Vol.16 『コンチネンタル』

 RKOは『空中レビュー』で脇役だったフレッドとジンジャーのダンスが大好評だったので、直ちに二人を主役にした映画の準備を始めました。製作主任のパンドロ・S・パーマンは、フレッドが主演していた舞台劇「陽気な離婚(原題:ザ・ガイ・デイヴォース)」の権利を買い取りました。舞台劇では主役のガイは作家でしたが、映画版ではプロのダンサーに代わり、ジンジャーが演じるミミの役も膨らませて改善されました。

『コンチネンタル』
発売元:株式会社アイ・ヴィー・シー

【スタッフトとキャストの紹介】

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フレッド・アステア(35歳)  ジンジャー・ロジャース(23歳)

 パンドロ・S・パーマン(1905年3月28日~1996年7月13日)は、アメリカ合州国ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれの映画プロデューサーです。パーマンは1920年代に助監督になり、1930年にRKOの映画編集者を経てアシスタント・プロデューサーになります。1931年『600万人の交響曲』で初めてプロデューサーとしてキャリアをスタートします。1939年までにフレッドとジンジャーのミュージカル映画を始め、『ノートルダムの鐘』や『ガンガ・デン』をプロデュースしました。1940年にMGMに移籍し、1941年『美人劇場』、1944年『緑園の天使』、1949年『賄賂』、1950年『花嫁の父』、1955年『暴力教室』、1960年『バターフィールド8』等の映画を製作しました、1950年代にリチャード・ソープ監督と組んで、1952年『アイヴァンホー』・『ゼンタの囚人』、1953年『円卓の騎士』・『すべての兄弟は勇敢だった』、1955年『クエンティン・ダワードの冒険』等の製作をしました。1963年までMGMで仕事をし、その後独立プロダクションに入って1970年でキャリを終えました。

 マーク・サンドリッチ(1900年8月26日~1945年3月4日)はニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人で、映画監督、脚本家、プロデューサーです。コロンビア大学の学生だった頃、映画会社にいる友人を訪ねた時に、撮影準備の問題点に気づき監督にアドバイスをしました。その後、映画会社の撮影部に入り、1927年には短編コメディ専門の映画監督となります。翌年最初の長編映画を撮りましたが、トーキー映画登場後に短編映画に戻ります。1933年短編映画『だからこれはハリスです』(原題:So This is Harris!)で、アカデミー賞を受賞しました。その後、長編映画のコメディを撮るようになり、1934年には『コンチネンタル』を監督します。1935年『トップ・ハット』・『艦隊を追って』、1936年『有頂天時代』・『踊らん哉』、1938年『気儘時代』を撮りました。1940年にRKOからパラマウント映画に移籍し、監督とプロデューサーをするようになります。1942年『スイング・ホテル』、1943年『われら誇りもて歌う』、1945年『ブルー・スカイ』を監督しますが、テスト撮影中に突然心不全で亡くなりました。

『コンチネンタル』の撮影風景

 マーク・サンドリッチ監督は、大掛かりなセットを作りクレーンを使って撮影しています。無駄なくテンポの良い演出で、ストーリーもダンス・シーンも大いに楽しめます。

ハーミズ・パン(25歳)

 ハーミズ・パン(1909年12月10日~1990年9月19日)は、テネシー州メンフィス出身のダンサーで振付師です。特にフレッド・アステアのミュージカル映画の全て振付師で、フレッドが信頼する振付協力者です。1937年『踊る騎士』でアカデミー賞最優秀ダンス演出賞を受賞し、1961年のテレビ・スペシャル「フレッド・アステアの夕べ」でエミー賞を受賞しています。1980年には国民映画賞も受賞しています。

 1923年に父親が亡くなり、パンが14歳の時に一家はニューヨークに移り住み、スピークイージー(禁酒法時代のもぐりの酒場)で踊り始めます。彼は19歳の時にはダンスで稼げるようになり、いくつかのブロードウェイの舞台に出演しました。1930年にカリフォルニアに移り住み、1933年に『空中レビュー時代』の撮影現場でフレッド・アステアと出会い、デンス・ディレクターのディヴ・グールドのアシスタントになります。アステアが“カリオカ”のダンス・ステップを考えている時に、パンはアイディアを出してそのダンス・シーンを完成させました。それ以来二人は、プロフェッショナル同士として一緒に仕事をするようになります。彼はアステアの31本のミュージカル映画の17本と、4本のテレビ・スペシャルの3本を担当しました。アステアは自分のダンス・ルーティンを自分で考えていましたが、パンのアイディアを取り入れてダンス・ルーティンの微調整をしたり、リハーサル・パートナーとしてのパンの能力を高く評価していました。又、パンはジンジャー・ロジャースの指導やリハーサル・パートナーをやっていました。ジンジャー・ロジャースのスケジュールが合わない事が多い為、1935年の『ロバータ』以降はロジャースのタップのパートの録音を全てパンが代行していました。パンは86本の映画の振付を行い、ノン・クレジットで数本の映画にも出演しています。アステア映画以外の振付は、1941年『血と砂』・『マイアミの月』・『銀嶺セレナーデ』、1943年『コニーアイランド』、1944年『ピンナップガール』、1953年『キス・ミー・ケイト』・『苦悩の乙女』、1959年『ボギーとベス』、1960年『カンカン』、1963年『クレオパトラ』、1964年『マイ・フェア・レディ』等です

アリス・ブラディ(42歳)

 脇を固める出演者も面白い顔ぶれになっています。ミミの叔母さんのホーデンス役は、アリス・ブラディです。自分本位でそそっかしい叔母さんを好演しています。アリス・ブラディ(1892年11月2日~1939年10月28日)はニューヨーク生まれのアメリカ合州国の俳優です。母親のローズ・マリー・ルネは1896年に亡くなりました。父親のウィリアム・・A/ブラディは有名な演劇プロデューサーで、アリスは幼い頃から演劇に興味を持ちます。14歳で舞台に立ち、1911年にブロードウェイでデビューします。父親が1913年に映画会社を作り、アリスも映画の仕事をはじめます。1914年に『As Ye Sow』で映画デビューし、その後10年間で50本以上のサイレント映画に出演しました。1923年に映画の仕事を辞めて舞台劇に出演するようになります。1933年にハリウッドに戻り、『When Ladies Meet 』で、トーキー映画に初めて出演しました。その後は1933年『紐育・ハリウッド』、1935年『ゴールド・ディガース36年』・『メトロポリタン』、1936年『襤褸と宝石』・『天使の花園』、1937年『シカゴ』・『オーケストラの少女』、1939年『若き日のリンカン』等に出演します。1939年に癌で亡くなりました。アリス・ブラディは1937年の『シカゴ』でタイロン・パワーの母親役を演じて第10回アカデミー助演女優賞を受賞しています。アカデミー賞の受賞日、彼女は足首の怪我の為に欠席していましたが、謎の男性の代理人が現れてオスカー盾(この頃の助演賞は盾でした)を持ち帰ってしまいました。後ほど代理人が偽物だった事が発覚したので、アカデミー協会は彼女に新たに盾を贈っています。長年オスカー盾も犯人も行方不明でしたが、2016年の調査で事実が判明しました。オスカー盾を受け取ったのは『シカゴ』の監督ヘンリー・キングで、その日のうちに彼女の友人を通して自宅に届けられていました。彼女が受賞の2年後にガンで死去しており、誤報の訂正ができなかった為と言われています。

 ガイの親友で弁護士のエグバートを演じているのが、エドワード・エヴェレット・ホートンです。彼はキャリアが長く出演本数多いベテランで、コミカルな役では定評があります。今回は何とも頼り無い弁護士役で、お得意のとぼけた演技を披露しています。彼はこの映画の後、『踊らん哉』、『トップ・ハット』でも共演しました。

エドワード・エヴェレット・ホートン
(38歳)

 エドワード・エヴェレット・ホートン (1886年3月18日~1970年9月29日)は、アメリカ合州国ニューヨーク生まれの性格俳優で、映画、演劇、ラジオ、テレビ、アニメの声優です。高校はブルックリンの男子校に通っていましたが、一家がメリーランド州ボルチモアに引っ越したので、ボルチモア・シティ・カレッジに進学し、1902年から1904年まで通いました。この後、ニューヨーク市に戻りブルックリン工科大学に1年間通いますが、芸術コースが廃止になった為コロンビア大学に移ります。ホートンは1906年に20歳で舞台にデビューします。舞台では歌や踊りをしたり小さい役を演じ、1909年には大学を辞めます。その後、ヴォードヴィルやブロードウェイの舞台にも出演します。1919年にロスアンゼルスに移り、ハリウッド・コミュニティ・シアターで映画の仕事を始めます。1922年のサイレント映画『TOO MUCH BUSINESS』で、初めて主役を演じます。1927年から1929年にはハロルド・ロイドの8本の映画に出演しました1929年からはエディケーション・ピクチャーズのトーキー映画のコメディやワーナー・ブラザーズの映画にも出演しました。ホートンが開発した独自の演技は、ダブル・テイクと言われるものです。相手が言った事を理解したように微笑み、事の重大さに気が付き表情が固まり、困り果てた表情に変わる演技です。1930年代には多くのコメディ映画や他の映画でもコミカルな脇役として出演していました。ほんの一部紹介しますと、1931年『犯罪都市』、1932年『極楽特急』、1933年『不思議の国のアリス』、1937年『失はれた地平線』、1938年『素晴らしき休日』、1941年『幽霊紐育を歩く』・『美人劇場』、1944年『毒薬と老嬢』、1961年『ポケット一杯の幸福』等です。1945年から1947年まではラジオの司会をしたり、1948年にはテレビ・ドラマに出演しています。1950年代は主にテレビに出演していました。1952年の「アイ・ラブ・ルーシー・ショー」やウォルター・ブレナンン主演の「マッコイじいさん」にも出演しています。1959年から1964年まではアメリカで有名なアニメ・シリーズのナレーターとしても活躍していました。

エリック・ブロア(47歳)

 エリック・ブロア(1887年12月23日~1959年3月2日)は、ロンドン北部のフィンチリー出身のイギリスの俳優、脚本家です。学校卒業後に保険会社で働きますが、1909年ミュージカル・コメディ「ケイズから少女」で舞台に初出演します。イギリスで地方公演に出演し、1913年4月にロンドンのレスター・スクエアのエンパイア劇場で「All the Winners」に出演しました。ブロウは主にロンドンのウエストエンドで、レヴューやバラエティの脚本を書き出演していました。彼は1922年にミュージカル・コメディ「エンジェル・フェイス」に出演し、1923年8月ブロードウェイで初めて「リトル・ミス・ブルービアード」に出演しました。それからはブロードウェイの舞台に出演したり、ツァー公演を行いました。1933年ロンドンで舞台劇「陽気な離婚」に5か月間出演しました。その後、ハリウッドに渡り『コンチネンタル』に出演し、1955年までの間に60本以上の映画に出演しました。1935年『トップ・ハット』、1936年『有頂天時代』、1937年『踊らん哉』、1941年『サリヴァンの旅』・『アフリカ珍道中』、1950年『腰抜け千両役者』等で、彼が演じる優秀な執事、従者、厳格な紳士等が好評でした。ブロアは前作の『空中レビュー』では給仕長役で、本作ではウエイターを演じています。今回は音楽に合わせてダンスをするかのようにスッテプを踏みながら注文品を運んでいます。今回は出番も多く重要な役を演じています。

エリック・ローズ(28歳)

 エリック・ローズ(1906年2月10日~1990年2月17日)は、アメリカ合州国オクラホマ州エルリノ出身の映画俳優、ブロードウェイの歌手です。ローズはセントラル高校とオクラホマ大学に通い、大学在学中に奨学金を得て、ニューヨークで一年間声楽を学びました。第二次世界大戦中は、陸軍航空軍の諜報機関で言語の専門家として活躍しました。ローズは1928年に戯曲「最も不道徳な女性」で、初めてブロードウェイの舞台に出演します。続けて1929年のミュージカル「リトル・ショー」、1932年「ヘイ・ノニー・ノニー」・「陽気な離婚」に出演しました。ロンドンで再び「陽気な離婚」が公演されましたが、RKOのパンドロ・S・バーマンがその舞台を観て、ローズを映画でも同じ役で使う事にしました。ローズはハリウッドに連れて行かれて、1934年『コンチネンタル』に出演しました。その後1935年『トップ・ハット』・『リッツの夜』、1936年『暗闇の二人』等、1939年までに二十数本の映画に出演しています。1947年から1964年にかけて、ロードウェイで1947年「大キャンペーン」、1953年「カン・カン」、1957年「ジャマイカ」等に出演しました。本作では、雇われ恋人役のトネッティを演じていて、劇中バルコニーで小型のアコーディオンを弾きながら“コンチネンタル”を歌います。

ベティ・グレイブルとエドワード・エヴェレット・ホートン

 この映画のタイトル・クレジットの末席にベティ・グレイブルの名前がありました。彼女のピンナップは、第二次世界大戦中のアメリカ兵士に大人気でNo.1でした。彼女の脚線美に100万ドルの保険が掛けられていたので、100万ドルの脚線美と云われていました。彼女のどんな役をやっているのか探していたら、水着姿で椅子に座っているエドワードに“Let’s K-nock K-nees”を歌いかける女の子でした。まだ18歳の彼女に気が付くまで少々時間が掛かりました。ベティは嫌がるエドワードの手を引いて踊りに誘い、エドワードは不器用なダンスを披露します。と、書いた処で次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難うございました。

『コンチネンタル』 作品データ

アメリカ 1934年 モノクロ 107分

原題:The Gay Divoicee

監督:マーク・サンドリッチ

製作:パンドロ・S・バーマン

脚本:ジョージ・メリオン・ジュニア、ドロシー・ヨースト

撮影:デイヴィッド・エーベル

音楽監督:マックス・スタイナー

音楽:コール・ポーター

マック・ゴードン、ハリー・レヴェル

コン・コンラッド、ハーブ・マジッドン

※“コンチネンタル”は、この年創設されたアカデミー主題歌賞を受賞しています。

出演:フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース

   アリス・ブラディ、エドワード・エヴェレット・ホートン

   エリック・ローズ、エリック・ブロウ

   アート・ジャレット、ベティ・グレイブル