リゾート地に向かうエクバートに同行したガイは、そこでミミを見付けて追いかけて行って話しかけます。ガイを拒否するミミに“Night and Day”を歌いながら自分の思いを伝え、二人のダンスが始まります。このダンスはミミの心情が変っていく様を見事に表しています。踊り終わった時のミミの顔が恋する乙女になっています。二人のダンスは華麗で、ジンジャーはとてもセクシーです。うっとりした表情のジャンジャーが素敵です。
マーク・サンドリッチ(1900年8月26日~1945年3月4日)はニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人で、映画監督、脚本家、プロデューサーです。コロンビア大学の学生だった頃、映画会社にいる友人を訪ねた時に、撮影準備の問題点に気づき監督にアドバイスをしました。その後、映画会社の撮影部に入り、1927年には短編コメディ専門の映画監督となります。翌年最初の長編映画を撮りましたが、トーキー映画登場後に短編映画に戻ります。1933年短編映画『だからこれはハリスです』(原題:So This is Harris!)で、アカデミー賞を受賞しました。その後、長編映画のコメディを撮るようになり、1934年には『コンチネンタル』を監督します。1935年『トップ・ハット』・『艦隊を追って』、1936年『有頂天時代』・『踊らん哉』、1938年『気儘時代』を撮りました。1940年にRKOからパラマウント映画に移籍し、監督とプロデューサーをするようになります。1942年『スイング・ホテル』、1943年『われら誇りもて歌う』、1945年『ブルー・スカイ』を監督しますが、テスト撮影中に突然心不全で亡くなりました。
エドワード・エヴェレット・ホートン (1886年3月18日~1970年9月29日)は、アメリカ合州国ニューヨーク生まれの性格俳優で、映画、演劇、ラジオ、テレビ、アニメの声優です。高校はブルックリンの男子校に通っていましたが、一家がメリーランド州ボルチモアに引っ越したので、ボルチモア・シティ・カレッジに進学し、1902年から1904年まで通いました。この後、ニューヨーク市に戻りブルックリン工科大学に1年間通いますが、芸術コースが廃止になった為コロンビア大学に移ります。ホートンは1906年に20歳で舞台にデビューします。舞台では歌や踊りをしたり小さい役を演じ、1909年には大学を辞めます。その後、ヴォードヴィルやブロードウェイの舞台にも出演します。1919年にロスアンゼルスに移り、ハリウッド・コミュニティ・シアターで映画の仕事を始めます。1922年のサイレント映画『TOO MUCH BUSINESS』で、初めて主役を演じます。1927年から1929年にはハロルド・ロイドの8本の映画に出演しました1929年からはエディケーション・ピクチャーズのトーキー映画のコメディやワーナー・ブラザーズの映画にも出演しました。ホートンが開発した独自の演技は、ダブル・テイクと言われるものです。相手が言った事を理解したように微笑み、事の重大さに気が付き表情が固まり、困り果てた表情に変わる演技です。1930年代には多くのコメディ映画や他の映画でもコミカルな脇役として出演していました。ほんの一部紹介しますと、1931年『犯罪都市』、1932年『極楽特急』、1933年『不思議の国のアリス』、1937年『失はれた地平線』、1938年『素晴らしき休日』、1941年『幽霊紐育を歩く』・『美人劇場』、1944年『毒薬と老嬢』、1961年『ポケット一杯の幸福』等です。1945年から1947年まではラジオの司会をしたり、1948年にはテレビ・ドラマに出演しています。1950年代は主にテレビに出演していました。1952年の「アイ・ラブ・ルーシー・ショー」やウォルター・ブレナンン主演の「マッコイじいさん」にも出演しています。1959年から1964年まではアメリカで有名なアニメ・シリーズのナレーターとしても活躍していました。
エリック・ブロア(1887年12月23日~1959年3月2日)は、ロンドン北部のフィンチリー出身のイギリスの俳優、脚本家です。学校卒業後に保険会社で働きますが、1909年ミュージカル・コメディ「ケイズから少女」で舞台に初出演します。イギリスで地方公演に出演し、1913年4月にロンドンのレスター・スクエアのエンパイア劇場で「All the Winners」に出演しました。ブロウは主にロンドンのウエストエンドで、レヴューやバラエティの脚本を書き出演していました。彼は1922年にミュージカル・コメディ「エンジェル・フェイス」に出演し、1923年8月ブロードウェイで初めて「リトル・ミス・ブルービアード」に出演しました。それからはブロードウェイの舞台に出演したり、ツァー公演を行いました。1933年ロンドンで舞台劇「陽気な離婚」に5か月間出演しました。その後、ハリウッドに渡り『コンチネンタル』に出演し、1955年までの間に60本以上の映画に出演しました。1935年『トップ・ハット』、1936年『有頂天時代』、1937年『踊らん哉』、1941年『サリヴァンの旅』・『アフリカ珍道中』、1950年『腰抜け千両役者』等で、彼が演じる優秀な執事、従者、厳格な紳士等が好評でした。ブロアは前作の『空中レビュー』では給仕長役で、本作ではウエイターを演じています。今回は音楽に合わせてダンスをするかのようにスッテプを踏みながら注文品を運んでいます。今回は出番も多く重要な役を演じています。