頼でした。それから今度はパラマウント社から連絡があり、ビング・クロスビーが出演する『スイング・ホテル』への出演依頼が入りました。戦時下の暗い空気の中、ハリウッドはミュージカル映画で追い払おうとしたのでは無いかと考えたそうです。リタとの最初の共演映画は『踊る結婚式』で、彼女にとっては初めての主演映画です。監督はシドニー・ランフェールド、音楽はコール・ポーターです。リタは訓練を受けた完璧さと個性を持ってフレッドと踊りました。楽しく撮影で来たのは、この映画が第二次世界大戦の軍務を背景にした映画だったので、殆ど軍服姿なので着替える必要がなかったのと、リタと共演できた事だと語っていました。

営倉でソロ・ダンスを踊るフレッド(左)
ウエディング・ドレスのリタと踊るフレッド(右)
1942年『踊る結婚式』

 次回作はパラマウント社の『スイング・ホテル』です。監督はマーク・サンドリッチ、音楽はアーヴィング・バーリン、主役は当時大人気のビング・クロスビーです。今回のフレッドのソロ・ダンスには花火を使った新しい趣向のものがあります。この花火のナンバーは、爆竹を鳴らしてステップに合わせてリズミカルに爆発させるものです。床にワイヤーを巡らせて、特定の場所で花火の火花が走るように仕掛けたものです。非常に迫力があるダンス・シーンになっています。そして、この映画で初めて「ホワイト・クリスマス」がビング・クロスビーによって歌われました。この曲は世界的に大ヒットし、クリスマスの定番ソングとして長年親しまれました。

ビング・クロスビーとフレッド(左
花火の火花と踊るフレッド(右)

 フレッドは1942年の9月から、ハリウッド勝利委員会が手配した戦時公債ツァーに出かけます。このツァーは公債の販売促進する為に、工場、パーティー、路上集会、劇場でのショーに出演するもので、州をくまなく回ります。(アメリカの国民は、このようなツァーで戦争国債を購入していた訳です。)タイトなスケジュールのツァーが終わり、『晴れて今宵は』の撮影に入ります。監督はウィリアム・A・サイター、音楽はジェローム・カーンです。リタとの共演も二度目で楽しく仕事が出来たそうです。映画はなかなかの成績を上げ、リタの美貌と才能は絶賛されました。

とても魅力的なリタ・ヘイワース(左)
リタと踊るフレッド(右)
1942年『晴れて今宵は』

 1943年にRKOの『青空に踊る』に出演します、監督はエド・グリフィス、音楽はジョニー・マーサーとハロルド・アレン、共演者は若手のジョーン・レスリーです。戦友役のロバート・ライアンは、この映画でデビューしました。第二次世界大戦中なので、フレッドは、「フライイング・タイガー」に乗るパイロットを演じました。次回作は決まっていましたが撮影は遅れていて、「ハリウッド戦時公債大行進」いう大規模な戦時公演ツァーに参加します。ハリウッド・スターが大勢出演し、二週間特別列車で東西両海岸の大都市を回りました。

ロバート・ライアンとフレッド(左)
ジョーン・レスリーと踊るフレッド(右)

 次回作の『ジーグフェルド・フォーリーズ』はMGMの大作で、監督はヴィンセント・ミネリ、出演者はMGMの多くのスターが出演しました。1900年代から1930年代に数々の舞台を演出したフローレンス・ジーグフェルド・ジュニアが、嘗て大好評だった「ジーグフェルド・フォーリーズ」を天国から演出するという映画です。「影なき男」シリーズのウィリアム・パウエルが、ジーグフェルドを演じました。監督のヴィンセント・ミネリは大掛かりなセットを作り、当時の「ジーグフェルド・フォーリーズ」を再現しています。フレッド待望のカラー映画です。フレッドはルシール・ブレマーと2曲踊ります。2曲目はチャイナ・タウンが舞台で、幻想シーンの二人は赤い衣装で手に大きな扇子を持って踊ります。どちらもセリフは無く、踊りだけで物語が分かるようになっています。そして、ジーン・ケリーと初めてコンビを組んで踊っています。この映画でジュディ・ガーランドが歌う「クレマタント夫人」は、ラップでしょうね。撮影終了後フレッドは、軍人と軍人の家族のサポートをするUSO(United Service Organizationsの略)の慰問旅行でロンドンに向かいます。その後、戦火の中フランス、ベルギー、オランダ等のヨーロッパ各地を6週間慰問して回りました。

ルシール‣ブレマーと踊るフレッド(左)
ジーン・ケリーとフレッド(右)

 1945年MGMで『ヨランダと泥棒』の撮影に入ります。監督は前作に続きヴィンセント・ミネリ、相手役も同様にルシール・ブレマーでした。ファンタジー色が強いせいか、興行的には不調に終わりました。パラマウント社でビンク・クロスビー主演の『ブルー・スカイ』に出演します。監督はステュアート・ヘイスラー、音楽はアーヴィング・バーリン、振り付けはハーミンズ・バンです。芸達者なビリー・デ・ウルフが素晴らしい演技を披露しています。この映画でフレッドが踊る「プッティング・オンザ・リッチ」は最高です。ステッキを使ってソロを踊ったあとに後ろのカーテンが空き、中には7人のフレッドが立っています。そして、8人のフレッドが踊ります。バックの七人の動きを細かく確認した処、フレッドは七人分のダンスを個別に撮っています。このシーンの撮影に満足出来たフレッドは、パラマウントの特殊効果部の尽力のお陰だと感謝していました。

ビング・クロスビーとビリー・デ・ウルフ(左)
7人のフレッドと踊るフレッド・アステア(右)
1946年『ブルー・スカイ』

 母親の助言もあり、フレッドはこの映画を最後に引退する事にします。1947年フレッドはダンス・スクールを始めます。150名の教師の訓練をしましたが、思うように事業は進みませんでした。そんなある日ライオネル・ハンプトンの「ジャック・ザ・ベル・ボーイ」を聞いた時、仕事に戻りたいと突然思ったそうです。勿論映画の予定はありませんでした。処がMGMからスクリーン復帰の依頼電話がありました。『イースター・パレード』のリハーサル中、ジーン・ケリーが足首を骨折したので代役をして欲しいとの事でした。ジーン・ケリーの依頼もあり『イースター・パレード』に出演する事になります。監督はリチャード・ウォルターズ、音楽はアーヴィング・バーリン、相手役はジュディ・ガーランド、共演者はピーター・ロフォードとアン・ミラーです。映画はフレッドに合わせて大幅な変更をして撮影されました。この映画のお勧めは、二人が浮浪者姿で歌って踊る「しゃれ者二人組」です。ジュディはコミカルに本当に楽しそうに踊っています。映画は大ヒットし、観客はフレッドのカムバックを歓迎しました。

ジュディと踊るフレッド(左)
浮浪者姿で踊るジュディとフレッド(右)

 次回作はMGMで『ブロードウェイのバークレイ夫妻』をジュディと共演する事が決まりました。監督はチャック・ウォルターズ、音楽はハリー・ウォーレンとアイラ・ガーシュインです。撮影が始まる頃にジュディが病気で出演出来なくなり、ジュディの要望で代役を立てる事になりました。簡単に代役は見つからないと思っていたら、偶然にもジンジャー・ロジャースが出演可能でした。『カッスル夫妻』撮った時に話していたコンビ再結成が突然実現しました。ジンジャーはこの10年間歌もダンスもやっていませんでしたが、見事にコンビは復活しました。リハーサルのシーンは最高です。ピッタリ息が合って楽しそうに踊る二人を観ているだけで、なんだか嬉しくなりました。今回のフレッドの新しいダンスは、靴修理店での空想シーンで沢山の靴と共演するソロ・ダンスです。この映画は未公開でしたが、フレッドとジンジャーのダンスをカラーで観られるお勧めの一本です。

楽しそうに踊るジャンジャーとフレッド(左)
沢山の靴と踊るフレッド(右)

 MGMジャック・カミングズから『土曜は貴方に』の脚本が届きます。ヴォードヴィル時代からの友人二人の物語で、フレッドは大いに気に入りジャックに撮影が待ち遠しいと伝えます。この物語はダンサーで作詞家のバート・カルマーと作曲家のハリー・ルビーの実話を基にした映画です。カルマー役がフレッドで、ハリー役はコメディアンのレッド・スケルトンが演じました。監督はリチャード・ソープ、共演者はダンシング・スターのヴェラ・エレン、振り付けはハーミズ・パンです。タップ・ダンスとパントマイムを組み合わせたナンバーでは、ダイナミックなヴェラのダンスを楽しめます。フレッドはこの映画を非常に気に入っていると語っています。

フレッドとヴェラ・エレンの踊り(左)
レッド・スケルトンとフレッド(右)

 以前から予定に入っていたパラマウントの『レッツ・ダンス』の撮影に入ります。監督はノーマン・マクラウド、振り付けはハーミン・パン、フレッドの相手役はベティ・ハットンです。カーボーイ姿の二人が揉み合うコミカルなナンバーでは、パワフルなベティのダンスが観られます。それとフレッドはピアノを相手にダンスをします。この映画は大々的に封切られたにも関わらず、早々に立ち消えてしまいました。

ピアノを相手に踊るフレッド(左)
コミカルに踊るフレッドとベティ・ハットン(右)

そして、又次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座います。

参考文献:青土社 フレッド・アステア自伝