Vol.38 『桃色(ピンク)の店』の続きの続き

電話で社長の奥さんを茶化すペピ(左)
ヴァダスを解雇したクラリック(右)

 ぺピは社長の奥さんにヴァンダスと浮気している事を、社長が知った事をぺピお得意の口調で話して電話を切ります。クラリックはヴァダスを事務所に呼び、クビを言い渡します。色々反論するヴァダスをクラリックは突き飛ばし、用意していた給料を渡した時にペピがヴァダスのコートを持ってきて、ヴァダスが受け取ろうとした瞬間床に落とします。(非常に良いテンポで展開され、スカッとする場面です。それにしてもヴァダス役のジョゼフ・シルドクラウトは演技が上手い役者さんで、憎たらしさは満点です。)

私書箱の中を覗くクララ(左)     社長に会いたいと言うクララ(右)

 場面は変わって郵便局の私書箱の裏側が映り、237号の棚の中を探し回る手があり、何も無いのを確認するクララの顔が映し出されます。クララは店に出勤し、事務所に入ります。中にクラリックがいたので驚きますが、社長のマトチェックに会いたいと言います。クラリックが社長は不在で自分は主任だと言いますが、クララは具合が悪いから冗談は止めてくれと言います。そこに取引先から電話が来てクラリックが対応するのを見て、状況を把握しますがその場に倒れ込んでしまいます。

クララを見舞いに来たクラリック(左)
手紙を読んで元気になったクララ(右)

 クラリックは閉店後、クララを見舞いに行きます。病気の具合を尋ねると、「恋煩い」だと分かります。そこに同居しているお婆さんが手紙を持って来ると、クララは一気に元気になります。彼女は手紙を読み、彼へのクリスマス・プレゼントは「オルゴール付き煙草入れ」にすると言い出します。クラリックは「財布」を勧めますが、彼女は考えを変えません。(この場面のクララ役のマーガレット・サラヴァンの演技が素晴らしいです。)

恋人へのプレゼントを財布に変えさせるピロビッチ(左)
繁盛している店を見て喜ぶ社長(右)

 翌日のクリスマス・イヴ、店の前で配達の準備をしているルディに、ペピが指示を出します。(未成年のくせに貫禄充分なペピです。)クラリックは従業員に社長への最高のクリスマス・プレゼントを贈ろうと言い、店の商品を全て売り尽くそうと檄を飛ばします。商品の準備しているクララにピロビッチが話しかけ、恋人へのプレゼントを「オルゴール付き煙草入れ」から「財布」に変えさせます。店は大繁盛で商品は売れ捲ってます。そこに病院を抜け出した社長が現れます。

皆にボーナスを渡す社長(左)    ルディをレストランに誘う社長(右)

 閉店後に売り上げを確認すると、店始まって以来の新記録に社長は上機嫌です。皆にボーナスを渡し、帰り支度をしながら従業員の誰かと食事をしようと思いますが、皆予定があり思うようになりません。そこに入ったばかりのルディが現れ、彼が一人でイヴを過ごす事が分かり、喜び勇んで彼を連れてレストランに向かいます。

クララにプレゼントするペンダントを見せるクラリック(左)
文通相手は自分だとクララに告げるクラリック(右)

 更衣室でクララが「財布」を箱詰めしている処にクラリックが現れ、彼が恋人に贈る「ダイヤ付きのペンダント」を見せてクララに着けて貰います。この場面での二人のやり取りは面白くて、クラリックがちょっと狡い駆け引きをして彼女の幻想の恋人を諦めさせます。そこでクラリックは、手紙の相手は自分だと打ち明けます。本当はクララも彼が好きだった事を伝え、見事にハッピー・エンドとなります。 最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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「一度は観たい! 名作映画コレクション 三十四丁目の奇跡」
このセットに収録されている作品は、全てクリスマスの物語です。

発行:株式会社コスミック出版 1,800円+税

『桃色の店』 作品データ

1940年製作 アメリカ モノクロ 99分
原題:The Shop Around the Corner

監督:エルンスト・ルビッチ

製作:エルンスト・ルビッチ

脚本:サムソン・ラファエルソン

原作戯曲:ニコラス・ラズロ

撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:マーガレット・サラヴァン、ジェームズ・スチュアート

   フランク・モーガン、ジョゼフ・シルドクラウト

   フェリックス・ブレザート、サラ・ヘイドン

   ウィリアム・トレーシー、イネズ・コートニー

   サラ・エドワーズ、エドウィン・マクスウェル

   チャ-ルズ・ハルトン、チャールズ・スミス

Vol.37 『桃色(ピンク)の店』の続き

 この映画は、基本的に二人芝居が続く構成になっていて、非常にテンポ良く物語が展開されます。この映画に登場する俳優全員が、素晴らしい演技をしています。出番が少ないルディ役のチャールズ・スミスも含めて、とても良い二人芝居が観られます。素晴らしい台詞のやり取りが書かれた脚本は最高で、ルビッチ監督の無駄のない演出で最後まで引き込まれます。この作品はルビッチ監督が、ヨーロッパに住んでいた頃の思い出を基に作られていますので、監督の思い入れタップリの映画になっています。

開店前に集まっている従業員(左)
社長が乗って来たタクシーのドアを開けるペピ(右)

 物語の舞台はハンガリーのブタペストですが、会話は全て英語です。街角にある雑貨店「マトチェック商会」の店の前から始まります。開店前に従業員全員が店の前に集まり、社長が店を開けるのを待っています。この場面で従業員の人間関係が分かります。クラリックは皆の信望があり、気障なヴァダスは嫌われています。使い走りのペピは抜け目のない若者で、社長の乗ったタクシーが着いたらいち早くドアを開けて挨拶をします。

文通している事をピロビッチに話すクラリック(左)
オルゴール付き煙草入れをクラリックに見せる社長(右)

 開店準備をしている時にクラリックは、ピロビッチに私書箱を通じて女性と文通している話をします。(今風に説明すると、手紙はメールで私書箱がチャット・ルームになります)クラリックは今まで4回文通をして、彼女を非常に気に入っているとピロビッチに話します。二人で話をしている時に、クラリックは社長のマトチェックに呼ばれて事務所に行きます。社長は蓋付きの小箱を手に持っていて、この商品の感想を聞いて来ます。それは「オルゴール付きの煙草入れ」で、社長は一時間悩んで迷っていました。クラリックは、一目見て売れないと即答します。社長は他の従業員を呼んで感想を聞くと、立場を考えて悪くは言いません。社長は再びクラリックに感想を聞きますが、彼の答えは変わりません。

店員の募集は無いとクララに伝えるクラリック(左)
社長に職を求めるクララ(右)

 そんな時に女性客は入店し、ハンド・バックを見ていたのでクラリックが対応します。その女性と話をしていると、彼女は客では無く職探しの為に来店した事が分かります。今は従業員数は足りているので、雇う事は無いと伝えますが彼女は引き下がりません。今度は、社長に会いたいと言います。そのやり取りを遠くから見ていた社長は、彼女が客だと思い対応します。しかし、この女性が求職中だと知ると事務所に逃げ込みます。彼女はクラリックに住所を伝え、募集があったら連絡をくれる様に頼みます。

クララに煙草入れの感想を聞く社長(左)
キャンディー入れだと言って売るクララ(右)

 クラリックは社長に呼ばれて事務所に入ります。二人が話している時にヴァダスが入って来て、煙草入れが売れそうだと言ってきます。二人で店内に戻ると、先程の女性が煙草入れを手に取って見ていました。そこで社長は、彼女に煙草入れの感想を聞きます。彼女は口から出任せで適当な事を言いながら褒めて小売り価格を聞きます。彼女が“お買い得ですね”と大声を出したら、店内にいた女性客が興味を示したので、彼女は煙草入れをその女性に見せます。煙草入れを手に取った女性は、“キャンデー入れね”と言います。彼女は、個性的なキャンデー入れです云い、蓋を開けて“黒い瞳”のメロディが流れますと説明します。キャンデーを取り出す度にメロディが流れるのは最悪だと言って女性客は拒否します。そこで彼女はキャンデーを食べ過ぎないように、注意を促す為にメロディが流れるように作られていると言います。女性客はそれで納得して購入しますが、彼女は社長から聞いた価格よりも高い価格で売ります。この実績でクララ・ノヴァックは店員になりますが、ここからクラリックとの仲は悪くなります。

開店前から言い争いをするクララとクラリック(左)
最近社長の態度が変だと言うクラリック(右)

 それから半年後、店のショー・ウィンドーには売れ残った煙草入れが、仕入れ価格で並べられています。店の前でクラリックは、ピロビッチに文通相手と今晩会う事になった事を伝えます。そこにクララが現れて、本を読み始めます。クラリックは彼女の服装の事で社長に言われた事を伝えますが、ここから言い争いが始ります。この6か月間、二人は何かにつけ言い争いを続けています。そこにヴァダスがタクシー出勤し、大金を見せびらかしながらタクシー代を払います。社長が出勤してきてショー・ウィンドーを見るなり、今日は残業して全員で飾り付けをするように言います。今日は文通相手と初デートなので、クラリックは社長に早退したい事を伝えに行きます。しかし、社長は忙しいと言って取り合わないので、最近の社長の態度が変だと言いますが冷たくあしらわれます。

クラリックに解雇を伝える社長(左)  皆に別れを告げるクラリック(右)

 倉庫でクラリックとクララが店に出す商品を揃えている時、クララが急に優しい態度で話しかけてきます。仲良くなれそうになった時、早退したいから社長に頼んで欲しいと言い出します。それを聞いたクラリックは彼女が媚びを売ってきた事に怒り出し、再び二人の仲は険悪になります。それでクララは、直接社長に早退を申し出ます。社長はクラリックに彼女を帰しても飾り付けが出来るか聞きます。するとクラリックも大事な用があるので、自分も早退したいと言います。それを聞いた社長は激怒し、全員残業させられます。飾り付けが進む中、社長はクラリックを事務所に呼び彼を解雇します。9年間完璧に近い仕事をしてきたクラリックには、納得出来ない解雇ですが受け入れるしかありません。事務所から出て来たクラリックが解雇されたと言うと、従業員全員も彼同様に納得出来ずにいますがどうしようもありません。クラリックは皆に別れを告げて店を出て行きます。事務所にいる社長に探偵から電話があり、従業員全員を帰します。クララは走って更衣室に行き、急いで着替えして待ち合わせの場所に向かいます。普段、絶対社長に意見を言わないピロビッチが、社長に解雇を思い直すように言いますが拒否されます。

店の外から文通の相手を探すピロビッチ(左)
店内でも言い合いが始まる二人(右)

 クラリックの事を心配してピロビッチは、クラリックに同行して彼の待ち合わせ場所に行きます。クラリックは失業したから彼女に会えないが、どんな女性か見て欲しいとピロビッチに頼みます。ピロビッチが外から店内を見てみると、目印の赤いバラを本に挟んだ女性はクララだと言います。驚いた二人は一旦帰りますが、クラリックは再び戻って来て入店します。惚けながら彼女と会話をしますが、いつもの言い合いが始まります。彼女が待っている男性は自分だと言えず、クラリックは店を出ます。

探偵から調査報告を聞く社長

 店で待つ社長の許に探偵が訪れ、奥さんの浮気の調査結果を報告します。社長は奥さんの浮気相手はクラリックだと思っていましたが、実際の浮気相手はヴァダスでした。社長は自分の間違いに愕然とします。探偵を帰して社長は事務所に入ります。その時ペピが店に帰って来て社長を探します。事務所を覗くと社長はピストル自殺をする処でしたが、間一髪自殺を止めます。

社長は勘違いで解雇した事をクラリックに話す(左)
命の恩人のぺピは店員に昇格します(右)

 翌日ペピの連絡で病院に駆け付けたクラリックは、病室で社長に会います。社長は奥さんの浮気の相手がクラリックだと思い込んで解雇したと言い、復職して主任になって欲しいと頼みます。そしてヴァダスを穏便に解雇するように頼みます。店に帰るクラリックと入れ替わりにペピが入って来ます。ここで社長とペピの面白いやり取りがあって、ペピは使い走りから店員に昇格します。 次回に続きます、最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『桃色の店』 作品データ

1940年製作 アメリカ 99分
原題:The Shop Around the Corner

監督:エルンスト・ルビッチ

製作:エルンスト・ルビッチ

脚本:サムソン・ラファエルソン

原作戯曲:ニコラス・ラズロ

撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:マーガレット・サラヴァン、ジェームズ・スチュアート

   フランク・モーガン、ジョゼフ・シルドクラウト

   フェリックス・ブレザート、サラ・ヘイドン

   ウィリアム・トレーシー、イネズ・コートニー

   サラ・エドワーズ、エドウィン・マクスウェル

   チャ-ルズ・ハルトン、チャールズ・スミス

Vol.36 『桃色(ピンク)の店』

 今回もスクリュー・ボール・コメディです。原題は“The Shop Around the Corner”ですが、なんと酷い邦題でしょうか。ご存じの方も多いと思いますが、この映画をリメイクしたのが『ユー・ガット・メール』です。監督はエルンスト・ルビッチ、主演はマーガレット・サラヴァンとジェームズ・スチュアートです。

【スタッフとキャストの紹介】

エルンスト・ルビッチ

  エルンスト・ルビッチ(1892年1月28日~1947年1月30日)は、ドイツ・ベルリン生まれの映画監督・映画プロデューサーで、ビリー・ワイルダーの師匠です。1908年の16歳の時に高校を中退し、人気喜劇俳優ヴィクトル・アルノルトに弟子入りします。喜劇俳優をやりながら小道具係や照明の助手をし、1911年にマックス・ラインハルト劇団に入団し、翌年から映画に出演するようになります。1913年、主演作『アルプス高原のマイヤー』でコメディアンとして愉快なユダヤ人のマイヤーを演じ、好評を博して短編シリーズものに多く出演しました。1914年に自身主演の短編喜劇『シャボン玉嬢』で監督デビューし、1916年にオッシー・オスヴェルタを見出して複数の短編映画を撮ります。オスヴァルダは「ドイツのメアリー・ピックフォード」と称され、人気者となりました。1918年から長編映画『呪の目』を発表し、続けて発表した『カルメン』がヨーロッパで大ヒットし名声を得ます。1919年『マダム・デバリュー』を監督して大成功を収め、1922年にメアリー・ピッツフォードに招聘されてアメリカに渡ります。

 1923年にピックフォードの主演映画『ロジタ』を監督し、1924年『結婚哲学』。1925年『当世女大学』の監督をします。この頃から、人物の位置や視線などの映像表現によって人物の感情を描く、独自の「ルビッチ・タッチ」を確立していったと云われています。1928年パラマウント社に移籍し、1929年にトーキー映画第一作の『ラブ・パレード』、1931年『陽気な中尉さん』、1932年『極楽特急』、1933年の『生活の設計』等を監督します。1934年から製作もするようになり、1935年にマレーネ・ディートリヒ主演の『真珠の頚飾(真珠の首飾り)』を製作しました。1935年1月28日、ナチス・ドイツによってルビッチのドイツ市民権が剥奪されました。ルビッチはドイツに残っていた姉達とその家族、亡き兄の遺児をアメリカに呼び寄せました。ルビッチは1936年1月24日、アメリカの市民権を獲得しました。1937年にフランス政府からレジオンドヌール勲章を授与されました

 1937年『天使』、1938年『青髭八人目の妻』を監督し、『桃色(ピンク)の店』の制作・監督をする事になりましたが、マーガレト・サリヴァンの強い要望に応えて、ジェームズ・スチュアートのスケジュールが空く迄待ちます。その間の1939年にMGMでグレタ・ガルボ主演の『ニノチカ』を製作・監督しました。1941年に独立して『淑女超特急』を製作・監督し、1942年にナチス占領下のポーランドから脱出する芸人の姿を描いた『生きるべきか死ぬべきか』を監督しました。1944年頃より心臓疾患を抱えていた為監督を休業し、1946年に『小間使』で復帰します。1947年11月30日、ベティ・グレイブル主演のミュージカル映画『あのアーミン毛皮の貴婦人』の準備中に、自宅で心臓発作で倒れて死亡しました。55歳でした。ビリー・ワイルダーと西ベルリン映画ジャーナリストクラブによって、1958年にエルンスト・ルビッチ賞が創設されました。毎年ルビッチの誕生日に授賞式が行われています。

クララ・ノヴィック役
マーガレット・サラヴァン(31歳)

 マーガレット・サラヴァン(1909年5月16日~1960年1月1日)は、ヴァージニア州ノーフォーク生まれのアメリカ合州国の女優です。裕福な家庭に育った彼女は、高校の卒業式で学生代表として演説を行うなど学業優秀でしたが、両親の反対を押し切って女優を目指します。1931年にブロードウェイにデビューし、1933年「晩餐八時」に代役で出演していた時に、映画監督のジョン・M・スタールにスカウトされて1933年『昨日』で映画デビューしました。1934年『第三階級』、1935年『お人好しの仙女』『薔薇は何故紅い』、1936年『月は我が家』1941年『裏街』・『新婚第一歩』に出演しています。彼女は舞台活動を重視していた為に映画出演は少ないですが、演技力は高く評価されていました。1938年『三人の仲間』で、ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞を受賞し、アカデミー主演女優賞でノミネートされています。

 ジェームズ・スチュアートとは、1936年『結婚設計図』、1938年『店曝らしの天使』、1940年『桃色(ピンク)の店』『死の嵐』の4本で共演しています。1943年『Cry‟Havoc”』に出演し、1950年の『No Sad Songs for Me』が最後の映画出演となりました。1950年代以降は、難聴と神経衰弱の症状に苦しんでいました。難聴は先天性のもので、周囲の人たちには隠していました。サラヴァンは子供達と過ごす時間を増やす為に映画出演を辞めましたが、長男と次女との関係が上手くいかず、彼女の精神状態を悪化させる一因でした。1960年1月1日にコネチカット州ニューヘイブンのホテルの部屋で、意識不明の状態で発見され病院で死亡が確認されました。検死報告では、薬物の摂取量を誤った事による事故死となっています。51歳でした。

アルフレッド・クラリック役役
ジェームズ・スチュアート(32歳)

 アルフレッド・クラリック役はジェームズ・スチュアートで、彼の略歴は『モーガン先生のロマンス』をご覧ください。

社長のヒューゴ・マトチェック役
フランク・モーガン(50歳)

 フランク・モーガン(1890年6月1日~1949年9月18日)は、ニューヨーク州ニューヨーク市に生まれのアメリカ合州国の俳優です。モーガンは、コーネル大学卒業後にブロードウェイでデビューし、1914年に『The Suspect』で映画デビューしています。1910年代から1920年代は様々なサイレント映画に出演して、俳優として順調に活躍しました。その後1930年代から1940年代にかけて35年間、主にMGM映画に数多く出演していました1930年『喧嘩商会』、1935年『お人好しの仙女』、1936年『巨星ジーグフェルド』『テムプルのえくぼ』、1937年『ロザリイ』・『サラトガ』等に出演しました。

 1939年『オズの魔法使い』では、マーベル教授、エメラルド・シティの門番、御者、警備員、オズ大魔王の幻影、魔法使いの6役を演じています。1940年『死の嵐』『桃色(ピンク)の店』、1941年『無法街』、1942年『町の人気者』、1944年『クーパーの花婿物語』、1945年『ヨランダと泥棒』、1946年『名犬ラッシー/ラッシーの勇気』、1948年『三銃士』、1949年『甦る熱球』等に出演しています。1940年代にはラジオ番組にも出演したり、1949年には子供向けのレコードを吹き込んでいます。モーガンは、1949年12月12日に心臓発作の為に59歳で急死しました

ヴァダス役
ジョゼフ・シルドクラウト(44歳)

 ジョゼフ・シルドクラウト(1896年3月22日~1964年1月21日)は、オーストリアのウィーン生まれの俳優です。父親は舞台俳優・映画俳優のシルルフ・シルドクラウトです。4歳の時に家族でドイツのハンブルグに移り、そこでピアノやヴァイオリンを習います。その後家族でベルリンに移って、6歳で初舞台を踏んで、1911年にベルリンの王立音楽アカデミーを卒業しました。1912年に家族と共にアメリカに渡りニューヨークで舞台デビューしますが、第一次世界大戦中に一度ヨーロッパに戻り、1920年に再度アメリカに移住して舞台に立ちます。1921年アメリカでの初舞台上演、「リリオム」(映画『回転木馬』の原作)で主役を演じました・その後、サイレント映画に出演したり。時々舞台の仕事もしていました。

 1921年『嵐の孤児』、1927年『キング・オブ・キングス』では親子で共演し、1929年『ショー・ボート』、1934年『奇傑パンチョ』『クレオパトラ』、1936年『砂漠の花園』、1937年『三銃士』等に出演し、『ゾラの生涯』ではアカデミー助演男優賞を受賞しました。1938年『マリー・アントアネットの生涯』、1940年『桃色(ピンク)の店』、1945年『炎の街』、1949年『拳銃の嵐』、1959年『アンネの日記』、1961年『でっかい札束』、1965年『偉大な生涯の物語』等に出演しました。1950年代からはテレビ映画に出演し、「トワイライト・ゾーン」では2エピソードに出演していました。シルドクラウトは、1964年1月21日に心臓発作でニューヨーク市の自宅で亡くなりました。68歳でした。彼の父親も68歳の時に心臓発作で亡くなっています。

ピロビッチ役
フェリックス・ブレザート(45歳)

 フェリックス・ブレザート(1895年3月2日~1949年3月17日)は、ドイツの東プロイセンのエイトクーネン(現在のロシアのネフテロフスキー地区)生まれの舞台・映画俳優です。本作では、クラリックの良き相談相手となり、何かと彼を支える役を好演しています。社長が従業員に意見を求めている時は、直ぐに雲隠れしてしまう惚けた役をこなしています。

 ブレザートは、1914年「十二夜」で舞台デビューし、オーストリア、デンマーク、イギリス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ユーゴスラビアで演技を続けました。1928年から1935年までは40本のドイツ映画に出演しました。1930年『給油所の三人』に出演してからは、主役を演じるようになりました。1933年にナチスが台頭してきた頃、ユダヤ人のブレザートは、ドイツを離れてオーストリアでドイツ語の映画に出演していました。1938年にアメリカに移住し、1939年『ニノチカ』・『懐かしのスワニー』、1940年『同志X』・『人間エヂソン』・『桃色(ピンク)の店』、1941年『塵に咲く花』『美人劇場』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、1944年『第七の十字架』、1946年『永遠に君を愛す』、1948年『ジョニーの肖像』『ヒット・パレード』等に出演しました。ブレザートは、1949年3月17日に白血病の為に57歳で急逝しました。

ペピ・カトナ役
ウィリアム・トレーシー(23歳)

 ウィリアム・トレーシー(1917年12月1日 – 1967年7月18日)は、ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれたアメリカ合州国の俳優です。本作では非常に機転が利く使い走りのペピ役で彼が登場すると、その場面は彼の独り舞台のようになる存在感ある俳優です。

 トレーシーは、1938年『汚れた顔の天使』、1940年『ストライク・アップ・ザ・バンド』に出演し、『桃色(ピンク)の店』のぺピ役で有名になり、1941年『タバコ・ロード』『スミス夫妻』に出演しました。トレーシーはジョー・ソーヤーとコンビで、B級コメディ映画のシリーズ8本に出演しました。1941年『タンクス・ミリオン』のドリアン・”ドードー”・ダブルデイ軍曹役で、B級コメディ映画のシリーズ8本に出演しました。1942年『トリポリ魂 海兵隊よ永遠なれ』、1952年の『ミスター・ウォーキー・トーキー』が最後の映画となりました。1950年代は主にテレビに出演し、ラジオ番組にも出演していました。トレーシーはカリフォルニア州ハリウッドで、49歳の若さで亡くなりました。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.35 『モーガン先生のロマンス』の続きの続き

 パーティーの翌日、キースは学長にフランシーの事を告げようとしますが、真面に相手にされないので彼女は新入生だと言います。キースはフランシーをピーターの教室に連れて行き、植物学の講義を受ける様に言い教室に入れます。(セクシーで可愛いフランシーが教室に入って来たので、男子学生の冷やかしが面白い。)

講義中のピーターの教室を訪れた
フランシー

 ピーターはフランシーにアパートを借りるよう言い、彼女はキースの家から出てアパートに引っ越します。彼女が借りた部屋のベッドは、足側を持ち上げて壁に収納するベッドです。メイドさんがベッド・メイキングして収納してドアを開けて部屋を出る時、風が吹いて部屋の奥のドアがバタンと閉まった時にベッドが倒れてきました、するとメイドさんは“ウォルター”と叫んで、ベッドを収納しました。フランシーは、“ウォルター”って何の事かメイドさんに聞くと、彼女の旦那さんの名前が“ウォルター”で、事ある毎に倒れるので何かが倒れると叫んでしまうと言います。(この“ウォルター”と云う台詞は、度々登場します。)

ベッドを収納する
フランシーとメイドさん

 フランシーが借りたアパートをピーターが訪ねると、そのアパートは女性専用だったので管理人に入室を断られます。仕方なくピーターとフランシーは、二人っきりなる為にボート置き場に行きます。ボート置き場で床に置かれたボートに入って話始めると、静かにするように後ろから声が掛かります。驚いたピーターが立ち上がった時に、壁に掛かった船外機のスイッチを入れた為、ボート置き場は大騒動になります。

ピーターの入室を拒否する管理人(左) ボート置き場での大騒動(右)

 そこから逃げ出してから、ピーターは父親に結婚した事と告げる為大学に行きます。学長室でスピーチの準備をしている父親に話を切り出そうしますが、父親は相手にしないでドアを開けて講堂に入ろうとします。ピーターは、背中越しに大声でフランシーと結婚した事を伝えます。講堂に入った父親は、スピーチを止めて学長室の戻ってきます。それを見た母親は、学長室に向かいます。学長室でピーターと父親が、怒鳴るような言い合いをしています。その様子を見た母親は、心臓の具合が悪くなり椅子に座り込んでしまいます。

父親と言い争うピーター

 ピーターはその場を離れ、フランシーをアパートまで送ります。車を降りたフランシーが“さよなら“と言うので、アパートのエレベーターまで追いかけて行くと、管理人に止められて小さなコントがあります。ピーターはフランシーの部屋に窓から入り、帰らないように説得します。(この場面では、フランシーの揺れ動く心情をジンジャー・ロジャースが好演しています。)

フランシーを説得中のピーター

 フランシーは留まる事になり、ピーターは窓から外に出ます。最後の梯子にぶら下がっている時に、それを見ていたヘレンに声を掛けられます。フランシーに宿題を教えていたと言い訳をして、ピーターはその場を去ります。ベッドで安静にしている母親にヘレンは、ピーターがフランシーの部屋から出て来た事を伝えます。母親は直ぐにベッドから出て、フランシーに会いに行きます。フランシーの部屋で、“あなたとピーターの事は承知よ”と云ったので、フランシーは二人の結婚の事を承知したのだと思います。フランシーは結婚した事を伝えるのに悩みましたと言うと、母親は初耳だと言って椅子に座ります。

フランシーの部屋を訪れた母親(左)  心臓病の真相を話す母親(右)

 椅子に座った母親は笑顔になり、二人の結婚をとても喜んでいる表情します。(ボーラ・ボンディの演技が、素晴らしいです。観ていて、こちらも笑顔になります。)母親はフランシーから煙草を貰い飲もうとすると、フランシーは心臓に悪いからと言って必死で煙草を取り上げます。すると母親は、私の病気は都合良く出てくる病苦だと言います。面倒な事が起こりそうになると、病気になってそれを終わらせてきた、それで良い結婚生活を過ごす事が出来た事をフランシーに言います。

キースと踊るフランシー(左)      陽気に踊る三人(右)

 そこにキースが、フランシーを大学に連れて行く為に登場します。ここからが最大の見せ場、キースとフランシーと母親のダンスが始まります。

三人の踊りに驚く父親(左)    それとも知らずに踊る三人(右)
フランシーに離婚するように告げる父親(左)
父親に反論するフランシー(右)

 三人が踊っている最中、父親が部屋に入って来ます。ここでフランシーと父親の対決です。父親はフランシーの話を真面に聞かず“離婚しろ”の一点張りです。最後にはピーターをクビにするとまで言うので、フランシーは折れて出て行くと伝えます。母親は夫の態度に嫌気がさし、30年我慢してきた事を言い母親も出て行く事にします。

父親の態度に憤慨する母親(左)   家から出る事を告げる母親(右)

 授業中のピーターの教室にキースが入って来て、フランシーが出て行った事を伝えます。ピーターは代講を助手に頼み、用具室でフランシーに電話をし、列車が出るまでに父親を説得すると言います。ピーターとキースは、容疑室のある薬品で酒を造ります。ピーターは、たらふく飲んで教室に戻り講義を始めますが、奇声を上げるので父親は授業を終わらせます。その後父親と話をしますが、列車の発車時刻5分前なので駅に向かおうとしますが、その場にぶっ倒れてしまいます。

器具室で酒を作るピーターとキース(左)
父親にフランシーへの思いを伝えるピーター(右)

 駅で待つフランシーはピーターが来ないので、泣く泣く列車に乗ります。列車の中でもフランシーは泣き崩れていますが、そこにポーターが気を利かせてサンドイッチを持って来ます。(このポーターを演じているのが、ウィリー・ベストです。)笑顔で自慢げにハム・サンドをテーブルに置きます。フランシーは泣きながら、お礼を言って食べようとしますが、涙が止まらず食べられません。笑顔だったポーターは、泣きそうになりながら部屋を出ます。今度は隣の部屋の母親に笑顔でハム・サンドを持って行きますが、母親も涙が止まらず食べる事が出来ません。可愛そうにポーターは、今度も半ベソ状態で部屋を出ます。

フランシーと母親にハム・サンドを届けるポーター

 ポーターは恐る恐るフランシーの部屋にマスタードを届けますが、持ち帰るように言われ部屋を出る時、煙草を注文されます。営業時間が過ぎているので、誰かから調達しますと言って部屋を出ます。他凹を1本手に入れた時に、母親にも煙草を頼まれます。ポーターは母親の方が落ち込んでいるので最後の1本を差し出すと、母親はその煙草を半分にします。半分になった煙草をフランシーに渡すと、”お母さんだ”と言って隣の部屋の母親と再会します。喜んで笑顔になった二人は、ハム・サンドを食べ始めたのでポーターはマスタードを持って来ます。彼が部屋に入ると、又二人とも泣き崩れています。それを見たポーターも泣き出しそうになりますが、この表情をカメラはアップで撮ります。(この顔の演技が、アメリカ人には受けたんでしょうね。)

半分になった煙草を持って来たポーター(左)
再会を喜ぶフランシーと母親(右)

 突然、列車は汽笛と共に急停車します。線路に止まっていた車と衝突した為ですが、間もなく列車は出発します。最後尾の車両から乗り込んだピーターと父親が現れ、父親は母親に帰るように言いますが拒否されます。そこで父親は心臓が痛むと言って仮病を使って部屋に入ります。ピーターはフランシーの部屋に行き、キスしようとした時に上に収納されたベッドが下りてきて、フランシーが思わず“ウォルター”と叫びます。ピーターがドアを閉めるとエンド・マークが出て、よく耳にする音が流れて終わります。洒落っ気タップリ、最後の最後まで楽しませてくれます。

再会を喜ぶフランシーとピーター(左)
上段のベッドが下りて来て”ウォルター”と叫ぶフランシー(右)

 ジョージ・スティーヴンス監督は、列車の個室のセットを2室同時に見られるように作っています。フランシーと母親が夫々いる個室を、ポーターが行ったり来たりして笑顔になったり泣きそうになったりと、ポーター役のウィリー・ベストが存分に演技出来るようにしていると思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『モーガン先生のロマンス』 作品データ

アメリカ 1938年 モノクロ 90分 劇場未公開

原題:Vivacious Lady

監督:ジョージ・スティーヴンス

製作:ジョージ・スティーヴンス

脚本:P・J・ウルフソン・アーネスト・パガノ

撮影:ロバート・デ・グラス

音楽:ロイ・ウェッブ

出演者:ジンジャー・ロジャース、ジェームズ・スチュワート

    ジェームズ・エリソン・ビューラ・ボンディ

    チャールズ・コバーン・フランセス・マーサー

    グラディ・サットン・ジャック・カーソン

    フランクリン・パングボーン、ウィリー・ベスト

Vol.34 『モーガン先生のロマンス』の続き

 脚本が素晴らしいこの映画は、ジョージ・スティーヴンスの冴えた演出で展開されます。小さなコントが連続して登場する感じで、最後まで一気に楽しく鑑賞出来ると思います。映画が始まると六角形のショー・ケースに入った女性用の帽子が映し出され、そのショー・ケースのガラス面にクレジットが表示されます。1930年代も男女共に帽子を被っていまして、特に女性のお洒落には欠かせない必須アイテムでした。

フランシーに一目惚れしてメロメロのピーター(左)
歌うフランシーはセクシーで可愛い(右)

 ニューヨークのナイト・クラブから物語が始まります。真面目な大学教授のピーターは、ナイト・クラブで飲んでいる従弟のキースに、一緒に列車で帰るように伝えます、キースは結婚したい女性がいるので、彼女を口説き落とすまで帰らないと言います。ピーターは彼の言う事には耳を貸さず、学長の父親にピーターを見付けた事を伝える為に電話を掛けに行きます。受付にある電話で長距離電話を掛けますが、大声で話すので受付の女の子から突っ込みが入ります。この会話が軽妙で面白いです。ステージではフランシーが、“You‛ll be Reminded of Me”を歌っています。(ジンジャー・ロジャースの歌が素敵です。)キースのテーブル席に向かうピーターは、フランシーを一目見て恋してしまいます。彼女を見ながら歩くので、途中クーラーポットを倒してしまいます。取り合えず空いているテーブル席に着き、彼女の歌に聞き惚れます。フランシーは歌の邪魔をするピーターの傍まで来て、椅子に座って歌うので彼はもうメロメロです。

オープンの二階建てバスの二人(左)公園でトウモロコシを食べる二人(右)

 キースはピーターがテーブル席に戻る前にトイレに隠れて、ピーターが一人で帰るのを待ちます。ピーターはキースがテーブル席にいないので、椅子に座って待っているとフランシスがやって来て隣の席に座ります。キースが結婚したがっている女性が彼女だとピーターは気が付きますが、話をしている内に二人で食事に出掛ける事になり店を出ます。人込みで混雑する中、大声を出しながら嚙み合わない会話が始まります。ここから夜明けまで語り明かす状況は、残念ながら文章で上手くお伝えする事は出来ません。何とも可笑しいピーターの振る舞いとフランシーの素敵な表情、そして二人の軽妙な会話は観ていて楽しいです。

一向にキスしないピーターに素早くキスするフランシー

 明け方彼女のアパートの玄関前で、ピーターは話をしながらキスをするチャンスを窺いますが、女性に疎い彼は何も出来ません。しかし、フランシーがピーターに軽くキスをして玄関に走って行きます。ピーターはフランシスを追いかけて玄関口でキスをします。(この場面の二人の演技は、素晴らしいです。)別れた直後、ピーターは街角の薬局からフランシーに電話をしてデートを再開します。

 画面は列車の中に変わりピーターは、酔っ払っているキースにフランシーと結婚した事を伝えます。キースは激怒しますが、事既に遅しです。ピーターとフランシーは二人っきりになろうとしますが、アクシデントがあり結局展望車で過ごします。列車がオールド・シャロンに着くと、駅には学長の父親とヘレンが待っていました。ヘレンは父親が勝手決めたピーターの婚約者です。

父親が決めた婚約者のヘレンと父親

 ピーターが未だ父親に結婚の話をしていないで、フランシーはキースの家に行く事にします。キースと一緒にいるフランシーを見た父親は、悪印象を持ちます。ピーターは父親にフランシーの話をしようとしますが、父親は聞く耳持たずで一切聞こうとしません。(スクリューボール・コメディでは相手の台詞が終わらないうちに話始め、二人の言い合いがよくあります。)家に帰ってからもフランシーの事を話そうとすると、又父親と言い合いが始まります。二人が怒鳴り合っている処に母親が登場しますが、怒鳴り合いが続くので母親は心臓の具合が悪くなってしまいます。

スタンド式の灰皿を持った時にモーガン夫妻が現れる(左)
化粧室で意気投合するフランシーと母親】(右)

 ピーターはフランシーに電話をして大学のパーティーに来るように伝えます。フランシーを新入生としてパーティーに参加しますが、ヘレンの態度に激怒して思わずスタンド式の灰皿を振り上げた時、モーガン夫妻が現れ醜態を晒してしまいます。落ち着きを取り戻す為にフランシーは女性用ラウンジに行き、咥え煙草で靴下を直している時に母親が入ってきます。喫煙者の母親は、フランシーに煙草を一本貰えないか声を掛けてきます、フランシーは喜んで最後の一本を差し出します。一寸躊躇した母親は、その煙草を半分に分けてフランシーに渡します。二人で煙草を吸いながら和やかな会話をして意気投合します。

フランシーとヘレンの口喧嘩(左) 二人の平手打ちが始まる(右)

 会場ではヘレンがピーターにべったりくっ付いてダンスをしています。キースの機転でフランシーはピーターとダンスをし、踊りながら庭に出ます。ピーターはフランシーを庭のベンチで待たせて、両親を呼びに行きます。入れ替わりにヘレンが来てフランシーに話しかけてきます。フランシーは立ち上がってヘレンと向き合います。ここから二人の言い合いが始まり、ヘレンがフランシーに行き成り平手打ちをします。負けじとフランシーも平手打ちのお返しを2回します。今度はヘレンがフランシーの足を蹴り二人の乱闘になります。

蹴とばされて反撃するフランシー(左)
女性の争いに唖然とするモーガン親子(右)

 この頃、ピーターは父親を庭に連れてきますが、フランシーがヘレンを投げる寸前でした。ヘレンがピンでフランシーのお尻を刺したので、ヘレンは投げ飛ばされます。モーガン親子が二人を止めに入りますが、フランシーはヘレンを殴ろうとして父親を殴ってしまいます。母親を連れて来たキースは、この惨事を母親に見せないように会場で踊り始めます。(この場面のスティーヴンス監督の演出は最高で、ジンジャー・ロジャースが滅茶苦茶面白いです。)

講義中のピーターの教室を訪れた
フランシー

 パーティーの翌日、キースは父親の学長にフランシーの事を告げようとしますが、真面に相手にされないので彼女は新入生だと言います。キースはフランシーをピーターの教室に連れて行き、植物学の講義を受ける様に言い教室に入れます。(セクシーで可愛いフランシーが教室に入って来たので、男子学生の冷やかしが面白い。)

ベッドを収納するフランシーと
メイドさん

 ピーターはフランシーにアパートを借りるよう言い、彼女はキースの家から出てアパートに引っ越します。彼女が借りた部屋のベッドは、足側を持ち上げて壁に収納するベッドです。メイドさんがベッド・メイキングして収納してドアを開けて部屋を出る時、風が吹いて部屋の奥のドアがバタンと閉まった時にベッドが倒れてきました、するとメイドさんは“ウォルター”と叫んで、ベッドを収納しました。フランシーは、“ウォルター”って何の事かメイドさんに聞くと、彼女の旦那さんの名前が“ウォルター”で、事ある毎に倒れるので何かが倒れると叫んでしまうと言います。(この“ウォルター”と云う台詞は、度々登場します。)

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『モーガン先生のロマンス』 作品データ

アメリカ 1938年 モノクロ 90分 劇場未公開

原題:Vivacious Lady

監督:ジョージ・スティーヴンス

製作:ジョージ・スティーヴンス

脚本:P・J・ウルフソン、アーネスト・パガノ

撮影:ロバート・デ・グラス

音楽:ロイ・ウェッブ

出演者:ジンジャー・ロジャース、ジェームズ・スチュアート

   ジェームズ・エリソン、ビューラ・ボンディ

   チャールズ・コバーン、フランセス・マーサー

   グラディ・サットン・ジャック・カーソン

   フランクリン・パングボーン、ウィリー・ベスト

Vol.33 『モーガン先生のロマンス』

“VIVACIOUS LADY” 【IMPORT】

 今回ご紹介するのはラブ・コメディ、それもスクリューボール・コメディです。監督はジョージ・スティーヴンス、主演はジンジャー・ロジャースとジェームズ・スチュアートです。スクリューボール・コメディのスクリューボールは、野球などの球技で使われる用語でスピン(回転)しているボールを云い、何処に飛んで行くか分からないボールの事です。これが転じて予想がつかないストーリーが展開して、周りを巻き込んで大騒ぎになるラブ・コメディです。スクリューボール・コメディの始まりは、ハワード・ホークス監督の『特急二十世紀』(1934年)やフランク・キャプラ監督の『或る夜の出来事』(1934年)から始まったと云われています。1930年代半ばから1940年代までに作られた映画で、一説にはアメリカが第二次世界大戦に参戦した1941年までと云う説もあります。出会う事が無い身分差のある男女の出会いから始まり、スピード感があるストーリー展開とテンポが良い軽妙な会話が特徴です。大恐慌後の1930年代には女性が社会に進出して働くようになり、自立した女性が男性と対等に意見を言う場面が度々登場します。

【スタッフとキャストの紹介】

ジョージ・スティーヴンス

 ジョージ・スティーヴンス(1904年12月8日~1975年3月8日)は、カリフォルニア州オークランド生まれのアメリカ合州国の映画監督・映画プロデューサー・脚本家・撮影監督です。1921年にカメラマン助手として映画入りし、1927年にハル・ローチの元でローレル&ハーディの短編映画の撮影をしました。1932年にユニバーサル社で助監督に昇格し、のちにRKOに移籍して1933年に『海上御難の巻』で監督デビューしました。1935年の『乙女よ嘆くな』が出世作となり、1936年『有頂天時代』、1937年『踊る騎士』と監督しました。1938年『モーガン先生のロマンス』と1941年『ガンガ・ディン』『愛のアルバム』では製作・監督をしています。 1942年『女性No.1』を監督して、1942年『希望の降る街』と1943年『陽気なルームメイト』では製作も兼ねています。

 第二次世界大戦中はアメリカ陸軍の映画斑に所属し、戦意高揚映画の製作をしていました。西部戦線では連合軍の進撃に随行し、ダッハウ強制収容所の解放直後から現場の記録撮影をして、ニュルンベルク裁判ではその撮影されたフィルムが証拠として上映されました。凄惨な戦争を実体験した事から、今までの娯楽作品中心から人間性を追求するような作品を発表するようになります。1948年『ママの想い出』、1951年『陽の当たる場所』、1953年『シェーン』、1959年『ジャイアンツ』『アンネの日記』を製作・監督しました。5年間かけて制作した1965年『偉大な障害の物語』では脚本を書き監督をしました。1970年『この愛にすべてを』を監督したのが、最後の仕事になりました。1975年カリフォルニア州ランカスターで心臓発作で亡くなりました。

 スティ-ヴンス監督は完璧主義者で、同じシーンをカメの位置を変えて5~6テイク撮ったり、編集時は自身も編集に参加して1年くらい掛けて編集します。ある時にはワン・シーンを撮るのに数ヶ月掛かる事があったと言われています。その為、会社側とは常に険悪な状態だったようです。発表する映画ごとに新しい試みをするので、私はそれを見付けるのが楽しみでした。

フランシー役
ジンジャー・ロジャース(27歳)

 主役のフランシーを演じるのはジンジャー・ロジャースです。彼女の情報は、Vol.12 『ジジャー・ロジャース』をご覧下さい。

ピーター・モーガン・ジュニア役
ジェームズ・スチュアート(30歳)

 ジェームズ・スチュアート(1908年5月20日~1997年7月2日)は、アメリカ合州国ペンシルバニア州インディアナ出身の俳優です。平均的な中流階級のアメリカ人の善良な役柄を多く演じた事により、“アメリカの良心”と呼ばれました。裕福な家庭生まれで、プリンストン大学で建築学と都市工学を学んで大学卒業後、学生演劇集団「ユニバーシティ・プレイハウス・グループ」に参加して俳優を志します。仲間とニューヨークで共同生活をしていましたが、大恐慌後の不況の為、仕事に就けない状態が続いていました、ヘンリー・フォンダの誘いでハリウッドへ行き、MGMと契約して1935年『舗道の殺人』に出演して映画デビューしました。1936年 『超スピード時代』で初主演し、『踊るアメリカ艦隊』『夕日特急』では悪役を演じています。フランク・キャプラ監督の眼に止まり、1938年の『我が家の楽園』と1939年の『スミス都へ行く』で主役を演じ、作品のヒットによりスターとなりします。1940年『桃色(ピンク)の店』、1941年『美人劇場』に出演し、1940年の『フィラデルフィア物語』でアカデミー主演男優賞を受賞しました。本作で共演したジャンジャー・ロジャースは、1940年の『恋愛手帳』でアカデミー主演女優賞を受賞しました。二人は友人同士で、ジェームズ・スチュアートが1942年に出征する時、ジャンジャー・ロジャースに彼の空軍パイロット記章を贈っています。

 第二次世界大戦中は、軍隊に志願して陸軍航空軍のB-24爆撃機のパイロットとして活躍しました。出撃回数は20回、飛行時間は1800時間で1945年3月に大佐に昇進しました。戦後は予備役として軍務にも就いていて、1959年7月に空軍准将に昇進し、1968年3月に空軍を退役した後少将に昇進しています。親友のゲイリー・クーパーが『ヨーク軍曹』でアカデミー賞を受賞した際には、軍服姿でプレゼンターとして授賞式に出席してクーパーにオスカーを手渡しています。

 1946年『素晴らしき哉,人生!』は、フランク・キャプラ監督との最後の映画になりました。1947年『魔法の町』、1948年『出獄』『気高き荒野』、アルフレッド・ヒチコック監督の実験映画と云える『ロープ』に出演しました。1949年に義足の大リーガー、モンティ・ストラットン投手の伝記映画『蘇る熱球』でジューン・アリソンと夫婦役を演じています。1950年『ウィンチェスター銃`73』から、アンソニー・マン監督の作品に多く出演しました。1952年『怒りの河』、1953年『裸の拍車』『雷鳴の湾』『グレン・ミラー物語』、1954年『遠い国』、1955年のスチュアートの企画による『戦略空軍命令』・『ララミーから来た男』と続きました。その他に1950年『折れた矢』『ハ~ヴェイ』はスチュアートがお気に入りの作品で舞台と映画の両方に出演しました。1954年にはヒチコック監督の『裏窓』、1956年の『知りすぎていた男』、1958年『めまい』に出演しました。

 1957年『翼よ!あれが巴里の灯だ』、1959年『連邦警察』、1961年『馬上の二人』、1962年『リバティ・バランスを射った男』『西部開拓史』、1965年『シェナンドー河』『飛べ!フェニックス』、1968年『ファイヤーフリークの決斗』・『バンドレロ』、1970年『テキサス魂』、1974年『ザッツ・エンターテインメント』、1976年『ラスト・シューティスト』、1978年『大いなる眠り』、1980年『アフリカ物語』等に出演しました。1984年に長年の映画界への功績を称え、アカデミー賞名誉賞を授与されました。

父親のピーター・モーガン・シニア役
チャールズ・コバーン(61歳)

 オールド・シャロンの大学の学長でピーターの父親を、チャールズ・コバーンが演じています。自分の意見を押し通し、相手の意見を聞かない頑固親父を好演しています。チャールズ・コバーン(1877年6月19日~1961年8月30日)は、ジョージア州メイコン生まれのアメリカ合州国の俳優・演劇プロデューサーです。ジョージア州サバンナで育ち、14歳で地元のサバンナ劇場で働き始めて10代後半で劇場の支配人になります。その後俳優になって、1901年にブロードウェイにデビューします。1905年に女優アイヴァー・ウィリスと劇団を立ち上げ、翌年彼女と結婚しました。劇団の運営に加えて二人は頻繁にブロードウェイで公演しました。1937年にアイヴァーが亡くなると、ロサンゼルスに移り、映画の仕事を始めました。1938年『気高き荒野』、1939年『科学者ベル』『ママは独身』『スタンレー探検記』、1940年『人間エヂソン』、1941年『レディ・イヴ』、1942年『嵐の青春』、1943年『天国は待ってくれる』と出演し、『陽気なルームメイト』でアカデミー賞の助演男優賞を受賞しています。1944年『ウィルソン』、1945年『ロイヤル・スキャンダル』『アメリカ交響楽』、1946年『育ちゆく年』、1947年『パラダイン夫人の恋』、1949年『狂った殺人計画』・1952年『僕の彼女はどこ?』『モンキー・ビジネス』、1953年『紳士は金髪がお好き』、1956年『八十日間世界一周』、1959年『大海戦史』等に出演しました。通常はコミカルな役を演じていましたが、シリアスな役も独特の風貌で存在感ある演技をしていました。彼は、本当に眼が悪いのでよく片眼鏡をして登場します。コバーンは1961年8月30日、ニューヨーク市で84歳で心臓発作で亡くなりました。

母親のマーサ・モーガン役
ボーラ・ボンディ(49歳)

 ビューラ・ボンディ(1889年5月3日~1981年1月11日)は、リノイ州のシカゴ生まれのアメリカ合州国の俳優です。1891年に一家はインディアナ州バルパライソに移住します。彼女は7歳で俳優として舞台に出演し、8歳でフランシス・シマー・アカデミーを卒業します。その後、バルパライソ大学に入学して1916年に演説の学士号を取得し、1917年に演説の修士号を取得しました。

 1925年からはブロードウェイの舞台に出演し、1929年の舞台劇「街の風景」の演技が高く評価されて、1931年に映画化された『街の風景』では舞台と同じ役を演じて42歳で映画デビューしました。主な出演映画は、1932年『雨』、1935年『お人好しの仙女』、1936年『丘の一本松』、1938年『モーガン先生のロマンス』『気高き荒野』、1939年『スミス都へ行く』、1941年『愛のアルバム』『丘の羊飼い』、1945年『南部の人』『バターンを奪回せよ』、1946年『素晴らしき哉、人生!』・『世界の母』、1948年『蛇の穴』、1949年『秘密指令(恐怖時代)』、1959年『避暑地の出来事』等です。1960年代にはテレビにも出演していて、1976年にテレビ・ドラマの「ウォルトンズ」の演技でエミー賞を受賞し、87歳で晩年まで演技を続けていました、

 デビューが遅かったのでお母さん役やお婆さん役が多いですが、素晴らしい演技で脇を固めてくれています。ジェームズ・スチュアートと共演した4作品で、母親を演じています。『モーガン先生のロマンス』、『気高き荒野』、『スミス都へ行く』、『素晴らしき哉、人生!』です。生涯独身を通し、役者人生を全うされた女優さんです。本作では、賢くて優しい母親を好演し、後半で面白い演技を見せてくれます。ボンダイは1981年1月11日、肋骨の骨折による肺合併症で91歳で亡くなりました。

従弟のキース・モーガン役ジェームズ・エリソン(28歳)

 ジェームズ・エリソン(1910年5月4日~1993年12月23日)は、アイオワ州グスリーで生まれたアメリカ合州国の俳優です。彼はモンタナ州ヴァリアーの牧場で育ち、カウ・ボーイのスキルを身につけました。その後、彼の家族はロサンゼルスに引っ越しました。演技に興味あったエリソンはパサデナ・プレイハウスの劇場芸術学校で演技を学びます、ビバリーヒルズ・シアターの公演に出演しました。1935年から1937年に8本の“ホパロング・キャシディ・シリーズ”で、相棒のジョニー・ネルソンを演じました。1936年にセシル・B・デビルに抜擢され、『平原児』に出演しました。その後、1938年『忘れられた恋人』・『モーガン先生のロマンス』・『娘の三角関係』、1940年『そよ風の町』、1941年『プレイ・ガール』、1942年『不死の怪物』、1943年『私はゾンビと歩いた!』、1946年『憂愁の園』、1950年『ジェロニモ』に出演しました。1950年代後半に映画界から引退し、不動産業で成功しました。エリソンは、1993年12月23日にカリフォルニア州モンテシートで、転倒して首の骨を折り83歳で亡くなりました。

アパートの管理人役
フランクリン・パングホーン(51歳)

 フランクリン・パングホーン(1989年1月23日~1958年7月20日)は、ニュージャージー州ニューアークで生まれたアメリカ合州国のコメディー・キャラクター俳優です。第一次世界大戦中、彼はヨーロッパの第312歩兵で14か月間従軍しました。彼が保険会社で働いていた17歳の時に、女優ミルドレッドホランドと出会いました。2週間の休暇中に舞台に出演し、彼女と共に4年間のツアーに参加した後、ジェシー・ボンステルの会社に入社しました。1930年代初頭は、マック・セネット、ハルローチ、ユニバーサル社、コロンビア社の映画で印象的な脇役を演じていました。又、ハロルド・ロイド、オルセンとジョンソン、リッツ・ブラザーズ等とも共演していました。

 1927年『指紋名探偵』、1933年『空中レビュー』『生活の設計』、1935年『八点鍾』、1937年『街は春風』、1938年『モーガン先生のロマンス』、1940年『七月のクリスマス』、1941年『サリヴァンの旅』、1942年『パームビーチ・ストーリー』、1944年『崇高な時』・『凱旋の英雄』、1948年『洋上のロマンス』等に出演し、テレビの「レッド・スケルトン・シュー」にも出演しています。『空中レビュー時代』ではエリック・ブロアと共演していました。本作では、ジェームズ・スチュアートとのやり取りで面白いシーンを作り上げています。

 パンボーンが演じるキャラクターは、小さい役でもコミカルで記憶に残る役が多く、基本的には同じキャラクターを演じています。エレガントで礼儀正しく、神経質で気難しく、嫌みな態度をとったりするが明るい性格のキャラクターです。彼がよく演じる役は、ホテルの悪意のある従業員、自尊心のあるミュージシャン、気難しいヘッド・ウェイター、熱狂的なバードウォッチャー、他のキャラクターの嫌悪感に苛立ち、又は慌てている役を演じていました。パンボーンの死後、LGBTは彼が映画で演じたキャラクターのいくつかは、ゲイのステレオタイプであると発表していました。

ポーター役
ウィリアム・ベスト(25差)

 ウィリアム・ベスト(1913年5月27日~1962年2月27日)は、ミシシッピ州サンフラワー出身のアメリカ合州国のテレビ・映画俳優です。1935年までは、スリープ&イート(Sleep ‘n’ Eat)とクレジットされています。ベストは、アフリカ系アメリカ人の映画俳優やコメディアンとして初めて有名になった俳優の一人です。彼はステレオタイプの単純なキャラクターを演じる事が多く、非難を受ける事もありました。彼が出演した映画124本の内、77本でスクリーン・クレジットされています。これはアフリカ系アメリカ人の俳優としては異例の偉業です。

 ベストは、休暇中のカップルの運転手としてハリウッドに着いた時、ハリウッドに移住する事にしました。南カリフォルニアの巡回ショーに参加し、ステージ・パフォーマンスを始めます。そのステージを観たタレント・スカウトは、ベストをハリウッド映画に性格俳優として雇いました。1930年『ロイドの足が一番』、1931年『悪魔が跳び出す』、1932年『モンスター・ウォーク』、1934年『ケンタッキー・カーネル』、1935年『新婚旅行の殺人』・『アリゾ二アン』、1938年『モーガン先生のロマンス』『テムプルの愛国者』、1940年『ゴースト・ブレーカーズ』、1941年『ハイ・シエラ』、1943年『キャビン・イン・ザ・スカイ』、1944年『勝利の園』、1946年『デンジャラス・マネー』等に出演しました。

 ベストが活躍していた1930年代から1950年代は、多くの黒人俳優と同様に家事労働者、運転手、ホテル・航空会社・列車のポーター、エレベーターのオペレーター、管理人、執事、係員、ウェイター、配達員等の演技は正当な評価は得られませんでした。しかし、ベストの自然でコミカルな反応とうまい方言の使い方で、多くの映画に出演してスクリーン・クレジットを与えられました。RKOの1941年『スキャッターグッド・ベインズ』は6本シリーズで製作されましたが、ピップ役で3本に出演しています。

 ベストは麻薬を使用していて、1942年にマリファナ所持で逮捕され、1951年にはヘロイン所持で逮捕され、250ドルの罰金と3年間の執行猶予が科せられました。これ以降映画の仕事は無くなりましたが、ハル・ローチがテレビの仕事でベストを使いました。1950年から1955年まではスチュアート・アーウィンの「The trouble with Father」、1953年から19566年まではCBSの「マイ・リトル・マージー」に出演しています。1954年にブレストン・フォスター主演のテレビ・シリーズ「波止場」やテレビ・シリーズの「ラケット部隊」に出演しました。ベストは1962年2月27日、カリフォルニア州ウッドランド・ヒルのモーチョン・ピクチャー・カントリー・ホームで、癌の為48歳で亡くなりました。次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。