Vol.11 『フレッド・アステアのすべて』 第二部

 フレッドは1939年にジンジャーとのコンビを解消し、五つの撮影所と契約をしました。出演する映画ごとにパートナーを変えていました、とナレーションが入ります。アメリカが戦争に突入した為、映画はファンタジーからリアルになります。フレッドの映画も軍隊をテーマに扱うようになり、1941年にコロンビア社の『踊る結婚式』を撮りました。映画以外にもフレッドは、多くのスターたちと同様に国債の宣伝やヨーロッパへの慰問公演を行いました。兵士慰問のステージで踊る、フレッドのニュース映画が流れます。

志願したフレッドが入隊する時のシーン『踊る結婚式』(左)
国債の宣伝パレード(右)

 『踊る結婚式』でフレッドは、営倉のダンス・シーンで「アステア・ラグ」を踊ります。(この曲は黒人タップの「ビューグル・コール・ラグ」の変形だそうです。)

「アステア・ラグ」を踊るフレッド

 フレッドのダンス映画は、ダンサーや振付師に強い影響を与えたとナーレションガ入ります1955年の『足ながおじさん』の相手役、レスリー・キャロンがコンビの踊りを覚える為に、フレッドの映画を観たと話します。続いて振付師のボブ・フォッシー、テレビ・ショーのパートナーのバリー・チェイス、振付師のローラン・プチ、振付師のジェローム・ロビンスらが、フレッドのダンスの真似をした事を話します。

レスリー・キャロン(左)とボブ・フォッシー(右)
バリー・チェイス(左)とローラン・プチ(右)
ジェローム・ロビンス

 フレッドがリタ・ヘイワースと2本の映画に出演した事と、ジンジャーの抜けた後リタは最高のダンサーだったとナレーションが入ります。画面は1942年の『晴れて今宵は』で「アイム・オールド・ファッションド」を踊るフレッドとリタの踊りが映し出されます。(とてもセクシーなリタですが、ダンスにはジンジャーの様なセクシーさを感じないのは私だけでしょうか?)

「アイム・オールド・ファッションド」
を踊るフレッドとリタ

 1940年にパラマウント映画『セカンド・コーラス』でポーレット・ゴダード、アーティー・ショーと共演します。劇中フレッドはアーティー・ショーに代わり、楽団の指揮をしながら踊ります。

指揮をしながら踊るフレッド

 ボブ・フォッシーはフレッドのタップは、コメディ・タッチのミュージカルで、白人タップ・ダンサーのトップだと言います。続いて、黒人タップのホニー・コールズは、フレッドのダンスはバレエとタップを上手く組み合わせたアクロバットだと言います。ワルツを踊っていたと思うと突然タップになる、タップでもワルツでもバレエでも無く、時代を先取りしたダンサーだと言います。ルドルフ・ヌレエラは、フレッドは発明家だと言います。自由な発想で色々なものを取り入れて、音楽を支配していると語ります。音楽に合わせてステップを踏むのではなく、オーケストラの中の一つの楽器になりきっていたと言います。ボブ・フォッシーが『スイング・ホテル』でフレッドが踊った「爆竹のナンバー」は最高だと言います。タップの動きは次の動きが予想出来るが、フレッドのステップは予想出来ないと言います。1942年『スイング・ホテル』の「爆竹のナンバー」を踊るフレッドの映像が表示されます。

「爆竹のナンバー」を踊るフレッド

 ルドルフ・ヌレエラは、フレッドの小道具の使い方がうまいと言います。帽子掛けと踊ったり、部屋で天井や壁で踊ったりして、全てをフルに活用して踊っていると言います。続いてボブ・フォッシーは、フレッドの踊りは常にスリルに満ちている。物が落ちそうになったり、転びそうになったりと、わざと即興でやっているように見せている。充分リハーサルをしているのは分かっていてもハラハラすると語ります。1943年のRKO映画『青空は踊る』で、ホテルのバーのカウンターで危なっかしく踊った後、グラスや鏡を壊すナンバーの映像が流れます。

『恋愛準決勝』で天井や壁を踊るフレッド(左)
『青空は踊る』でバーのカウンターで踊るフレッド(右)

 1949年のMGM映画『バークレー夫妻』でジンジャーと共演し、その後のジンジャー以外のパートナーを紹介するナレーションが入ります。ボブ・フォッシーがMGMに入った頃の1950年代に、フレッドとジーン・ケリーのダンスを見て、フレッドのダンスが変わった事に気が付いたと言います。今まで見た事が無い膝を使った踊りを試していたと言います。膝や床を使った新しい動きは、1950年の『レッツ・ダンス』で観られと、ナレーションが入ります。

ピアノを相手に踊るフレッド(左) ベティ・ハットンと踊るフレッド(右)

 1955年4月3日に『バンド・ワゴン』の宣伝の為、「エド・サリバン・ショー」に出演しました。

「エド・サリバン・ショー」の司会者エド・サリバン(左)
エド・サリバンとフレッド(右)

 1955年に20世紀フォックス社の『バンド・ワゴン』で、レスリー・キャロンと共演しました。レスリー・キャロンは、自分の手が大きくてベレエ・ダンサーとして嫌だったが、フレッドが手を小さく見せる方法を教えてくれたと語ります。続いてローラン・プチが、自分は古典的な振付をするので、フレッドと組むのはむりがあった。最初の稽古はメチャクチャだったので辞めさせてくれと言ったら、一緒にいると安心出来るからレスリーの振付をするように言われた、と語ります。再びレスリー・キャロンが登場して、ローラン・プチのお陰で有名なナンバーが出来た。自分はトゥ・シューズでバレエを踊り、フレッドは燕尾服を着て踊った。二つの違うスタイルが上手くマッチしたと話します。もう一つのナンバーの「サムシング・ガット・ブギ」は、楽しく踊れたとも語っています。

レスリー・キャロンのバレエと踊るフレッド(左)
「サムシング・ガット・ブギ」を踊るレスリーとフレッド(右)

 1955年パラマウント社の『パリの恋人』でオードリー・ヘップバーンと共演します。振付はバレエ界の大物のユージン・ローリングです。彼はフレッドの性質を見極めて、繊細さを引き出すようにしたと語ります。

振付師のユージン・ローリング(左) オードリーと踊るフレッド(右)

 その後、フレッドはテレビに進出して全て自分で企画し、振付はハームズ・パン、無名のバリー・チェイスをパートナーにします。バリー・チェイスは、フレッドの脚を踏みそうで不安だったと言っていました。フレッドとハームズが2週間稽古をしてくれたのは、自分の不安を理解してくれたていたと思う。仲間として大切に扱ったってくれたのは嬉しかったとかたっていました。このテレビ・ショウは、1958年から1959年の間に4回放映され、九つのエミー賞を受賞しました。

1958年放送の「今宵アステアとともに」で踊るバリーとフレッド
1968年放送の「今宵アステアとともに」で踊るバリーとフレッド

 レスリー・キャロン、ホニー・コールズ、ルドルフ・ヌレエラ、ボブ・フォッシー、ジェローム・ロビンスらが、フレッドへの称賛の述べます。そした最後の『ブルー・スカイ』の「プリティング・オン・リッツ」を踊るフレッドの映像が流れてエンド・タイトルになります。

「プリティング・オン・リッツ」
を踊るフレッド

 大昔、レーザー・ディスク(もうご存じの方は、殆どいないですね。)で「フレッド・アステア物語パート1・パート2」が、1枚のディスクで発売された事がありました。私が知ったのは、発売後から相当経っていたので未見でした。コスミック出版から発売されていた「フレッド・アステア大全集」を購入した処、『フレッド・アステアのすべて』を観て驚きました。このドキュメンタリーは、私が観たかった「フレッド・アステア物語パート1・2」でした。『フレッド・アステアのすべて』は単品販売はありませんが、コスミック出版から10枚セットと9枚セットが販売されていました。送料込みで2000円ちょっとでしたが、今は中古しか無いかも知れませんね。私は楽天市場で中古品を買っていますが、今の処トラブルはありませんでした。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『フレッド・アステアのすべて』第二部 作品データ

監督・制作:デビッド・ヒーリー 脚本:ジョン・L・ミラー

アシスタント・プロデューサー:ジョーン・クラマー

ナレーター:ジョアン・ウッドワード

出演:レスリー・キャロン、バリー・チェイス、

   ホニー・コールズ、ボブ・フォッシー、

   ルドルフ・ヌレエラ、ハームズ・パン、

   ローラン・プチ、ジェローム・ロビンス

「フレッド・アステア大全集」2011年発売
『フレッド・アステアのすべて』を含む映画10本入りです。
「フレッド・アステア サード・ステージ」2017年発売
こちらは『フレッド・アステアのすべて』を含む映画9本入りです。