今回ご紹介するのは、ジョン・フリン監督の『組織』です。主役のロバート・デュパルは、若くも無く所謂二枚目の俳優ではありません。しかし、この映画を観ると分かりますが、組織に立ち向かう姿はカッコいいです。この映画も『突破口!』と同様に、マフィアの裏金とは知らずに強奪した男の話です。1973年の作品で、ジョー・ドン・ベーカーは相棒として出演しています。
【スタッフとキャストの紹介】
監督:ジョン・フリン(1932年3月14日~2007年4月4日)は、イリノイ州シカゴ生まれの映画監督です。彼はカリフォルニア州マンハッタンビーチで育ち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校でジャーナリズムを学んで学位を取得しました。卒業後、1959年の『拳銃の報酬』で、ロバート・ワイズ監督の手伝いとして映画界入りしました。その後、セカンド・ユニットの監督を務め、1968年『軍曹』で監督デビューしました。この映画は戦争映画ではなく、ホモセクシャルを扱った映画です。この時代ではタブー視されていた題材に緒戦する凄い監督です。1971年『愛と死のエルサレム』、1973年『組織』、1977年『ローリング・サンダー』、1979年『摩天楼ブルース』、1987年『殺しのベストセラー』、1989年『ロックアップ』、1991年『アウト・フォー・ジャスティス』、1994『ブレインスキャン』、 2001年『密告の代償』等の監督をしています。フリン監督の作品は、主人公が相棒と組んで復讐する映画が良いですね。こじんまりと纏まってタイトに物語が進行し、リアルな緊張感があります。その他、1980年のTVドラマ『伝説のマリリン・モンロー』、1992年のケーブルTVドラマ「ネイルズ」、1992年「カリブ/愛欲の罠」を監督しています。フリン監督は、2007年4月4日に 自宅で就寝中に75歳で亡くなりました。
アール・マックリン役:ロバート・デュパル(1931年1月5日~)は、カリフォルニア州生まれの俳優・映画プロデューサーです。彼はメリーランド州アナポリスで育ち、メリーランド州セバーンスクールとミズーリ州セントルイスのピリンキビアに通いました。その後、イリノイ州エルザのピリンキビア大学で演劇の博士号を取得して1953年に卒業しました。1953年から1954年までアメリカ陸軍に入隊し、ジョージア州のキャンプ・ゴードンに勤務して上等兵で除隊しました。1955年にニューヨーク市のネイバーフッド・プレイハウスに2年間通い、サンフォード・マイナーズに師事しました。その頃のクラスメートは、ダスティ・ホフマン、ジーン・ハックマン、ジェームズ・カーンでした。デュバルはメ演技を学びながら、イシーズの事務員やマンハッタンの郵便局で郵便物の仕分けやトラックの運転手等をしていました。
デュバルは、1952年にニューヨークのゲートウェイ・シアターで舞台デビューしました。戦後、1955年にゲートウェイ・シアターの舞台で復帰し、オーガスタ・シビック激情、バージニア州のマクリーン劇場、ワシントンDCのアリーナ・ステージに出演しましていました。1959年からテレビに出演するようになり、1961年から「裸の町」、「ルート66」、「弁護士プレストン」、「逃亡者」、「アウター・リミッツ」、「コンバット」、「F・B・I」に3話から5話に違う役でゲスト出演しました。テレビ映画の「ゴッド・ファーザー・テレビ完全版」でトム・ヘイゲン役や「将軍アイク」でドワイト・D・アイゲンハワー役を演じました。
1962年に『アラバマ物語』で映画デビューし、1966年『逃亡地帯』、1968年『ブリット』、1969年『勇気ある追跡』、1970年『M★A★S★H マッシュ』、1971年『THX1138』、1972年『ゴッド・ファーザー』、1973年『組織』、1974年『ゴッド・ファーザーPARTⅡ』、1974年『鷲は舞いおりた』・『ネットワーク』、1975年『キラー・エリート』等に出演しました。1979年『地獄の黙示録』でキルゴア中佐を演じて、ゴールデングローブ賞助演男優賞と英国アカデミー賞助演男優賞を受賞しました。1983年『テンダー・マーシー』ではアカデミー賞主演男優賞を受賞しています。1991年『ランブリング・ローズ』、1993年『ジェロニモ』、1998年『シビル・アクション』等に出演しています。
ジャック・コディ役はジョー・ドン・ベーカーです。彼の略歴は『突破口!』をご覧ください。
ベット・ハーロウ役のカレン・ブラック(1939年7月1日~2013年8月8日)は、イリノイ州パークリッジ生まれの俳優・脚本家・歌手・ソングライターです。ブラックは10代の頃から舞台俳優を目指し、メインイースト高校に通いながら夏のストックシアターで仕事を探していました。トイレ掃除から始めて16歳頃には小道具係になり、コーラスラインで歌うようになって17歳で本格的に俳優としてデビューしました。その後、インディアナ州ラファイエットのジェファーソン高校に転校し、バヂュー大学に1年間通って、ノースウエスタン大学に編入して演劇芸術を専攻しました。1960年に大学を中退してニューヨークに移転し、秘書、ホテルのフロントデスク、保険事務所等の雑用をこなして生活費を得ていました。1961年ブロードウェイの舞台で代役として出演するようになり、1965年の「プレイルーム」で正式にブロードウェイ・デビューします。1966年の「After the Fall」に出演し、エンジェル賞の最優秀助演女優賞を受賞しました。
1960年にインディペンデント映画の『プライムタイム』に脇役でスクリーン・デビューし、1966年にフランシス・フォード・コッポラ監督の『お兄ちゃんになるまえに』に出演しました。ブラックはロスアンゼルスに移転し、1967年から「F・B・I」、「ポール・ブライアン」、「バークレー牧場」、「マニックス」、「特捜隊アダム22」等のテレビ・シリーズにゲスト出演しました。1969年『イージーライダー』、1970年『ファイブ・イージー・ピース』でゴールデングローブ賞助演女優賞とニューヨーク映画批評家協会の助演女優賞を受賞しました。1971年『生き残るやつ』、1973年『組織』、1974年『華麗なるギャツビー』で二度目のゴールデングローブ賞助演女優を受賞しました。1975年『イナゴの日』・『ナッシュビル』、1975年『ファミリー・プロット』・『家』、1977年『カプリコン・1』、1978年『キラー・フィッシュ』、1981年『ココ・シャネル』、1986年『スペースインベーダー』等に出演しました。
その後、インディペンデント映画にも出演するようになり、1998年『クレイジー・ナッツ 早く起きてよ』、2001年『ファング・オブ・モンスター』、2003年『死霊危険地帯 ゾンビハザード』・『マーダー・ライド・ショー』等のホラー映画に出演しています。ブラックは2013年8月8日にロザンゼルスのウエストヒルズ病院で、膨大部癌の為74歳で亡くなりました。
アーサー・メイラー役のロバート・ライアン(1909年11月11日~1973年7月11日)は、シカゴ生まれの俳優・活動家です。カトリック教徒のライアンは、イエズス会の大学進学高校のロヨラ・アカデミーで学び、ダートマス大学に入学しました。大学でフットボールと陸上競技のレターマンとして活躍し、ボクシングではヘビー級のタイトルを保持しました。1932年に大学を卒業後、アフリカに行く船で働いたり、ワークス・プログレス・アドミニストレーション(WPA)の労働者やモンタナ州で牧場労働者として働いていました。1936年に父親がなくなり帰国して、デパートで服のモデルした後、俳優になる為に1937年シカゴの小さな劇団に参加しました。その後、ハリウッドのマックス・ラインハルト・ワークショップで演技を学びました。1939年の戯曲「Too Many Husbands」に出演し、パラマウント社からオファーを受けて1939年11月パラマウント社と6か月の契約をしました。1940年『ゴールデングローブ』で当初主役の予定でしたが、重要な脇役で出演して初めてクレジットされました。この映画で知り合ったエドワード・ドミトリ監督の映画にその後出演するようになります。1940年『ゴースト・ブレーカーズ』・『地獄の女』・『北西騎馬警官隊』・『続・テキサス決死隊』等に端役で出演し、パラマウント社を去りました。その後、ライアンはブロードウェイで、クリフォード・オデッツの戯曲「クラッシュ・バイ・ナイト」に1941年から1942年までの49回公演に出演しました。ライアンはRKO社と契約し、1943年『ボンバー・ライダー/世紀のトップ・ガン)』・『青空に踊る)』・『夫は還らず』等に出演しました。
ライアンはアメリカ海兵隊に入隊し、1944年1月から1945年11月まで南カリフォルニアのキャンプ・ベンドルトンで訓練教官をしました。海兵隊を除隊後、ライアンはRKOに戻って1947年の『拳銃街道』に出演しました。同年の『浜辺の女』は興行的に失敗しましたが、人種差別を扱ったドミトリク監督の『十字砲火』は大成功を収めてライアンの演技も認められます。1948年『ベルリン特急』、1949年『暴力行為』と出演し、『罠』ではボクシングの八百長試合に逆らうボクサーを演じました。1950年『生まれながらの悪女』、1951年『荒野の三悪人』・『太平洋航空作戦 』・『危険な場所で』等に出演しました。1952年に戯曲「クラッシュ・バイ・ナイト」を映画化した『熱い夜の疼き』、1953年『海底の大金塊』に出演し、『裸の拍車』では悪役を演じました。1955年『東京暗黒街・竹の家』、1956年『誇り高き男』の保安官役では見事なファスト・ドローを披露し、アンソニー・マン監督の傑作戦争映画1957年の『最前線』では主役の疲弊した中尉を好演しています。1959年にロバート・ワイズ監督の『拳銃の報酬』で、人種差別をする男を演じています。1961年『キング・オブ・キングス』、1962年『史上最大の作戦』、1965年『バジル大作戦』と大作に出演し、1966年『プロフェッショナル』、1967年『特攻大作戦』・『墓石と決闘』、1968年『アンツィオ大作戦』等に出演しました、1963年『ワイルドバンチ』・『ネモ船長と海底都市』、1972年『狼は天使の匂い』、1972年『ダラスの熱い日』・『組織』等に出演しました。ヘビースモーカーのライアンは、1970年リンパ腺の手術不能な癌に罹っていました。1973年7月11日にニューヨーク市で肺癌の為63歳で亡くなりました。
バックの妻役はシェリー・ノースです。彼女の略歴は『突破口!』をご覧ください。
次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。
※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。