Vol.41 『生きるべきか死ぬべきか』の続きの続き

見知らぬ男に驚くヨーゼフ(左)  教授の事を中尉に伝えるマリア(右)

 ヨーゼフが帰宅すると妻のベッドに見知らぬ男が寝ています。「ハムレット」の舞台の途中で席を立った男だと分かり、“生きるべきか死ぬべきか”と台詞を言うとベッドの男は飛び起きます。ヨーゼフは彼に質問をし始めますが、そこにマリアが帰宅して教授が明日ゲシュタボに行く事を中尉に伝えます。何も分からないヨーゼフは質問を続けますが、マリアと中尉の会話は進みます。教授を殺害する必要がある事を理解したヨーゼフは、自分が殺害すると言い出します。

白紙に署名させるマリア(左)   自殺を思わせる文を書くマリア(右)

 マリアは教授の部屋を訪れシャンペンで乾杯して、教授に署名の筆跡で性格を調べると言って白紙に名前を書かせます。そこにゲシュタボ本部から兵士が来て、教授に同行するように言います。教授はマリアを部屋に残して、ゲシュタボ本部に向かいます。マリアは、署名された白紙にタイプライターで自殺を思わせる文を書いてベッドの枕に置き、帰宅しようしますが教授が来る迄部屋に監禁されます。

名簿を取り出す教授’(左)
名簿の写しがある事をドボッシュに伝えるヨーゼフ(右)

 教授を迎えるゲシュタボ本部は、劇場にゲシュタボ本部の看板を掲げて変装した劇団員が待ち構えてます。教授はヨーゼフが変装したエアハルト大佐に会い、地下組織メンバーの名簿を渡します。これで名簿奪還の作戦は終わる筈でしたが、ホテルのトランクの中に写しがある事が分かります。報告書を作成すると言ってヨーゼフは退室し、ドボッシュに写しがある事を伝え次の策を練るように言い教授の元に戻ります。

偽のエアハルト大佐を見破った教授(左)
レジスタンスに射殺された教授(右)

 ヨーゼフは時間稼ぎをしようとしますが、マリアと中尉の事を聞いて激怒した為に教授に正体を見破られます。教授はヨーゼフに銃を突きつけ、部屋から逃げ出します。劇団員が総出で教授を探し始め、教授は劇場の観客席から舞台へと逃げますが、レジスタンスに射殺されます。

偽の教授と知らず迎えに来た シュルツ (左)
偽の教授に媚びを売るエアハルト大佐(右)

 場面は変わってホテルの部屋で待つマリアの元に本物のゲシュタボが現れます。教授に変装したヨーゼフが帰宅すると、ゲシュタボのシュルツ大尉が直ぐエアハルト大佐が会いたいと伝えゲシュタボ本部に行きます。大佐は、総統と親しい教授に取り入ろうと色々話し掛けます。ここで大佐が話す事は、既に登場していた冗談で悪い方に話が展開します。偽教授と大佐の会話は、もの凄く面白いです。それに可哀そうなシュルツ大尉が会話に加わり、さらに面白くなります。(ナチスへの皮肉たっぷりのシーンです。)大佐は教授のロンドン行きの飛行機を手配しますが、教授が二人分を要求したので翌日マリアに合う事になります。

マリアに教授の死を伝える大佐(左)
教授の死体が発見された事を伝えるマリア(右)

 翌日マリアが大佐を尋ねると、教授が殺害された事を伝えられます。教授が死んだので、大佐はマリアと親しくなろうとします。マリアが退室した後、死んだ筈の教授から”少し遅れる“と電話が入ります。マリアはヨーゼフにゲシュタボが教授の死を知った事を伝えにホテルに行きますが、ヨーゼフは既にゲシュタボ本部に向かっていました。マリアは劇団員が集まっている所に駆け付け、ドボッシュに教授の死体が見つかった事を伝え、ヨーゼフを助けてくれるように頼みます。

ヨーゼフの作戦に引っ掛かった大佐(左)
ラウィッチ扮する偽親衛隊長がヨーゼフを連行する(右)

 場面が変わってゲシュタボ本部、教授に扮装したヨーゼフは本部の奥の部屋に通されます。そこには本物の教授の死体が椅子に座らされていました。ヨーゼフはポケットにあった予備の髭で細工をします。ヨーゼフは大佐を部屋に呼び入れます。ここからどっちが偽物かの探り合いが始まり、素晴らしい会話のやり取りで話は進みます。大佐はヨーゼフの作戦にまんまと引っ掛かります。ヨーゼフを本物だと思って帰そうとした時、劇団員扮する親衛隊の一団が現れます。親衛隊の責任者が、総統が到着した途端に陰謀が発覚したと言って大佐を責め、この教授は偽物だと言って髭を引っ張り正体を明かします。ヨーゼフは偽の親衛隊に連れ去られ、大佐は途方にくれます。

脱出作戦を話すドボッシュ(左)   親衛隊の中に紛れ込む劇団員(右)

 劇団員が集まってワルシャワから脱出出来ないと話している時に、ドボッシュが脱出作戦を思い付きます。ヒトラーが観劇に来るのを利用して、「ハムレット」で槍持ちをしていたグリーンバークを主役にした大胆な作戦です。劇団員は全員で稽古を始めます。

偽ヒトラーに演説をするグリーンバーグ(左)
偽ヒトラーに退出を進言するヨーゼフ(右)

 大勢の親衛隊の中に劇団員は紛れ込んで隠れます。劇場にヒトラーが現れ、舞台が始まる迄の合間にグリーンバークが廊下に飛び出し、例の台詞で演説をします。ラウィッチ扮する親衛隊隊長は彼を偽の親衛隊員に連行させ、不祥事が起こったのでブロンスキー扮するヒトラーにこの場を離れる様に進言します。偽親衛隊一行は車で空港に向かい、ヨーゼフは途中でマリアを迎えに行きます。しかし、ヨーゼフは付け髭を失くしてしまいマリアを迎えに行けなくなります。

マリアに言い寄る大佐(左)    ヒトラーが現れ恐れをなす大佐(右)

 一方、ヨーゼフの迎えを待つマリアの部屋に大佐は突然訪問して来ます。マリアがポーランド側のスパイ疑惑で質問をしますが、全て見事に交わされてシュルツ大尉が怒られて退室します。部屋に残った大佐は、マリアに言い寄り口説き落とそうとします。マリアは人が迎えに来るからと拒否して逃げ回ります。そこにブロンスキー扮するヒトラーが現れ驚愕する大佐。マリアが部屋を出た後、部屋から銃声一発と倒れる音、そして“シュルツ”の一声。劇団員全員が飛行機に乗りこみ、ドイツ軍のパイロットとソビンスキー中尉が交代してスコットに向かいます。ドイツ軍のパイロット二人は、皮肉たっぷりの面白い方法でいなくなります。

ハムレットを演じるヨーゼフ(左)    席を立つ見知らぬ若者(右)

 スコットランドに着いた劇団員は新聞記者達の取材を受け、ヨーゼフはイギリスの舞台で「ハムレット」を演じる事になります。観客席にはソビンスキー中尉もいます。ヨーゼフが例の台詞を話すと、席を立つ若者が現れます。ヨーゼフもソビンスキーもビックリで、映画は終わります。最後の最後まで楽しませてくれる、ルビッチ監督の最高傑作だと思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『生きるべきか死ぬべきか』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 99分

原題:TO BE OR NOT TO BE

監督:ルンスト・ルビッチ

製作:アレクサンダー・コルダ

脚本:エドウィン・ジャスタス・メイヤー

撮影:エオドルフ・マテ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:キャロル・ロンバード:マリア・トゥーラ

   ジャック・ベニー:ヨーゼフ・トゥーラ

   ロバート・スタック:ソビンスキー中尉

   フェリックス・ブレザート:グリーンバーク

   ライオネル・アトウィル:ラウィッチ

   スタンリー・リッジス:アレクサンダー・ツレッキー教授

   シグ・ルーマン:エアハルト大佐

   トム・デューガン:ブロンスキー

   チャールズ・ハルトン:ドボッシュ

Vol.40 『生きるべきか死ぬべきか』の続き

ワルシャワの街に一人で現れたヒトラー

 1939年8月、ポーランドのワルシャワから物語は始まります。ワルシャワの街に突然ヒトラーが一人で現れます。街中の人々が驚き、固まってしまいます。

舞台劇「ゲシュタボ」のワン・シーン(左)
ボランスキーに駄目出しをするドボッシュに抗議するグリーンバーグ(右)

 そこでナレーターが、”どうして彼が現れたか”と言って場面はゲシュタボ本部に変わります。しかし、このゲシュタボ本部は舞台劇のもので、本物ではありません。(この場面に登場する少年が言う冗談は、後ほど違う場面でも出て来ます。本作の題名の”生きるべきか死ぬべきか”も、後ほど度々出て来ます。先に使われた台詞が、全然状況の違う場面で云われる事によって、非常に面白い事になります。本当によく練られて書かれた脚本です。)その本部にヒトラーが登場して、軽い冗談めいた台詞を言います。勝手に台詞を変えた事を舞台演出家のドボッシュが怒り、ヒトラー役のブロンスキーに全然似てないと言って駄目出しをします。そこでブロンスキーは、自分はヒトラーそのものだと言ってワルシャワの街に出て行き、誰にも見破られない事を証明しようとした訳です。

偽ヒトラーのボランスキーに
サインを求める少女

 ヒトラーに扮したブロンスキーの周りを群衆が囲む中、一人の少女がヒトラーに近寄り”ブロンスキーさん、サイン下さい。”と言ってサインして貰います。大人は全員、彼の服装とチョビ髭でヒトラーだと思い込みましたが、この少女だけがこのヒトラーは役者が扮装している偽物と気付いていた訳です。

槍持ちに扮した
グリーンバーグとボランスキー

 画面が変わって劇場で上演されている「ハムレット」のポスターが映しだされます。楽屋から出て来たブロンスキーとグリーンバークは、槍持ちの扮装で愚痴を言い合ってます。グリーンバークは、得意の「ベニスの商人」の台詞を言い、ブロンスキーが褒め称えます。(この二人、舞台では槍を持っている役しか貰えませんが、後半で大役を与えられます。)

ハムレットを演じるヨーゼフ(左)
台詞を聞いて席を立つソビンスキー中尉(右)

 座長のヨーゼフ・トゥーラが楽屋から出てきて、電話でサンドイッチとビールを注文します。そこに妻のマリアが現れ、二人の面白い会話が続きます。楽屋でマリアが椅子に座って鏡に向かっていると、ヨーゼフが現れ3日間贈られて来る花を見て、誰からの贈り物か問い質します。マリアが曖昧な返事をしている時に、ヨーゼフは出番になって舞台に向かいます。ここでマリアと付き人のおばさんが花の送り主の話をしていると、その送り主からの会いたいと云う手紙が届きます。マリアは付き人に言い訳がましい事を言いながら、ハムレットが”生きるべきか死ぬべきか”の台詞を言った時に楽屋に来るように返事を書きます。舞台でハムレットが登場して台詞を言った途端に、花の贈り主であるソビンスキー中尉は堂々と席を立ちます。(この出来事が、大物俳優のヨーゼフ・トゥーラを悩まし続けます。)喜び勇んで中尉は、マリアの待つ楽屋に向かいます。中尉はマリアの舞台は全部観ているし、雑誌の記事も読んでいるので色々質問をします。マリアは調子を合わせているだけですが、中尉は有頂天です。彼は爆撃機のパイロットで、翌日空港で爆撃機を見せる約束をして楽屋を出ます。入れ替わりにヨーゼフが入って来て、舞台の途中で客が席を立ったので酷く落ち込んでいます。マリアは素知らぬ顔で、ヨーゼフを慰めます。

マリアに求婚するソビンスキー中尉(左)
戦争が始まった事を知るヨーゼフ(右)

 画面が変わって舞台劇「ゲシュタボ」の稽古中、全員がラジオでヒトラーの演説を聞いています。そこに外務省のボヤルスキー博士が現れて、「ゲシュタボ」の舞台公演中止を伝えます。それで再び「ハムレット」を講演する事になりますが、ハムレットが台詞を言うと昨日と同様に中尉が席を立ちます。楽屋に入った彼は、マリアに結婚しようと言い出します。困惑するマリアの事はお構いなしに、彼はヨーゼフに二人の結婚話をすると言い出します。そこに付き人のおばさんが、新聞を手に戦争が始まったと言って楽屋に入って来ます。彼はマリアに別れを告げて基地に戻ります。ドボッシュ達も戦争が始まったと言って楽屋に入って来ます。そこに客が席を立った事に怒り狂ったヨーゼフが入って来ます。ドボッシュと噛み合わない怒鳴り合いになり、ヨーゼフは皆の話から戦争が始まった事を知ります。

破壊されたワルシャワの街(左)   瓦礫の中を更新するドイツ兵(右)

 その時、空襲警報が鳴り空爆が始まります。観客は劇場から逃げ出し、団員は地下室に逃込みます。空爆によりワルシャワは破壊されて瓦礫の山となり、そこをドイツ軍兵士が行進していきます。それを漠然と見るワルシャワ市民、この場面からルビッチ監督の思いが描かれています。

エアハルト大佐によるゲシュタボのポスター(左)
グリーンバークは「ベニスの商人」での台詞を語ります(右)

 街にはエアハルト大佐によるゲシュタボのポスターが張られます。ブロンスキーとグリーンバークのコンビが登場し、グリーンバークは例の台詞を語ります。しかし、ここからワルシャワ市民のレジスタンス活動も始まり、ポーランドの若い兵士は英国空軍に入り飛行機での反撃が始まります。

歌う兵士たちの中にいる教授(左) 教授にマリアへの伝言を頼む中尉(右)

 ロンドンの空軍基地で、ポーランドの兵士が歌っている中にシレッキー教授がいます。彼は兵士たちにワルシャワに行く話をすると、兵士たちは危険だから止める様に言います。教授は極秘の任務があるから行かなければならないと言い、兵士たちの家族の住所を教える様に言います。中尉は、教授にワルシャワにいるマリア・トゥーラに伝言を頼みます。伝言は例の台詞です。処が教授は、ワルシャワで有名なマリアの事を知りません。その後兵士たちは家族の住所を書いた紙を教授に渡します。

軍情報部に教授の事を伝える中尉(左)  v教授の写真を靴に仕込む(右)

 翌日ソビンスキー中尉は軍情報部に行き、シレッキーは疑わしい人物だと伝えます。ワルシャワでは誰でも知っているマリア・トゥーラを知らないので、ワルシャワ行きを止めて欲しいと伝えます。教授は既に船で出発しているので中尉は飛行機で移動し、地下組織に渡す教授の写真を持参させ、住所が書かれた名簿を回収する様に命令します。

不審者を追跡するドイツ兵(左)   ドイツ兵に発見された中尉(右)

 対空砲火の中、中尉はパラシュートでワルシャワ郊外に着地し、ドイツ兵の追跡を交わし乍ら逃げ回ります。写真を受け渡しする場所のシュタルガ書店(レジスタンスとの中継場所)まで辿り着きますが、ドイツ兵に見つかりその場から逃げ去ります。

本に写真を挟んで店主に渡すマリア(左)
写真を確認し、指令を読む店主(右)

 画面が変わり同じ書店の前に、マリアが登場します。店内にはドイツ兵が二人、マリアは店主に「アンナ・カレーニナ」(『桃色‘ピンク』の店』でも登場した本です)の本を見たいと言います。ページを捲りながら150ページに教授の写真を挟みます。本の価格を聞き、高すぎて変えないと言ってマリアは店を出ます。ドイツ兵が帰った後に店主は奥の部 屋へ行き、教授の写真を見て裏面に書かれた指令を読みます。

ドイツ兵に連行されるマリア(左)
マリアにスパイになるように進言する教授(右)

 マリアが帰宅するとドアの前にドイツ兵がいて、教授がいるホテルに連行されます。彼はマリアに中尉の伝言を伝えます。その時電話に出た彼の会話からゲシュタボの手先である事を知ります。彼はマリアにドイツのスパイになるように勧めます。マリアは即答せずに、ディナーの招待を受けて帰宅します。

次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『生きるべきか死ぬべきか』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 99分

原題:TO BE OR NOT TO BE

監督:ルンスト・ルビッチ

製作:アレクサンダー・コルダ

脚本:エドウィン・ジャスタス・メイヤー

撮影:エオドルフ・マテ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:キャロル・ロンバード:マリア・トゥーラ

   ジャック・ベニー:ヨーゼフ・トゥーラ

   ロバート・スタック:ソビンスキー中尉

   フェリックス・ブレザート:グリーンバーク

   ライオネル・アトウィル:ラウィッチ

   スタンリー・リッジス:アレクサンダー・ツレッキー教授

   シグ・ルーマン:エアハルト大佐

   トム・デューガン:ブロンスキー

   チャールズ・ハルトン:ドボッシュ

Vol.39 『生きるべきか死ぬべきか』

 今回も引き続き、エルンスト・ルビッチ監督の1942年の作品です。ヒトラーとナチス政権を茶化した、スリルありサスペンスありの笑いありのコメディの大傑作です。物語はキャロル・ロンバード扮するマリアを中心に、男たちが入り混じって複雑に展開されます。この映画はメル・ブルックス製作・主演で、1983年に『メル・ブルックスの大脱走』としてリメイクだれています。

『生きるべきか死ぬべきか』
販売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

【スタッフとキャストの紹介】

エルンスト・ルビッチ監督

 エルンスト・ルビッチ監督の履歴は、『桃色(ピンク)の店』をご覧ください。

マリア・トゥーラ役
キャロル・ロンバード(33歳)

 キャロル・ロンバード(1908年10月6日~1942年1月16日)は、アメリカ合州国インディアナ州出身の女優です。12歳の時に『陰陽の人』の端役で映画デビューしますが、その後は普通に生活していました。15歳で学校を辞めて劇団に入り、いくつかの舞台に出演しました。1925年にFOX社から再デビューしますが、翌年交通事故で顔に傷を負って契約をキャンセルされます。その後、マック・セネットのコメディ映画に端役で出演していました。

 1930年にパラマウント社が、彼女の美貌を認めて契約します。サイレント映画からトーキー映画に変わり、声や訛りが酷くて人気が落ちていく俳優が多い中、セクシーな声と知的な美貌で人気が出て来ます。1930年『令嬢暴力団』、1932年『紅蘭』、1933年『鷲と鷹』、1934年『ボレロ』と出演し、『特急二十世紀』のヒットでコメディエンヌとしてスターになりました。それからは主役として、1934年『久遠の誓ひ』『街で拾った女』、1935年『ルムバ』、1936年『襤褸と宝石』、1937年『無責任時代』、1939年『貴方なしでは』、1941年『スミス夫妻』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』と出演しました。ロンバートは、1930年代から1942年の本作までラブ・コメディで活躍し、「スクリューボール・コメディの女王」と云われていました。

 第二次世界大戦中、1942年1月16日にインディアナで戦時国債キャンペーンに参加してロサンゼルスに戻る途中で、飛行機がラスベガス近郊で墜落して母親と共に死亡しました。33歳でした。二度目の夫であるクラーク・ゲーブルは彼女が最愛の妻だったと云い、彼の死後遺言で彼女の隣の墓に埋葬されています。

ヨーゼフ・トゥーラ役
ジャック・ベニー(48歳)

 ジャック・ベニー(1894年2月14日~1974年12月26日)は、シカゴ生まれのコメディアン・ヴォードヴィリアン・俳優です。1930年代から1950年代のラジオ番組やテレビ番組で人気を博し、後のシュチュエーション・コメディに影響を与えています。1929年からは映画にも出演しました。ベニーは6歳からバイオリンを習いますが、天性か振動と云われました。14歳の時にダンス・バンドと高校のオーケストラで演奏していましたが、勉強が苦手で高校は退学になります。1911年に地元のヴォードヴィルの劇場でバイオリンを弾き始め、マルクス兄弟と同じ劇場で演奏していました。17歳の時に母親の反対を押し切ってマルクス兄弟とツァーに参加します。翌年、ピアニストとヴォードヴィル・ミュージカル・デュオを組みますが、有名なバイオリニストのヤン・クーベックを怒らせ、芸名をベン・K・ベニーと名乗るようになります。最初のパートナーが去り、新しいピアニストとコメディ刀子を取り入れて5年間一緒に活動しました。その後、ヴォードヴィルのメッカの“パレスシアター”に出演しましたが、上手くいかなかった為に1917年にショー・ビジネスから一時離れます。第一次世界大戦中、アメリカ海軍に入隊し、余興でバイオリンを演奏していました。ある日、ブーイングを受け、ジョークなどを交えながら笑わせるようにしました。これがコメディアンとミュージシャンとして、ベニーのスタイルの始まりとなります。

 戦後間もなく、ベニーは「ベン・K・ベニー:フィドル・フノロジー」という一人芝居を始めましたが、ベン・バニーから芸名を改名する訴えがあり、船員の頃のニックネームのジャックを採用して、“ジャック・ベニー”に改名しました。1927年にセイディ・マークスと結婚し、彼女はメアリー・リギングストンの芸名でベニーとコンビを組んで、一緒にヴォードヴィルを演じました。ベニーは1929年にMGMと契約して、『ハリウッド・レビュー』、1930年『虹を追いかけて』に出演しましたが、上手くいかず数か月後に契約は解除されました。その後、ブロードウィに戻ってアール・キャロルの「ヴァーニティーズ」に出演し、ナイトクラブで公演していました。

 1932年にエド・サリヴァンのラジオ番組にゲスト出演し、初めてラジオの仕事をしました。ベニーは1932年から1948年までNBCで、1949年から1955年までCBSでラジオ番組「ジャック・ベニー・プログラム」に毎週出演し、この番組で彼は全国的な人気者になりました。1949年にロサンゼルスのKTTVでテレビ・デビューし、1950年10月28日から1965年まで「ジャック・ベニー・プログラム」のテレビ版に出演しました。映画は、1935年『踊るブロードウェイ』、1936年『パラマウント恋のグランド・ショー』、1937年『画家とモデル』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、1944年『ハリウッド玉手箱』、1957年『ボー・ジェムス』、1963年『おかしなおかしなおかしな世界』、1972年『ザ・マン/大統領の椅子』等に出演しています。1960年代は、バイオにスチ、スタンダップ・コメディアンとしてライブを行っていました。1974年12月に体調を壊して何度かの検査の結果、手術不能な肝臓がんと判明しました。1974年12月22日に自宅で昏睡状態に陥り、12月26日に80歳で亡くなりました。

ソビンスキー中尉役
ロバート・スタック(23歳)

 ロバート・スタック(1919年1月13日~2003年5月14日)は、アメリカ合州国カリフォルニア州生まれの俳優・声優です。幼少期にヨーロッパで育ったので、フランス語とイタリア語を習得していましたが、英語は再びロスアンゼルスに戻ってから習得しています。マサチューセッツ州にある大学で演劇を学びました。スタックは優勝なスポーツマンで、スキーと射撃では全米記録を更新していて、1971年にはその功績が称えられて殿堂入りしています。

 俳優を目指してハリウッドに渡り、1939年『銀の靴』で映画デビューします。1941年『無法地帯』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』『荒鷲戦隊』に出演しました。第二次世界大戦中は、アメリカ海軍に入隊して従軍しました。戦後、1948年『スイングの少女』『特攻戦闘機中隊』、1951年『美女と闘牛士』、1953年『騎兵隊突撃』、1954年『紅の翼』、1955年『東京暗黒街・竹の家』、1956年『硝煙』『風と共に散る』等に出演しました。

 テレビ映画では、1959年から1963年の『アンタッチャブル』でエリオット・ネスを演じてエミー賞を受賞しました。1968年から1971年『ネーム・オブ・ゲーム』、1976年から1977年『特捜隊長エバース』、1981年から1982年『ロス警察特捜隊』のシリーズに出演していました。その他、ゲスト出演で「ルーシー・ショー」や「ジェシカおばさんの事件簿」等に出演しています。

 1959年『大海戦史』、1960年『最後の航海』、1966年『パリは燃えているか』、1967年『太陽のならず者』、1979年『1941』、1980年『フライングハイ』、1983年『地獄の七人』、1990年『ジョー、満月の島へ行く』、2001年『ハッピー・カップルズ』等に出演しました。2003年5月14日に癌で闘病中、心臓発作の為84歳で亡くなりました。

グリーンバーク 役
フェリックス・ベラサート (50歳)

 グリーンバークを演じるのは、フェリックス・ベラサートの履歴は『桃色(ピンク)の店』をご覧下さい。『桃色(ピンク)の店』では髭を生やして眼鏡を掛けて、ピロビッチを演じていました。今回は端役の舞台俳優役を素顔で演じています。事ある毎に「ベニスの商人」の台詞を言いますが、後半では主役となってこの台詞を言う事になります。

ラウィッチ役
ライオネル・アトウィル(57歳)

 イオネル・アトウィル(1885年3月1日~1946年4月22日)は、イギリス・ロンドンのクロイドン生まれの舞台・映画俳優です。彼はイギリスの1918年ギャリック劇場で舞台デビューし、オーストラリアでキャリアを積んだ後に渡米しました。多くのブロードウェイの舞台に出演し、1918年の『野生のアヒル』に出演した頃にはスターになっていました。1918年『イブの娘』で映画デビューし、1930年代からは多くのホラー映画に出演しています。1932年『ドクターX』、1933年『肉の蝋人形』『恋の凱歌』、1934年『女優ナナ』『スペイン協奏曲』、1935年『古城の妖鬼』『海賊ブラッド』1938年『グレートワルツ』、1939年『ベイジル・ラスボーン版シャーロック・ホームズ バスカヴィル家の犬』『フランケンシュタインの復活』、1940年『ブーム・タウン』、1942年『ベイジル・ラスボーン版シャーロック・ホームズ シークレット・ウェポン』・『凸凹宝島騒動』・『フランケンシュタインの幽霊』『生きるべきか死ぬべきか』、1943年『フランケンシュタインと狼男』、1944年『フランケンシュタインの館』、1945年『ドラキュラとせむし女』等に出演しました。アトウィルは1946年4月22日に肺癌と肺炎の為、ロサンゼルスのパシフィック・パリセーズの自宅で亡くなりました。61歳でした。

ツレッキー教授役
スタンリー・リッジス(62歳)

 スタンリー・リッジス(1890年7月17日~1951年4月22日)は、イギリス・ハンプシャー生まれのアメリカの俳優です。本作ではナチスのスパイ役を好演し、キャロル・ロンバードとは2回もキスをする美味しい役を貰っています。リッジスは、ミュージカル・ステージ・コメディのスターのベアトリス・リリーの弟子になり、舞台での技術を長年に渡って学びました。その後、渡米してブロードウェイの舞台に出演し、1933年「スコットランドのメアリー」、1934年「バレー・フォージ」の初演に出演しています。

 リッジスは1923年のサイレント映画『サクセス』で映画デビューし、スぶれた言葉遣いと豊かな声で、トーキー映画に出演するようになります。1934年『情熱なき犯罪』、1937年『紐育の顔役』、1939年『大平原』、1941年『ヨーク軍曹』『海の狼』『壮烈第七騎兵隊』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、1943年『ターザンの凱歌』、1944年『ウィルソン 』、1947年『失われた心』、1949年『機動部隊』、1950年『情事の代償(別名血塗られた代償)』等に出演しました。1950年までにテレビにも出演するようになりましたが、1951年4月22日にコネチカット州ウェストブルックで亡くなりました。60歳でした。

エアハルト大佐役
シグ・ルーマン(58歳)

 シグ・ルーマン(1884年10月11日~1967年2月14日)は、ドイツ帝国のハンブルグ生まれのアメリカの性格俳優です。私には『グレン・ミラー物語』での質屋の主人役が忘れられないです。出番は2カットだったと思いますが、印象に残っています。本作ではゲシュタボのエアハルト大佐を演じ、準主役級の活躍で大いに笑わせてくれます。彼は100本以上の出演映画で、尊大で偉そうにする役人や悪役を演じていました。

 ルーマンは電気工学を学んだ後に、俳優や音楽家として働き始めました。第一次世界大戦中にはドイツ帝国軍に従軍しました。戦後、俳優として再開し、1924年にアメリカに移住してブロードウェイの舞台に出演して成功を収めました。1929年『ラッキー・ボーイ』で映画デビューし、1935年『結婚の夜』『男の魂』と出演しました。彼はマルクス兄弟に気に入られて、1935年『マルクス兄弟オペラは踊る』、1937年『マルクス一番乗り』、1946年『マルクス捕物長』の3作に出演しています。

 1936年頃にルーマンは、第二次世界大戦の勃発直前に反ドイツ的な偏見が高まっていた為、ドイツ人らしさを少しでも和らげる為に芸名を、ジークフリート・ルーマンからシグ・ルーマンに改名しました。1937年『無責任時代』『ハイデイ』、1939年『スエズ』『コンドル』、1939年『ニノチカ』『踊るホノルル』、1941年『淑女超特急』、1943年『制処女』『ターザンの凱歌』、1944年『夏の嵐』、1948年『皇帝円舞曲』、1949年『国境事件』、1953年『第十七捕虜収容所』『魔術の恋』、1954年『グレン・ミラー物語』、1955年『渡るべき多くの河』、1964年『36時間 ノルマンディ緊急指令』、1966年『恋人よ帰れ!わが胸に』等に出演しました。ルーマンは1967年2月14日カリフォルニア州ジュリアンの自宅で、心臓発作の為亡くなりました。82歳でした。

ブロンスキー役
トム・デューガン(53歳)

 トム・デューガン(1889年1月1日~1955年3月7日)は、アイルランドのダブリン生まれのアメリカの映画俳優です。本作では端役の舞台俳優役で、映画の冒頭からヒトラーに扮して登場して公判では重要な役を演じます。幼い頃に彼の家族はフィラデルフィアに移り、その後フィラデルフィア高校を卒業して就職します。仕事が上手くいかず、テノールの声が良かったので巡回医療ショーに出演しました。その後、ミンストレル一座に出演し、ニューヨーク市のミュージカル・コメディやヴォードヴィルの劇場に出演していました。最終的に彼は、ブロードウェイのコメディアンになりました。

 デューガンは1927年から1955年の間に約270本の映画に出演しました。彼の映画デビューは1928年の『紐育の灯』で、全編を通して音声が収録された、世界初のオール・トーキー映画です。1927年にトーキー映画として『ジャズ・シンガー』が公開されましたが、この映画は台詞の一部と歌の部分がトーキーのパート・トーキー映画です。1935年『二つの顔』、1936年『黄金の雨』、1940年『ゴースト・ブレーカーズ』、1949年『私を野球につれって』等に出演しました。デューガンは交通事故で負傷した後に、1955年3月7日カリフォルニア州レッドランドで亡くなりました。66歳でした。

ドボッシュ役
チャールズ・ハルトン(66歳)

 チャールズ・ハルトン(1876年3月16日~1959年4月16日)は、アメリカの性格俳優です。彼は180本以上の映画に出演していますが、半数以上はノン・クレジットです。本作では舞台演出家のドボッシュ役で、トラブル解決の作戦を練ったり、切れ者舞台演出家を演じています。彼は、前回紹介した『桃色(ピンク)の店』では探偵の役で、ワン・シーンだけ登場していました。

 ハルトンは、ニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで学び、1901年にブロードウェイ・デビューをして、その後50年間で約35の作品に出演しました。1911年の夏、彼はコロラド州デンバーのエリッヂ・シアターに出演しました。1920年代から、ハルトンの薄くなった髪、縁なし眼鏡、厳しい顔、気難しい態度は、何世代にも渡ってアメリカの映画ファンにも親しまれていました。彼が演じるキャラクターは、厳格な政府官僚、葬儀屋、イタチのような弁護士、非情な役人など嫌な役が多いです。数多い出演作品の中で、1946年『素晴らしき哉、人生!』の銀行検査官、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、のポーランドの舞台演出家、1941年『スミス夫妻』のアイダホ州の役人役などは、非常に印象深かったです。

 1919年『宝石の塔』、1933年『夜明けの嵐』、1936年『大自然の凱歌』・『流行の女王』、1937年『大都会の谷間』、1940年『3階の見知らぬ男』、1940年『西部の男』『海外特派員』、1942年『パナマの死角』『西部の顔役』、1945年『ブルックリン横丁』、1949年『三人の名付け親』、1953年『ムーンライター』等に出演しています。ハルトンは1959年4月16日、ロサンゼルスで肝炎で亡くなりました。63歳でした。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。