Vol.62 『蛇の穴』の最終章

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検温をしているつもりの元看護師長だったサマビル(左)
ヘスターに話しかけるヴァージニア(右)

 そこは大きな部屋で、大勢の患者がひしめき合っている。一人で喋りまくっている患者、踊りながら歩き回っている患者、床に蹲っている患者、ヴァージニアに話しかけてくる患者。何も手に持っていないのに、ヴァージニアの名前を聞き検温をすると言う患者が現れた。その患者は1棟の看護師長だったサマビルで、彼女自身が患者になっていた。離れた所で一人の患者の首を絞めている患者が、ヴァージニアの目に入って来た。その患者の名前はヘスターと云い、誰とも口を利かず暴力的だと教えられるが、ヴァ-ジニアはその彼女に近づいて行きます。そしてヘスターに貴方は私と同じだから友達になろうと言いますが、へスターは無反応でその場を去ります。

ヴァージニアが見た幻想(左)
キック医師の説明に納得するヴァージニア(右

 やがてヴァージニアは変な感覚に襲われ、自分も含めてひしめき合う全員が深く大きな穴の中にいて、自分が上から見下ろしてように感じます。それは以前読んだ本に書かれていた“蛇の穴”だと思い出します。(昔、精神病患者を蛇だらけの穴に入れて、異常な経験をさせると正常に戻ると考えられた治療法。)ヴァージニアは、その時周りの人たちが異常で自分は正常だと気が付き、治るかも知れないと思うようになったとキック医師に話します。キック医師は彼女の病気の原因を解明し、君は良くなっていると言います。乳児の時から母親の愛情を受ける事なく育てられ、大好きな父親も母親の味方をするようになり、いなくなればいいと思った時に父親が死に罪悪感を感じて過去を封印した。父親の代わりになる男性と付き合い、結婚しても違和感があり耐えられなくなって発病してしまった。キック医師は夫と父親は別物だと言うと、ヴァージニアの表情が明るくなり納得します。

男女が左右に分かれて座っているダンス大会の会場(左
強引に誘われて踊っているヴァージニア(右)

 画面が変わってダンス大会が開催される病棟の大講堂、真ん中を大きく開けて左右に椅子が並んでいます。女性患者が左側の座り、別棟から来た男性患者は右側に座りダンスが始まります。(当時実際に病院内でダンス大会が開催されていました。)ヴァージニアは相変わらず無口のヘスターの隣の席に座り、彼女に話しかけています。ダンスが始まり一踊りした時にキック医師が現れ、退院審査をすると話します。

 その時ステージで一人の患者が「家路」を歌い出します。そこにいた全員がステージに注目し、そして全員が歌い始めます。中には眼に涙を浮かべながら歌い、無口なヘスターの表情も変わってきます。

患者たちに囲まれるヴァ-ジニア(左
ヴァージニアにさよならを言うヘスター(右

 画面が変わってヴァージニアの退院審査の日、全員一致で退院となったが最後にカーティス区長から質問があった。キック医師の心理療法だけで治ったが、自分の病気の原因を自覚したのか質問した。彼女は小さい頃からの多くの経験が影響していたが、これから自分に向き合って生きて行けると答えます。ヴァージニアが退院するのでトランクを持って帰ろうとすると、患者たちが集まってきます。サマビル元看護師長はヴァージニアの熱を測ろうとしますが、看護師に検温ごっこを止められます。ヴァージニアはヘスターの所に行き、又会いに来ると言います。そして、先生と話せばきっと良くなると言って帰ろうとします。その時ヘスターがヴァージニアの後ろから手を掴み、“さよなら、ヴァージニア”とたどたどしく言います。ヴァージニアは絶対治るわと言って、ヘスターにハグします。(このシーンのヘスター役のベッツィ・ブレアの演技は、素晴らしいです。)

キック医師に別れを告げるヴァージニア(左)
ロバートと外に出たヴァージニア(右)

 ヴァージニアは病棟から出る前にキック医師に会い別れを言いますが、治ったと自覚したもう一つの理由を話します。キック医師への愛が冷めたからと彼女が言うと、キック医師がそれは錯覚だったのさ、と言います。外に出てロバートと会い、再び結婚指輪を嵌めて貰いバスに乗り込みバスが発車して映画は終わります。

 この映画の出演者数は非常に多いですが、全員プロの俳優です。日本と違って出演者全員がオーディションを受けて役を貰います。以前岡本喜八監督が『イースト・ミーツ・ウエスト』をアメリカで撮影した時に、エキストラを募集したら50人の応募があり全員と1日掛けて面接したと対談で語っていました。応募者全員が芸歴も書かれた履歴書を持ってきたのには驚いたと語っていました。その話を思い出し、この映画の出演者を決めるのに何日掛かったのかと考えてしまいました。出演者全員の素晴らしい演技で出来上がった作品です。是非、観て頂ければと思います、最後までお付き合い頂き有難う御座いました。

ホラー・ミステリー文学映画のコレクション「狂気と幻影の世界」
『悪魔の人形』・『風車の秘密』・『謎の下宿人』がお勧めです。
発行:コスミック出版 本体価格1800円+税

『蛇の穴』 作品データ

アメリカ モノクロ 108分

原題:The Snake Pit

監督:アナトール・リトヴァク

脚本:フランク・パルトス、ミレン・ブランド

原作:メアリー・ジェーン・ウォード

製作:アナトール・リトヴァク、 ロバート・バスラー

撮影:レオ・トーバー

音楽:アルフレッド・ニューマン

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド:ヴァージニア・スチュアート・カニンガム

   マーク・スティーブンス:ロバート・カニンガム

   レオ・ゲン:マーク・キック医師

   セレステ・ホルム:グレイス

   グレン・ランガン:テリー医師

   ヘレン・グレイグ:看護師ベティ

   リーフ・エリクソン:ゴードン

   ビューラ・ボンダイ:ミセス・グリア

Vol.61 『蛇の穴』の続きの続き

絨毯に座るヴァージニアを注意する看護師(左)
踊る患者の手を引く看護師(右

 12棟の入院患者が集う広い部屋。中央に大きな絨毯が敷かれていて、患者たちはその周りにいる。ヴァ-ジニアはその絨毯の上を歩き中央に座り込んだ。すると看護師が絨毯の中に入るのは規則で禁止されていると言って、彼女に出るように注意します。彼女が絨毯の外側に出て看護師に抗議していると、一人の患者が歌って踊り出します。その看護師は慌てて靴を脱いで、その患者を捕まえて絨毯の上から連れ出します。

自分が退院審査を受けさせたと
話すロバート

 画面が変わって談話室。夫のロバートが面会に来ていて、二人でチョコレートを食べながら話している時にカーティス区長が二人の傍を歩いてきます。ヴァ-ジニアはあの人は悪い人で、私が彼の指を噛んだと言っているとロバートに言います。ロバートは指を噛んだのは本当の事だと言い、カーティス区長は女性病棟の責任者でキック医師の上司だと言います。ヴァ-ジニアはキック医師が自分をこの病院から追い出そうとしていると思っているので、彼の名前を聞いて嫌悪感を表します。ロバートは退院審査を受けさせたのは自分で、キック医師だけ反対していたと言うとヴァージニアの表情が晴れやかになります。その夜、ヴァージニアは仮病を使ってキック医師に会い、自分を追い出そうとしていない事が分かったと話します。そして自分は未だ退院するのは早いから治療を続けると言います。キック医師は彼女の病棟を1棟に変えて、ゆっくり治療をする事にします。

規則の説明をするデイビス看護師長(左)
人形と煙草を交換するヴァージニア(右

 1棟では自分の部屋を与えられますが、看護師のベティが規則に厳しい新任の看護師長になっていてミス・デイビスと呼ばれていました。挨拶に来た看護師長のデイビスに会った時、ヴァージニアは初対面だと思って接します。デイビス師長に娯楽室に行くように言われて部屋を出る時に、ヴァージニアは以前の事を思い出し捨て台詞を言いながら退室します。娯楽室で手作りの人形を持っている患者と会い、煙草5本と人形を交換してその人形を手に入れます。人形を抱いて遊んでいると、先程の患者が来て煙草を10本追加するように言うのでヴァージニアは箱ごと渡します。

再びグリア夫人登場(左)
盗んだ人形を返すように言うデイビス看護師長(右

 ヴァージニアが人形で遊んでいるとビューラ・ボンディ演じるグリア夫人が登場して、私は金持ちだと言って持っている宝石自慢を始めます。ヴァージニアも負けずに適当な事を言って応戦します。そこにデイビス師長が表れて盗んだ人形を返すように命令します。ヴァ-ジニアは煙草と交換したから盗んではいないと言い、絶対に渡さないと言って逃げ回ります。デイビス師長は看護師にヴァージニアをデイビス師長室に連れて行くように言います。ヴァージニアがデイビス師長室で人形と遊んでいるとキック医師が表れたので、彼女は人形を盗んでいないと弁明します。キック医師がどうして人形を返却しないのかと問い質すと、ヴァージニアの態度が豹変して父のように叱ればいいと言い出します。キック医師は人形と父親の事が彼女の病気に関係していると思い、人形は返さなくていいと言って彼女に明日の朝会う事を伝えて退室します。

子供の頃の話をするヴァージニア(左)
話し終えて号泣するヴァージニア(右

 翌日、キック医師の執務室でキック医師はヴァージニアに”子供の頃、お父さんに叱られた“と言っていたねと聞きます。ヴァージニアは”小さな人形の事よ“と言って、幼かった頃の出来事を話し始めます。母親から貰った人形を友達と交換したら、返すように云われて反抗した事。優しい父親と遊園地に行き、射的ゲームで父親が景品の兵隊さんの人形を取ってくれた事。嫌いだった母親に父親が味方するようになって、父親の事も嫌いになった事。そして父親が尿毒症で死んでしまった事。父親の死を語る時には、彼女は泣き崩れて号泣します。泣き止んで退室する時、煙草と交換した人形が解けて、只の布切れを丸めて作ったものだった事が分かります。

小説を書くように言うデイビス看護師長(左)
拘束衣を着せられるヴァージニア(右

 画面が変わってヴァージニアの部屋。デイビス師長がタイプライターを持って来て、彼女に作家だから小説を書くように言います。毎日休憩時間の1時間、タイプライターを貸し出すと言い、彼女が書くのを立って眺めています。彼女はデイビス師長にキック医師の事を好きだから、嫌がらせをすると言って言い合いになります。しかし、彼女は失言したと思いデイビス師長に謝罪しますが、受け入れられずデイビス師長は棟から出ていきます。そこにグリア夫人が現れて、あなたはもう直ぐここから追い出されると言います。それを聞いた彼女は、洗面所に入り錠を掛けて立て籠もります。(外でヴァージニアを探している看護師たちの声を聞き、洗面所にいる彼女は無言で様々な反応をします。このシーンはハヴィランドの一人芝居です。)看護師たちは彼女が洗面所にいる事が分かり、夫のロバートが来ていると嘘を言って、彼女を洗面所から出させて全員で彼女を取り押えて無理やり拘束衣を着せます。

ヴァージニアと面会するキック医師

 画面が変わって、雪が降る中キック医師は重症患者が入院している病棟を訪れます。その病棟の責任者で友人のテリー医師に会い、ヴァージニアの部屋に向かいます。そこに入院している患者は、全員が明らかに異常な行動をしています。ヴァージニアの部屋に入ると彼女は拘束衣を着せられていて、窓の前に佇んでいました。キック医師はテリー医師の許可を得て、彼女の拘束衣を脱がせて貰います。彼女がキック医師に今でも自分の担当かと聞くので、棟が違うので君の担当は私の友人のテリー医師だと伝え、いつでも会いに来ると言います。彼女はキック医師にこの病棟での出来事を話し始めます。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『蛇の穴』 作品データ

アメリカ モノクロ 108分

原題:The Snake Pit

監督:アナトール・リトヴァク

脚本:フランク・パルトス、ミレン・ブランド

原作:メアリー・ジェーン・ウォード

製作:アナトール・リトヴァク、 ロバート・バスラー

撮影:レオ・トーバー

音楽:アルフレッド・ニューマン

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド:ヴァージニア・スチュアート・カニンガム

   マーク・スティーブンス:ロバート・カニンガム

   レオ・ゲン:マーク・キック医師

   セレステ・ホルム:グレイス

   グレン・ランガン:テリー医師

   ヘレン・グレイグ:看護師ベティ

   リーフ・エリクソン:ゴードン

   ビューラ・ボンダイ:ミセス・グリア

Vol.60『蛇の穴』の続き

 今回ご紹介する『蛇の穴』の主人公ヴァージニアは、カタトニア(緊張病)で精神を病んでいる患者です。過去の記憶が欠落して思い出せず、突然思い付いた事を言い出したりします。物語はヴァージニアの視点で語られ、それにキック医師の原因究明の話が導入されて進行します。劇中ヴァージニアの心の声と誰かの声が聞こえて、精神を患った人の心理状態が表現されています。

クラレンスとヴァージニア(左) ヴァージニアに話しかけるキック医師(右

 精神病院の中庭にあるベンチに座るヴァージニア。彼女の頭の中に誰かの声が聞こえて来て、それに頭の中で答えています。横を見ると同じベンチに座っている女性に気が付き、その女性に近づいて話し掛けます。そのベンチに座っているのはクレランスで、ヴァージニアの事が心配でいつも傍にいますが、ヴァージニアは知らない人だと思って話掛けます。(冒頭からヴァージニアの頭の中の混乱振りが、よく分かる演出です。)病棟に戻る指示を聞きクラレスは、ヴァージニアの手を取って病院の入り口に向かいます。ヴァージニアは自分が入院患者だと自覚していないので、意味不明の事を言いながら病棟に入っていきます。病院内に入って行きながら、ヴァージニアは頭の中に思い浮かぶ事を口走ります。病院内を見回して刑務所にいると思い逃げ出そうとしますが、それをクレランスが止めます。そこに担当のキック医師が現れてヴァージニアに声を掛けます。彼女は見知らぬ人に話しかけられたと思い警戒し、キック医師の質問には支離滅裂な答えを返します。結婚しているかと聞かれて最初は未婚だと答えますが、直ぐに結婚していると答えます。それを聞いた夫のロバートは、彼女に自分が夫のロバートだと言いますが彼女には分かりません。それを見ていたキック医師は、ロバートを彼女から引き離してその場を去ります。

食堂で食事をするヴァ-ジニアとロバート(左)
映画館でプレゼントするライターで煙草に火を点けるヴァ-ジニア(右)
(映画館は禁煙でしたが、1950年代までは日本も喫煙する人が結構いました。)

 画面が変わってキック医師の執務室。キック医師は、ヴァージニアが発病した原因を究明する為にロバートを病院に呼び出していました。ロバートはヴァージニアの過去の出来事をキック医師に語り始めます。ロバートがシカゴの出版社で編集の仕事をしている時に、彼女が持ち込んだ小説は採用されなかったと伝えたのが最初の出会いでした。(この時、彼は彼女にマッチを貰います。)彼はいつも下の階の食堂で昼食を食べていましたが、ある日彼女を食堂で見かけ同席して一緒に食事するようになります。何度か食堂で会って、二人が好きなクラッシックのコンサートに行ったりデートするようになります。ある日、コンサートに行く前に時間潰しをしていた時、16時40分を指す時計を見た途端に彼女はコンサートに行けないと言ってその場から去ります。その後、彼はニューヨークのオデオン・ホテルで働き始め、クラッシック・コンサートに行っては彼女を捜します。半年後のボストン交響楽団のコンサートで、彼女と再会します。(この時、彼女は彼の煙草にマッチで火を点けます。)又、以前の様にデートを重ねる日々が続き、二人で映画を観に行ったときに彼女は彼にライターをプレゼントします。二人でニュース映画(1960年代前半までだったと思いますが、映画の本編が始まる前にニュース映画が上映されていました。ニュース映画や短編のサイレント映画だけを上映する映画館もありました。昔の映画館は現在のような入れ替え制では無かったので、同じ映画を何度でも観る事が出来ました。)を見ている時に、彼女は画面上の5月12日の文字を観て表情が変わります。映画館から出たヴァージニアの具合が悪そうなのでロバートが声をかけると、彼女は私と結婚したいかと聞きます。何度も求婚しているロバートは結婚しようと答え、彼女の望むように翌朝結婚します。結婚から数日後、ロバートが帰宅するとヴァージニアの様子がおかしくなっていて、日付も分からず夫のロバートの事も分からなくなりました。それでロバートは彼女を病院に入院させましたと、キック医師に話します。話を聞いたキック医師は、5月12日が病気の原因究明の鍵になると判断し、ショック療法をするとロバートに伝えます。

電気ショック治療機(左)     頭に電極を付けられたヴァ-ジニア(右

 画面が変わって、ヴァージニアのショック療法が始まる場面になります。(1933年にカタトニアの治療法としてインシュリンによる低血糖昏睡による治療が行われ、1939年に頭部に通電するショック療法も行われるようになりました。1950年代に精神病治療薬が開発されてからは、ショック療法は減少しています。)グレイスに付き添われてベンチに座るヴァージニアは、非常に怯えています。治療室に入ると真ん中に丸いメーターが付いた黒い箱状の電気装置が目に入ります。怯える彼女をキック医師は、ベッドに寝かせます。3人の看護師が彼女の足を押さえ付け、頭の両側に電極を付けられます。彼女は処刑されるのかと思っている時に、電気ショック治療が始まります。10月4日から10月16日までの間に4回の電気ショック治療が行われました。大きな変化が無かった4回目の治療の次の日の夜、キック医師は彼女と話して変化の兆しを感じます。翌日ショック療法を中止し、執務室でヴァージニアと面談します。

ヴァ-ジニアから過去の出来事を聞き出すキック医師(左)
中庭でランチを取るロバートとヴァージニア(右)

 画面が変わって執務室、ヴァージニアはキック医師と昨晩会った事を記憶していて症状に変化が現れています。キック医師が“5月12日”の日付を出した途端に彼女は取り乱し、机の上のナイフに眼が行きます。忘れたい過去の事に触れられた時、凶暴性が一瞬頭に思い浮かぶ事があります。キック医師は確信に近づいたと確信し、彼女を落ち着かせて面談を続けます。彼女は断片的に記憶を取り戻し、キック医師に夫ロバートの事も聞き始めます。キック医師は、ロバートが面会日には必ず会いに来ている事を彼女に伝えます。面会日にロバートが会いに来ますが、彼女は偽物じゃないかと疑りながら話します。二人は病院から出て庭でランチをしますが、ドアに鍵が掛かっていない事に驚きながら外に出ます。彼女は鶏肉をかぶりつき、その後喫煙する時にロバートが彼女からプレゼントされたライターを渡します。“RC”のイニシャルが書いてあるライターを見て、彼女は本当の夫だと安心します。

シカゴでの出来事を聞き出すキック医師(左)
ヴァージニアに求婚するゴードン(右

 キック医師は病院側からヴァージニアを退院させるように指示を受け、手っ取り早い方法(恐らくインシュリンによる低血糖昏睡)で原因追及をします。この治療によって彼女が、シカゴで突然コンサート行きを止めて帰宅した理由が判明します。彼女がその頃付き合っていたゴードンと6時30分に会う為でした。その日ゴードンと車で出掛けますが、車中でゴードンに求婚されて彼女は取り乱します。ゴードンに気分が悪くなったから引き返すように頼み、ゴードンは引き返します。その時トレーラーと衝突してゴードンは死亡した事が分かります。(この場面でのオリヴィアの演技は迫力満点です。)この話を聞いたキック医師は、ヴァージニアの退院を中止するように進言しますが、病院側は彼女を退院させようとします。

ヴァージニアに退院審査の事を話すロバート(左)
台詞無しで一瞬登場するメエ・マーシュ(右

 画面が変わって患者用の食堂。ロバートはアイスクリームとコーヒーを買っている間、ヴァージニアは席に座って周りにいる人達を観察して色々思いを巡らしています。(この場面でメエ・マ-ーシュがワン・シーン登場します。)ロバートが退院審査の話をし、退院してロバートの母親の農場に行って暮らそうと言います。ギフォード院長が退院審査の許可を出したし、キック先生も同意しているとロバートが彼女に伝えます。

ヴァージニアに質問をするカーティス医長(左)
ヴァージニを落ち着かせるキック医師(右

 退院審査の日、最初キック医師がヴァージニアに質問に答えるように依頼しますが、話がかみ合わずカーティス医長と変わり質問が始まります。住所を聞かれますが、思い出せません。夫ロバートの職業も以前の仕事の事しか分かりません。動揺しているヴァージニアにカーティス医長は、働いた事はあるかと聞きます。彼女は働いた事はあると言い、自分の社会保険番号を言い出します。カーティス医長は社会保険番号を覚えているのに、住所も言えないのかと彼女の鼻先に葉巻を持った指先を向けて言います。キック医師は審査を中止するように言います。彼女はその指先を自分に向けてくる動作に恐怖を感じ、頭の中に嵐の海が現れ溺れそうな自分が映し出されます。彼女は崖の上に上がる為に両手を掛けていますが、看護師がその手を外したので海に落ちます。すると彼女は一人用の風呂に入っている画面に変わります。看護師と言い合いしている時にキック医師が来て話しかけても彼女は話をしなくなります。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『蛇の穴』 作品データ

アメリカ モノクロ 108分

原題:The Snake Pit

監督:アナトール・リトヴァク

脚本:フランク・パルトス、ミレン・ブランド

原作:メアリー・ジェーン・ウォード

製作:アナトール・リトヴァク、 ロバート・バスラー

撮影:レオ・トーバー

音楽:アルフレッド・ニューマン

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド:ヴァージニア・カニンガム

   マーク・スティーブンス:ロバート・カニンガム

   レオ・ゲン:マーク・キック医師

   セレステ・ホルム:グレイス

   グレン・ランガン:テリー医師

   ヘレン・グレイグ:看護師ベティ

   リーフ・エリクソン:ゴードン

   ビューラ・ボンダイ:ミセス・グリア

Vol.59『蛇の穴』

 今回ご紹介するのは1948年の『蛇の穴』で、主演は前回の『暗い鏡』に続いてオリヴィア・デ・ハヴィランドです。原作者のメアリー・ジェーン・ウォードの自伝的小説「蛇の穴」を映画化したものです。小説はウォードの実体験を基に、主要な登場人物は実際の人物をモデルにして書かれています。題名の「蛇の穴」とは、凶暴で危険な精神病患者を収容する病棟の事です。アナトール・リトヴァク監督は精神病院で入念な取材を行い、医師の助言を得ながら映画を製作しています。主役のハヴィランドは3か月ほど精神病院に通い、患者と共に過ごして交流をして多くを学んでいます。この映画に出演しているのは全員プロの俳優で、実際の州立精神病院で撮影されています。精神病院の実態を描いたこの映画は、公開後様々な反響があり精神病院の改善にも繋がっています。

発売元:株式会社ジュネス企画

【スタッフとキャストの紹介】

アナトール・リトヴァク

 監督のアナトール・リトヴァク(1902年5月10日~1974年12月15日)は、ロシア(現ウクライナ)出身で、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカで活躍しました。本作では監督と製作もしています。1916年にサンクト・ベテルブルグの前衛劇場で舞台俳優としてデビューし、大学で哲学と共に演技も学んで劇団の俳優兼助手となりました。1923年からノルドキノ・スタジオに入り、数本の舞台劇で脚本や美術を担当しました。同年ドイツに渡って映画の編集や助監督をした後、1930年からは監督としてデビューし、1931年『女人禁制』、1932年『今宵こそは』等を発表します。ナチス政権が成立した1933年にフランスに移住し、1935『最期の戦闘機』や1936年『うたかたの戀』等を発表しました。1937年に渡米してハリウッドで1937年『トヴァリッチ』、1938年『犯罪博士』・『黄昏』、1939年『戦慄のスパイ網』、1940年『凡てこの世も天国も』・『栄光の都』、1942年『純愛の誓い』等を監督しました。1942年から1945年までは、プロパガンダ映画『我々はなぜ戦うか』シリーズをフランク・キャプラ監督と共同でプロパガンダ映画を共同で監督しました。このシリーズを監督した功績により、戦後フランス政府からレジオン・ドゴール勲章を授与されました。その後もハリウッドで1948年『私は殺される』『蛇の穴』、1951年『暁前の決断』、1956年『追想』、1957年『マイヤーリング』(『うたかたの戀』をセルフ・リメイクしたTV映画で、当時夫婦だったオードリー・ヘップバーンとメル・ファーラーが出演。)等を発表しました。1960年からはヨーロッパに渡り、1961年『さようならをもう一度』、1967年『将軍たちの夜』、1970年『殺意の週末』等を発表しました。1974年12月15日、フランスのヌイイ=シュル=セーヌで亡くなりました。72歳でした。

 原作者のメアリー・ジェーン・ウォード(1905年8月7日~1981年2月27日)はアメリカの小説家で、カタトニックに罹った時の体験を小説にしたのが「蛇の穴」です。(以前はカタトニック総合失調症とされていましたが、現在ではカタトニックは総合失調症とは別の病気とされています。)幼い頃から高校生の頃までは、音楽活動をしていて作曲もしていました。その後、ノースウェスタン大学に入学し、同時にシカゴのライセウム・オブ・アーツ・コンサバトリーでも学んでいます。1928年に統計学者でアマチュア劇作家のエドワード・クエールを結婚し、彼の進言により短編小説を出版して1937年に書評家となります。1938年には2冊の小説を出版しましたが、芳しい結果は得られませんでした。1939年にグリニッチ・ビレッジに移住して出版の仕事を続けますが、経済的に苦しい状態が続きストレスにより心理的苦痛を抱えます。その上、戦争への参戦や作家としての自分の能力に対する不安、そして予定されていた平和主義的反対を主張する政治演説する事が直接の原因で、カタトニックに罹ったと言われています。彼女はロックランド州立病院に入院し、数年間の精神病棟での体験を基に小説「蛇の穴」を書き、1946年に出版されて批評家や精神医学分野の専門家から高い評価を受けます。主要な登場人物は実在の人物を基に書かれていますが、看護師は権威主義者の象徴として書かれていて、反人種差別主義と反制度的分離を現しています。「蛇の穴」を発表後は5冊の小説を発表し、最後の編集では友人になったミレン・ブランドが協力しています。その間も彼女は病気の再発で3回入院し、最後の2冊の小説は精神疾患をテーマにしています。

 脚本はフランク・パルトス(1901年7月2日~1956年12月23日)で、ハンガリー系アメリカ人の脚本家です。ブタペストで生まれた彼は事務員をしていましたが、1921年に渡米してニュージャージー州に住む継父の許に行きます。1920年代後半にMGMに入社し、1932年の『グランド・ホテル』の脚本を書きますが、スクリーン・クレジットに載らなかったのでMGMを退社します。1930年代はパラマウント映画で脚本家として活動し、1939年にPKOラジオ・ピクチャーズに移って脚本家のチャールズ・ブラケットと共同で脚本を書きました。本作ではミレン・ブラントと共同で脚本を書いて、アカデミー賞にノミネートされています。彼が手掛けた主な作品は、1937年『謎の夜』、1939年『踊るホノルル』、1940年『3階の見知らぬ男』、1944年『呪いの家』、1948年『蛇の穴』、1951年『テレブラフヒルの家』等です。

アルフレッド・ニューマン

 音楽は巨匠のアルフレッド・ニューマン(1901年3月17日~1970年2月17日)で、アメリカの映画音楽の作曲家です。母親の勧めで6歳からピアノを習い始め、単身ニューヨークに行ってピアノを習いながら作曲法等を学びます。1914年には家族もニューヨークに移って来たので、13歳で家計を助ける為にヴォードビル・ツアーに参加したり、ブロードウェイの映画館でピアニストをして働きました。この頃既に指揮者や音楽監督として高い評価を受けていました。20歳の時にブロードウェイで音楽監督となり、29歳の時にハリウッドに移って映画音楽の作曲をするようになります。1931年の『街の灯り』を始め、20世フォックス社のロゴ・マーク表示で使われるファンファーレを作曲しました。20世フォックス社の音楽部長として活躍し、1970年の『大空港』まで作曲を続けました。第二次世界大戦時のニュース映画を含め、200本以上の作品の音楽を担当してアカデミー音楽賞を9回受賞しています。作曲数が多過ぎるので、担当した映画の列記は割愛致します。

ヴァ-ジニア・カニンガム役
オリヴィア・デ・ハヴィランド(32歳)

 主役のヴァ-ジニア・スチュアート・カニンガム役は、オリヴィア・デ・ハヴィランドです。1946年『暗い鏡』に出演した同年の『遥かなる我が子』で、アカデミー主演女優賞を受賞し、1949年の『女相続人』で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞しています。本作でも彼女は、『私は殺される』のバーバラ・スタンウィックと『ジョニー・ベリンダ』のジェーン・ワイマンと並んでアカデミー主演女優賞にノミネートされました。最終選考で『ジョニー・ベリンダ』のジェーン・ワイマンが、アカデミー主演女優賞を受賞しました。しかし彼女の演技は高く評価され、1948年のナショナル・ボード・レビュー主演女優賞。ニューヨーク映画評論家協会主演女優賞、1949年のヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞しています。(詳細はVol.56『暗い鏡』をご参照下さい。)

ロバート・カニンガム役
マーク・スティーブンス(32歳)

 ヴァ-ジニアの夫のロバート・カニンガム役は、マーク・スティーブンス(1916年12月13日~1994年9月15日)です。オハイオ州クリーブランド生まれのスティーブンスは画家を目指していましたが、オハイオ州のアクロンでラジオのアナウンサーとなり活動します。1943年にハリウッドに移り、スティーブン・リチャーズの名でワーナーブラザーズから映画デビューします。1944年『ハリウッド玉手箱』、1945年『決死のビルマ戦線』の他に10本程の映画に出演しましたが、ノン・クレジットの小さな役しか与えられませんでした。1945年に20世紀フォックスと契約し、マーク・スティーブンスと改名します。1946年の『小さな愛の日』でジョーン・フォンテンと共演し、『闇の曲り角』ではルシル・ボールと共演しました。リチャード・ウィドマークが映画デビューした1948年の『情無用の街』ではジョン・マッキンタイアと共演し、FBIの潜入捜査官を演じました。本作に続き、1950年『拳銃無情』、1952年『カリブの反乱』、1953年『コロラドの決闘』等に出演しました。スティーブンスは俳優だけでは無く監督もし、1957年からTV映画にも出演していました。1994年9月15日、スティーブンスはスペインのマジョレスで癌の為77歳で亡くなりました。

マーク・キック医師役
レオ・ゲン(43歳)

 マーク・キック医師役は、イギリスの俳優で法廷弁護士のレオ・ゲン(1905年8月9日~1978年1月26日)です。彼はケンブリッジ大学の法科で学び、劇団の法律顧問をしているうちに演劇の道に進み、1930年にロンドンで舞台デビューしました。その後、1938年のブロードウェイの舞台出演まで、数多くの舞台劇に出演しました。1935年に『不滅の紳士』で映画デビューし、1938年『太鼓』・『ピグマリオン』(ノン・クレジット)に出演しました。戦争が近づくと、ゲンは1938年に将校緊急予備役に加わり、1940年7月6日に大率砲兵隊に入隊しました。1943年に中佐に昇進し、1945年にクロワ・ド・ゲール勲章を授与されました。ゲンはベルゼン強制収容所での戦争犯罪を調査する英国部隊の一員で、ドイツのリューネブルクで開催されたベルゼン戦争犯罪裁判の検事補を務めました。

 1944年にローレンス・オリビエが監督・主演した『ヘンリー5世』、1945年の『シーザーとクレオパトラ』、1946年『青の恐怖』等のイギリス映画に出演しました。1948年『蛇の穴』・『ビロードの手袋』、1950年『木馬』、1951年『クォ・ヴァディス』、1953年『赤いベレー』、1955年『恐喝』・『チャタレー夫人の恋人』ではクリフォード・チャタレー卿を演じています、1956年『白鯨』、1960年『ローマは夜だった』、1962年『史上最大の作戦』、1963年『北京の55日』、1962年『姿なき殺人者』、1971年『幻想殺人』等に出演しています。レオ・ゲンは1976年1月26日、肺炎の合併症により心臓発作の為ロンドンで亡くなりました。74歳でした。

グレイス役
セレステ・ホルム(31歳)

 グレイスを演じたセレステ・ホルム(1917年4月29日~2012年7月15日)は、ニューヨーク出身の舞台、映画、テレビの女優です。彼女は、シカゴのユニバーシティ・スクール・フォー・ガールズ(私立高校)に入学し、その後フランシス・W・.パーカー・スクールに転校して多くの学校の舞台作品に出演しました。高校卒業後にシカゴ大学で演劇を学び、1938年からブロードウェイの舞台に立ち1994年まで舞台への出演を続けました。1946年には20世紀フォックスから映画にも出演するようになり、1947年の『紳士協定』でアカデミー助演女優賞とゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞しました。その後、1948年『蛇の穴』、1949年『日曜日は鶏料理』、1950年『イヴの総て』、1956年『上流社会』等に出演しました。1950年代後半からはテレビ出演が多くなり、1970年代から1980年代には多くのテレビ映画にゲスト出演しています。アクターズ・スタジオの終身会員だったホルムは、1968年のサラ・シドンズ賞を始め多くの栄誉を受けています。彼女は2002年から記憶喪失の治療を受けていて、皮膚がん、出血性潰瘍、肺虚脱を患い、人工股関節置換術とペースメーカーを装着していました。2012年6月、脱水症状でニューヨークのルーズベルト病院に入院し、7月13日に心臓発作を起こしました。7月15日にセントラルパーク・ウエストのアパートで亡くなりました。95歳でした。

看護師ベティ役
ヘレン・グレイグ(36歳)

 看護師ベティ役のヘレン・グレイグ(1912年5月13日~1986年7月20日)は、テキサス州サンアントニオ生まれのアメリカの俳優です。彼女はオーソン・ウェルズとジョン・ハウスマンが設立したマーキュリー・シアターで演劇を学び、ブロードウェイで数多くの舞台劇に出演しています。特に1940年の舞台劇「ジョニー・ベリンダ」で主役のベリンダを演じたのが有名です。聴覚障害者のベリンダを演じる為、劇中台詞は全て手話で行い、他の俳優の台詞には絶対反応しない難しい役をこなしました。彼女は舞台劇の他に映画やTVにも出演していました。主な出演映画は、1948年『蛇の穴』『夜の人々』、1977年『幸福の旅路』等です。

ミセス・グリア役
ビューラ・ボンディ(59歳)

 ワン・シーンだけ登場するミセス・グリア役は、ビューラ・ボンディです。舞台俳優としてのキャリアが長く、映画デビューは43歳だったのでお母さん役やお婆さん役が多いアメリカの女優です。シリアスな役からコミカルな役まで見事に演じる名脇役です。(詳細はVol.33『モーガン先生のロマンス』をご参照下さい。)

トミーの母親役
メエ・マーシュ(54歳)

 トミーの母親役で、メエ・マーシュ(1894年11月9日~1968年2月13日)がノン・クレジットでワン・シーンだけ登場します。彼女は1915年の『國民の創生』と1916年の『イントレランス』に出演し、ジョン・フォードの作品に多数出演しています。その後は散発的に小さい役やノン・クレジットでも映画に出演しています。

 次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています

Vol.49 『英雄を支えた女』の最終章

『英雄を支えた女』のトップはこちら

グラスにウィスキーを注ぐスティーリー(左)
スティーリーを銃で撃とうとするイーサン(右)

 ハンナが死んだと思ったスティーリーはバージニア・シティに行き、酒場でウィスキーをグラスに注ごうとした時、銃声がしたと同時に手に持ったウィスキー便が砕け散ります。銃を撃った男は、俺が酒を飲みに来た時は俺の奢りだと。そして銀山の王イーサン・ホイトだと名乗りますが、ウィスキーの瓶を持っていた男を見て、スティーリーだと気が付きます。イーサンは銃を向けたままスティーリーに近づき、何の用だと言います。スティーリーがハンナは死んだと言った途端にイーサンは銃でスティーリーを撃ち酒場を出て行きます。

イーサンの近況を話すスティーリー(左)
微動だにせず話を聞くハンナ(右)

 撃たれたスティーリーは命を取止め、嘗てハンナが経営していたサクラメントの宿屋に行きます、スティーリーが宿屋の中を覗くと奥の部屋から明かりが見えたので中に入るとハンナがゆり椅子に座っていました。ハンナに我々は死んだとイーサンは思っていて彼が再婚した事を伝えます。(この場面のハンナは瞬き一つせずにスティーリーの話を聞き、その表情はやがて悲しみを堪えているのが伝わって来ます。)ハンナは子供たちの埋葬地に行き、そこでサンフランシスコ行きを決めます。

ハンナにイーサンが再婚した事を告げる父親(左)
父親を追い返すハンナ(右)

 ハンナはスティーリーがサンフランシスコで経営する賭博場でディーラーとして働いています。そこに父親が突然ハンナに会いに来ます。ハンナは家族の事を聞こうとしますが、父親は話を遮ってお前は死んだと思われているから死んだままでいてくれ。名前を変えて何処か遠くに行ってくれと言います。イーサン・ホイトは再婚して子供もいるので、お前の存在がスキャンダルになる。イーサン・ホイトの夢は破れて鉄道を引こうとしている。その為に出馬して議会に出ようとしていると言います。。ハンナはイーサンがホイト・シティを創るのを諦めて反対勢力と結託しようとしている事を知り、父親を追い返します。ハンナはスティーリーに別れを告げ、ホイト・シティに向かいます。

再会したハンナとイーサン(左)
ホイト・シティを創るように説得するハンナ(右)

 ハンナは選挙演説を聞き、かつてのイーサンが言っていた事を対抗するハンクが言い、イーサンが反対していた事をイーサン自身が言っているのを聞きます。演説が終わってイーサンは一人、嘗てハンナと暮らした家で自分の信条に背ている自分を責めます。その時、外で物音がしたので窓から外を見るとハンナが立っていました。イーサンは外に出て再会を喜び近況を話し、ハンナは二人が出会った頃の話をします。二人は家に入り、イーサンは自分一人では夢を実現出来ないと言いますが、ハンナは二人で夢見たホイト・シティを創るように言います。力を貸して欲しいと言うイーサンに、ハンナはもう離婚したからと嘘を言って自力で実現するように諭します。イーサンは馬上の人となり帰って行きます。(とても良いシーンです。)

銅像を見上げる二人(左)        結婚証明書を破るハンナ(右)

 画面が変わって、ハンナが伝記作家に話しているシーンになります。1906年にスティーリーはサンフランシスコの大火事で人助けをして死んだ事、その年イーサンが死ぬ為にハンナの家を訪れた事を話します。二人はイーサン・ホイトが馬に乗っている銅像の前に立ち、ハンナは伝記作家にイーサンの偉業を語ります。伝記作家は話を聞き終えると、ハンナにキスをして伝記を書くのを止めますと言います。ハンナは彼女を帰してから、ボロボロになった結婚証明書を出して細かく破いて捨てて帰宅します。こうして奇妙な三角関係のラブ・ストーリーは終わります。

帰宅するハンナ

 最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

「西部劇パーフェクトコレクション オクラハマ無宿」
『英雄を支えた女』、『決死の騎兵隊』、『賭博の町』、『オクラホマ無宿』
等が入ったお得な10枚セットです。
発行:コスミック出版 本体1,500円+税

『英雄を支えた女』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 90分

原題:The Great Man’s Lady

監督:ウィリアム・A・ウェルマン

製作:ウィリアム・A・ウェルマン

脚本:W・L・リヴァー

原作:ビーニャ・デルマー(コスモポリタンの短編小説「人間の側面」)

アデラ・ロジャース・セント・ジョンズ

ソーナ・オーウェン

撮影:ウィリアム・メロ

美術:ハンス・ドレイアー、アール・ヘドリック

編集:トーマス・スコット

音楽:ビクター・ヤング

出演者:バーバラ・スタンウィック、ジョエル・マクリー

    ブライアン・ドンレヴィ、K・T・スティーブンス

    サーストン・ホール

Vol.47 『英雄を支えた女』の続きの続き

土地を購入しようとする男を追い返すハンナ左)
金を掘りにカリフォルニアに行こうと言うハンナ(右)

 偉大な夢を抱いてスタートした二人だが、思うように計画は進まずイーサンは諦めかけていた。ホイト・シティを創る為に購入した広大な土地の4分の3を売る契約をしようとしていた。そこに外で今晩の食料になるウサギを銃で仕留めたハンナが入って来て、土地を購入しようとする男を追い出してしまいます。ハンナは、イーサンに金山の夢を見た話をします。太陽を背にした黒い山が、空から手招きするような夢だったと。二人は一時この土地を離れ、カリフォルニアで金山を探しに行く事にします。

ギャンブラーのスティーリー登場(左)
ギャンブルに100ドルを賭けるイーサン・ホイト(右)

 イーサンは早速仲間を誘いに町に出掛け、話が纏まり仲間と酒を飲んで盛り上がります。しかし、手元の資金は100ドル。酒場から出ると、外にいたギャンブラーのスティーリーに声を掛けられます。私と勝負して勝ったら1ドルが100ドルになります。3枚のカードの中からエースを見付けるだけですが、イカサマです。イーサンは最初断りますが、仲間に言われるままに勝負して負けてしまいます。元手の100ドルを取り戻す為に勝負をして、結局馬や牛や鶏等の全てを失います。

スティーリーを銃で脅すハンナ(左)
ハンナはスティーリーにカードで勝負に挑む(右)

 家でイーサンの帰りを待っていたハンナは、家の家畜や荷馬車を運び出すのを窓越しに見て、銃を片手にギャンブラーの許へ行きます。そしてハンナはギャンブラーに銃を向けて、酔っ払い相手に公平じゃないから全部返すように言います。(スティーリーとの初顔合わせのシーンは、ハンナの顔の左半分だけしか写していません。ここから奇妙な三角関係が始まります。)ギャンブラーは私も少し酔っていたし、銃を向けて返せと云うのは不公平だからカードで決着を付けよう言います。勝負の結果、ハンナはお金も家畜も全て取り戻して帰宅します。情けない表情のイーサンに全て取り戻したと言い、テーブルにお金を出して何事も無かったように夕食の支度を始めます。何か言おうとするイーサンに食事をしながら明日出発だから準備してと言います。

銀鉱を見付けるまでの話を伝記作家にするハンナ

 画面が変わって、ハンナが伝記作家に話しているシーンに戻ります。カルフォルニアに行ったら直ぐに金が見つかると思ったが、見つからず8年掛かって銀を見付けた。金鉱探しからイーサンが帰った時は幸せだったが、いない時は苦しかった。その8年間スティーリーは傍にいたが、彼には恋愛感情は無かったと語り、サクラメントで宿を営んでいた頃の話が始まります。

スティーリーに平手打ちをしたハンナ(左)
スティーリーに銃を向けるイーサン(右)

 ハンナは宿のラウンジのランプを消していて、スティーリーが椅子に座って彼女の店じまいを待っている。全てのランプが消えた時、スティーリーはハンナをコンサートに誘うが断られる。(ここから画面は暗転し、シルエットだけになります。登場人物の感情が断絶している時、表情が見えない画面が映し出されます。)スティーリーはハンナを思うあまりイーサンを非難するとハンナは平手打ちをします。直ぐにハンナは謝罪し、イーサンの子供を身籠っている事を伝えます。その時イーサンが帰って来て、銃を手にして女房から離れろと言います。銃を突き付けているイーサンに、銃を所持しないスティーリーは丸腰だと言って上着を広げて見せます。イーサンに出て行けと言われて、スティーリーは店から出て行きます。

青いベトベトした物を手に取るハンナ(左)
以前、夢で見た事を思い出すハンナ(右)

 イーサンは疲れているから眠りたいと言って、二人で二階の寝室に行きイーサンはベッドに横たわります。いくら掘っても金は出てこないし、青いベトベトした物が邪魔をすると言います。そして掘っている丘の光景を話し出します。その丘は太陽の丘と呼ばれ、空から手招きしているように見えると言います。イーサンのブーツを脱がしているハンナは青いベトベトした物を手に取り、イーサンの話が以前自分が見た夢と同じだと思います。ハンナはブーツに付いた青いベトベトした物を搔き集めて手に取り鉱物分析所に向かいます。

分析所で純度の高い銀だと言われる(左)
スティーリーに借金を申しむハンナ(右)

 分析の結果、その青いベトベトした物は純度の高い銀で、8年間の苦労が実り大金持ちになって夢を実現する事が可能になります。ハンナは急いでイーサンに知らせに走りますが、途中でスティーリーに出会い山を買う為の資金を借金します。(スティーリーのハンナへの片思いが切ない。)

ハンナに資金の出所を問い詰めるイーサン(左)
ハンナと共にサクラメントに残るスティーリー(右)

 ハンナはイーサンに銀山を掘り当てた事を伝え、直ぐその山を購入するように言ってお金を渡します。イーサンは荷物を持って階段を降りた処で、ハンナにお金の出所を問い質します。(この場面も二人のシルエットになります)ハンナはそれに答えずイーサンに抱きつきます。イーサンはお金の出所はスティーリーだと確信し、二度とここには戻って来ないと言って出て行きます。

双子の子供達と馬車日に乗ったハンナ(左)
生き残ったハンナ(右)

 画面が変わって双子の親となったハンナは、スティーリーが手配した馬車に乗りバージニア・シティに向かいます。激しい嵐の中、橋を渡る時に鉄砲水で橋もろとも馬車は川に流され、子供たちは死にハンナだけが生き延びます。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『英雄を支えた女』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 90分

原題:The Great Man’s Lady

監督:ウィリアム・A・ウェルマン

製作:ウィリアム・A・ウェルマン

脚本:W・L・リヴァー

原作:ビーニャ・デルマー(コスモポリタンの短編小説「人間の側面」)

   アデラ・ロジャース・セント・ジョンズ

   ソーナ・オーウェン

撮影:ウィリアム・メロ

美術:ハンス・ドレイアー、アール・ヘドリック

編集:トーマス・スコット

音楽:ビクター・ヤング

出演者:バーバラ・スタンウィック、ジョエル・マクリー

    ブライアン・ドンレヴィ、K・T・スティーブンス

    サーストン・ホール

Vol.47 『英雄を支えた女』の続き

空席の椅子(左)       大都会の一角にある不釣り合いな邸宅(右)

 椅子が映し出されカメラは引いて俯瞰画面になり、大都会の一角に不釣り合いな邸宅が見えます。画面が変わって、その邸宅を見下ろすホイト・シティ新聞社の編集長が双眼鏡で空席の椅子を見てから語り始めます。35年間毎日ポーチにある椅子に座り続けた謎の老婦人、ハンナ・セプラーが今日は現れない。今日は“イーサン・ホイトの日”で、彼の銅像の除幕式があるのに無視して姿を見せない。彼女を見張っていた記者たちに除幕式に行くように指示を出します。

除幕式で演説する市長(左)         除幕式を見る記者たち(右)

 除幕式には全米各地から有力紙の記者たちがあつまっていて、その中に若い伝記作家の女性もいます。

セプラー邸に車で駆けつける記者達(左)
セプラー邸の中に強引に入る記者たち(右)

 市長の演説の後、除幕式が終わると有力紙の記者たちはセンプラー邸に向かいます。そして強引に邸内に押し入ってセプラー夫人に面会を求めます。

邸宅に押し入った記者の前に登場したハンナ・セプラー

 やがて100歳のハンナ・セプラーが現れます。(この場面の表情も動きも語り口も、正に100歳の老婦人で見事です。上唇の使い方、手の動き、弱弱しい話し方、素晴らしいです。)世間が真相を知る為だと言い、記者たちはハンナに一斉に質問を浴びせかけ、イーサン・ホイトのスキャンダラスを聞き出そうとします。

ハンナを擁護する女流伝記作家(左)
イーサン・ホイトの話を聞かせて欲しいと懇願する女流伝記作家(右)

 ハンナは記者たちに“貴方たちは世間では無い”と言い、“あなた達は世間と無縁の人たちです”と言います。若い伝記作家は、記者たちの非礼を詫びてハンナを擁護します。ハンナは、“ホイト・シティを創った偉人にスキャンダルは無い”と言い、記者たちを帰します。若い伝記作家は残ってハンナに、イーサン・ホイトの伝記を3年間書いているので話を聞かせて欲しいと頼ますが、ハンナは相手にせず彼女に帰るように言います。泣き出した若い伝記作家を見て気が変わったハンナは、彼女と共に2階の部屋に行きます。(この場面のバーバラ・スタンウィックの演技は、前半の見せ場と言っても良い位に見事です。)

窓から顔を出す三姉妹(左)   娘たちに挨拶するイーサン・ホイト(右)

 2階の部屋に入ってハンナが“あれは、1848年の事よ”と語った瞬間に娘時代の話が始まります。窓に駆け寄るハンナと二人の姉妹、通りを馬に乗るイーサン・ホイトが家に向かってきます。窓から顔を出したハンナは、可愛らしく溌溂とて10代の乙女のように見えます。馬から降りたイーサンは笑顔で上を見上げると、二人の姉妹は窓から離れます。残ったハンナは、ハンカチを落としてイーサンに渡します。(ハンナの一途な恋心をウェルマン監督は、こんな乙女チックな演出で表現したんでしょうね。)

資金援助を得る為に夢を語るイーサン・ホイト(左)
イーサン・ホイトの話に聞き入るハンナ(右)

 ハンナは父親が勝手に決めた自分の婚約者を茶化し、部屋を出て1階の書斎に向かいます。階段を降りようとすると、メイドのデリラに書斎に行かないように注意されます。ハンナは階段の手すりを跨ぎ腹ばいになりながら、本を取りに行くと言って手すりを滑って1階に降ります。(この時のハンナの表情はお転婆で無邪気な娘で、デリラとの会話は仲の良い親子の様です。)書斎ではイーサンが資金援助を得る為に、センプラーとキャドワラーに熱く自分の夢を語っています。廊下でそれを聞いたハンナは益々イーサンを好きになり、思わず拍手をして父親に叱られます。援助を断られたイーサンは、帰ります。

深夜に訪れたイーサンに会うハンナ(左)
プロポーズするイーサン(左)

 ベッドで眠りについたハンナは、物音で眼を覚まし窓から外をみます。真夜中の12時にイーサンが家の前にいて、降りてくるように言います。無理とか言いながら結局降りて行って、二人で馬に乗り郊外に出掛けます。森の中での奇妙なやり取りの後、イーサンのプロポーズをハンナは受けて駆け落ちします。

旅先で簡単な結婚式を挙げる(左)     結婚証明書を受け取る(右)

 画面は変わって嵐の中、雨に打たれ乍ら簡単な結婚式を行い神父から結婚証明書をハンナは受け取ります。

未だ何もない広大な土地を眺めて、ホイト・シティの実現を誓う二人

 そして二人はホイト・シティへと向かいます。着いたホイト・シティは、未だ何もなく広大な土地に小さな家があるだけです。しかし、二人の眼には未来のホイト・シティが見えていて、二人で偉大な都市を作る事を誓います。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

「西部劇パーフェクトコレクション オクラハマ無宿」
『英雄を支えた女』、『決死の騎兵隊』、『賭博の町』、『オクラホマ無宿』
等が入ったお得な10枚セットです。
発行:コスミック出版 本体1,500円+税

『英雄を支えた女』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 90分

原題:The Great Man’s Lady

監督:ウィリアム・A・ウェルマン

製作:ウィリアム・A・ウェルマン

脚本:W・L・リヴァー

原作:ビーニャ‣デルマー(コスモポリタンの短編小説「人間の側面」)

   アデラ・ロジャース・セント・ジョンズ

   ソーナ・オーウェン

撮影:ウィリアム・メロ

美術:ハンス・ドレイアー、アール・ヘドリック

編集:トーマス・スコット

音楽:ビクター・ヤング

出演者:バーバラ・スタンウィック、ジョエル・マクリー

    ブライアン・ドンレヴィ、K・T・スティーブンス

    サーストン・ホール

Vol.46 『英雄を支えた女』

パブリック・ドメインの為、
オープニングで表示される画像

 今回ご紹介するのは、ウィリアム・A・ウェルマンが1942年に製作・監督した日本未公開の『英雄を支えた女』です。原作は、ビーニャ・デルマーがコスモポリタンに発表した短編小説「人間の側面」です。その短編小説をアデラ・ロジャース・セント・ジョンズとソーナ・オーウェンが物語として書き上げ、その物語を基にW・L・リヴァーが脚本にしています。若い女性の伝記作家に100歳のハンナ・セプラー・ホイトが、過去を語る事で物語は展開します。なんとも奇妙な三角関係の物語です。100歳のハンナを演じるのがバーバラ・スタンウィック、ハンナに支えられる夫のイーサン・ホイトを演じるのがジョエル・マクリー、ハンナに恋焦がれるギャンブラーのスティリーを演じるのがブライアン・ドンレビィ、そして若い伝記作家を演じるのがK・T・スティ-ブンスです。

【スタッフとキャストの紹介】

ウィリアム・A・ウェルマン(1937年)

 ウィリアム・A・ウェルマン((1896年2月29日~1975年12月9日)は、マサチューセッツ州ブルックライン生まれのアメリカ合州国の映画監督です。サイレント映画時代も含めると80本程の作品を監督しています。トーキー映画が始まった時には、俳優が動いて台詞を言えるように箒にマイクを吊るして音取りをしたり、現在のガン・マイクの原型を作ったりしています。特に航空映画に思い入れが強かったので、機体にカメラを固定するフレームを作ったり、コクピットでカメラマンが隠れて飛行中に俳優を撮影出来るようにモーター駆動のカメラを作ったりと、新しい技術を作り出した人でもあります。

 10代の頃は非行少年でしたが、製材所のセールスマンとなりマイナーリーグのホッケーの選手として活躍しました。第一次世界大戦中はノートン・ハルジェス救急隊に入隊して運転手をしていましたが、パリにいる時にフランス外人部隊に入隊して1917年12月3日に戦闘機パイロットとして配属され、エース・パイロットとして目覚ましい活躍をしました。戦後アメリカに帰国したウェルマンは、サンディエゴで新人パイロットの教育を行っていました。その頃、週末には戦闘機でハリウッドに行ってダグラス・フェアバンクスに会っていて、彼の勧めで映画界入りします。最初は俳優になりますが、監督を目指して雑用係から助監督・第2監督となり、1923年に監督デビューします。1927年の『つばさ』は第1回アカデミー賞の作品賞を受賞し、様々なジャンルの映画を送り出しています。1931年『民衆の敵』、1932年『立ち上がる米国』、1933年『飢ゆるアメリカ』、1937年『スター誕生』、1939年『ボー・ジェスト』、1943年『牛泥棒』、1944年『西部の王者』、1945年『G・Iジョー』、1949年『戦場』、1951年『ミズーリ横断』、1952年『女群西部へ!』、1954年『紅の翼』、1955年『中京脱出』などを監督しました

ハンナ・セプラー・ホイト役
バーバラ・スタンウィック(35歳)

 主役のハンナ・セプラー・ホイトを演じるのは、演技派の名優バーバラ・スタンウィック(1907年7月16日~1990年1月20日)です。彼女はニューヨークで5人兄弟の末っ子として生まれました。4歳の時に母親が車の事故で亡くなり、その後父親は彼女を置き去りにして出て行ってしまいます。彼女は里子に出されて里親のもとを転々とし、10歳の時に姉のミルドレッドに引き取られ姉の恋人からダンスを習います。13歳で学校を中退して働き出し、1922年15歳の時にジークフェルド・フォーリーズのコーラス・ダンサーになります。1927年20歳で『ブロードウェイ』で映画デビューしますが舞台の仕事を続けて、1933年26歳でブロードウェイ舞台の主役を演じるようになります。1928年にフランク・フェイと結婚し、共にハリウッドに渡り映画に出演するようになります。  

 1930年にフランク・キャプラ監督の『希望の星』に出演して、実力派俳優として認められるようになります。その後はキャプラ監督を始め、ジョージ・スティーブンス、ハワード・ホークス、セシル・B・デミル、ブレストン・スタージェスと多くの監督の映画に出演します。ジャンルもラブ・ストーリー、ヒューマン・ドラマ、ラブ・コメディ、西部劇と多岐に渡り、演じる役も様々で演技の幅を広げていきます。1931年『奇蹟の処女』、1933年『風雲のチャイナ』、1935年『愛の弾丸』、1936年『鍬と星』、1937年の『ステラ・ダラス』でアカデミー主演女優賞に初ノミネートされます。(4度オスカーにノミネートされますが、受賞する事はありませんでした。信じられません。)

 1939年『大平原』『ゴールデン・ボーイ』、1941年、『レディ・イヴ』『群衆』『教授と美女』、1944年にビリー・ワイルダー監督の『深夜の告白』で、男を破滅させる魔性の女を演じて更に芸域を広げます。1946年『呪いの血』、1947年『カリフォルニア』、1950年『復讐の荒野』、1954年『重役室』でヴェネチア国際映画祭の審査員特別賞を受賞しました。1955年『欲望の谷』、1956年『烙印なき男』、1957年『四十挺の拳銃』、1964年『青春カーニバル』等に出演しました。

 1950年代まで映画に出演し続けますが、1960年からTVに進出して「バーバラ・スタンウィック・ショー」のホストと主役を1年間務め、1965年から1969年まで「バークレー牧場」では出演とプロデューサーもしました。日本でも人気のあったTV映画で、アメリカでも好評で多くのファンに愛されました。この両作品でエミー賞を受賞しています。気取らず性格の良い彼女は、共演者やスタッフから愛され尊敬をされていました。映画の主演本数も多く、素晴らしい演技の作品が多いです。スタンウィックは1981年にフィルム・ソサエティの特別賞、1982年にはアカデミー名誉賞、1983年にはゴールデン・グローブ賞とエミー賞を受賞しています。1990年カリフォルニア州サンタモニカで心不全の為亡くなりました。82歳でした。

イーサン・ホイト役
ジョエル・マクリー(37歳)

 後に英雄となるイーサン・ホイトを演じるのは、ジョエル・マクリー(1905 年 11 月 5日~1990年10月20日)です。彼はカリフォルニア州サウス パサデナ出身の映画俳優で、1927年からエキストラやスタントマンの出演から始まって1976年の『アドベンチャー・カントリー』までの50年間に100本以上の映画に出演しました。彼はハリウッド高校を卒業後、ポモナ大学で演劇とパブリック・スピーキングのコースを受講し1929年に卒業しました。

 1932年『銀鱗に躍る』から主役を演じるようになり、1930年RKOに移籍して、1932年『南海の劫火』でドロレス・デル・リオと共演し、ドラマやコメディも演じられる二枚目スターとして認められるようになります。1932年の『猟奇島』ではフェイ・レイと共演していますが、『キング・コング』のジャングルのセットの一部を使って撮影されました。昼間は『キング・コング』の撮影で使い、夜間に『猟奇島』の撮影がされました。

 マクリーは、様々なジャンルで多くのキャラクターを演じました。1935年『私のテンプル』、1936年『大自然の凱歌』、1936年『バーバリー・コースト』、1936年『紐育の顔役』・『新天地』、1939年『大平原』、1940年『海外特派員』、1941年『サリヴァンの旅』、1943年『陽気なルームマイト』等に出演しました。彼は自分の信条に合わない役や、以前演じた様な役のオファーは断っています。特に第二次世界大戦中は、英雄の軍人役は断っています。

 1940年代に入ってからは出演映画の殆どが西部劇で、歳を取るに従って西部劇に出演するのが快適だったと、晩年インタビューで答えていました。1944年『西部の王者』、1946年『落日の決闘』、1947年『復讐の二連銃』、1949年『死の谷』、1953年『ローン・ハンド孤高の男』、1959年『ダッジ・シティ』、1962年『昼下がりの決斗』等に出演しました。彼はランドルフ・スコットと共にB級映画の2代スターと言われています。ランドルフ・スコットは保安官とか南軍の将校役を多く演じていて、そんなイメージがあって似合っていると思っています。一方、ジョエル・マクリーには固定したイメージが浮かびませんので、演技力のある俳優さんだと思います。以前、キャサリン・ヘップバーンが一緒に仕事をした最高の俳優の一人であると感じたと言っていました。又、ジョエル・マクリーはスペンサー・トレイシーやハンフリー・バガートと並んでランク付けされるべきだったとも語っていました。1990年10月20日、ロサンゼルスのウッドランドヒルズにあるモーション・ピクチャー・アンド・テレビジョン・カントリーハウス・アンド・ホスピタルで肺炎の為84歳で亡くなりました。

ギャンブラーのスティリー役
ブライアン・ドンレヴィ(41歳)

 ギャンブラーのスティリーを演じるのは、ブライアン・ドンレヴィ(1901年2月9日~1972年4月5日)です。彼は北アイルランド出身で、アメリカで活躍した映画俳優です。生後10ヶ月でアメリカのウィスコンシン州ラシーンに移住し、9歳の時にオハイオ州クリーウランドで移住しました。彼は15歳の時にメキシコに渡り年齢を偽ってパンチョ・ビリャの革命を阻止する政府軍に入隊し、第一次世界大戦に従軍してラファイエット戦闘機隊で活躍しました。1920年代に入ってからニューヨークの舞台で俳優として出演するようになり、サイレント映画にも出演するようになります。1935年の『バーバリー・コースト』で人気が出始め1936年『当たり屋勘太』1937年『シカゴ』、1939年『大平原』『地獄への道』と出演し、同年の『ボー・ジェスト』では冷酷非情な悪役を見事に演じました。

 1941年『ブルースの誕生』、1942年『ガラスの鍵』『ウェーク島攻防戦』、1943年『死刑執行人もまた死す』、1944年『モーガンズ・クリークの奇跡』、1945年『落日の決闘』『ハリウッド宝船』、1946年『インディアン渓谷』、1947年『死の接吻』、1948年『戦略爆撃指令』、1949年『狂った殺人計画』、1950年『命知らずの男』、1953年『死刑(リンチ)される女』、1955年『原子人間』、1957年『宇宙からの侵略者』、1965年『蠅男の呪い』等に出演しました。1959年の『戦雲』では映画の最後に登場し、少ない出番ながら存在感の演技を披露しています。1950年代末まで西部劇・戦争映画・ギャング映画等、様々なジャンルの映画に出演しています。1950年代からTV映画にもゲスト出演するようになり、日本で1858年に放映された「Gメン」(1952年製作)では、世界各地を飛び回って密輸団・暗殺団・スパイ団を相手に活躍する、アメリカ政府のシークレット・エージェントのスティーブ・ミッチェルを演じました。ドンレヴィは1971年に喉頭癌の手術を受け、1972年4月6日にカリフォルニア州ロサンゼルスのウッドランドヒルズにあるモーション・ピクチャー・アンド・テレビジョン・カントリーハウス・アンド・ホスピタルで亡くなりました。71歳でした。

女流伝記作家役
K・T・スティーブンス(23歳)

 若い女流伝記作家を演じるのは、K・T・スティーブンス(1919年7月20日~1994年6月13日)です。彼女はロサンゼルス生まれの映画及びテレビ俳優で、サム・ウッド監督の娘さんです。父親が監督した1921年のサイレント映画『ペックの悪い少年』で、2歳の時の映画デビュー(?)しています。その後、自分の意志で映画に出演するようになった時は、サム・ウッドの娘だと知られぬようにK・T・スティーブンスと名乗っていました。当初キャサリン・スティーブンスとも名乗っていた時期もありましたが、最終的にK・T・スティーブンスとなっています。

 メイン州スコヒガンで演劇を学びブロードウェイの舞台にも出演するようになります。その後父親が監督した1940年の『恋愛手帳』に出演し、1944年『住所不明』、1949年『ニューヨーク港』、1950年『ハリエット・クレイグ』、1958年『月へのミサイル』、1969年『ボブ&キャロル&テッド&アリス』、1994年『コリーナ、コリーナ』が最後の映画出演でした。1960年代からは『マッコイじいさん』、『反逆児』、『ブラナガン』、『ライフルマン』、『アイ・ラブ・ルーシー』等、多くのテレビ映画に出演していました。スティーブンスは1994年6月13日、カリフォルニア州ブレントウッドの自宅で肺癌の為、74歳でした。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.45『チップス先生さようなら』の最終章

『チップス先生さようなら』のトップはこちら

コリー2世とパーキンスを仲直りさせるチップス先生(左)
校長から引退を勧められるチッピング(右)

 画面が変わり、校舎の入り口で生徒たちが点呼を取られているシーンになります。点呼を終えた生徒たちの会話で、時の流れを簡潔に表現しています。1899年10月10日の南ア戦争(ボーア戦争とかズール戦争とも云われています)から始まり、ビクトリア女王(1819年5月24日~1901年1月22日)の葬儀と時は進みます。校舎の入り口で点呼を取っているチッピングは、既に60歳代になっています。そこに校長からの呼び出しがあり、校長室に向かいます。途中で喧嘩している新入生のコリー2世とパーキンスを見付けて、仲裁に入り仲直りをさせます。チッピングが校長室に入ると、校長から最新式のラテン語の発音を採用する様に言われます。時代は変わっている、古いものに固執するなら引退するように言われます。古き伝統を重んじるチッピングは、時代が変わって古き良きものが失われて行く、自分は引退しないでここまま行くと言って退室します。(この時のチッピングの台詞に“子供たちを自立させる為に教えている”と云うのがありますが、この言葉は世の大人が永遠に伝え続けなければならない事ですね)

5年前のエピソードを話す校長(左)
全校生徒からの贈り物を受け取るチップス先生(右)

 それから5年後、チッピングは引退します。講堂でチッピングの引退式典が開催され、校長から引退勧告時のエピソードが話された後全員で乾杯し、全校生徒からプレゼントが贈られます。チッピングの引退時のスピーチはユーモアに溢れ、語り口や表情は長年教壇に立っていた70歳の先生そのものです。校舎から出る時。門番の老人がこれから会えなくなるのが寂しいと声を掛けて来て、校長先生になれると思っていたと伝えます。チッピングは、亡くなった妻のキャサリンの事を思い出します。老人はオーストリアの皇太子が暗殺された事も話します。(1914年6月28日のサラエボ事件で、この暗殺によって第一次世界大戦が始まります)

通りを行進する志願した生徒たち(左)
戦争は直ぐ終わると話すチップス先生(右

 通りを軍隊が行進している画面に変わります。チップス先生の家に集まった生徒たちは窓からそれを眺め、卒業生が入隊したとか自分も志願するとか戦争の話をしています。その当時殆どのイギリス人が思っていたように、チップス先生も戦争は数週間で終わると生徒たちに話します。

チップス先生に会いに来たコリー2世(左)
青年になったパーキンス(右)

 しかし、予想に反して戦争は長引き出兵した卒業生や教師が戦死し、校長が講堂で全校生徒に報告します。そこに青年になったピーター・コリー2世が現れ、チップス先生に自分の出兵後に家を訪問して妻の話し相手になってくれるように頼みます。コリー2世を見送る為に外に出るとパーキンスが待っていました。コリー2世とパーキンスは新入生だった頃に取っ組み合いの喧嘩をしましたが、パーキンスは士官のコリー二世の部下で仲良くやっています。

校長就任を依頼する理事長(左)
校長室でキャサリンの写真に報告するチップス先生(右)

 帰宅すると理事長は待っていて、校長が軍隊に志願したのでチッピングに戦争が終わる迄校長になるように依頼されます。チッピングは申し出を受け、翌日校長室でキャサリンの写真を眺めながら“君が言った通り、校長になった”と写真のキャサリンに報告します。

戦地に向かう生徒たちを見送るチップス先生と軍人(左)
校長室でバートンに罰を与えるチップス先生(右)

 学校から出兵する生徒たちを見送るチッピングに、軍人が彼らは明日の将校だと言います。チッピングは、明日が来なければいいと返します。(イギリスの名門校の生徒は、ノブレス・オブリージュ<noblesse oblige>と云う道徳観に基づき、開戦時には国を守る為に志願して戦地に向かいます)画面が変わって校長室、教師に反抗的な態度を取ったバートンに罰を与えます。バートンは学校に残って教えている教師は臆病者だと思っていて反抗していましたが、教師全員は志願をしているが学校を守る為に残った教師がいる事を教えます。

チップス先生の家を訪問するコリー3世(左)
お茶を淹れて語り合うコリー3世とチップス先生(右)

 学校の教会でチップス先生はコリー2世の戦死を伝え、親友のドイツ語教師マックス・シュテフェルの戦死も伝えます。チッピングが帰宅すると終戦を知らせる電話があり、講堂で生徒たちに終戦を伝えます。終戦によりチッピングは臨時校長から元の生活戻ります。時が流れ83歳になったチッピングの家に新入生のコリ―3世が訪問して来ます。先輩の悪戯で訪問したコリー3世を家に入れて二人でお茶を飲みながら語り合います。以前、コリーに2世の家を訪問した時は赤ん坊だった子です。コリー3世が帰る時、チッピングは体調不良を感じ見送らずに椅子に座ったままです。コリー3世が、“さよならチップス先生”と言ってドアを閉めます。その言葉を耳にしたチッピングは、過去の出来事が思い浮かびますが体調が悪くなっていきます。

病床のチッピングを見舞う理事長と校長(左)
私には何千人もの子供がいると話すチッピング(右)

 画面が変わり病床につくチッピング、校長が見舞いに来ていて“子供がいればよかったのに”と話しています。その時、チッピングは“私には何千人もの子供いる”と言います。画面に今まで卒業した生徒たちの映像が流れ、最後にピーター・コリーが笑顔で“チップス先生、さようなら”と言って映画は終わります。

さようならを告げるピ-ター・コリー

 この映画は、ごく普通の教師の半生記を描きながら多くの事を学ばせてくれます。ヒューマン・ドラマであり、ラブ・ストーリーであり、反戦ドラマでもありますが、決して押し付けがましくなく自然に受け入れられると思います。これこそ名作です。是非、多くの方々に観て頂きたい映画です。手元に置いて、時々観て頂きたいと思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

発売元:ワーナー・ホーム・ビデオ

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース

Vol. 44 『チップス先生さようなら』の続きの続き

40歳代になったチッピング(左)   ハーグリーブスとチッピング(右)

 時は大きく流れ、チッピング先生は40歳代になり最古参の教師になっています。(中年になったチッピングは、表情も所作も話し方も変わっていて時間の経過が分かります。)終業式が終わり、生徒も教師も待望の夏休みに入ります。生徒たちは実家に帰省し、教師たちは旅行に出掛ける準備を始めます。チッピングは自分の部屋に向かう途中の道で、ハーグリーブスに会います。彼はチッピングが列車の中で声を掛けたら、突然泣き出した少年で20年振りの再会です。今年は寄宿生を監督する舎監になれるかも知れないと、チッピングは彼に話します。

チッピング舎監就任の話で盛り上がる教員室(左)
校長から舎監就任が無い事を伝えられるチッピング(右)

 教員室でもチッピングの舎監就任の話題で持ちきりです。教師たちが生徒から貰ったケーキを食べている時に、チッピングが入って来て一緒にケーキを食べ始めます。そこに校長先生の呼び出しがあり、皆は舎監就任の話だと励まします。しかし、校長からの話は優秀なギリシャ語教師のチッピングには煩雑な舎監ではなく、教師の仕事に専念して欲しいと言われ落胆して部屋に戻ります。

暗い部屋で呆然とするチッピング(左) 徒歩旅行に誘うステュフェル(右)

 暗い部屋に呆然としていると、友人のシテュフェルが入って来て一緒に旅行に行こうと誘います。チッピングは毎年訪れるハロゲットの宿で一人過ごすと言いますが、シテュフェルトはチロルからウィーンに一緒に徒歩旅行する事に決めてしまいます。

女性の声を聞きつけたチッピング(左) 危険な岩場を登るチッピング(右)

 その日の夜から二人は汽車でチロルに向かい、翌日チッピングは一人で山に登ります。登山途中で霧が出て来て待機していると、上の方から女性の声が聞こえたので無謀にも山を登り始めます。危険な岩場を登る途中で危うく落ちそうになり、杖を落としてしまいます。

上に辿り着いたチッピング(左)
サンドイッチを食べているキャサリン・エリス(右)

 やっと登ってみると、若い女性が岩に腰かけて平然とサンドイッチを食べています。助けを呼んでいると思って登って来たとチッピングが言うと、その女性はなんと無謀な人だと言います。命を落とすかも知れないのに心配して登って来てくれた事に彼女は感謝します。

一緒にサンドイッチを食べるチッピング(左)
楽しく語り合う二人(右)

 そして二人で岩に腰かけてサンドイッチを食べ、その女性キャサリン・エルスはチッピングに教師の素晴らしさを語り出します。女性と付き合う事の無かったチッピングは、自分の心の高揚に驚きながらキャサリンの話を聞きます。(このシーンのドーナットとガーソンの演技は自然で、恋した事の無い中年男と行動的で聡明な女性との素晴らしいやり取りが続きます。)

ドナウ川を眺めるチッピングとステュフェル(左)
2階のデッキでドナウ川を眺めるフローラとキャサリン(右)

 やがて霧が晴れて下山すると、チッピングの勇敢な行動を称えてホテルでパーティーを用意しますが、主賓のチッピングは怖気づいたかのように部屋に戻ってしまいます。キャサリンたちは翌朝出発してしまい落胆しつつ旅を続け、船のデッキでドナウ川を眺めているチッピングとシテュフェル。シテュフェルがドナウ川は茶色で青く無いが、チッピングには青く見えないかと尋ねます。丁度その頃、船の2階のデッキではキャサリンとフローラが同様の会話をしていて、キャサリンにはドナウ川が青く見えています。(このシーンの監督の演出は素敵です。)

踊るチッピングを見て驚くフローラとステュフェル(左)
楽しく踊るチッピングとキャサリン(右)

 先に船から降りたチッピングは、キャサリンを見付けて駆け寄ります。その日の夜、舞踏会に出席した二人は取り留めのない会話をしていますが、キャサリンが旅の一番の思い出は舞踏会で踊った事だと言います。チッピングはその言葉に狼狽しますが、勇気を振り絞って彼女と踊ります。(このシーンも二人の表情の変化が素敵で、このダンス・シーンは観ていて幸せな気持ちになります。)

言いたい事が言えないチッピング(左)
走りながらプロポーズをするチッピング(右)

 汽車で発つキャサリンを見送るチッピングは、言いたい事が言い出せないまま汽車が発車し始めた時、キャサリンが軽くキスをして乗車します。発車した汽車を追いかけながら、チッピングはキャサリンにプロポーズします。しかし、汽車はキャサリンと共に行ってしまい、もう会えないと絶望しているチッピングに親友のステュフェルが声を掛けます。“心配するな、教会の手配はしたから明日は結婚式だ”と言って二人で祝杯を挙げに行きます。

チッピング夫人の事をステュフェルに聞く教師たち(左)
チッピングと共に現れたキャサリン(右)

 画面が変わって学校の教員室、新聞でチッピングの結婚を知った同僚はステュフェルに、奥さんは器量が悪いんだろうとか最悪なんだろうとか言っています。そこにチッピングが奥さんを連れて現れます。奥さんを見た途端に全員の顔が笑顔になり、女性入室禁止の教員室なのに大歓迎で受け入れます。(このシーンは観ていて一緒に笑顔になります。それにしてもグリア・ガーソンの笑顔は素敵です。)

生徒たちにキャサリンを紹介するチッピング(左)
生徒たちをお茶会に招待するキャサリン(右)

 この時キャサリンが、チッピングを“チップス”と呼びます。それを聞いた同僚は、チッピングを“チップス”と呼ぶようになります。教員室を二人で出ると、キャサリンを一目見ようと教え子たちが集まっていました。キャサリンは教え子たちに、“先生は日曜にお茶会を開くから、皆来てね”と言い、戸惑うチップスに“4時だったわね”と言います。彼女の突然の提案に“ああ、そうだった”と言い、それから毎週お茶会は開催されます。

お茶とケーキで持成すキャサリン(左)
授業で冗談も言うようにアドバイスするキャサリン(右)

 お茶会の後、キャサリンはチップスに授業中に冗談も言って生徒たちと友達になるようアドアイスします。この先キャサリンは事ある毎にアドアイスし、チップスはドンドン変わっていきます。(なんと素敵な奥さんでしょう。グリア・ガーソンが登場するシーンを観ていると、幸福感に浸れます。)

舎監になった事を告げるチップス(左)
チップスの素晴らしさを伝えるキャサリン(右)
”セルブス”と言って乾杯する三人

 時は流れてクリスマス、生徒たちは帰省し始めチップスは今では生徒たちの人気者になっています。キャサリンがクリスマス・ツリーを飾り付けていると、チップスが慌てふためいて帰宅して舎監になったと言います。喜びあっている二人の許にステュフェルがシャンペンを持って現れます。そして3人で祝杯を挙げます。二人が山で出会った日の夜の様に“セルブス”と言って乾杯します。

出産が難しい状態だと聞かされるチップス(左)
妻が死んだ直後に授業を始めるチップス(右)

 画面が変わって翌年の4月1日、エイプリルフールの日にキャサリンは出産をします。しかし、出産は難産で母子共に亡くなってしまいます。(1890年頃の医学では細菌の存在は広く認識されていない為、出産は不衛生な状態で行われていたので母子共に死亡する事はよくあったようです。)その日生徒たちは、チップス先生にエイプリルフールの悪戯を皆で用意していました。腑抜け状態になったチップスは、そんな状態でも授業を行います。生徒たちの悪戯をチップス先生が喜んでくれると思っていましたが、期待は裏切られます。

チップス夫人が亡くなった事を伝える生徒(左)
教科書を読むコーリー(右)

 そこに遅れて一人の生徒が教室に入って来て、チップス夫人と子供が亡くなった事を皆に伝えます。チップスは授業を始め、コリーに教科書を読むように言います。(キャサリンが亡くなってから授業までのロバート・ドーナットの表情は、正に魂が抜けたように感じるものです。名優です。)

魂が抜けたようなチップス

 この映画でデビューして素晴らしい演技をしたグリア・ガーソンは、後に自分のキャリアに大きな影響を与える映画だとは思っていなかったと語っています。それが逆に気負いもなく自然な演技に繋がったのではないかと、思っております。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース