Vol.45『チップス先生さようなら』の最終章

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コリー2世とパーキンスを仲直りさせるチップス先生(左)
校長から引退を勧められるチッピング(右)

 画面が変わり、校舎の入り口で生徒たちが点呼を取られているシーンになります。点呼を終えた生徒たちの会話で、時の流れを簡潔に表現しています。1899年10月10日の南ア戦争(ボーア戦争とかズール戦争とも云われています)から始まり、ビクトリア女王(1819年5月24日~1901年1月22日)の葬儀と時は進みます。校舎の入り口で点呼を取っているチッピングは、既に60歳代になっています。そこに校長からの呼び出しがあり、校長室に向かいます。途中で喧嘩している新入生のコリー2世とパーキンスを見付けて、仲裁に入り仲直りをさせます。チッピングが校長室に入ると、校長から最新式のラテン語の発音を採用する様に言われます。時代は変わっている、古いものに固執するなら引退するように言われます。古き伝統を重んじるチッピングは、時代が変わって古き良きものが失われて行く、自分は引退しないでここまま行くと言って退室します。(この時のチッピングの台詞に“子供たちを自立させる為に教えている”と云うのがありますが、この言葉は世の大人が永遠に伝え続けなければならない事ですね)

5年前のエピソードを話す校長(左)
全校生徒からの贈り物を受け取るチップス先生(右)

 それから5年後、チッピングは引退します。講堂でチッピングの引退式典が開催され、校長から引退勧告時のエピソードが話された後全員で乾杯し、全校生徒からプレゼントが贈られます。チッピングの引退時のスピーチはユーモアに溢れ、語り口や表情は長年教壇に立っていた70歳の先生そのものです。校舎から出る時。門番の老人がこれから会えなくなるのが寂しいと声を掛けて来て、校長先生になれると思っていたと伝えます。チッピングは、亡くなった妻のキャサリンの事を思い出します。老人はオーストリアの皇太子が暗殺された事も話します。(1914年6月28日のサラエボ事件で、この暗殺によって第一次世界大戦が始まります)

通りを行進する志願した生徒たち(左)
戦争は直ぐ終わると話すチップス先生(右

 通りを軍隊が行進している画面に変わります。チップス先生の家に集まった生徒たちは窓からそれを眺め、卒業生が入隊したとか自分も志願するとか戦争の話をしています。その当時殆どのイギリス人が思っていたように、チップス先生も戦争は数週間で終わると生徒たちに話します。

チップス先生に会いに来たコリー2世(左)
青年になったパーキンス(右)

 しかし、予想に反して戦争は長引き出兵した卒業生や教師が戦死し、校長が講堂で全校生徒に報告します。そこに青年になったピーター・コリー2世が現れ、チップス先生に自分の出兵後に家を訪問して妻の話し相手になってくれるように頼みます。コリー2世を見送る為に外に出るとパーキンスが待っていました。コリー2世とパーキンスは新入生だった頃に取っ組み合いの喧嘩をしましたが、パーキンスは士官のコリー二世の部下で仲良くやっています。

校長就任を依頼する理事長(左)
校長室でキャサリンの写真に報告するチップス先生(右)

 帰宅すると理事長は待っていて、校長が軍隊に志願したのでチッピングに戦争が終わる迄校長になるように依頼されます。チッピングは申し出を受け、翌日校長室でキャサリンの写真を眺めながら“君が言った通り、校長になった”と写真のキャサリンに報告します。

戦地に向かう生徒たちを見送るチップス先生と軍人(左)
校長室でバートンに罰を与えるチップス先生(右)

 学校から出兵する生徒たちを見送るチッピングに、軍人が彼らは明日の将校だと言います。チッピングは、明日が来なければいいと返します。(イギリスの名門校の生徒は、ノブレス・オブリージュ<noblesse oblige>と云う道徳観に基づき、開戦時には国を守る為に志願して戦地に向かいます)画面が変わって校長室、教師に反抗的な態度を取ったバートンに罰を与えます。バートンは学校に残って教えている教師は臆病者だと思っていて反抗していましたが、教師全員は志願をしているが学校を守る為に残った教師がいる事を教えます。

チップス先生の家を訪問するコリー3世(左)
お茶を淹れて語り合うコリー3世とチップス先生(右)

 学校の教会でチップス先生はコリー2世の戦死を伝え、親友のドイツ語教師マックス・シュテフェルの戦死も伝えます。チッピングが帰宅すると終戦を知らせる電話があり、講堂で生徒たちに終戦を伝えます。終戦によりチッピングは臨時校長から元の生活戻ります。時が流れ83歳になったチッピングの家に新入生のコリ―3世が訪問して来ます。先輩の悪戯で訪問したコリー3世を家に入れて二人でお茶を飲みながら語り合います。以前、コリーに2世の家を訪問した時は赤ん坊だった子です。コリー3世が帰る時、チッピングは体調不良を感じ見送らずに椅子に座ったままです。コリー3世が、“さよならチップス先生”と言ってドアを閉めます。その言葉を耳にしたチッピングは、過去の出来事が思い浮かびますが体調が悪くなっていきます。

病床のチッピングを見舞う理事長と校長(左)
私には何千人もの子供がいると話すチッピング(右)

 画面が変わり病床につくチッピング、校長が見舞いに来ていて“子供がいればよかったのに”と話しています。その時、チッピングは“私には何千人もの子供いる”と言います。画面に今まで卒業した生徒たちの映像が流れ、最後にピーター・コリーが笑顔で“チップス先生、さようなら”と言って映画は終わります。

さようならを告げるピ-ター・コリー

 この映画は、ごく普通の教師の半生記を描きながら多くの事を学ばせてくれます。ヒューマン・ドラマであり、ラブ・ストーリーであり、反戦ドラマでもありますが、決して押し付けがましくなく自然に受け入れられると思います。これこそ名作です。是非、多くの方々に観て頂きたい映画です。手元に置いて、時々観て頂きたいと思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

発売元:ワーナー・ホーム・ビデオ

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース

Vol. 44 『チップス先生さようなら』の続きの続き

40歳代になったチッピング(左)   ハーグリーブスとチッピング(右)

 時は大きく流れ、チッピング先生は40歳代になり最古参の教師になっています。(中年になったチッピングは、表情も所作も話し方も変わっていて時間の経過が分かります。)終業式が終わり、生徒も教師も待望の夏休みに入ります。生徒たちは実家に帰省し、教師たちは旅行に出掛ける準備を始めます。チッピングは自分の部屋に向かう途中の道で、ハーグリーブスに会います。彼はチッピングが列車の中で声を掛けたら、突然泣き出した少年で20年振りの再会です。今年は寄宿生を監督する舎監になれるかも知れないと、チッピングは彼に話します。

チッピング舎監就任の話で盛り上がる教員室(左)
校長から舎監就任が無い事を伝えられるチッピング(右)

 教員室でもチッピングの舎監就任の話題で持ちきりです。教師たちが生徒から貰ったケーキを食べている時に、チッピングが入って来て一緒にケーキを食べ始めます。そこに校長先生の呼び出しがあり、皆は舎監就任の話だと励まします。しかし、校長からの話は優秀なギリシャ語教師のチッピングには煩雑な舎監ではなく、教師の仕事に専念して欲しいと言われ落胆して部屋に戻ります。

暗い部屋で呆然とするチッピング(左) 徒歩旅行に誘うステュフェル(右)

 暗い部屋に呆然としていると、友人のシテュフェルが入って来て一緒に旅行に行こうと誘います。チッピングは毎年訪れるハロゲットの宿で一人過ごすと言いますが、シテュフェルトはチロルからウィーンに一緒に徒歩旅行する事に決めてしまいます。

女性の声を聞きつけたチッピング(左) 危険な岩場を登るチッピング(右)

 その日の夜から二人は汽車でチロルに向かい、翌日チッピングは一人で山に登ります。登山途中で霧が出て来て待機していると、上の方から女性の声が聞こえたので無謀にも山を登り始めます。危険な岩場を登る途中で危うく落ちそうになり、杖を落としてしまいます。

上に辿り着いたチッピング(左)
サンドイッチを食べているキャサリン・エリス(右)

 やっと登ってみると、若い女性が岩に腰かけて平然とサンドイッチを食べています。助けを呼んでいると思って登って来たとチッピングが言うと、その女性はなんと無謀な人だと言います。命を落とすかも知れないのに心配して登って来てくれた事に彼女は感謝します。

一緒にサンドイッチを食べるチッピング(左)
楽しく語り合う二人(右)

 そして二人で岩に腰かけてサンドイッチを食べ、その女性キャサリン・エルスはチッピングに教師の素晴らしさを語り出します。女性と付き合う事の無かったチッピングは、自分の心の高揚に驚きながらキャサリンの話を聞きます。(このシーンのドーナットとガーソンの演技は自然で、恋した事の無い中年男と行動的で聡明な女性との素晴らしいやり取りが続きます。)

ドナウ川を眺めるチッピングとステュフェル(左)
2階のデッキでドナウ川を眺めるフローラとキャサリン(右)

 やがて霧が晴れて下山すると、チッピングの勇敢な行動を称えてホテルでパーティーを用意しますが、主賓のチッピングは怖気づいたかのように部屋に戻ってしまいます。キャサリンたちは翌朝出発してしまい落胆しつつ旅を続け、船のデッキでドナウ川を眺めているチッピングとシテュフェル。シテュフェルがドナウ川は茶色で青く無いが、チッピングには青く見えないかと尋ねます。丁度その頃、船の2階のデッキではキャサリンとフローラが同様の会話をしていて、キャサリンにはドナウ川が青く見えています。(このシーンの監督の演出は素敵です。)

踊るチッピングを見て驚くフローラとステュフェル(左)
楽しく踊るチッピングとキャサリン(右)

 先に船から降りたチッピングは、キャサリンを見付けて駆け寄ります。その日の夜、舞踏会に出席した二人は取り留めのない会話をしていますが、キャサリンが旅の一番の思い出は舞踏会で踊った事だと言います。チッピングはその言葉に狼狽しますが、勇気を振り絞って彼女と踊ります。(このシーンも二人の表情の変化が素敵で、このダンス・シーンは観ていて幸せな気持ちになります。)

言いたい事が言えないチッピング(左)
走りながらプロポーズをするチッピング(右)

 汽車で発つキャサリンを見送るチッピングは、言いたい事が言い出せないまま汽車が発車し始めた時、キャサリンが軽くキスをして乗車します。発車した汽車を追いかけながら、チッピングはキャサリンにプロポーズします。しかし、汽車はキャサリンと共に行ってしまい、もう会えないと絶望しているチッピングに親友のステュフェルが声を掛けます。“心配するな、教会の手配はしたから明日は結婚式だ”と言って二人で祝杯を挙げに行きます。

チッピング夫人の事をステュフェルに聞く教師たち(左)
チッピングと共に現れたキャサリン(右)

 画面が変わって学校の教員室、新聞でチッピングの結婚を知った同僚はステュフェルに、奥さんは器量が悪いんだろうとか最悪なんだろうとか言っています。そこにチッピングが奥さんを連れて現れます。奥さんを見た途端に全員の顔が笑顔になり、女性入室禁止の教員室なのに大歓迎で受け入れます。(このシーンは観ていて一緒に笑顔になります。それにしてもグリア・ガーソンの笑顔は素敵です。)

生徒たちにキャサリンを紹介するチッピング(左)
生徒たちをお茶会に招待するキャサリン(右)

 この時キャサリンが、チッピングを“チップス”と呼びます。それを聞いた同僚は、チッピングを“チップス”と呼ぶようになります。教員室を二人で出ると、キャサリンを一目見ようと教え子たちが集まっていました。キャサリンは教え子たちに、“先生は日曜にお茶会を開くから、皆来てね”と言い、戸惑うチップスに“4時だったわね”と言います。彼女の突然の提案に“ああ、そうだった”と言い、それから毎週お茶会は開催されます。

お茶とケーキで持成すキャサリン(左)
授業で冗談も言うようにアドバイスするキャサリン(右)

 お茶会の後、キャサリンはチップスに授業中に冗談も言って生徒たちと友達になるようアドアイスします。この先キャサリンは事ある毎にアドアイスし、チップスはドンドン変わっていきます。(なんと素敵な奥さんでしょう。グリア・ガーソンが登場するシーンを観ていると、幸福感に浸れます。)

舎監になった事を告げるチップス(左)
チップスの素晴らしさを伝えるキャサリン(右)
”セルブス”と言って乾杯する三人

 時は流れてクリスマス、生徒たちは帰省し始めチップスは今では生徒たちの人気者になっています。キャサリンがクリスマス・ツリーを飾り付けていると、チップスが慌てふためいて帰宅して舎監になったと言います。喜びあっている二人の許にステュフェルがシャンペンを持って現れます。そして3人で祝杯を挙げます。二人が山で出会った日の夜の様に“セルブス”と言って乾杯します。

出産が難しい状態だと聞かされるチップス(左)
妻が死んだ直後に授業を始めるチップス(右)

 画面が変わって翌年の4月1日、エイプリルフールの日にキャサリンは出産をします。しかし、出産は難産で母子共に亡くなってしまいます。(1890年頃の医学では細菌の存在は広く認識されていない為、出産は不衛生な状態で行われていたので母子共に死亡する事はよくあったようです。)その日生徒たちは、チップス先生にエイプリルフールの悪戯を皆で用意していました。腑抜け状態になったチップスは、そんな状態でも授業を行います。生徒たちの悪戯をチップス先生が喜んでくれると思っていましたが、期待は裏切られます。

チップス夫人が亡くなった事を伝える生徒(左)
教科書を読むコーリー(右)

 そこに遅れて一人の生徒が教室に入って来て、チップス夫人と子供が亡くなった事を皆に伝えます。チップスは授業を始め、コリーに教科書を読むように言います。(キャサリンが亡くなってから授業までのロバート・ドーナットの表情は、正に魂が抜けたように感じるものです。名優です。)

魂が抜けたようなチップス

 この映画でデビューして素晴らしい演技をしたグリア・ガーソンは、後に自分のキャリアに大きな影響を与える映画だとは思っていなかったと語っています。それが逆に気負いもなく自然な演技に繋がったのではないかと、思っております。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース

Vol.43『チップス先生さようなら』の続き

新任教師に学校の歴史を語る先輩教師(左
登校して来る生徒たち(右

 高く聳え立つ塔が映しだされた画面から始まり、ジョブサン・ブルックフィールドにある1492年創立のブルックフィールド校の校内が俯瞰で映しだされます。先輩教師が新任教師に学校の歴史の話をしています。やがて汽車が到着し、生徒たちが続々と登校して来ます。

講堂に集合した全校生徒(左
訓示の後、チップス先生が欠勤した事を伝える校長(右

 全寮制の寄宿学校なので生徒各自がベッドに荷物を置き、講堂に集合します。校長が新学年の訓示を全校生徒にし、今日は58年間無欠勤だったチップス先生が風邪で欠勤した事を伝えています。

83歳のチップス先生(左
ピーター・コリー3世と話すチップス先生(右

 その頃、道路では小走りで講堂に向かう83歳のチップス先生が登場します。白髪でふさふさの立派な口ひげを生やし、帽子を被って杖を持ち眼鏡を掛け、その眼はクリクリっとして愛嬌があります。額の皺や頬の皺、話し方も動きも如何にも83歳と思わせるような表情です。(現在の様に特殊メイクが無い時代ですから、ロバート・ドーナットは表情や動作の演技でカバーしています。モノクロ映画とは言え、お見事としか言いようがありません。)講堂に向かう途中で遅刻した新入生のドーゼット(ピーター・コリー3世)と出会います。二人が講堂に着いてドアを開けようとしたら錠が掛かっていて入れなので、その場で話をしながら待ちます。

次々と生徒から声を掛けられるチップス先生(左)
校長に抗議するチップス先生(右

 やがて講堂のドアが開き、生徒たちが続々と出て来てチップス先生に声を掛けます。生徒たちの声掛けに冗談で返す光景は、チップス先生が全校生徒の人気者である事がよく分ります。校長はチップス先生が登校してきたので驚き、体調を気遣いますがチップス先生は外出禁止の処置に不満を言います。

新任教師にアドバイスをするチップス先生(左
暖炉の前で転寝をチップス先生(右

 その時、新任の教師を紹介され彼はチップス先生の人気の秘訣を聞きます。そうなるには長い月日が掛かったが、“ある人”のお蔭だと彼に言います。新任教師は初めての授業に向かい、チップス先生は家に戻って暖炉の前の椅子に座って転寝をします。

駅のホームで先輩教師に声を掛けるチッピング先生(左
生徒たちと列車に乗り込んだチッピング先生(右

 画面が変わって22歳のチッピング先生(未だチップス先生とは呼ばれていません。)が、ブルックフィールド行きの汽車に乗る為に駅のホームを歩いている場面になります。(83歳のチップス先生から一転して若返り、実年齢34歳ながら22歳に変身しています。勿論、顔には皺も無く眼もキリッとした好青年で、画像を観ても驚くと思います。)ホームは汽車に乗る生徒たちで溢れかえっています。

生徒が突然泣き出して
困惑するチッピング先生

 生徒たちと共に汽車に乗って席に着くと、向かいの席の生徒が不安げに下を向いているので声を掛けると、その生徒は突然泣き出してしまいます。(この生徒の名はハーブリーブス、大人になってから登場します。)

先輩教師からアドバイスを受けるチップス先生(左
教室で帽子を巡って一騒動(右

 学校に着いたチッピング先生は、先輩の案内で自分の部屋に入り荷物を置いて校長室に向かいます。教員室で校長から先輩教師に紹介され、生徒たちが行う新任教師の洗礼に対する様々なアドバイスを受けます。教室に入ると早速生徒たちの悪戯が始まり、帽子を巡って一騒動あります。

生徒たちに罰を与える事を伝える校長

 生徒を席に着かせて課題の感想文を書かせますが、生徒たちはチッピングを困らせるような質問をし始めます。その内生徒たちが言い合いを始め乱闘になります。チッピングが仲に入って収めようとしますが、騒ぎに巻き込まれている最中に校長が教室に入って来ます。校長は生徒たちに罰を与える事を伝え、チッピングには校長室に来るように言われます。

クリケットの試合に勝つように檄を飛ばす校長(左
生徒たちに自習をさせる事を伝えるチッピング先生(右

 校長からは退職を勧められますが、もう一度チャンスをくれる様に頼み、威厳を持って厳しく生徒に接するようなります。しかし、大事なクリケットの対試合の日に生徒たちの態度が悪かったので、自習させる事にしたので主要メンバーが欠場して試合は負けてしまいます。

先生は大っ嫌いだと言うジョン-コリー

 生徒のジョン・コリーから母校が負けたのは悔しい、先生は大っ嫌いだと言われます。チッピングは、厳しく対応した事を大いに反省し、生徒と信頼関係を築く事の大切さを知ります。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース

Vol.42『チップス先生さようなら』

 今回ご紹介するのは、ジェームズ・ヒルトン原作の有名な『チップス先生さようなら』の初映画化されたもので日本では未公開作品です。主演はロバート・ドーナット、共演は映画初デビューのグリア・ガースン、サム・ウッド監督の1939年の作品です。物語の舞台は、架空の全寮制男子校のブルックフィールド校です。そこに就任した22歳の新任教師チャールズ・エドワード・チッピングの生涯を時の移り変わりと共に描かれた作品です。

発売元:ワーナー・ホーム・ビデオ

【スタッフとキャストの紹介】

サム・ウッド監督

 サム・ウッド(1883年7月10日~1949年9月22日)は、アメリカ合州国ペンシルベニア州フェラデルフィア出身の映画監督です。20世紀初頭に不動産ブローカーをしながら、チャド・アプリゲートの名で俳優をしていました。1915年からセシル・B・デビルの助監督からスタートして1919年からは監督になっています。大女優のグロリア・スワンソンやウォーレシ・リードが出演する映画を数多く撮っています。1927年にはMGMでマリオン・デイヴィス、クラーク・ゲーブル、ジミー・デュランテ等の映画を監督しています。ウッドは、同じシーンを20回くらい繰り返し撮影するので有名でした。

 1935年『マルクス兄弟オペラは踊る』、1937年『マルクス一番乗り』、1939年『チップス先生さよなら』、1940年『恋愛手帳』『我らの町』、1942年『打撃王』『嵐の青春』等を監督しました。1943年の『誰がために鐘は鳴る』は大ヒットしました。1944年『クーパーの花婿物語』『サラトガ本線』、1948年『戦略爆撃指令』、1949年『蘇る熱球』『アパッチ族の最後』等を監督しました。ウッドは1919年9月22日に心臓発作により、66歳で亡くなりました。

チャールズ-エドワード-チッピング役
ロバート・ドーナット(34歳)

 ロバート・ドーナット(1905年3月18日~1958年6月9日)は、マンチェスター・ウィシントン出身の舞台俳優で映画俳優です。ドーナットは、酷い吃音を治す為にジェームズ・バーナードの弁論レッスンを受けていました。15歳で学校を辞めて、バーナードの秘書として働きました。1921年バーミンガムのプリナス・オブ・ウェールズ劇場の「ジュリアス・シーザー」で舞台デビューし、その後も舞台の仕事を続けます。

 1932年『Men of Tomorrow』で映画デビューし、1933年『ヘンリー八世の生活』に出演して高い評価を受けます。キリっとした顔立ちと英国紳士らしい立ち振る舞いで、1934年『巌窟王』、1935年『三十九夜』『幽霊西へ行く』、1937年『鎧なき騎士』、1938年『城砦』等に出演しました。1939年『チップス先生さよなら』でアカデミー主演男優賞を受賞し、1948年『ウィンスロー少年』、1858年『六番目の幸福』では北京語で演じています等に出演しました。ドーナットは長い間喘息の発作に悩まされ、撮影が休止したり役を降りたりしていました。又、彼は映画出演のオファーが来ても断る事多く、アルフレッド・ヒチコック監督の『間諜最後の日』『サボタージュ』『レベッカ』のオファーを断っています。出演した映画は20本足らずですが、彼の演技の凄さは本作を観れば一目瞭然です。25歳のチップス先生から40歳代・60歳代・83歳まで、鬘とメイクに加えて顔の表情や立ち振る舞いを年齢に合わせて変えています。特に眼の演技と話し方は、一人の俳優が演じているとは思えない位です。(チップスは妻のキャサリンが彼を呼ぶ時の愛称で、チャールズ・エドワード・チッピングが本当の名前です。劇中前半では、チッピングと呼ばれています。)

キャサリン・エリス役
グリア・ガーソン(35歳)

 グリア・ガーソン(1904年9月29日~1996年4月6日)は、イギリスのロンドン出身のイギリス系アメリカ人の女優・歌手です。彼女は、キングス・カレッジ・ロンドンでフランス語と18世紀の文学を学び、グルノーブル大学の大学院を卒業しました。卒業後、レバー・ブラザーズのマーケティング部門で働きながら、1932年1月、27歳の時にバーミンガム・レパートリー・シアターで舞台デビューし、地元で舞台俳優をしていました。1937年5月14日、ロンドンのBBCテレビの生放送で、シェークスピアの「十二夜」に出演しました。彼女の舞台を観たルイス・B・メイヤーがスカウトし、1937年後半にMGMと契約しました。

 1939年『チップス先生さよなら』で映画デビューしました。この映画に出演した時は分からなかったが、後の自分のキャリアに大きく影響した事を知ったと語っていました。その後、1940年の『高慢と偏見』で、主演のローレンス・オリビエを相手に堂々とした演技を披露して注目されるようになり、1941年『塵に咲く花』に出演します。そして1942年の『ミニヴァー夫人』でアカデミー主演女優賞を受賞し、『心の旅路』や1943年『キューリー夫人』等で素晴らしい演技をする知的な美人俳優です。その反面、1948年の『奥様武勇伝』のようなラブ・コメディにも出演して歌や踊りも披露しています。1953年『ジュリアス・シーザー』、1955年『荒野の貴夫人』、1960年『ルーズベルト物語』、1966年『歌え!ドミニク』に出演し、1967年の『最高にしあわせ』が彼女の最後の映画出演でした。ガーソンは、晩年をダラスの長老派病院のペントハウス・スイートで過ごし、1996年4月6日に心不全の為91歳で亡くなりました。

コリー家の4世代の少年時代のピ-ター
テリー・キルバーン(13歳)

 テリー・キルバーン(1926年11月25日~)は、ロンドン出身の映画俳優・舞台俳優・舞台監督です。幼少期から有名人の物真似で寄席芸人として活動し、エージェントの勧めで1937年に母親と二人でアメリカのハリウッドに移住し、父親は翌年に渡米しました。エディ・カンターのラジオ番組に出演している時にスカウトされ、1938年の『海国魂』で映画デビューしました。1938年『クリスマス・キャロル』、1939年『チップス先生さようなら』に出演し、この二作ではラスト・シーンで物語を締めくくる最後の台詞を言っています。1939年『シャーロック・ホームズの冒険』、1940年『新・ロビンソン漂流記』、1944年『緑園の天使』等に出演しました。

 キルバーンは高校卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で演劇を学び、舞台に出演していました。彼はテレンス・キルバーンの芸名で、ブロードウィ・デビューし、1952年にジョージ・バーナード・シューの「カンディダ」に出演しました。1946年『黒馬物語』、1950年『海賊ブラッドの逆襲』、1951年『勇者のみ』、1958年『顔のない悪魔』等に出演し、最後の映画出演は1962年の『ロリータ』での端役でした。1970年から1994年までミシガン州ロチェスターのオークランド大学のメドウブルック劇場で芸術監督を務めました。

ピーター・コリー2世役
ジョン・ミルズ(31歳)

 ジョン・ミルズ(1908年2月22日~2005年4月25日)は、イギリスのノーフォーク州ノース・エルムハム出身の俳優です。彼はロンドン・バラムのグラマー・スクール、ベックルズのサー・ジョン・レマン高校、ノリッジ男子高校で学び、1929年ロンドンのヒポドローム劇場の舞台コーラスとしてデビューしました。アジア巡業中にノエル・カワード(イギリスの俳優・脚本家・監督・作曲家・作詞家等として知られる著名人)に出会い、1931年から彼の舞台劇の「ロンドンの壁」や「カヴァルケード」など彼の舞台に出演し、オールド・ヴィク座にもしゅつえんして舞台俳優のキャリア積みました。

 1933年には映画デビュー、1936年『友情と兵隊』、1939年『チップス先生さようなら』、1942年『軍旗の下』、1943年『潜水艦シー・タイガー』、1946年『大いなる遺産』、1948年『南極のスコット』、1949年『暁の出航』、1954年『ホブスンの婿選び』、1955年『潜水艦帰投せず』、1956年『戦争と平和』、1959年『追いつめられて…』、1960年『南海漂流』、1965年『クロスボー作戦』、1967年『砦のガンベルト』、1969年『素晴らしき戦争』等に出演しました。

 1970年『ライアンの娘』でアカデミー賞助演男優賞を受賞し、1978年『大いなる眠り』、1979年『ズール戦争』、1982年『ガンジー』、1986年『風が吹くとき』(声の出演)等に出演しました。映画と同時に舞台にも出演し、1970年代からはテレビにも出演していました。1976年にエリザベス2世より騎士の称号を授与されています。ミルズは2005年4月23日バッキンガムシャーのデナムで、脳卒中の為97歳で亡くなりました。

マックス・ステュフェル役
ポール・ヘンリード(34歳)

 ポール・ヘンリードは(1905年1月10日~1992年3月29日)は、オーストリア出身の俳優・映画監督・プロデューサー・作家です。ヘンリードは、ウィーンの全日制学校テレジアニッシェ・アカデミーで学びながら、出版社で働きました。彼は家族の反対を押し切って、ウィーンの劇場で演劇に出演していました。その後、演出家のマックス・ラインハルトの劇団で塗隊デビューしました。1930年代にドイツ映画でデビューし、1935年にオーストリア映画『郷愁』に出演しました。1935年にイギリスに渡り、1937年にロンドンで「ヴィクトリア・レジーナ」に出演しました。1938年ドイツ政府は、反ナチスの彼を“第三帝国の公式の敵”に指定して、ドイツで彼の全財産を没収しました。1939年第二次世界大戦の勃発により、敵国人として国外追放されそうになります。ドイツの俳優コンラート・ファイトの尽力で、イギリス政府は彼が滞在して働く事を許可します。

 1939年『チップス先生さよなら』に出演し、チップス先生の人生を変える切っ掛けを作る、親友のドイツ語教師のマックス・ステュフェルを演じ、1940年『ミューヘンへの夜行列車』に出演しました。同年、ヘンリードはニューヨーク市に移住しました、1941年にブロードウェイの舞台に出演しました。RKOと契約し、1942年『パリのジャンヌ・ダルク』で、ナチス占領下のフランスから脱出するイギリス空軍パイロットを演じました。1942年にワーナー・ブラザーズに移籍し、1942年『情熱の航路』に出演しました。ベティ・デイヴィスと共演して、ヘンリードが二本の煙草に火をつけてベティ・デイヴィスに一本を渡すシーンを演じました。このシーンは、後に多くの映画で模倣されました。『カサブランカ』では反ナチスの指導者ヴィクター・ラズロを演じました。イギリスで国外追放になりそうになった時に、助けてくれたコンラート・ファイトも出演していました。

 1944年『復讐!反ナチ地下組織/裏切り者を消せ』・『霧の中の戦慄』、1945年『海賊バラクーダ』、1946年『まごころ』・『愛増の曲』、1949年『欲望の砂漠』、1954年『我が心に君深く』、1959年『戦雲』、1965年『クロスボー作戦』等に出演しました。ヘンリードは、1946年にアメリカ合州国の市民権を得ています。1950年代初頭から映画とテレビ番組の両方の監督を始めました。1964年の『誰が私を殺したか?』やテレビ映画の「マーベリック」や「バージニアン」等を監督しています。1973年にはブロードウェイの舞台で、バーナーでオ・ショーの「ドン・ファン・イン・ヘル」に出演しています。1977年『エクソシスト2』が、ヘンリード最後の映画出演となりました。1992年に脳卒中を患った後に、カリフォルニア州サンタモニカで肺炎の為、84歳で亡くなりました。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。 

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