Vol.17 『コンチネンタル』の続き

 オープニングはパリの夜、数々のネオンサインが映し出されます。「Revue Intime」のネオンサインが表示され、店内に画面が変わります。そこで行われているショーは、大勢の女性が円形の回るステージで音楽に合わせて指人形のダンスをしています。(この指人形ダンスのフイルムは、1942年の『パリのジャンヌ・ダーク』で一部使われています。)ガイが素晴らしい指人形ダンスを披露します。この後、会計をしようとしますが、エグパートが財布を忘れたと支配人に言い、支払う代わりにガイがダンスをします。それで支払いをしないで済みますが、財布はエグパートの胸ポケットに入っていたというオチがつきます。

指人形ダンスをするダンサーたち

 アメリカで有名なダンサーのガイが友人のエグバートと税関に来ていて一人になった時に、スカートがトランクに挟まって困っている女性に出会います。トランクからスカートを引っ張って外そうとして失敗します。ガイは彼女にコートを貸して別れます。ガイは。その娘に一目ぼれして彼のアタックがここから始まりますが、彼女は全然相手にしてくれません。彼女を探して回っている時に、よそ見運転をして前に車に軽く接触します。前の車を運転しているのは、探している女性でした。彼女に声を掛けますが無視されて、彼女の車は全速力で走り出しました。そこからガイと彼女のカーチェイスが始まり、何とか彼女の車を停めて名前だけは聞き出します。彼女の名前は“ミミ”。

税関で出会ったガイとミミ(左)  耳に言い寄るガイ(右)

 ミミは夫からDVを受けていて離婚するために、叔母さんの知り合いである弁護士のエクバートに離婚手続きの依頼に行きます。エクバートの提案で偽の恋人を雇ってミミの浮気を偽装し、その現場を探偵に目撃させて夫から離婚させようと云う作戦で動き出します。ガイが普段から口癖にしている台詞を、エクバーが偽の恋人との合言葉にした為に物語は複雑な展開になります。

“Night and Day”を踊るガイとミミ

 リゾート地に向かうエクバートに同行したガイは、そこでミミを見付けて追いかけて行って話しかけます。ガイを拒否するミミに“Night and Day”を歌いながら自分の思いを伝え、二人のダンスが始まります。このダンスはミミの心情が変っていく様を見事に表しています。踊り終わった時のミミの顔が恋する乙女になっています。二人のダンスは華麗で、ジンジャーはとてもセクシーです。うっとりした表情のジャンジャーが素敵です。

踊り終わってガイに恋したミミ

 しかし、踊り終わった時にガイが口癖の台詞を言った為に、ミミは彼が雇われの恋人だと思い態度が一変します。ガイは夜中にホテルのミミの部屋に誘われ、不審に思いながら彼女の部屋に行きます。チグハグなやり取りの後、部屋のバルコニーで話しているうちにミミは勘違いだった事に気づきます。

”コンチネンタル”を歌うミミ

 仲直りした時に雇われ恋人のトネッティが現れ、二人は部屋に監禁状態になります。バルコニーの下のフロアーでは多くの人が踊っていて、ガイが流れている音楽の意味をミミに聞くとミミは曲に合わせて“コンチネンタル”を歌います。ガイは部屋から抜け出す為にトリックを仕掛けて部屋から抜け出し、フロアーで二人は踊ります。二人が部屋から抜け出した事に気付いていないトネッティは、バルコニーでアコーコデオンを弾きながら“コンチネンタル”を高らかに歌います。二人のダンスの後、大勢のダンサーによる様々なダンスが披露されます。(このダンス・シーンは約12分続きます。)

”コンチネンタル”の曲で踊るガイとミミ(左)
大勢のダンサーによるダンス・シーン(右)

 翌朝、ガイ、ミミ、トネッティの三人で朝食を取りますが、ミミの夫が地質学者だと云う話になります。その時、ウェイターが以前宿泊したブラウン教授から聞いた話をします。そこにエグバートが入って来て、探偵の代わりにシリル(ミミの夫)を連れて来たと云います。ガイは隣の部屋に隠れて、ミミとトネッティが恋人同士のようにしてシリルを待ちます。シリルが部屋に入ってきたので、ミミとトネッティは恋人同士のふりをします。シリルにトネッティが偽の恋人と見抜かれましたので、ミミはガイを呼びます。ミミは離婚したらガイと結婚すると言いますが、シリルは無視してミミを連れ帰ろうとします。そこにウェイターが現れて、シリルの顔を見てブラウン教授だと言います。その時フランス人の奥さんと一緒だったと話すと、シリルは自分の浮気がばれたので逃げ帰ります。

左からシリル、ミミ、ガイ、トネッティ(左)
シリルにブラウン教授の話をするウェイター(右)

“コンチネンタル”の曲で部屋の家具を使いながら踊るガイとミミ

 ラスト・シーンは、ガイとミミが再び“コンチネンタル”を、部屋にあるソファーや食卓や椅子を利用しながら踊ります。この映画の二人のダンスは本当に素晴らしく、とても共演2作目とは思えない息のピッタリ合ったダンスです。このような素晴らしい二人のダンス・シーンを見る為に、観客は次回作からも劇場に通い続ける事になる訳です。1934年の『コンチネンタル』は、フレッドとジンジャーのダンスが完成された作品です。未見の方は、是非ご覧頂きたいと思います。最後までお付き合い頂きまして、有難うございました。

『コンチネンタル』 作品データ

アメリカ 1934年 モノクロ 107分

原題:The Gay Divoicee

監督:マーク・サンドリッチ

製作:パンドロ・S・バーマン

脚本:ジョージ・メリオン・ジュニア、ドロシー・ヨースト

撮影:デイヴィッド・エーベル

音楽監督:マックス・スタイナー

音楽:コール・ポーター

   マック・ゴードン、ハリー・レヴェル

   コン・コンラッド、ハーブ・マジッドン

※主題歌の“コンチネンタル”は、この年創設されたアカデミー主題歌賞を受賞しています。

出演:フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース

   アリス・ブラディ、

   エドワード・エヴェレット・ホートン

   エリック・ローズ、エリック・ブロウ

   ウィリアム・オースティンリリアン・マイル

   アート・ジャレット、ベティ・グレイブル

「ミュージカル・パーフェクト・コレクションフレッド・アステア サード・ステージ
『コンチネンタル』,『艦隊を追って』,『カッスル夫妻』,『フレッド・アステアのすべて』等が
入っているお碌な9面セットです。
発行:コスミック出版 価格1,800円+税
非常にお得な9枚セットですので、お勧めです。

Vol.16 『コンチネンタル』

 RKOは『空中レビュー』で脇役だったフレッドとジンジャーのダンスが大好評だったので、直ちに二人を主役にした映画の準備を始めました。製作主任のパンドロ・S・パーマンは、フレッドが主演していた舞台劇「陽気な離婚(原題:ザ・ガイ・デイヴォース)」の権利を買い取りました。舞台劇では主役のガイは作家でしたが、映画版ではプロのダンサーに代わり、ジンジャーが演じるミミの役も膨らませて改善されました。

『コンチネンタル』
発売元:株式会社アイ・ヴィー・シー

【スタッフトとキャストの紹介】

 ガイ役のフレッド・アステアの情報は、名前をクリックして下さい。同様にミミ役のジンジャー・ロジャースの情報も、名前をクリックして下さい

フレッド・アステア(35歳)  ジンジャー・ロジャース(23歳)

 パンドロ・S・パーマン(1905年3月28日~1996年7月13日)は、アメリカ合州国ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれの映画プロデューサーです。パーマンは1920年代に助監督になり、1930年にRKOの映画編集者を経てアシスタント・プロデューサーになります。1931年『600万人の交響曲』で初めてプロデューサーとしてキャリアをスタートします。1939年までにフレッドとジンジャーのミュージカル映画を始め、『ノートルダムの鐘』や『ガンガ・デン』をプロデュースしました。1940年にMGMに移籍し、1941年『美人劇場』、1944年『緑園の天使』、1949年『賄賂』、1950年『花嫁の父』、1955年『暴力教室』、1960年『バターフィールド8』等の映画を製作しました、1950年代にリチャード・ソープ監督と組んで、1952年『アイヴァンホー』・『ゼンタの囚人』、1953年『円卓の騎士』・『すべての兄弟は勇敢だった』、1955年『クエンティン・ダワードの冒険』等の製作をしました。1963年までMGMで仕事をし、その後独立プロダクションに入って1970年でキャリを終えました。

 マーク・サンドリッチ(1900年8月26日~1945年3月4日)はニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人で、映画監督、脚本家、プロデューサーです。コロンビア大学の学生だった頃、映画会社にいる友人を訪ねた時に、撮影準備の問題点に気づき監督にアドバイスをしました。その後、映画会社の撮影部に入り、1927年には短編コメディ専門の映画監督となります。翌年最初の長編映画を撮りましたが、トーキー映画登場後に短編映画に戻ります。1933年短編映画『だからこれはハリスです』(原題:So This is Harris!)で、アカデミー賞を受賞しました。その後、長編映画のコメディを撮るようになり、1934年には『コンチネンタル』を監督します。1935年『トップ・ハット』・『艦隊を追って』、1936年『有頂天時代』・『踊らん哉』、1938年『気儘時代』を撮りました。1940年にRKOからパラマウント映画に移籍し、監督とプロデューサーをするようになります。1942年『スイング・ホテル』、1943年『われら誇りもて歌う』、1945年『ブルー・スカイ』を監督しますが、テスト撮影中に突然心不全で亡くなりました。

『コンチネンタル』の撮影風景

 マーク・サンドリッチ監督は、大掛かりなセットを作りクレーンを使って撮影しています。無駄なくテンポの良い演出で、ストーリーもダンス・シーンも大いに楽しめます。

ハーミズ・パン(25歳)

 ハーミズ・パン(1909年12月10日~1990年9月19日)は、テネシー州メンフィス出身のダンサーで振付師です。特にフレッド・アステアのミュージカル映画の全て振付師で、フレッドが信頼する振付協力者です。1937年『踊る騎士』でアカデミー賞最優秀ダンス演出賞を受賞し、1961年のテレビ・スペシャル「フレッド・アステアの夕べ」でエミー賞を受賞しています。1980年には国民映画賞も受賞しています。

 1923年に父親が亡くなり、パンが14歳の時に一家はニューヨークに移り住み、スピークイージー(禁酒法時代のもぐりの酒場)で踊り始めます。彼は19歳の時にはダンスで稼げるようになり、いくつかのブロードウェイの舞台に出演しました。1930年にカリフォルニアに移り住み、1933年に『空中レビュー時代』の撮影現場でフレッド・アステアと出会い、デンス・ディレクターのディヴ・グールドのアシスタントになります。アステアが“カリオカ”のダンス・ステップを考えている時に、パンはアイディアを出してそのダンス・シーンを完成させました。それ以来二人は、プロフェッショナル同士として一緒に仕事をするようになります。彼はアステアの31本のミュージカル映画の17本と、4本のテレビ・スペシャルの3本を担当しました。アステアは自分のダンス・ルーティンを自分で考えていましたが、パンのアイディアを取り入れてダンス・ルーティンの微調整をしたり、リハーサル・パートナーとしてのパンの能力を高く評価していました。又、パンはジンジャー・ロジャースの指導やリハーサル・パートナーをやっていました。ジンジャー・ロジャースのスケジュールが合わない事が多い為、1935年の『ロバータ』以降はロジャースのタップのパートの録音を全てパンが代行していました。パンは86本の映画の振付を行い、ノン・クレジットで数本の映画にも出演しています。アステア映画以外の振付は、1941年『血と砂』・『マイアミの月』・『銀嶺セレナーデ』、1943年『コニーアイランド』、1944年『ピンナップガール』、1953年『キス・ミー・ケイト』・『苦悩の乙女』、1959年『ボギーとベス』、1960年『カンカン』、1963年『クレオパトラ』、1964年『マイ・フェア・レディ』等です

アリス・ブラディ(42歳)

 脇を固める出演者も面白い顔ぶれになっています。ミミの叔母さんのホーデンス役は、アリス・ブラディです。自分本位でそそっかしい叔母さんを好演しています。アリス・ブラディ(1892年11月2日~1939年10月28日)はニューヨーク生まれのアメリカ合州国の俳優です。母親のローズ・マリー・ルネは1896年に亡くなりました。父親のウィリアム・・A/ブラディは有名な演劇プロデューサーで、アリスは幼い頃から演劇に興味を持ちます。14歳で舞台に立ち、1911年にブロードウェイでデビューします。父親が1913年に映画会社を作り、アリスも映画の仕事をはじめます。1914年に『As Ye Sow』で映画デビューし、その後10年間で50本以上のサイレント映画に出演しました。1923年に映画の仕事を辞めて舞台劇に出演するようになります。1933年にハリウッドに戻り、『When Ladies Meet 』で、トーキー映画に初めて出演しました。その後は1933年『紐育・ハリウッド』、1935年『ゴールド・ディガース36年』・『メトロポリタン』、1936年『襤褸と宝石』・『天使の花園』、1937年『シカゴ』・『オーケストラの少女』、1939年『若き日のリンカン』等に出演します。1939年に癌で亡くなりました。アリス・ブラディは1937年の『シカゴ』でタイロン・パワーの母親役を演じて第10回アカデミー助演女優賞を受賞しています。アカデミー賞の受賞日、彼女は足首の怪我の為に欠席していましたが、謎の男性の代理人が現れてオスカー盾(この頃の助演賞は盾でした)を持ち帰ってしまいました。後ほど代理人が偽物だった事が発覚したので、アカデミー協会は彼女に新たに盾を贈っています。長年オスカー盾も犯人も行方不明でしたが、2016年の調査で事実が判明しました。オスカー盾を受け取ったのは『シカゴ』の監督ヘンリー・キングで、その日のうちに彼女の友人を通して自宅に届けられていました。彼女が受賞の2年後にガンで死去しており、誤報の訂正ができなかった為と言われています。

 ガイの親友で弁護士のエグバートを演じているのが、エドワード・エヴェレット・ホートンです。彼はキャリアが長く出演本数多いベテランで、コミカルな役では定評があります。今回は何とも頼り無い弁護士役で、お得意のとぼけた演技を披露しています。彼はこの映画の後、『踊らん哉』、『トップ・ハット』でも共演しました。

エドワード・エヴェレット・ホートン
(38歳)

 エドワード・エヴェレット・ホートン (1886年3月18日~1970年9月29日)は、アメリカ合州国ニューヨーク生まれの性格俳優で、映画、演劇、ラジオ、テレビ、アニメの声優です。高校はブルックリンの男子校に通っていましたが、一家がメリーランド州ボルチモアに引っ越したので、ボルチモア・シティ・カレッジに進学し、1902年から1904年まで通いました。この後、ニューヨーク市に戻りブルックリン工科大学に1年間通いますが、芸術コースが廃止になった為コロンビア大学に移ります。ホートンは1906年に20歳で舞台にデビューします。舞台では歌や踊りをしたり小さい役を演じ、1909年には大学を辞めます。その後、ヴォードヴィルやブロードウェイの舞台にも出演します。1919年にロスアンゼルスに移り、ハリウッド・コミュニティ・シアターで映画の仕事を始めます。1922年のサイレント映画『TOO MUCH BUSINESS』で、初めて主役を演じます。1927年から1929年にはハロルド・ロイドの8本の映画に出演しました1929年からはエディケーション・ピクチャーズのトーキー映画のコメディやワーナー・ブラザーズの映画にも出演しました。ホートンが開発した独自の演技は、ダブル・テイクと言われるものです。相手が言った事を理解したように微笑み、事の重大さに気が付き表情が固まり、困り果てた表情に変わる演技です。1930年代には多くのコメディ映画や他の映画でもコミカルな脇役として出演していました。ほんの一部紹介しますと、1931年『犯罪都市』、1932年『極楽特急』、1933年『不思議の国のアリス』、1937年『失はれた地平線』、1938年『素晴らしき休日』、1941年『幽霊紐育を歩く』・『美人劇場』、1944年『毒薬と老嬢』、1961年『ポケット一杯の幸福』等です。1945年から1947年まではラジオの司会をしたり、1948年にはテレビ・ドラマに出演しています。1950年代は主にテレビに出演していました。1952年の「アイ・ラブ・ルーシー・ショー」やウォルター・ブレナンン主演の「マッコイじいさん」にも出演しています。1959年から1964年まではアメリカで有名なアニメ・シリーズのナレーターとしても活躍していました。

エリック・ブロア(47歳)

 エリック・ブロア(1887年12月23日~1959年3月2日)は、ロンドン北部のフィンチリー出身のイギリスの俳優、脚本家です。学校卒業後に保険会社で働きますが、1909年ミュージカル・コメディ「ケイズから少女」で舞台に初出演します。イギリスで地方公演に出演し、1913年4月にロンドンのレスター・スクエアのエンパイア劇場で「All the Winners」に出演しました。ブロウは主にロンドンのウエストエンドで、レヴューやバラエティの脚本を書き出演していました。彼は1922年にミュージカル・コメディ「エンジェル・フェイス」に出演し、1923年8月ブロードウェイで初めて「リトル・ミス・ブルービアード」に出演しました。それからはブロードウェイの舞台に出演したり、ツァー公演を行いました。1933年ロンドンで舞台劇「陽気な離婚」に5か月間出演しました。その後、ハリウッドに渡り『コンチネンタル』に出演し、1955年までの間に60本以上の映画に出演しました。1935年『トップ・ハット』、1936年『有頂天時代』、1937年『踊らん哉』、1941年『サリヴァンの旅』・『アフリカ珍道中』、1950年『腰抜け千両役者』等で、彼が演じる優秀な執事、従者、厳格な紳士等が好評でした。ブロアは前作の『空中レビュー』では給仕長役で、本作ではウエイターを演じています。今回は音楽に合わせてダンスをするかのようにスッテプを踏みながら注文品を運んでいます。今回は出番も多く重要な役を演じています。

エリック・ローズ(28歳)

 エリック・ローズ(1906年2月10日~1990年2月17日)は、アメリカ合州国オクラホマ州エルリノ出身の映画俳優、ブロードウェイの歌手です。ローズはセントラル高校とオクラホマ大学に通い、大学在学中に奨学金を得て、ニューヨークで一年間声楽を学びました。第二次世界大戦中は、陸軍航空軍の諜報機関で言語の専門家として活躍しました。ローズは1928年に戯曲「最も不道徳な女性」で、初めてブロードウェイの舞台に出演します。続けて1929年のミュージカル「リトル・ショー」、1932年「ヘイ・ノニー・ノニー」・「陽気な離婚」に出演しました。ロンドンで再び「陽気な離婚」が公演されましたが、RKOのパンドロ・S・バーマンがその舞台を観て、ローズを映画でも同じ役で使う事にしました。ローズはハリウッドに連れて行かれて、1934年『コンチネンタル』に出演しました。その後1935年『トップ・ハット』・『リッツの夜』、1936年『暗闇の二人』等、1939年までに二十数本の映画に出演しています。1947年から1964年にかけて、ロードウェイで1947年「大キャンペーン」、1953年「カン・カン」、1957年「ジャマイカ」等に出演しました。本作では、雇われ恋人役のトネッティを演じていて、劇中バルコニーで小型のアコーディオンを弾きながら“コンチネンタル”を歌います。

ベティ・グレイブルとエドワード・エヴェレット・ホートン

 この映画のタイトル・クレジットの末席にベティ・グレイブルの名前がありました。彼女のピンナップは、第二次世界大戦中のアメリカ兵士に大人気でNo.1でした。彼女の脚線美に100万ドルの保険が掛けられていたので、100万ドルの脚線美と云われていました。彼女のどんな役をやっているのか探していたら、水着姿で椅子に座っているエドワードに“Let’s K-nock K-nees”を歌いかける女の子でした。まだ18歳の彼女に気が付くまで少々時間が掛かりました。ベティは嫌がるエドワードの手を引いて踊りに誘い、エドワードは不器用なダンスを披露します。と、書いた処で次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難うございました。

『コンチネンタル』 作品データ

アメリカ 1934年 モノクロ 107分

原題:The Gay Divoicee

監督:マーク・サンドリッチ

製作:パンドロ・S・バーマン

脚本:ジョージ・メリオン・ジュニア、ドロシー・ヨースト

撮影:デイヴィッド・エーベル

音楽監督:マックス・スタイナー

音楽:コール・ポーター

マック・ゴードン、ハリー・レヴェル

コン・コンラッド、ハーブ・マジッドン

※“コンチネンタル”は、この年創設されたアカデミー主題歌賞を受賞しています。

出演:フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース

   アリス・ブラディ、エドワード・エヴェレット・ホートン

   エリック・ローズ、エリック・ブロウ

   アート・ジャレット、ベティ・グレイブル

Vol.9 『空中レビュー』

 RKOの初日は、各部門の責任者との顔合わせと作業工程の説明を受けました。この時点では『空中レビュー』でのフレッド・アステアの相手役はまだ決まっていませんでした。三日目にジンジャー・ロジャースが出演するかもしれないと聞かされ、彼女がストレート・プレイの映画ではなくミュージカル映画に出演するか心配だったようです。ジンジャー・ロジャースとは、1930年に彼女が出演する舞台劇の「ガール・クレイジー」の稽古中に会っていました。劇中でのダンスが上手くいってないので手伝って欲しいと、ガーシュウィンを紹介してくれたアレックス・アローンから連絡があり、次の日劇場に出向きます。そこで彼女に初めて会い、問題のナンバーに取り組みました。「ガール・クレイジー」は好評で、彼女は話題の人となります。その後、彼女とは時々一緒に出掛けて映画を観たりナイト・クラブで踊ったりしていました。

 主役のベリーニヤ・デ・レゼンデをドロレス・デル・リオ(メキシコ出身の美人で、サイレント映画時代から活躍している大女優です。)が演じています。相手役のロジャー・ボンドをジーン・レイモンドが演じ、親友のフリオ・ルベイオをラウル・ロウリン(南米の歌手)が演じています。

左からドロレス・デル・リオ 、 ジーン・レイモンド 、 ラウル・ロウリン

 歌手のハニー・ホールをジンジャー・ロジャースが演じ、アコーデオン奏者のフレッド・アイレスをフレッド・アステアが演じています。

ジンジャー・ロジャーとフレッド・アステア

 マイアミのホテル・ハイビスカスの最初の演奏で、ロジャーとヤンキー・クリッパー楽団の専属歌手のハニー・ホールが、セクシーなドレスを着て歌います。

ミュージック・メイクス・ミー」を歌うジンジャー・ロジャース(22歳)

 ロジャーとベリーニヤの二人は恋に落ちますが、ベリーニヤはロジャーの親友のフリオと婚約していて二人は結婚する事になっています。この三角関係のラブ・ストーリーがメインで展開され、それにベリーニヤの父親が経営する、ホテル・アトランティコの開業を邪魔する3人のマフィアが登場して物語は進行します。色々見せ場があって面白いですが、この映画は音楽とダンスと空中レビューの映画です。主役のドロレス・デル・リオさんには申し訳ないですが、「カリオカ」を踊るフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの為の映画になってしまっています。

 この映画のクライマックスは、飛行機の翼の上にダンサーの身体を固定して、飛んでいる飛行機の上で踊るシーンです。正に邦題通りの空中レビューです。飛行機が出始めた頃、アメリカでは翼の上で人が乗って曲乗りをするのが流行っていました。それを複数の飛行機で行うものです。

 リハーサル初日にフレッドは久し振りにジンジャー・ロジャースと会い、昔の思い出話で盛り上がり楽しい気分でいくつかのスッテプを試し、二人で踊ってその日のリハーサルは無事終ります。準主役のフレッドとジンジャーのダンス・シーンは、「カリオカ」の曲の一部だけで長い時間ではありません。7台のピアノが円形に並べて作られた円形ステージの上で、二人が踊ります。(映画の48分頃と53分頃に登場します。)二人のダンス・シーンは非常にインパクトがあって大好評なので、RKOはこの二人の為に主演映画の準備をします。フレッドはこの映画の撮影が終わると最後の舞台劇「陽気な離婚」に出るためにロンドンに向かいます。

カリオカ」を踊るフレッドとジンジャー

 『空中レビュー』の監督のソーントン・フリーランドと云う方は、私はこの1作しか観たことがありませんが、音楽の使い方やダンス・シーン等素晴らしい演出をされる方です。音楽担当のヴィンセントユーマンスが、この映画の為に「オーキッズ・イン・ザ・ムーンライト」、「カリオカ」、「フライング・ダウン・トゥ・リオ」の3曲を作曲しました。この中の「カリオカ」が演奏されるシーンは12分間あり、ダンサーが大勢登場して踊りまくり圧巻です。パートナーが、額と額を付けながら踊るのは面白いです。

圧巻のダンス・シーン(左)コミカルな男性ダンサーとの踊り(右)

 演奏と共に3人の歌手が入れ替わり歌います。最初に歌うのはアリス・ジェントル、二番目がモヴィータです。そして三番目に登場するのがエッタ・テモンです。笠置シズ子似の方で、素晴らしい「カリオカ」を聞かせてくれます。エッタ・テモンは、アフリカ系アメリカ人の女性として初めて、1934年にホワイト・ハウスで歌った方です。

カリオカ」 を歌うエッタ・テモン

 劇中「月下の蘭」も上手く使われていて、ドロレス・デル・リオとフレッド・アステアのダンス・シーンもあります。ソーントン・フリーランド 監督の本領発揮でしょうか、飛行機の翼の上でのレビュー・シーンは凄い発想です。この奇想天外の空中シーンは3分程続きます。地上にいる人たちには、翼の上のダンスは見えないなんて言ってはいけません。映画を観る観客の為のシーンですから、余計な事は考えずに楽しみましょう。嘘を本当のように見せるのが映画です。ジンジャーは翼の上で指示を出すリーダーをやり、地上ではフレッドが「フライング・ダウン・トゥ・リオ」を歌って踊ってフィナーレとなります。三角関係のラブ・ストーリーは、粋なラストで映画は終わります。

リーダーのジンジャー(左)と翼の上でのダンスサーたち

 この映画はお勧めですがレンタルには無いと思いますので、観るためには購入するしかないかも知れません。でも今は古い映画も配信されているのかな。私はフレッド・アステア出演のDVDは単品で購入していましたが、この映画は9枚セット2000円チョットで入手しました。1枚当たり220円程度なので、とても有難いセットでした、パブリック・ドメインの商品なので、映画会社のトレード・マークは表示されません。画質は作品によってばらつきがありますが、本編を観る事が出来れば良いと思う方にはお勧めします。最後までお付き合い頂きまして有難う御座います。

「ミュージカル・パーフェクト・コレクション ファーストステージ
発行:株式会社コスミック出版

『空中レビュー時代』 作品データ

アメリカ 1933年 モノクロ 89分

原題:Flying Down to Rio

監督:ソートン・フリーランド

脚色:シリル・ヒューム、H・W・ヘーンマン、アーウィン・ゲルシー

原作:ルウ・ブロック

撮影:J・ロイ・ハント

音楽:ヴィンセントユーマンス

作詞:エドワード・エルスキュ、ガス・カーン

振付:ディブ・ゴールド

出演:ドロレス・デル・リオ、ラウル・ロウリン

   フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース

   ジーン・レイモンド、ブランシュ・フレデリシ

   ウォルター・ウォーカー、エッタ・テモン

   フランクリン・パングボーン、ポール・ポルカシ

   レジナルド・バーロウ