Vol.41 『生きるべきか死ぬべきか』の続きの続き

見知らぬ男に驚くヨーゼフ(左)  教授の事を中尉に伝えるマリア(右)

 ヨーゼフが帰宅すると妻のベッドに見知らぬ男が寝ています。「ハムレット」の舞台の途中で席を立った男だと分かり、“生きるべきか死ぬべきか”と台詞を言うとベッドの男は飛び起きます。ヨーゼフは彼に質問をし始めますが、そこにマリアが帰宅して教授が明日ゲシュタボに行く事を中尉に伝えます。何も分からないヨーゼフは質問を続けますが、マリアと中尉の会話は進みます。教授を殺害する必要がある事を理解したヨーゼフは、自分が殺害すると言い出します。

白紙に署名させるマリア(左)   自殺を思わせる文を書くマリア(右)

 マリアは教授の部屋を訪れシャンペンで乾杯して、教授に署名の筆跡で性格を調べると言って白紙に名前を書かせます。そこにゲシュタボ本部から兵士が来て、教授に同行するように言います。教授はマリアを部屋に残して、ゲシュタボ本部に向かいます。マリアは、署名された白紙にタイプライターで自殺を思わせる文を書いてベッドの枕に置き、帰宅しようしますが教授が来る迄部屋に監禁されます。

名簿を取り出す教授’(左)
名簿の写しがある事をドボッシュに伝えるヨーゼフ(右)

 教授を迎えるゲシュタボ本部は、劇場にゲシュタボ本部の看板を掲げて変装した劇団員が待ち構えてます。教授はヨーゼフが変装したエアハルト大佐に会い、地下組織メンバーの名簿を渡します。これで名簿奪還の作戦は終わる筈でしたが、ホテルのトランクの中に写しがある事が分かります。報告書を作成すると言ってヨーゼフは退室し、ドボッシュに写しがある事を伝え次の策を練るように言い教授の元に戻ります。

偽のエアハルト大佐を見破った教授(左)
レジスタンスに射殺された教授(右)

 ヨーゼフは時間稼ぎをしようとしますが、マリアと中尉の事を聞いて激怒した為に教授に正体を見破られます。教授はヨーゼフに銃を突きつけ、部屋から逃げ出します。劇団員が総出で教授を探し始め、教授は劇場の観客席から舞台へと逃げますが、レジスタンスに射殺されます。

偽の教授と知らず迎えに来た シュルツ (左)
偽の教授に媚びを売るエアハルト大佐(右)

 場面は変わってホテルの部屋で待つマリアの元に本物のゲシュタボが現れます。教授に変装したヨーゼフが帰宅すると、ゲシュタボのシュルツ大尉が直ぐエアハルト大佐が会いたいと伝えゲシュタボ本部に行きます。大佐は、総統と親しい教授に取り入ろうと色々話し掛けます。ここで大佐が話す事は、既に登場していた冗談で悪い方に話が展開します。偽教授と大佐の会話は、もの凄く面白いです。それに可哀そうなシュルツ大尉が会話に加わり、さらに面白くなります。(ナチスへの皮肉たっぷりのシーンです。)大佐は教授のロンドン行きの飛行機を手配しますが、教授が二人分を要求したので翌日マリアに合う事になります。

マリアに教授の死を伝える大佐(左)
教授の死体が発見された事を伝えるマリア(右)

 翌日マリアが大佐を尋ねると、教授が殺害された事を伝えられます。教授が死んだので、大佐はマリアと親しくなろうとします。マリアが退室した後、死んだ筈の教授から”少し遅れる“と電話が入ります。マリアはヨーゼフにゲシュタボが教授の死を知った事を伝えにホテルに行きますが、ヨーゼフは既にゲシュタボ本部に向かっていました。マリアは劇団員が集まっている所に駆け付け、ドボッシュに教授の死体が見つかった事を伝え、ヨーゼフを助けてくれるように頼みます。

ヨーゼフの作戦に引っ掛かった大佐(左)
ラウィッチ扮する偽親衛隊長がヨーゼフを連行する(右)

 場面が変わってゲシュタボ本部、教授に扮装したヨーゼフは本部の奥の部屋に通されます。そこには本物の教授の死体が椅子に座らされていました。ヨーゼフはポケットにあった予備の髭で細工をします。ヨーゼフは大佐を部屋に呼び入れます。ここからどっちが偽物かの探り合いが始まり、素晴らしい会話のやり取りで話は進みます。大佐はヨーゼフの作戦にまんまと引っ掛かります。ヨーゼフを本物だと思って帰そうとした時、劇団員扮する親衛隊の一団が現れます。親衛隊の責任者が、総統が到着した途端に陰謀が発覚したと言って大佐を責め、この教授は偽物だと言って髭を引っ張り正体を明かします。ヨーゼフは偽の親衛隊に連れ去られ、大佐は途方にくれます。

脱出作戦を話すドボッシュ(左)   親衛隊の中に紛れ込む劇団員(右)

 劇団員が集まってワルシャワから脱出出来ないと話している時に、ドボッシュが脱出作戦を思い付きます。ヒトラーが観劇に来るのを利用して、「ハムレット」で槍持ちをしていたグリーンバークを主役にした大胆な作戦です。劇団員は全員で稽古を始めます。

偽ヒトラーに演説をするグリーンバーグ(左)
偽ヒトラーに退出を進言するヨーゼフ(右)

 大勢の親衛隊の中に劇団員は紛れ込んで隠れます。劇場にヒトラーが現れ、舞台が始まる迄の合間にグリーンバークが廊下に飛び出し、例の台詞で演説をします。ラウィッチ扮する親衛隊隊長は彼を偽の親衛隊員に連行させ、不祥事が起こったのでブロンスキー扮するヒトラーにこの場を離れる様に進言します。偽親衛隊一行は車で空港に向かい、ヨーゼフは途中でマリアを迎えに行きます。しかし、ヨーゼフは付け髭を失くしてしまいマリアを迎えに行けなくなります。

マリアに言い寄る大佐(左)    ヒトラーが現れ恐れをなす大佐(右)

 一方、ヨーゼフの迎えを待つマリアの部屋に大佐は突然訪問して来ます。マリアがポーランド側のスパイ疑惑で質問をしますが、全て見事に交わされてシュルツ大尉が怒られて退室します。部屋に残った大佐は、マリアに言い寄り口説き落とそうとします。マリアは人が迎えに来るからと拒否して逃げ回ります。そこにブロンスキー扮するヒトラーが現れ驚愕する大佐。マリアが部屋を出た後、部屋から銃声一発と倒れる音、そして“シュルツ”の一声。劇団員全員が飛行機に乗りこみ、ドイツ軍のパイロットとソビンスキー中尉が交代してスコットに向かいます。ドイツ軍のパイロット二人は、皮肉たっぷりの面白い方法でいなくなります。

ハムレットを演じるヨーゼフ(左)    席を立つ見知らぬ若者(右)

 スコットランドに着いた劇団員は新聞記者達の取材を受け、ヨーゼフはイギリスの舞台で「ハムレット」を演じる事になります。観客席にはソビンスキー中尉もいます。ヨーゼフが例の台詞を話すと、席を立つ若者が現れます。ヨーゼフもソビンスキーもビックリで、映画は終わります。最後の最後まで楽しませてくれる、ルビッチ監督の最高傑作だと思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『生きるべきか死ぬべきか』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 99分

原題:TO BE OR NOT TO BE

監督:ルンスト・ルビッチ

製作:アレクサンダー・コルダ

脚本:エドウィン・ジャスタス・メイヤー

撮影:エオドルフ・マテ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:キャロル・ロンバード:マリア・トゥーラ

   ジャック・ベニー:ヨーゼフ・トゥーラ

   ロバート・スタック:ソビンスキー中尉

   フェリックス・ブレザート:グリーンバーク

   ライオネル・アトウィル:ラウィッチ

   スタンリー・リッジス:アレクサンダー・ツレッキー教授

   シグ・ルーマン:エアハルト大佐

   トム・デューガン:ブロンスキー

   チャールズ・ハルトン:ドボッシュ

Vol.40 『生きるべきか死ぬべきか』の続き

ワルシャワの街に一人で現れたヒトラー

 1939年8月、ポーランドのワルシャワから物語は始まります。ワルシャワの街に突然ヒトラーが一人で現れます。街中の人々が驚き、固まってしまいます。

舞台劇「ゲシュタボ」のワン・シーン(左)
ボランスキーに駄目出しをするドボッシュに抗議するグリーンバーグ(右)

 そこでナレーターが、”どうして彼が現れたか”と言って場面はゲシュタボ本部に変わります。しかし、このゲシュタボ本部は舞台劇のもので、本物ではありません。(この場面に登場する少年が言う冗談は、後ほど違う場面でも出て来ます。本作の題名の”生きるべきか死ぬべきか”も、後ほど度々出て来ます。先に使われた台詞が、全然状況の違う場面で云われる事によって、非常に面白い事になります。本当によく練られて書かれた脚本です。)その本部にヒトラーが登場して、軽い冗談めいた台詞を言います。勝手に台詞を変えた事を舞台演出家のドボッシュが怒り、ヒトラー役のブロンスキーに全然似てないと言って駄目出しをします。そこでブロンスキーは、自分はヒトラーそのものだと言ってワルシャワの街に出て行き、誰にも見破られない事を証明しようとした訳です。

偽ヒトラーのボランスキーに
サインを求める少女

 ヒトラーに扮したブロンスキーの周りを群衆が囲む中、一人の少女がヒトラーに近寄り”ブロンスキーさん、サイン下さい。”と言ってサインして貰います。大人は全員、彼の服装とチョビ髭でヒトラーだと思い込みましたが、この少女だけがこのヒトラーは役者が扮装している偽物と気付いていた訳です。

槍持ちに扮した
グリーンバーグとボランスキー

 画面が変わって劇場で上演されている「ハムレット」のポスターが映しだされます。楽屋から出て来たブロンスキーとグリーンバークは、槍持ちの扮装で愚痴を言い合ってます。グリーンバークは、得意の「ベニスの商人」の台詞を言い、ブロンスキーが褒め称えます。(この二人、舞台では槍を持っている役しか貰えませんが、後半で大役を与えられます。)

ハムレットを演じるヨーゼフ(左)
台詞を聞いて席を立つソビンスキー中尉(右)

 座長のヨーゼフ・トゥーラが楽屋から出てきて、電話でサンドイッチとビールを注文します。そこに妻のマリアが現れ、二人の面白い会話が続きます。楽屋でマリアが椅子に座って鏡に向かっていると、ヨーゼフが現れ3日間贈られて来る花を見て、誰からの贈り物か問い質します。マリアが曖昧な返事をしている時に、ヨーゼフは出番になって舞台に向かいます。ここでマリアと付き人のおばさんが花の送り主の話をしていると、その送り主からの会いたいと云う手紙が届きます。マリアは付き人に言い訳がましい事を言いながら、ハムレットが”生きるべきか死ぬべきか”の台詞を言った時に楽屋に来るように返事を書きます。舞台でハムレットが登場して台詞を言った途端に、花の贈り主であるソビンスキー中尉は堂々と席を立ちます。(この出来事が、大物俳優のヨーゼフ・トゥーラを悩まし続けます。)喜び勇んで中尉は、マリアの待つ楽屋に向かいます。中尉はマリアの舞台は全部観ているし、雑誌の記事も読んでいるので色々質問をします。マリアは調子を合わせているだけですが、中尉は有頂天です。彼は爆撃機のパイロットで、翌日空港で爆撃機を見せる約束をして楽屋を出ます。入れ替わりにヨーゼフが入って来て、舞台の途中で客が席を立ったので酷く落ち込んでいます。マリアは素知らぬ顔で、ヨーゼフを慰めます。

マリアに求婚するソビンスキー中尉(左)
戦争が始まった事を知るヨーゼフ(右)

 画面が変わって舞台劇「ゲシュタボ」の稽古中、全員がラジオでヒトラーの演説を聞いています。そこに外務省のボヤルスキー博士が現れて、「ゲシュタボ」の舞台公演中止を伝えます。それで再び「ハムレット」を講演する事になりますが、ハムレットが台詞を言うと昨日と同様に中尉が席を立ちます。楽屋に入った彼は、マリアに結婚しようと言い出します。困惑するマリアの事はお構いなしに、彼はヨーゼフに二人の結婚話をすると言い出します。そこに付き人のおばさんが、新聞を手に戦争が始まったと言って楽屋に入って来ます。彼はマリアに別れを告げて基地に戻ります。ドボッシュ達も戦争が始まったと言って楽屋に入って来ます。そこに客が席を立った事に怒り狂ったヨーゼフが入って来ます。ドボッシュと噛み合わない怒鳴り合いになり、ヨーゼフは皆の話から戦争が始まった事を知ります。

破壊されたワルシャワの街(左)   瓦礫の中を更新するドイツ兵(右)

 その時、空襲警報が鳴り空爆が始まります。観客は劇場から逃げ出し、団員は地下室に逃込みます。空爆によりワルシャワは破壊されて瓦礫の山となり、そこをドイツ軍兵士が行進していきます。それを漠然と見るワルシャワ市民、この場面からルビッチ監督の思いが描かれています。

エアハルト大佐によるゲシュタボのポスター(左)
グリーンバークは「ベニスの商人」での台詞を語ります(右)

 街にはエアハルト大佐によるゲシュタボのポスターが張られます。ブロンスキーとグリーンバークのコンビが登場し、グリーンバークは例の台詞を語ります。しかし、ここからワルシャワ市民のレジスタンス活動も始まり、ポーランドの若い兵士は英国空軍に入り飛行機での反撃が始まります。

歌う兵士たちの中にいる教授(左) 教授にマリアへの伝言を頼む中尉(右)

 ロンドンの空軍基地で、ポーランドの兵士が歌っている中にシレッキー教授がいます。彼は兵士たちにワルシャワに行く話をすると、兵士たちは危険だから止める様に言います。教授は極秘の任務があるから行かなければならないと言い、兵士たちの家族の住所を教える様に言います。中尉は、教授にワルシャワにいるマリア・トゥーラに伝言を頼みます。伝言は例の台詞です。処が教授は、ワルシャワで有名なマリアの事を知りません。その後兵士たちは家族の住所を書いた紙を教授に渡します。

軍情報部に教授の事を伝える中尉(左)  v教授の写真を靴に仕込む(右)

 翌日ソビンスキー中尉は軍情報部に行き、シレッキーは疑わしい人物だと伝えます。ワルシャワでは誰でも知っているマリア・トゥーラを知らないので、ワルシャワ行きを止めて欲しいと伝えます。教授は既に船で出発しているので中尉は飛行機で移動し、地下組織に渡す教授の写真を持参させ、住所が書かれた名簿を回収する様に命令します。

不審者を追跡するドイツ兵(左)   ドイツ兵に発見された中尉(右)

 対空砲火の中、中尉はパラシュートでワルシャワ郊外に着地し、ドイツ兵の追跡を交わし乍ら逃げ回ります。写真を受け渡しする場所のシュタルガ書店(レジスタンスとの中継場所)まで辿り着きますが、ドイツ兵に見つかりその場から逃げ去ります。

本に写真を挟んで店主に渡すマリア(左)
写真を確認し、指令を読む店主(右)

 画面が変わり同じ書店の前に、マリアが登場します。店内にはドイツ兵が二人、マリアは店主に「アンナ・カレーニナ」(『桃色‘ピンク』の店』でも登場した本です)の本を見たいと言います。ページを捲りながら150ページに教授の写真を挟みます。本の価格を聞き、高すぎて変えないと言ってマリアは店を出ます。ドイツ兵が帰った後に店主は奥の部 屋へ行き、教授の写真を見て裏面に書かれた指令を読みます。

ドイツ兵に連行されるマリア(左)
マリアにスパイになるように進言する教授(右)

 マリアが帰宅するとドアの前にドイツ兵がいて、教授がいるホテルに連行されます。彼はマリアに中尉の伝言を伝えます。その時電話に出た彼の会話からゲシュタボの手先である事を知ります。彼はマリアにドイツのスパイになるように勧めます。マリアは即答せずに、ディナーの招待を受けて帰宅します。

次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『生きるべきか死ぬべきか』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 99分

原題:TO BE OR NOT TO BE

監督:ルンスト・ルビッチ

製作:アレクサンダー・コルダ

脚本:エドウィン・ジャスタス・メイヤー

撮影:エオドルフ・マテ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:キャロル・ロンバード:マリア・トゥーラ

   ジャック・ベニー:ヨーゼフ・トゥーラ

   ロバート・スタック:ソビンスキー中尉

   フェリックス・ブレザート:グリーンバーク

   ライオネル・アトウィル:ラウィッチ

   スタンリー・リッジス:アレクサンダー・ツレッキー教授

   シグ・ルーマン:エアハルト大佐

   トム・デューガン:ブロンスキー

   チャールズ・ハルトン:ドボッシュ

Vol.39 『生きるべきか死ぬべきか』

 今回も引き続き、エルンスト・ルビッチ監督の1942年の作品です。ヒトラーとナチス政権を茶化した、スリルありサスペンスありの笑いありのコメディの大傑作です。物語はキャロル・ロンバード扮するマリアを中心に、男たちが入り混じって複雑に展開されます。この映画はメル・ブルックス製作・主演で、1983年に『メル・ブルックスの大脱走』としてリメイクだれています。

『生きるべきか死ぬべきか』
販売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

【スタッフとキャストの紹介】

エルンスト・ルビッチ監督

 エルンスト・ルビッチ監督の履歴は、『桃色(ピンク)の店』をご覧ください。

マリア・トゥーラ役
キャロル・ロンバード(33歳)

 キャロル・ロンバード(1908年10月6日~1942年1月16日)は、アメリカ合州国インディアナ州出身の女優です。12歳の時に『陰陽の人』の端役で映画デビューしますが、その後は普通に生活していました。15歳で学校を辞めて劇団に入り、いくつかの舞台に出演しました。1925年にFOX社から再デビューしますが、翌年交通事故で顔に傷を負って契約をキャンセルされます。その後、マック・セネットのコメディ映画に端役で出演していました。

 1930年にパラマウント社が、彼女の美貌を認めて契約します。サイレント映画からトーキー映画に変わり、声や訛りが酷くて人気が落ちていく俳優が多い中、セクシーな声と知的な美貌で人気が出て来ます。1930年『令嬢暴力団』、1932年『紅蘭』、1933年『鷲と鷹』、1934年『ボレロ』と出演し、『特急二十世紀』のヒットでコメディエンヌとしてスターになりました。それからは主役として、1934年『久遠の誓ひ』『街で拾った女』、1935年『ルムバ』、1936年『襤褸と宝石』、1937年『無責任時代』、1939年『貴方なしでは』、1941年『スミス夫妻』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』と出演しました。ロンバートは、1930年代から1942年の本作までラブ・コメディで活躍し、「スクリューボール・コメディの女王」と云われていました。

 第二次世界大戦中、1942年1月16日にインディアナで戦時国債キャンペーンに参加してロサンゼルスに戻る途中で、飛行機がラスベガス近郊で墜落して母親と共に死亡しました。33歳でした。二度目の夫であるクラーク・ゲーブルは彼女が最愛の妻だったと云い、彼の死後遺言で彼女の隣の墓に埋葬されています。

ヨーゼフ・トゥーラ役
ジャック・ベニー(48歳)

 ジャック・ベニー(1894年2月14日~1974年12月26日)は、シカゴ生まれのコメディアン・ヴォードヴィリアン・俳優です。1930年代から1950年代のラジオ番組やテレビ番組で人気を博し、後のシュチュエーション・コメディに影響を与えています。1929年からは映画にも出演しました。ベニーは6歳からバイオリンを習いますが、天性か振動と云われました。14歳の時にダンス・バンドと高校のオーケストラで演奏していましたが、勉強が苦手で高校は退学になります。1911年に地元のヴォードヴィルの劇場でバイオリンを弾き始め、マルクス兄弟と同じ劇場で演奏していました。17歳の時に母親の反対を押し切ってマルクス兄弟とツァーに参加します。翌年、ピアニストとヴォードヴィル・ミュージカル・デュオを組みますが、有名なバイオリニストのヤン・クーベックを怒らせ、芸名をベン・K・ベニーと名乗るようになります。最初のパートナーが去り、新しいピアニストとコメディ刀子を取り入れて5年間一緒に活動しました。その後、ヴォードヴィルのメッカの“パレスシアター”に出演しましたが、上手くいかなかった為に1917年にショー・ビジネスから一時離れます。第一次世界大戦中、アメリカ海軍に入隊し、余興でバイオリンを演奏していました。ある日、ブーイングを受け、ジョークなどを交えながら笑わせるようにしました。これがコメディアンとミュージシャンとして、ベニーのスタイルの始まりとなります。

 戦後間もなく、ベニーは「ベン・K・ベニー:フィドル・フノロジー」という一人芝居を始めましたが、ベン・バニーから芸名を改名する訴えがあり、船員の頃のニックネームのジャックを採用して、“ジャック・ベニー”に改名しました。1927年にセイディ・マークスと結婚し、彼女はメアリー・リギングストンの芸名でベニーとコンビを組んで、一緒にヴォードヴィルを演じました。ベニーは1929年にMGMと契約して、『ハリウッド・レビュー』、1930年『虹を追いかけて』に出演しましたが、上手くいかず数か月後に契約は解除されました。その後、ブロードウィに戻ってアール・キャロルの「ヴァーニティーズ」に出演し、ナイトクラブで公演していました。

 1932年にエド・サリヴァンのラジオ番組にゲスト出演し、初めてラジオの仕事をしました。ベニーは1932年から1948年までNBCで、1949年から1955年までCBSでラジオ番組「ジャック・ベニー・プログラム」に毎週出演し、この番組で彼は全国的な人気者になりました。1949年にロサンゼルスのKTTVでテレビ・デビューし、1950年10月28日から1965年まで「ジャック・ベニー・プログラム」のテレビ版に出演しました。映画は、1935年『踊るブロードウェイ』、1936年『パラマウント恋のグランド・ショー』、1937年『画家とモデル』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、1944年『ハリウッド玉手箱』、1957年『ボー・ジェムス』、1963年『おかしなおかしなおかしな世界』、1972年『ザ・マン/大統領の椅子』等に出演しています。1960年代は、バイオにスチ、スタンダップ・コメディアンとしてライブを行っていました。1974年12月に体調を壊して何度かの検査の結果、手術不能な肝臓がんと判明しました。1974年12月22日に自宅で昏睡状態に陥り、12月26日に80歳で亡くなりました。

ソビンスキー中尉役
ロバート・スタック(23歳)

 ロバート・スタック(1919年1月13日~2003年5月14日)は、アメリカ合州国カリフォルニア州生まれの俳優・声優です。幼少期にヨーロッパで育ったので、フランス語とイタリア語を習得していましたが、英語は再びロスアンゼルスに戻ってから習得しています。マサチューセッツ州にある大学で演劇を学びました。スタックは優勝なスポーツマンで、スキーと射撃では全米記録を更新していて、1971年にはその功績が称えられて殿堂入りしています。

 俳優を目指してハリウッドに渡り、1939年『銀の靴』で映画デビューします。1941年『無法地帯』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』『荒鷲戦隊』に出演しました。第二次世界大戦中は、アメリカ海軍に入隊して従軍しました。戦後、1948年『スイングの少女』『特攻戦闘機中隊』、1951年『美女と闘牛士』、1953年『騎兵隊突撃』、1954年『紅の翼』、1955年『東京暗黒街・竹の家』、1956年『硝煙』『風と共に散る』等に出演しました。

 テレビ映画では、1959年から1963年の『アンタッチャブル』でエリオット・ネスを演じてエミー賞を受賞しました。1968年から1971年『ネーム・オブ・ゲーム』、1976年から1977年『特捜隊長エバース』、1981年から1982年『ロス警察特捜隊』のシリーズに出演していました。その他、ゲスト出演で「ルーシー・ショー」や「ジェシカおばさんの事件簿」等に出演しています。

 1959年『大海戦史』、1960年『最後の航海』、1966年『パリは燃えているか』、1967年『太陽のならず者』、1979年『1941』、1980年『フライングハイ』、1983年『地獄の七人』、1990年『ジョー、満月の島へ行く』、2001年『ハッピー・カップルズ』等に出演しました。2003年5月14日に癌で闘病中、心臓発作の為84歳で亡くなりました。

グリーンバーク 役
フェリックス・ベラサート (50歳)

 グリーンバークを演じるのは、フェリックス・ベラサートの履歴は『桃色(ピンク)の店』をご覧下さい。『桃色(ピンク)の店』では髭を生やして眼鏡を掛けて、ピロビッチを演じていました。今回は端役の舞台俳優役を素顔で演じています。事ある毎に「ベニスの商人」の台詞を言いますが、後半では主役となってこの台詞を言う事になります。

ラウィッチ役
ライオネル・アトウィル(57歳)

 イオネル・アトウィル(1885年3月1日~1946年4月22日)は、イギリス・ロンドンのクロイドン生まれの舞台・映画俳優です。彼はイギリスの1918年ギャリック劇場で舞台デビューし、オーストラリアでキャリアを積んだ後に渡米しました。多くのブロードウェイの舞台に出演し、1918年の『野生のアヒル』に出演した頃にはスターになっていました。1918年『イブの娘』で映画デビューし、1930年代からは多くのホラー映画に出演しています。1932年『ドクターX』、1933年『肉の蝋人形』『恋の凱歌』、1934年『女優ナナ』『スペイン協奏曲』、1935年『古城の妖鬼』『海賊ブラッド』1938年『グレートワルツ』、1939年『ベイジル・ラスボーン版シャーロック・ホームズ バスカヴィル家の犬』『フランケンシュタインの復活』、1940年『ブーム・タウン』、1942年『ベイジル・ラスボーン版シャーロック・ホームズ シークレット・ウェポン』・『凸凹宝島騒動』・『フランケンシュタインの幽霊』『生きるべきか死ぬべきか』、1943年『フランケンシュタインと狼男』、1944年『フランケンシュタインの館』、1945年『ドラキュラとせむし女』等に出演しました。アトウィルは1946年4月22日に肺癌と肺炎の為、ロサンゼルスのパシフィック・パリセーズの自宅で亡くなりました。61歳でした。

ツレッキー教授役
スタンリー・リッジス(62歳)

 スタンリー・リッジス(1890年7月17日~1951年4月22日)は、イギリス・ハンプシャー生まれのアメリカの俳優です。本作ではナチスのスパイ役を好演し、キャロル・ロンバードとは2回もキスをする美味しい役を貰っています。リッジスは、ミュージカル・ステージ・コメディのスターのベアトリス・リリーの弟子になり、舞台での技術を長年に渡って学びました。その後、渡米してブロードウェイの舞台に出演し、1933年「スコットランドのメアリー」、1934年「バレー・フォージ」の初演に出演しています。

 リッジスは1923年のサイレント映画『サクセス』で映画デビューし、スぶれた言葉遣いと豊かな声で、トーキー映画に出演するようになります。1934年『情熱なき犯罪』、1937年『紐育の顔役』、1939年『大平原』、1941年『ヨーク軍曹』『海の狼』『壮烈第七騎兵隊』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、1943年『ターザンの凱歌』、1944年『ウィルソン 』、1947年『失われた心』、1949年『機動部隊』、1950年『情事の代償(別名血塗られた代償)』等に出演しました。1950年までにテレビにも出演するようになりましたが、1951年4月22日にコネチカット州ウェストブルックで亡くなりました。60歳でした。

エアハルト大佐役
シグ・ルーマン(58歳)

 シグ・ルーマン(1884年10月11日~1967年2月14日)は、ドイツ帝国のハンブルグ生まれのアメリカの性格俳優です。私には『グレン・ミラー物語』での質屋の主人役が忘れられないです。出番は2カットだったと思いますが、印象に残っています。本作ではゲシュタボのエアハルト大佐を演じ、準主役級の活躍で大いに笑わせてくれます。彼は100本以上の出演映画で、尊大で偉そうにする役人や悪役を演じていました。

 ルーマンは電気工学を学んだ後に、俳優や音楽家として働き始めました。第一次世界大戦中にはドイツ帝国軍に従軍しました。戦後、俳優として再開し、1924年にアメリカに移住してブロードウェイの舞台に出演して成功を収めました。1929年『ラッキー・ボーイ』で映画デビューし、1935年『結婚の夜』『男の魂』と出演しました。彼はマルクス兄弟に気に入られて、1935年『マルクス兄弟オペラは踊る』、1937年『マルクス一番乗り』、1946年『マルクス捕物長』の3作に出演しています。

 1936年頃にルーマンは、第二次世界大戦の勃発直前に反ドイツ的な偏見が高まっていた為、ドイツ人らしさを少しでも和らげる為に芸名を、ジークフリート・ルーマンからシグ・ルーマンに改名しました。1937年『無責任時代』『ハイデイ』、1939年『スエズ』『コンドル』、1939年『ニノチカ』『踊るホノルル』、1941年『淑女超特急』、1943年『制処女』『ターザンの凱歌』、1944年『夏の嵐』、1948年『皇帝円舞曲』、1949年『国境事件』、1953年『第十七捕虜収容所』『魔術の恋』、1954年『グレン・ミラー物語』、1955年『渡るべき多くの河』、1964年『36時間 ノルマンディ緊急指令』、1966年『恋人よ帰れ!わが胸に』等に出演しました。ルーマンは1967年2月14日カリフォルニア州ジュリアンの自宅で、心臓発作の為亡くなりました。82歳でした。

ブロンスキー役
トム・デューガン(53歳)

 トム・デューガン(1889年1月1日~1955年3月7日)は、アイルランドのダブリン生まれのアメリカの映画俳優です。本作では端役の舞台俳優役で、映画の冒頭からヒトラーに扮して登場して公判では重要な役を演じます。幼い頃に彼の家族はフィラデルフィアに移り、その後フィラデルフィア高校を卒業して就職します。仕事が上手くいかず、テノールの声が良かったので巡回医療ショーに出演しました。その後、ミンストレル一座に出演し、ニューヨーク市のミュージカル・コメディやヴォードヴィルの劇場に出演していました。最終的に彼は、ブロードウェイのコメディアンになりました。

 デューガンは1927年から1955年の間に約270本の映画に出演しました。彼の映画デビューは1928年の『紐育の灯』で、全編を通して音声が収録された、世界初のオール・トーキー映画です。1927年にトーキー映画として『ジャズ・シンガー』が公開されましたが、この映画は台詞の一部と歌の部分がトーキーのパート・トーキー映画です。1935年『二つの顔』、1936年『黄金の雨』、1940年『ゴースト・ブレーカーズ』、1949年『私を野球につれって』等に出演しました。デューガンは交通事故で負傷した後に、1955年3月7日カリフォルニア州レッドランドで亡くなりました。66歳でした。

ドボッシュ役
チャールズ・ハルトン(66歳)

 チャールズ・ハルトン(1876年3月16日~1959年4月16日)は、アメリカの性格俳優です。彼は180本以上の映画に出演していますが、半数以上はノン・クレジットです。本作では舞台演出家のドボッシュ役で、トラブル解決の作戦を練ったり、切れ者舞台演出家を演じています。彼は、前回紹介した『桃色(ピンク)の店』では探偵の役で、ワン・シーンだけ登場していました。

 ハルトンは、ニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで学び、1901年にブロードウェイ・デビューをして、その後50年間で約35の作品に出演しました。1911年の夏、彼はコロラド州デンバーのエリッヂ・シアターに出演しました。1920年代から、ハルトンの薄くなった髪、縁なし眼鏡、厳しい顔、気難しい態度は、何世代にも渡ってアメリカの映画ファンにも親しまれていました。彼が演じるキャラクターは、厳格な政府官僚、葬儀屋、イタチのような弁護士、非情な役人など嫌な役が多いです。数多い出演作品の中で、1946年『素晴らしき哉、人生!』の銀行検査官、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、のポーランドの舞台演出家、1941年『スミス夫妻』のアイダホ州の役人役などは、非常に印象深かったです。

 1919年『宝石の塔』、1933年『夜明けの嵐』、1936年『大自然の凱歌』・『流行の女王』、1937年『大都会の谷間』、1940年『3階の見知らぬ男』、1940年『西部の男』『海外特派員』、1942年『パナマの死角』『西部の顔役』、1945年『ブルックリン横丁』、1949年『三人の名付け親』、1953年『ムーンライター』等に出演しています。ハルトンは1959年4月16日、ロサンゼルスで肝炎で亡くなりました。63歳でした。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.38 『桃色(ピンク)の店』の続きの続き

電話で社長の奥さんを茶化すペピ(左)
ヴァダスを解雇したクラリック(右)

 ぺピは社長の奥さんにヴァンダスと浮気している事を、社長が知った事をぺピお得意の口調で話して電話を切ります。クラリックはヴァダスを事務所に呼び、クビを言い渡します。色々反論するヴァダスをクラリックは突き飛ばし、用意していた給料を渡した時にペピがヴァダスのコートを持ってきて、ヴァダスが受け取ろうとした瞬間床に落とします。(非常に良いテンポで展開され、スカッとする場面です。それにしてもヴァダス役のジョゼフ・シルドクラウトは演技が上手い役者さんで、憎たらしさは満点です。)

私書箱の中を覗くクララ(左)     社長に会いたいと言うクララ(右)

 場面は変わって郵便局の私書箱の裏側が映り、237号の棚の中を探し回る手があり、何も無いのを確認するクララの顔が映し出されます。クララは店に出勤し、事務所に入ります。中にクラリックがいたので驚きますが、社長のマトチェックに会いたいと言います。クラリックが社長は不在で自分は主任だと言いますが、クララは具合が悪いから冗談は止めてくれと言います。そこに取引先から電話が来てクラリックが対応するのを見て、状況を把握しますがその場に倒れ込んでしまいます。

クララを見舞いに来たクラリック(左)
手紙を読んで元気になったクララ(右)

 クラリックは閉店後、クララを見舞いに行きます。病気の具合を尋ねると、「恋煩い」だと分かります。そこに同居しているお婆さんが手紙を持って来ると、クララは一気に元気になります。彼女は手紙を読み、彼へのクリスマス・プレゼントは「オルゴール付き煙草入れ」にすると言い出します。クラリックは「財布」を勧めますが、彼女は考えを変えません。(この場面のクララ役のマーガレット・サラヴァンの演技が素晴らしいです。)

恋人へのプレゼントを財布に変えさせるピロビッチ(左)
繁盛している店を見て喜ぶ社長(右)

 翌日のクリスマス・イヴ、店の前で配達の準備をしているルディに、ペピが指示を出します。(未成年のくせに貫禄充分なペピです。)クラリックは従業員に社長への最高のクリスマス・プレゼントを贈ろうと言い、店の商品を全て売り尽くそうと檄を飛ばします。商品の準備しているクララにピロビッチが話しかけ、恋人へのプレゼントを「オルゴール付き煙草入れ」から「財布」に変えさせます。店は大繁盛で商品は売れ捲ってます。そこに病院を抜け出した社長が現れます。

皆にボーナスを渡す社長(左)    ルディをレストランに誘う社長(右)

 閉店後に売り上げを確認すると、店始まって以来の新記録に社長は上機嫌です。皆にボーナスを渡し、帰り支度をしながら従業員の誰かと食事をしようと思いますが、皆予定があり思うようになりません。そこに入ったばかりのルディが現れ、彼が一人でイヴを過ごす事が分かり、喜び勇んで彼を連れてレストランに向かいます。

クララにプレゼントするペンダントを見せるクラリック(左)
文通相手は自分だとクララに告げるクラリック(右)

 更衣室でクララが「財布」を箱詰めしている処にクラリックが現れ、彼が恋人に贈る「ダイヤ付きのペンダント」を見せてクララに着けて貰います。この場面での二人のやり取りは面白くて、クラリックがちょっと狡い駆け引きをして彼女の幻想の恋人を諦めさせます。そこでクラリックは、手紙の相手は自分だと打ち明けます。本当はクララも彼が好きだった事を伝え、見事にハッピー・エンドとなります。 最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

桃色(ピンク)の店』のトップはこちら

「一度は観たい! 名作映画コレクション 三十四丁目の奇跡」
このセットに収録されている作品は、全てクリスマスの物語です。

発行:株式会社コスミック出版 1,800円+税

『桃色の店』 作品データ

1940年製作 アメリカ モノクロ 99分
原題:The Shop Around the Corner

監督:エルンスト・ルビッチ

製作:エルンスト・ルビッチ

脚本:サムソン・ラファエルソン

原作戯曲:ニコラス・ラズロ

撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:マーガレット・サラヴァン、ジェームズ・スチュアート

   フランク・モーガン、ジョゼフ・シルドクラウト

   フェリックス・ブレザート、サラ・ヘイドン

   ウィリアム・トレーシー、イネズ・コートニー

   サラ・エドワーズ、エドウィン・マクスウェル

   チャ-ルズ・ハルトン、チャールズ・スミス

Vol.37 『桃色(ピンク)の店』の続き

 この映画は、基本的に二人芝居が続く構成になっていて、非常にテンポ良く物語が展開されます。この映画に登場する俳優全員が、素晴らしい演技をしています。出番が少ないルディ役のチャールズ・スミスも含めて、とても良い二人芝居が観られます。素晴らしい台詞のやり取りが書かれた脚本は最高で、ルビッチ監督の無駄のない演出で最後まで引き込まれます。この作品はルビッチ監督が、ヨーロッパに住んでいた頃の思い出を基に作られていますので、監督の思い入れタップリの映画になっています。

開店前に集まっている従業員(左)
社長が乗って来たタクシーのドアを開けるペピ(右)

 物語の舞台はハンガリーのブタペストですが、会話は全て英語です。街角にある雑貨店「マトチェック商会」の店の前から始まります。開店前に従業員全員が店の前に集まり、社長が店を開けるのを待っています。この場面で従業員の人間関係が分かります。クラリックは皆の信望があり、気障なヴァダスは嫌われています。使い走りのペピは抜け目のない若者で、社長の乗ったタクシーが着いたらいち早くドアを開けて挨拶をします。

文通している事をピロビッチに話すクラリック(左)
オルゴール付き煙草入れをクラリックに見せる社長(右)

 開店準備をしている時にクラリックは、ピロビッチに私書箱を通じて女性と文通している話をします。(今風に説明すると、手紙はメールで私書箱がチャット・ルームになります)クラリックは今まで4回文通をして、彼女を非常に気に入っているとピロビッチに話します。二人で話をしている時に、クラリックは社長のマトチェックに呼ばれて事務所に行きます。社長は蓋付きの小箱を手に持っていて、この商品の感想を聞いて来ます。それは「オルゴール付きの煙草入れ」で、社長は一時間悩んで迷っていました。クラリックは、一目見て売れないと即答します。社長は他の従業員を呼んで感想を聞くと、立場を考えて悪くは言いません。社長は再びクラリックに感想を聞きますが、彼の答えは変わりません。

店員の募集は無いとクララに伝えるクラリック(左)
社長に職を求めるクララ(右)

 そんな時に女性客は入店し、ハンド・バックを見ていたのでクラリックが対応します。その女性と話をしていると、彼女は客では無く職探しの為に来店した事が分かります。今は従業員数は足りているので、雇う事は無いと伝えますが彼女は引き下がりません。今度は、社長に会いたいと言います。そのやり取りを遠くから見ていた社長は、彼女が客だと思い対応します。しかし、この女性が求職中だと知ると事務所に逃げ込みます。彼女はクラリックに住所を伝え、募集があったら連絡をくれる様に頼みます。

クララに煙草入れの感想を聞く社長(左)
キャンディー入れだと言って売るクララ(右)

 クラリックは社長に呼ばれて事務所に入ります。二人が話している時にヴァダスが入って来て、煙草入れが売れそうだと言ってきます。二人で店内に戻ると、先程の女性が煙草入れを手に取って見ていました。そこで社長は、彼女に煙草入れの感想を聞きます。彼女は口から出任せで適当な事を言いながら褒めて小売り価格を聞きます。彼女が“お買い得ですね”と大声を出したら、店内にいた女性客が興味を示したので、彼女は煙草入れをその女性に見せます。煙草入れを手に取った女性は、“キャンデー入れね”と言います。彼女は、個性的なキャンデー入れです云い、蓋を開けて“黒い瞳”のメロディが流れますと説明します。キャンデーを取り出す度にメロディが流れるのは最悪だと言って女性客は拒否します。そこで彼女はキャンデーを食べ過ぎないように、注意を促す為にメロディが流れるように作られていると言います。女性客はそれで納得して購入しますが、彼女は社長から聞いた価格よりも高い価格で売ります。この実績でクララ・ノヴァックは店員になりますが、ここからクラリックとの仲は悪くなります。

開店前から言い争いをするクララとクラリック(左)
最近社長の態度が変だと言うクラリック(右)

 それから半年後、店のショー・ウィンドーには売れ残った煙草入れが、仕入れ価格で並べられています。店の前でクラリックは、ピロビッチに文通相手と今晩会う事になった事を伝えます。そこにクララが現れて、本を読み始めます。クラリックは彼女の服装の事で社長に言われた事を伝えますが、ここから言い争いが始ります。この6か月間、二人は何かにつけ言い争いを続けています。そこにヴァダスがタクシー出勤し、大金を見せびらかしながらタクシー代を払います。社長が出勤してきてショー・ウィンドーを見るなり、今日は残業して全員で飾り付けをするように言います。今日は文通相手と初デートなので、クラリックは社長に早退したい事を伝えに行きます。しかし、社長は忙しいと言って取り合わないので、最近の社長の態度が変だと言いますが冷たくあしらわれます。

クラリックに解雇を伝える社長(左)  皆に別れを告げるクラリック(右)

 倉庫でクラリックとクララが店に出す商品を揃えている時、クララが急に優しい態度で話しかけてきます。仲良くなれそうになった時、早退したいから社長に頼んで欲しいと言い出します。それを聞いたクラリックは彼女が媚びを売ってきた事に怒り出し、再び二人の仲は険悪になります。それでクララは、直接社長に早退を申し出ます。社長はクラリックに彼女を帰しても飾り付けが出来るか聞きます。するとクラリックも大事な用があるので、自分も早退したいと言います。それを聞いた社長は激怒し、全員残業させられます。飾り付けが進む中、社長はクラリックを事務所に呼び彼を解雇します。9年間完璧に近い仕事をしてきたクラリックには、納得出来ない解雇ですが受け入れるしかありません。事務所から出て来たクラリックが解雇されたと言うと、従業員全員も彼同様に納得出来ずにいますがどうしようもありません。クラリックは皆に別れを告げて店を出て行きます。事務所にいる社長に探偵から電話があり、従業員全員を帰します。クララは走って更衣室に行き、急いで着替えして待ち合わせの場所に向かいます。普段、絶対社長に意見を言わないピロビッチが、社長に解雇を思い直すように言いますが拒否されます。

店の外から文通の相手を探すピロビッチ(左)
店内でも言い合いが始まる二人(右)

 クラリックの事を心配してピロビッチは、クラリックに同行して彼の待ち合わせ場所に行きます。クラリックは失業したから彼女に会えないが、どんな女性か見て欲しいとピロビッチに頼みます。ピロビッチが外から店内を見てみると、目印の赤いバラを本に挟んだ女性はクララだと言います。驚いた二人は一旦帰りますが、クラリックは再び戻って来て入店します。惚けながら彼女と会話をしますが、いつもの言い合いが始まります。彼女が待っている男性は自分だと言えず、クラリックは店を出ます。

探偵から調査報告を聞く社長

 店で待つ社長の許に探偵が訪れ、奥さんの浮気の調査結果を報告します。社長は奥さんの浮気相手はクラリックだと思っていましたが、実際の浮気相手はヴァダスでした。社長は自分の間違いに愕然とします。探偵を帰して社長は事務所に入ります。その時ペピが店に帰って来て社長を探します。事務所を覗くと社長はピストル自殺をする処でしたが、間一髪自殺を止めます。

社長は勘違いで解雇した事をクラリックに話す(左)
命の恩人のぺピは店員に昇格します(右)

 翌日ペピの連絡で病院に駆け付けたクラリックは、病室で社長に会います。社長は奥さんの浮気の相手がクラリックだと思い込んで解雇したと言い、復職して主任になって欲しいと頼みます。そしてヴァダスを穏便に解雇するように頼みます。店に帰るクラリックと入れ替わりにペピが入って来ます。ここで社長とペピの面白いやり取りがあって、ペピは使い走りから店員に昇格します。 次回に続きます、最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『桃色の店』 作品データ

1940年製作 アメリカ 99分
原題:The Shop Around the Corner

監督:エルンスト・ルビッチ

製作:エルンスト・ルビッチ

脚本:サムソン・ラファエルソン

原作戯曲:ニコラス・ラズロ

撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:マーガレット・サラヴァン、ジェームズ・スチュアート

   フランク・モーガン、ジョゼフ・シルドクラウト

   フェリックス・ブレザート、サラ・ヘイドン

   ウィリアム・トレーシー、イネズ・コートニー

   サラ・エドワーズ、エドウィン・マクスウェル

   チャ-ルズ・ハルトン、チャールズ・スミス

Vol.36 『桃色(ピンク)の店』

 今回もスクリュー・ボール・コメディです。原題は“The Shop Around the Corner”ですが、なんと酷い邦題でしょうか。ご存じの方も多いと思いますが、この映画をリメイクしたのが『ユー・ガット・メール』です。監督はエルンスト・ルビッチ、主演はマーガレット・サラヴァンとジェームズ・スチュアートです。

【スタッフとキャストの紹介】

エルンスト・ルビッチ

  エルンスト・ルビッチ(1892年1月28日~1947年1月30日)は、ドイツ・ベルリン生まれの映画監督・映画プロデューサーで、ビリー・ワイルダーの師匠です。1908年の16歳の時に高校を中退し、人気喜劇俳優ヴィクトル・アルノルトに弟子入りします。喜劇俳優をやりながら小道具係や照明の助手をし、1911年にマックス・ラインハルト劇団に入団し、翌年から映画に出演するようになります。1913年、主演作『アルプス高原のマイヤー』でコメディアンとして愉快なユダヤ人のマイヤーを演じ、好評を博して短編シリーズものに多く出演しました。1914年に自身主演の短編喜劇『シャボン玉嬢』で監督デビューし、1916年にオッシー・オスヴェルタを見出して複数の短編映画を撮ります。オスヴァルダは「ドイツのメアリー・ピックフォード」と称され、人気者となりました。1918年から長編映画『呪の目』を発表し、続けて発表した『カルメン』がヨーロッパで大ヒットし名声を得ます。1919年『マダム・デバリュー』を監督して大成功を収め、1922年にメアリー・ピッツフォードに招聘されてアメリカに渡ります。

 1923年にピックフォードの主演映画『ロジタ』を監督し、1924年『結婚哲学』。1925年『当世女大学』の監督をします。この頃から、人物の位置や視線などの映像表現によって人物の感情を描く、独自の「ルビッチ・タッチ」を確立していったと云われています。1928年パラマウント社に移籍し、1929年にトーキー映画第一作の『ラブ・パレード』、1931年『陽気な中尉さん』、1932年『極楽特急』、1933年の『生活の設計』等を監督します。1934年から製作もするようになり、1935年にマレーネ・ディートリヒ主演の『真珠の頚飾(真珠の首飾り)』を製作しました。1935年1月28日、ナチス・ドイツによってルビッチのドイツ市民権が剥奪されました。ルビッチはドイツに残っていた姉達とその家族、亡き兄の遺児をアメリカに呼び寄せました。ルビッチは1936年1月24日、アメリカの市民権を獲得しました。1937年にフランス政府からレジオンドヌール勲章を授与されました

 1937年『天使』、1938年『青髭八人目の妻』を監督し、『桃色(ピンク)の店』の制作・監督をする事になりましたが、マーガレト・サリヴァンの強い要望に応えて、ジェームズ・スチュアートのスケジュールが空く迄待ちます。その間の1939年にMGMでグレタ・ガルボ主演の『ニノチカ』を製作・監督しました。1941年に独立して『淑女超特急』を製作・監督し、1942年にナチス占領下のポーランドから脱出する芸人の姿を描いた『生きるべきか死ぬべきか』を監督しました。1944年頃より心臓疾患を抱えていた為監督を休業し、1946年に『小間使』で復帰します。1947年11月30日、ベティ・グレイブル主演のミュージカル映画『あのアーミン毛皮の貴婦人』の準備中に、自宅で心臓発作で倒れて死亡しました。55歳でした。ビリー・ワイルダーと西ベルリン映画ジャーナリストクラブによって、1958年にエルンスト・ルビッチ賞が創設されました。毎年ルビッチの誕生日に授賞式が行われています。

クララ・ノヴィック役
マーガレット・サラヴァン(31歳)

 マーガレット・サラヴァン(1909年5月16日~1960年1月1日)は、ヴァージニア州ノーフォーク生まれのアメリカ合州国の女優です。裕福な家庭に育った彼女は、高校の卒業式で学生代表として演説を行うなど学業優秀でしたが、両親の反対を押し切って女優を目指します。1931年にブロードウェイにデビューし、1933年「晩餐八時」に代役で出演していた時に、映画監督のジョン・M・スタールにスカウトされて1933年『昨日』で映画デビューしました。1934年『第三階級』、1935年『お人好しの仙女』『薔薇は何故紅い』、1936年『月は我が家』1941年『裏街』・『新婚第一歩』に出演しています。彼女は舞台活動を重視していた為に映画出演は少ないですが、演技力は高く評価されていました。1938年『三人の仲間』で、ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞を受賞し、アカデミー主演女優賞でノミネートされています。

 ジェームズ・スチュアートとは、1936年『結婚設計図』、1938年『店曝らしの天使』、1940年『桃色(ピンク)の店』『死の嵐』の4本で共演しています。1943年『Cry‟Havoc”』に出演し、1950年の『No Sad Songs for Me』が最後の映画出演となりました。1950年代以降は、難聴と神経衰弱の症状に苦しんでいました。難聴は先天性のもので、周囲の人たちには隠していました。サラヴァンは子供達と過ごす時間を増やす為に映画出演を辞めましたが、長男と次女との関係が上手くいかず、彼女の精神状態を悪化させる一因でした。1960年1月1日にコネチカット州ニューヘイブンのホテルの部屋で、意識不明の状態で発見され病院で死亡が確認されました。検死報告では、薬物の摂取量を誤った事による事故死となっています。51歳でした。

アルフレッド・クラリック役役
ジェームズ・スチュアート(32歳)

 アルフレッド・クラリック役はジェームズ・スチュアートで、彼の略歴は『モーガン先生のロマンス』をご覧ください。

社長のヒューゴ・マトチェック役
フランク・モーガン(50歳)

 フランク・モーガン(1890年6月1日~1949年9月18日)は、ニューヨーク州ニューヨーク市に生まれのアメリカ合州国の俳優です。モーガンは、コーネル大学卒業後にブロードウェイでデビューし、1914年に『The Suspect』で映画デビューしています。1910年代から1920年代は様々なサイレント映画に出演して、俳優として順調に活躍しました。その後1930年代から1940年代にかけて35年間、主にMGM映画に数多く出演していました1930年『喧嘩商会』、1935年『お人好しの仙女』、1936年『巨星ジーグフェルド』『テムプルのえくぼ』、1937年『ロザリイ』・『サラトガ』等に出演しました。

 1939年『オズの魔法使い』では、マーベル教授、エメラルド・シティの門番、御者、警備員、オズ大魔王の幻影、魔法使いの6役を演じています。1940年『死の嵐』『桃色(ピンク)の店』、1941年『無法街』、1942年『町の人気者』、1944年『クーパーの花婿物語』、1945年『ヨランダと泥棒』、1946年『名犬ラッシー/ラッシーの勇気』、1948年『三銃士』、1949年『甦る熱球』等に出演しています。1940年代にはラジオ番組にも出演したり、1949年には子供向けのレコードを吹き込んでいます。モーガンは、1949年12月12日に心臓発作の為に59歳で急死しました

ヴァダス役
ジョゼフ・シルドクラウト(44歳)

 ジョゼフ・シルドクラウト(1896年3月22日~1964年1月21日)は、オーストリアのウィーン生まれの俳優です。父親は舞台俳優・映画俳優のシルルフ・シルドクラウトです。4歳の時に家族でドイツのハンブルグに移り、そこでピアノやヴァイオリンを習います。その後家族でベルリンに移って、6歳で初舞台を踏んで、1911年にベルリンの王立音楽アカデミーを卒業しました。1912年に家族と共にアメリカに渡りニューヨークで舞台デビューしますが、第一次世界大戦中に一度ヨーロッパに戻り、1920年に再度アメリカに移住して舞台に立ちます。1921年アメリカでの初舞台上演、「リリオム」(映画『回転木馬』の原作)で主役を演じました・その後、サイレント映画に出演したり。時々舞台の仕事もしていました。

 1921年『嵐の孤児』、1927年『キング・オブ・キングス』では親子で共演し、1929年『ショー・ボート』、1934年『奇傑パンチョ』『クレオパトラ』、1936年『砂漠の花園』、1937年『三銃士』等に出演し、『ゾラの生涯』ではアカデミー助演男優賞を受賞しました。1938年『マリー・アントアネットの生涯』、1940年『桃色(ピンク)の店』、1945年『炎の街』、1949年『拳銃の嵐』、1959年『アンネの日記』、1961年『でっかい札束』、1965年『偉大な生涯の物語』等に出演しました。1950年代からはテレビ映画に出演し、「トワイライト・ゾーン」では2エピソードに出演していました。シルドクラウトは、1964年1月21日に心臓発作でニューヨーク市の自宅で亡くなりました。68歳でした。彼の父親も68歳の時に心臓発作で亡くなっています。

ピロビッチ役
フェリックス・ブレザート(45歳)

 フェリックス・ブレザート(1895年3月2日~1949年3月17日)は、ドイツの東プロイセンのエイトクーネン(現在のロシアのネフテロフスキー地区)生まれの舞台・映画俳優です。本作では、クラリックの良き相談相手となり、何かと彼を支える役を好演しています。社長が従業員に意見を求めている時は、直ぐに雲隠れしてしまう惚けた役をこなしています。

 ブレザートは、1914年「十二夜」で舞台デビューし、オーストリア、デンマーク、イギリス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ユーゴスラビアで演技を続けました。1928年から1935年までは40本のドイツ映画に出演しました。1930年『給油所の三人』に出演してからは、主役を演じるようになりました。1933年にナチスが台頭してきた頃、ユダヤ人のブレザートは、ドイツを離れてオーストリアでドイツ語の映画に出演していました。1938年にアメリカに移住し、1939年『ニノチカ』・『懐かしのスワニー』、1940年『同志X』・『人間エヂソン』・『桃色(ピンク)の店』、1941年『塵に咲く花』『美人劇場』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、1944年『第七の十字架』、1946年『永遠に君を愛す』、1948年『ジョニーの肖像』『ヒット・パレード』等に出演しました。ブレザートは、1949年3月17日に白血病の為に57歳で急逝しました。

ペピ・カトナ役
ウィリアム・トレーシー(23歳)

 ウィリアム・トレーシー(1917年12月1日 – 1967年7月18日)は、ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれたアメリカ合州国の俳優です。本作では非常に機転が利く使い走りのペピ役で彼が登場すると、その場面は彼の独り舞台のようになる存在感ある俳優です。

 トレーシーは、1938年『汚れた顔の天使』、1940年『ストライク・アップ・ザ・バンド』に出演し、『桃色(ピンク)の店』のぺピ役で有名になり、1941年『タバコ・ロード』『スミス夫妻』に出演しました。トレーシーはジョー・ソーヤーとコンビで、B級コメディ映画のシリーズ8本に出演しました。1941年『タンクス・ミリオン』のドリアン・”ドードー”・ダブルデイ軍曹役で、B級コメディ映画のシリーズ8本に出演しました。1942年『トリポリ魂 海兵隊よ永遠なれ』、1952年の『ミスター・ウォーキー・トーキー』が最後の映画となりました。1950年代は主にテレビに出演し、ラジオ番組にも出演していました。トレーシーはカリフォルニア州ハリウッドで、49歳の若さで亡くなりました。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.35 『モーガン先生のロマンス』の続きの続き

 パーティーの翌日、キースは学長にフランシーの事を告げようとしますが、真面に相手にされないので彼女は新入生だと言います。キースはフランシーをピーターの教室に連れて行き、植物学の講義を受ける様に言い教室に入れます。(セクシーで可愛いフランシーが教室に入って来たので、男子学生の冷やかしが面白い。)

講義中のピーターの教室を訪れた
フランシー

 ピーターはフランシーにアパートを借りるよう言い、彼女はキースの家から出てアパートに引っ越します。彼女が借りた部屋のベッドは、足側を持ち上げて壁に収納するベッドです。メイドさんがベッド・メイキングして収納してドアを開けて部屋を出る時、風が吹いて部屋の奥のドアがバタンと閉まった時にベッドが倒れてきました、するとメイドさんは“ウォルター”と叫んで、ベッドを収納しました。フランシーは、“ウォルター”って何の事かメイドさんに聞くと、彼女の旦那さんの名前が“ウォルター”で、事ある毎に倒れるので何かが倒れると叫んでしまうと言います。(この“ウォルター”と云う台詞は、度々登場します。)

ベッドを収納する
フランシーとメイドさん

 フランシーが借りたアパートをピーターが訪ねると、そのアパートは女性専用だったので管理人に入室を断られます。仕方なくピーターとフランシーは、二人っきりなる為にボート置き場に行きます。ボート置き場で床に置かれたボートに入って話始めると、静かにするように後ろから声が掛かります。驚いたピーターが立ち上がった時に、壁に掛かった船外機のスイッチを入れた為、ボート置き場は大騒動になります。

ピーターの入室を拒否する管理人(左) ボート置き場での大騒動(右)

 そこから逃げ出してから、ピーターは父親に結婚した事と告げる為大学に行きます。学長室でスピーチの準備をしている父親に話を切り出そうしますが、父親は相手にしないでドアを開けて講堂に入ろうとします。ピーターは、背中越しに大声でフランシーと結婚した事を伝えます。講堂に入った父親は、スピーチを止めて学長室の戻ってきます。それを見た母親は、学長室に向かいます。学長室でピーターと父親が、怒鳴るような言い合いをしています。その様子を見た母親は、心臓の具合が悪くなり椅子に座り込んでしまいます。

父親と言い争うピーター

 ピーターはその場を離れ、フランシーをアパートまで送ります。車を降りたフランシーが“さよなら“と言うので、アパートのエレベーターまで追いかけて行くと、管理人に止められて小さなコントがあります。ピーターはフランシーの部屋に窓から入り、帰らないように説得します。(この場面では、フランシーの揺れ動く心情をジンジャー・ロジャースが好演しています。)

フランシーを説得中のピーター

 フランシーは留まる事になり、ピーターは窓から外に出ます。最後の梯子にぶら下がっている時に、それを見ていたヘレンに声を掛けられます。フランシーに宿題を教えていたと言い訳をして、ピーターはその場を去ります。ベッドで安静にしている母親にヘレンは、ピーターがフランシーの部屋から出て来た事を伝えます。母親は直ぐにベッドから出て、フランシーに会いに行きます。フランシーの部屋で、“あなたとピーターの事は承知よ”と云ったので、フランシーは二人の結婚の事を承知したのだと思います。フランシーは結婚した事を伝えるのに悩みましたと言うと、母親は初耳だと言って椅子に座ります。

フランシーの部屋を訪れた母親(左)  心臓病の真相を話す母親(右)

 椅子に座った母親は笑顔になり、二人の結婚をとても喜んでいる表情します。(ボーラ・ボンディの演技が、素晴らしいです。観ていて、こちらも笑顔になります。)母親はフランシーから煙草を貰い飲もうとすると、フランシーは心臓に悪いからと言って必死で煙草を取り上げます。すると母親は、私の病気は都合良く出てくる病苦だと言います。面倒な事が起こりそうになると、病気になってそれを終わらせてきた、それで良い結婚生活を過ごす事が出来た事をフランシーに言います。

キースと踊るフランシー(左)      陽気に踊る三人(右)

 そこにキースが、フランシーを大学に連れて行く為に登場します。ここからが最大の見せ場、キースとフランシーと母親のダンスが始まります。

三人の踊りに驚く父親(左)    それとも知らずに踊る三人(右)
フランシーに離婚するように告げる父親(左)
父親に反論するフランシー(右)

 三人が踊っている最中、父親が部屋に入って来ます。ここでフランシーと父親の対決です。父親はフランシーの話を真面に聞かず“離婚しろ”の一点張りです。最後にはピーターをクビにするとまで言うので、フランシーは折れて出て行くと伝えます。母親は夫の態度に嫌気がさし、30年我慢してきた事を言い母親も出て行く事にします。

父親の態度に憤慨する母親(左)   家から出る事を告げる母親(右)

 授業中のピーターの教室にキースが入って来て、フランシーが出て行った事を伝えます。ピーターは代講を助手に頼み、用具室でフランシーに電話をし、列車が出るまでに父親を説得すると言います。ピーターとキースは、容疑室のある薬品で酒を造ります。ピーターは、たらふく飲んで教室に戻り講義を始めますが、奇声を上げるので父親は授業を終わらせます。その後父親と話をしますが、列車の発車時刻5分前なので駅に向かおうとしますが、その場にぶっ倒れてしまいます。

器具室で酒を作るピーターとキース(左)
父親にフランシーへの思いを伝えるピーター(右)

 駅で待つフランシーはピーターが来ないので、泣く泣く列車に乗ります。列車の中でもフランシーは泣き崩れていますが、そこにポーターが気を利かせてサンドイッチを持って来ます。(このポーターを演じているのが、ウィリー・ベストです。)笑顔で自慢げにハム・サンドをテーブルに置きます。フランシーは泣きながら、お礼を言って食べようとしますが、涙が止まらず食べられません。笑顔だったポーターは、泣きそうになりながら部屋を出ます。今度は隣の部屋の母親に笑顔でハム・サンドを持って行きますが、母親も涙が止まらず食べる事が出来ません。可愛そうにポーターは、今度も半ベソ状態で部屋を出ます。

フランシーと母親にハム・サンドを届けるポーター

 ポーターは恐る恐るフランシーの部屋にマスタードを届けますが、持ち帰るように言われ部屋を出る時、煙草を注文されます。営業時間が過ぎているので、誰かから調達しますと言って部屋を出ます。他凹を1本手に入れた時に、母親にも煙草を頼まれます。ポーターは母親の方が落ち込んでいるので最後の1本を差し出すと、母親はその煙草を半分にします。半分になった煙草をフランシーに渡すと、”お母さんだ”と言って隣の部屋の母親と再会します。喜んで笑顔になった二人は、ハム・サンドを食べ始めたのでポーターはマスタードを持って来ます。彼が部屋に入ると、又二人とも泣き崩れています。それを見たポーターも泣き出しそうになりますが、この表情をカメラはアップで撮ります。(この顔の演技が、アメリカ人には受けたんでしょうね。)

半分になった煙草を持って来たポーター(左)
再会を喜ぶフランシーと母親(右)

 突然、列車は汽笛と共に急停車します。線路に止まっていた車と衝突した為ですが、間もなく列車は出発します。最後尾の車両から乗り込んだピーターと父親が現れ、父親は母親に帰るように言いますが拒否されます。そこで父親は心臓が痛むと言って仮病を使って部屋に入ります。ピーターはフランシーの部屋に行き、キスしようとした時に上に収納されたベッドが下りてきて、フランシーが思わず“ウォルター”と叫びます。ピーターがドアを閉めるとエンド・マークが出て、よく耳にする音が流れて終わります。洒落っ気タップリ、最後の最後まで楽しませてくれます。

再会を喜ぶフランシーとピーター(左)
上段のベッドが下りて来て”ウォルター”と叫ぶフランシー(右)

 ジョージ・スティーヴンス監督は、列車の個室のセットを2室同時に見られるように作っています。フランシーと母親が夫々いる個室を、ポーターが行ったり来たりして笑顔になったり泣きそうになったりと、ポーター役のウィリー・ベストが存分に演技出来るようにしていると思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『モーガン先生のロマンス』 作品データ

アメリカ 1938年 モノクロ 90分 劇場未公開

原題:Vivacious Lady

監督:ジョージ・スティーヴンス

製作:ジョージ・スティーヴンス

脚本:P・J・ウルフソン・アーネスト・パガノ

撮影:ロバート・デ・グラス

音楽:ロイ・ウェッブ

出演者:ジンジャー・ロジャース、ジェームズ・スチュワート

    ジェームズ・エリソン・ビューラ・ボンディ

    チャールズ・コバーン・フランセス・マーサー

    グラディ・サットン・ジャック・カーソン

    フランクリン・パングボーン、ウィリー・ベスト

Vol.34 『モーガン先生のロマンス』の続き

 脚本が素晴らしいこの映画は、ジョージ・スティーヴンスの冴えた演出で展開されます。小さなコントが連続して登場する感じで、最後まで一気に楽しく鑑賞出来ると思います。映画が始まると六角形のショー・ケースに入った女性用の帽子が映し出され、そのショー・ケースのガラス面にクレジットが表示されます。1930年代も男女共に帽子を被っていまして、特に女性のお洒落には欠かせない必須アイテムでした。

フランシーに一目惚れしてメロメロのピーター(左)
歌うフランシーはセクシーで可愛い(右)

 ニューヨークのナイト・クラブから物語が始まります。真面目な大学教授のピーターは、ナイト・クラブで飲んでいる従弟のキースに、一緒に列車で帰るように伝えます、キースは結婚したい女性がいるので、彼女を口説き落とすまで帰らないと言います。ピーターは彼の言う事には耳を貸さず、学長の父親にピーターを見付けた事を伝える為に電話を掛けに行きます。受付にある電話で長距離電話を掛けますが、大声で話すので受付の女の子から突っ込みが入ります。この会話が軽妙で面白いです。ステージではフランシーが、“You‛ll be Reminded of Me”を歌っています。(ジンジャー・ロジャースの歌が素敵です。)キースのテーブル席に向かうピーターは、フランシーを一目見て恋してしまいます。彼女を見ながら歩くので、途中クーラーポットを倒してしまいます。取り合えず空いているテーブル席に着き、彼女の歌に聞き惚れます。フランシーは歌の邪魔をするピーターの傍まで来て、椅子に座って歌うので彼はもうメロメロです。

オープンの二階建てバスの二人(左)公園でトウモロコシを食べる二人(右)

 キースはピーターがテーブル席に戻る前にトイレに隠れて、ピーターが一人で帰るのを待ちます。ピーターはキースがテーブル席にいないので、椅子に座って待っているとフランシスがやって来て隣の席に座ります。キースが結婚したがっている女性が彼女だとピーターは気が付きますが、話をしている内に二人で食事に出掛ける事になり店を出ます。人込みで混雑する中、大声を出しながら嚙み合わない会話が始まります。ここから夜明けまで語り明かす状況は、残念ながら文章で上手くお伝えする事は出来ません。何とも可笑しいピーターの振る舞いとフランシーの素敵な表情、そして二人の軽妙な会話は観ていて楽しいです。

一向にキスしないピーターに素早くキスするフランシー

 明け方彼女のアパートの玄関前で、ピーターは話をしながらキスをするチャンスを窺いますが、女性に疎い彼は何も出来ません。しかし、フランシーがピーターに軽くキスをして玄関に走って行きます。ピーターはフランシスを追いかけて玄関口でキスをします。(この場面の二人の演技は、素晴らしいです。)別れた直後、ピーターは街角の薬局からフランシーに電話をしてデートを再開します。

 画面は列車の中に変わりピーターは、酔っ払っているキースにフランシーと結婚した事を伝えます。キースは激怒しますが、事既に遅しです。ピーターとフランシーは二人っきりになろうとしますが、アクシデントがあり結局展望車で過ごします。列車がオールド・シャロンに着くと、駅には学長の父親とヘレンが待っていました。ヘレンは父親が勝手決めたピーターの婚約者です。

父親が決めた婚約者のヘレンと父親

 ピーターが未だ父親に結婚の話をしていないで、フランシーはキースの家に行く事にします。キースと一緒にいるフランシーを見た父親は、悪印象を持ちます。ピーターは父親にフランシーの話をしようとしますが、父親は聞く耳持たずで一切聞こうとしません。(スクリューボール・コメディでは相手の台詞が終わらないうちに話始め、二人の言い合いがよくあります。)家に帰ってからもフランシーの事を話そうとすると、又父親と言い合いが始まります。二人が怒鳴り合っている処に母親が登場しますが、怒鳴り合いが続くので母親は心臓の具合が悪くなってしまいます。

スタンド式の灰皿を持った時にモーガン夫妻が現れる(左)
化粧室で意気投合するフランシーと母親】(右)

 ピーターはフランシーに電話をして大学のパーティーに来るように伝えます。フランシーを新入生としてパーティーに参加しますが、ヘレンの態度に激怒して思わずスタンド式の灰皿を振り上げた時、モーガン夫妻が現れ醜態を晒してしまいます。落ち着きを取り戻す為にフランシーは女性用ラウンジに行き、咥え煙草で靴下を直している時に母親が入ってきます。喫煙者の母親は、フランシーに煙草を一本貰えないか声を掛けてきます、フランシーは喜んで最後の一本を差し出します。一寸躊躇した母親は、その煙草を半分に分けてフランシーに渡します。二人で煙草を吸いながら和やかな会話をして意気投合します。

フランシーとヘレンの口喧嘩(左) 二人の平手打ちが始まる(右)

 会場ではヘレンがピーターにべったりくっ付いてダンスをしています。キースの機転でフランシーはピーターとダンスをし、踊りながら庭に出ます。ピーターはフランシーを庭のベンチで待たせて、両親を呼びに行きます。入れ替わりにヘレンが来てフランシーに話しかけてきます。フランシーは立ち上がってヘレンと向き合います。ここから二人の言い合いが始まり、ヘレンがフランシーに行き成り平手打ちをします。負けじとフランシーも平手打ちのお返しを2回します。今度はヘレンがフランシーの足を蹴り二人の乱闘になります。

蹴とばされて反撃するフランシー(左)
女性の争いに唖然とするモーガン親子(右)

 この頃、ピーターは父親を庭に連れてきますが、フランシーがヘレンを投げる寸前でした。ヘレンがピンでフランシーのお尻を刺したので、ヘレンは投げ飛ばされます。モーガン親子が二人を止めに入りますが、フランシーはヘレンを殴ろうとして父親を殴ってしまいます。母親を連れて来たキースは、この惨事を母親に見せないように会場で踊り始めます。(この場面のスティーヴンス監督の演出は最高で、ジンジャー・ロジャースが滅茶苦茶面白いです。)

講義中のピーターの教室を訪れた
フランシー

 パーティーの翌日、キースは父親の学長にフランシーの事を告げようとしますが、真面に相手にされないので彼女は新入生だと言います。キースはフランシーをピーターの教室に連れて行き、植物学の講義を受ける様に言い教室に入れます。(セクシーで可愛いフランシーが教室に入って来たので、男子学生の冷やかしが面白い。)

ベッドを収納するフランシーと
メイドさん

 ピーターはフランシーにアパートを借りるよう言い、彼女はキースの家から出てアパートに引っ越します。彼女が借りた部屋のベッドは、足側を持ち上げて壁に収納するベッドです。メイドさんがベッド・メイキングして収納してドアを開けて部屋を出る時、風が吹いて部屋の奥のドアがバタンと閉まった時にベッドが倒れてきました、するとメイドさんは“ウォルター”と叫んで、ベッドを収納しました。フランシーは、“ウォルター”って何の事かメイドさんに聞くと、彼女の旦那さんの名前が“ウォルター”で、事ある毎に倒れるので何かが倒れると叫んでしまうと言います。(この“ウォルター”と云う台詞は、度々登場します。)

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『モーガン先生のロマンス』 作品データ

アメリカ 1938年 モノクロ 90分 劇場未公開

原題:Vivacious Lady

監督:ジョージ・スティーヴンス

製作:ジョージ・スティーヴンス

脚本:P・J・ウルフソン、アーネスト・パガノ

撮影:ロバート・デ・グラス

音楽:ロイ・ウェッブ

出演者:ジンジャー・ロジャース、ジェームズ・スチュアート

   ジェームズ・エリソン、ビューラ・ボンディ

   チャールズ・コバーン、フランセス・マーサー

   グラディ・サットン・ジャック・カーソン

   フランクリン・パングボーン、ウィリー・ベスト

Vol.33 『モーガン先生のロマンス』

“VIVACIOUS LADY” 【IMPORT】

 今回ご紹介するのはラブ・コメディ、それもスクリューボール・コメディです。監督はジョージ・スティーヴンス、主演はジンジャー・ロジャースとジェームズ・スチュアートです。スクリューボール・コメディのスクリューボールは、野球などの球技で使われる用語でスピン(回転)しているボールを云い、何処に飛んで行くか分からないボールの事です。これが転じて予想がつかないストーリーが展開して、周りを巻き込んで大騒ぎになるラブ・コメディです。スクリューボール・コメディの始まりは、ハワード・ホークス監督の『特急二十世紀』(1934年)やフランク・キャプラ監督の『或る夜の出来事』(1934年)から始まったと云われています。1930年代半ばから1940年代までに作られた映画で、一説にはアメリカが第二次世界大戦に参戦した1941年までと云う説もあります。出会う事が無い身分差のある男女の出会いから始まり、スピード感があるストーリー展開とテンポが良い軽妙な会話が特徴です。大恐慌後の1930年代には女性が社会に進出して働くようになり、自立した女性が男性と対等に意見を言う場面が度々登場します。

【スタッフとキャストの紹介】

ジョージ・スティーヴンス

 ジョージ・スティーヴンス(1904年12月8日~1975年3月8日)は、カリフォルニア州オークランド生まれのアメリカ合州国の映画監督・映画プロデューサー・脚本家・撮影監督です。1921年にカメラマン助手として映画入りし、1927年にハル・ローチの元でローレル&ハーディの短編映画の撮影をしました。1932年にユニバーサル社で助監督に昇格し、のちにRKOに移籍して1933年に『海上御難の巻』で監督デビューしました。1935年の『乙女よ嘆くな』が出世作となり、1936年『有頂天時代』、1937年『踊る騎士』と監督しました。1938年『モーガン先生のロマンス』と1941年『ガンガ・ディン』『愛のアルバム』では製作・監督をしています。 1942年『女性No.1』を監督して、1942年『希望の降る街』と1943年『陽気なルームメイト』では製作も兼ねています。

 第二次世界大戦中はアメリカ陸軍の映画斑に所属し、戦意高揚映画の製作をしていました。西部戦線では連合軍の進撃に随行し、ダッハウ強制収容所の解放直後から現場の記録撮影をして、ニュルンベルク裁判ではその撮影されたフィルムが証拠として上映されました。凄惨な戦争を実体験した事から、今までの娯楽作品中心から人間性を追求するような作品を発表するようになります。1948年『ママの想い出』、1951年『陽の当たる場所』、1953年『シェーン』、1959年『ジャイアンツ』『アンネの日記』を製作・監督しました。5年間かけて制作した1965年『偉大な障害の物語』では脚本を書き監督をしました。1970年『この愛にすべてを』を監督したのが、最後の仕事になりました。1975年カリフォルニア州ランカスターで心臓発作で亡くなりました。

 スティ-ヴンス監督は完璧主義者で、同じシーンをカメの位置を変えて5~6テイク撮ったり、編集時は自身も編集に参加して1年くらい掛けて編集します。ある時にはワン・シーンを撮るのに数ヶ月掛かる事があったと言われています。その為、会社側とは常に険悪な状態だったようです。発表する映画ごとに新しい試みをするので、私はそれを見付けるのが楽しみでした。

フランシー役
ジンジャー・ロジャース(27歳)

 主役のフランシーを演じるのはジンジャー・ロジャースです。彼女の情報は、Vol.12 『ジジャー・ロジャース』をご覧下さい。

ピーター・モーガン・ジュニア役
ジェームズ・スチュアート(30歳)

 ジェームズ・スチュアート(1908年5月20日~1997年7月2日)は、アメリカ合州国ペンシルバニア州インディアナ出身の俳優です。平均的な中流階級のアメリカ人の善良な役柄を多く演じた事により、“アメリカの良心”と呼ばれました。裕福な家庭生まれで、プリンストン大学で建築学と都市工学を学んで大学卒業後、学生演劇集団「ユニバーシティ・プレイハウス・グループ」に参加して俳優を志します。仲間とニューヨークで共同生活をしていましたが、大恐慌後の不況の為、仕事に就けない状態が続いていました、ヘンリー・フォンダの誘いでハリウッドへ行き、MGMと契約して1935年『舗道の殺人』に出演して映画デビューしました。1936年 『超スピード時代』で初主演し、『踊るアメリカ艦隊』『夕日特急』では悪役を演じています。フランク・キャプラ監督の眼に止まり、1938年の『我が家の楽園』と1939年の『スミス都へ行く』で主役を演じ、作品のヒットによりスターとなりします。1940年『桃色(ピンク)の店』、1941年『美人劇場』に出演し、1940年の『フィラデルフィア物語』でアカデミー主演男優賞を受賞しました。本作で共演したジャンジャー・ロジャースは、1940年の『恋愛手帳』でアカデミー主演女優賞を受賞しました。二人は友人同士で、ジェームズ・スチュアートが1942年に出征する時、ジャンジャー・ロジャースに彼の空軍パイロット記章を贈っています。

 第二次世界大戦中は、軍隊に志願して陸軍航空軍のB-24爆撃機のパイロットとして活躍しました。出撃回数は20回、飛行時間は1800時間で1945年3月に大佐に昇進しました。戦後は予備役として軍務にも就いていて、1959年7月に空軍准将に昇進し、1968年3月に空軍を退役した後少将に昇進しています。親友のゲイリー・クーパーが『ヨーク軍曹』でアカデミー賞を受賞した際には、軍服姿でプレゼンターとして授賞式に出席してクーパーにオスカーを手渡しています。

 1946年『素晴らしき哉,人生!』は、フランク・キャプラ監督との最後の映画になりました。1947年『魔法の町』、1948年『出獄』『気高き荒野』、アルフレッド・ヒチコック監督の実験映画と云える『ロープ』に出演しました。1949年に義足の大リーガー、モンティ・ストラットン投手の伝記映画『蘇る熱球』でジューン・アリソンと夫婦役を演じています。1950年『ウィンチェスター銃`73』から、アンソニー・マン監督の作品に多く出演しました。1952年『怒りの河』、1953年『裸の拍車』『雷鳴の湾』『グレン・ミラー物語』、1954年『遠い国』、1955年のスチュアートの企画による『戦略空軍命令』・『ララミーから来た男』と続きました。その他に1950年『折れた矢』『ハ~ヴェイ』はスチュアートがお気に入りの作品で舞台と映画の両方に出演しました。1954年にはヒチコック監督の『裏窓』、1956年の『知りすぎていた男』、1958年『めまい』に出演しました。

 1957年『翼よ!あれが巴里の灯だ』、1959年『連邦警察』、1961年『馬上の二人』、1962年『リバティ・バランスを射った男』『西部開拓史』、1965年『シェナンドー河』『飛べ!フェニックス』、1968年『ファイヤーフリークの決斗』・『バンドレロ』、1970年『テキサス魂』、1974年『ザッツ・エンターテインメント』、1976年『ラスト・シューティスト』、1978年『大いなる眠り』、1980年『アフリカ物語』等に出演しました。1984年に長年の映画界への功績を称え、アカデミー賞名誉賞を授与されました。

父親のピーター・モーガン・シニア役
チャールズ・コバーン(61歳)

 オールド・シャロンの大学の学長でピーターの父親を、チャールズ・コバーンが演じています。自分の意見を押し通し、相手の意見を聞かない頑固親父を好演しています。チャールズ・コバーン(1877年6月19日~1961年8月30日)は、ジョージア州メイコン生まれのアメリカ合州国の俳優・演劇プロデューサーです。ジョージア州サバンナで育ち、14歳で地元のサバンナ劇場で働き始めて10代後半で劇場の支配人になります。その後俳優になって、1901年にブロードウェイにデビューします。1905年に女優アイヴァー・ウィリスと劇団を立ち上げ、翌年彼女と結婚しました。劇団の運営に加えて二人は頻繁にブロードウェイで公演しました。1937年にアイヴァーが亡くなると、ロサンゼルスに移り、映画の仕事を始めました。1938年『気高き荒野』、1939年『科学者ベル』『ママは独身』『スタンレー探検記』、1940年『人間エヂソン』、1941年『レディ・イヴ』、1942年『嵐の青春』、1943年『天国は待ってくれる』と出演し、『陽気なルームメイト』でアカデミー賞の助演男優賞を受賞しています。1944年『ウィルソン』、1945年『ロイヤル・スキャンダル』『アメリカ交響楽』、1946年『育ちゆく年』、1947年『パラダイン夫人の恋』、1949年『狂った殺人計画』・1952年『僕の彼女はどこ?』『モンキー・ビジネス』、1953年『紳士は金髪がお好き』、1956年『八十日間世界一周』、1959年『大海戦史』等に出演しました。通常はコミカルな役を演じていましたが、シリアスな役も独特の風貌で存在感ある演技をしていました。彼は、本当に眼が悪いのでよく片眼鏡をして登場します。コバーンは1961年8月30日、ニューヨーク市で84歳で心臓発作で亡くなりました。

母親のマーサ・モーガン役
ボーラ・ボンディ(49歳)

 ビューラ・ボンディ(1889年5月3日~1981年1月11日)は、リノイ州のシカゴ生まれのアメリカ合州国の俳優です。1891年に一家はインディアナ州バルパライソに移住します。彼女は7歳で俳優として舞台に出演し、8歳でフランシス・シマー・アカデミーを卒業します。その後、バルパライソ大学に入学して1916年に演説の学士号を取得し、1917年に演説の修士号を取得しました。

 1925年からはブロードウェイの舞台に出演し、1929年の舞台劇「街の風景」の演技が高く評価されて、1931年に映画化された『街の風景』では舞台と同じ役を演じて42歳で映画デビューしました。主な出演映画は、1932年『雨』、1935年『お人好しの仙女』、1936年『丘の一本松』、1938年『モーガン先生のロマンス』『気高き荒野』、1939年『スミス都へ行く』、1941年『愛のアルバム』『丘の羊飼い』、1945年『南部の人』『バターンを奪回せよ』、1946年『素晴らしき哉、人生!』・『世界の母』、1948年『蛇の穴』、1949年『秘密指令(恐怖時代)』、1959年『避暑地の出来事』等です。1960年代にはテレビにも出演していて、1976年にテレビ・ドラマの「ウォルトンズ」の演技でエミー賞を受賞し、87歳で晩年まで演技を続けていました、

 デビューが遅かったのでお母さん役やお婆さん役が多いですが、素晴らしい演技で脇を固めてくれています。ジェームズ・スチュアートと共演した4作品で、母親を演じています。『モーガン先生のロマンス』、『気高き荒野』、『スミス都へ行く』、『素晴らしき哉、人生!』です。生涯独身を通し、役者人生を全うされた女優さんです。本作では、賢くて優しい母親を好演し、後半で面白い演技を見せてくれます。ボンダイは1981年1月11日、肋骨の骨折による肺合併症で91歳で亡くなりました。

従弟のキース・モーガン役ジェームズ・エリソン(28歳)

 ジェームズ・エリソン(1910年5月4日~1993年12月23日)は、アイオワ州グスリーで生まれたアメリカ合州国の俳優です。彼はモンタナ州ヴァリアーの牧場で育ち、カウ・ボーイのスキルを身につけました。その後、彼の家族はロサンゼルスに引っ越しました。演技に興味あったエリソンはパサデナ・プレイハウスの劇場芸術学校で演技を学びます、ビバリーヒルズ・シアターの公演に出演しました。1935年から1937年に8本の“ホパロング・キャシディ・シリーズ”で、相棒のジョニー・ネルソンを演じました。1936年にセシル・B・デビルに抜擢され、『平原児』に出演しました。その後、1938年『忘れられた恋人』・『モーガン先生のロマンス』・『娘の三角関係』、1940年『そよ風の町』、1941年『プレイ・ガール』、1942年『不死の怪物』、1943年『私はゾンビと歩いた!』、1946年『憂愁の園』、1950年『ジェロニモ』に出演しました。1950年代後半に映画界から引退し、不動産業で成功しました。エリソンは、1993年12月23日にカリフォルニア州モンテシートで、転倒して首の骨を折り83歳で亡くなりました。

アパートの管理人役
フランクリン・パングホーン(51歳)

 フランクリン・パングホーン(1989年1月23日~1958年7月20日)は、ニュージャージー州ニューアークで生まれたアメリカ合州国のコメディー・キャラクター俳優です。第一次世界大戦中、彼はヨーロッパの第312歩兵で14か月間従軍しました。彼が保険会社で働いていた17歳の時に、女優ミルドレッドホランドと出会いました。2週間の休暇中に舞台に出演し、彼女と共に4年間のツアーに参加した後、ジェシー・ボンステルの会社に入社しました。1930年代初頭は、マック・セネット、ハルローチ、ユニバーサル社、コロンビア社の映画で印象的な脇役を演じていました。又、ハロルド・ロイド、オルセンとジョンソン、リッツ・ブラザーズ等とも共演していました。

 1927年『指紋名探偵』、1933年『空中レビュー』『生活の設計』、1935年『八点鍾』、1937年『街は春風』、1938年『モーガン先生のロマンス』、1940年『七月のクリスマス』、1941年『サリヴァンの旅』、1942年『パームビーチ・ストーリー』、1944年『崇高な時』・『凱旋の英雄』、1948年『洋上のロマンス』等に出演し、テレビの「レッド・スケルトン・シュー」にも出演しています。『空中レビュー時代』ではエリック・ブロアと共演していました。本作では、ジェームズ・スチュアートとのやり取りで面白いシーンを作り上げています。

 パンボーンが演じるキャラクターは、小さい役でもコミカルで記憶に残る役が多く、基本的には同じキャラクターを演じています。エレガントで礼儀正しく、神経質で気難しく、嫌みな態度をとったりするが明るい性格のキャラクターです。彼がよく演じる役は、ホテルの悪意のある従業員、自尊心のあるミュージシャン、気難しいヘッド・ウェイター、熱狂的なバードウォッチャー、他のキャラクターの嫌悪感に苛立ち、又は慌てている役を演じていました。パンボーンの死後、LGBTは彼が映画で演じたキャラクターのいくつかは、ゲイのステレオタイプであると発表していました。

ポーター役
ウィリアム・ベスト(25差)

 ウィリアム・ベスト(1913年5月27日~1962年2月27日)は、ミシシッピ州サンフラワー出身のアメリカ合州国のテレビ・映画俳優です。1935年までは、スリープ&イート(Sleep ‘n’ Eat)とクレジットされています。ベストは、アフリカ系アメリカ人の映画俳優やコメディアンとして初めて有名になった俳優の一人です。彼はステレオタイプの単純なキャラクターを演じる事が多く、非難を受ける事もありました。彼が出演した映画124本の内、77本でスクリーン・クレジットされています。これはアフリカ系アメリカ人の俳優としては異例の偉業です。

 ベストは、休暇中のカップルの運転手としてハリウッドに着いた時、ハリウッドに移住する事にしました。南カリフォルニアの巡回ショーに参加し、ステージ・パフォーマンスを始めます。そのステージを観たタレント・スカウトは、ベストをハリウッド映画に性格俳優として雇いました。1930年『ロイドの足が一番』、1931年『悪魔が跳び出す』、1932年『モンスター・ウォーク』、1934年『ケンタッキー・カーネル』、1935年『新婚旅行の殺人』・『アリゾ二アン』、1938年『モーガン先生のロマンス』『テムプルの愛国者』、1940年『ゴースト・ブレーカーズ』、1941年『ハイ・シエラ』、1943年『キャビン・イン・ザ・スカイ』、1944年『勝利の園』、1946年『デンジャラス・マネー』等に出演しました。

 ベストが活躍していた1930年代から1950年代は、多くの黒人俳優と同様に家事労働者、運転手、ホテル・航空会社・列車のポーター、エレベーターのオペレーター、管理人、執事、係員、ウェイター、配達員等の演技は正当な評価は得られませんでした。しかし、ベストの自然でコミカルな反応とうまい方言の使い方で、多くの映画に出演してスクリーン・クレジットを与えられました。RKOの1941年『スキャッターグッド・ベインズ』は6本シリーズで製作されましたが、ピップ役で3本に出演しています。

 ベストは麻薬を使用していて、1942年にマリファナ所持で逮捕され、1951年にはヘロイン所持で逮捕され、250ドルの罰金と3年間の執行猶予が科せられました。これ以降映画の仕事は無くなりましたが、ハル・ローチがテレビの仕事でベストを使いました。1950年から1955年まではスチュアート・アーウィンの「The trouble with Father」、1953年から19566年まではCBSの「マイ・リトル・マージー」に出演しています。1954年にブレストン・フォスター主演のテレビ・シリーズ「波止場」やテレビ・シリーズの「ラケット部隊」に出演しました。ベストは1962年2月27日、カリフォルニア州ウッドランド・ヒルのモーチョン・ピクチャー・カントリー・ホームで、癌の為48歳で亡くなりました。次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.31 『オデッサ・ファイル』の続きの続き

ジギーを脅す殺し屋(左)  警察署のブラウン警部を訪れたジギー(右)

 “オデッサ”は恋人ジギーからピーターの居所を聞き出させる為に殺し屋を差し向けます。夜の地下道でジギーが帰宅中に、男に襲われてピーターの居所を聞かれている時、タイミング良く車が来たのでジギーは男から逃げて車に乗ります。車の男はブラウン警部で、翌日ジギーは警部に会いに行きますが不在でしたが、婦人警官の警護が付くことになります。

変装して潜入を開始するピーター(左)
“オデッサ”のミュウヘン支部 のリーダー(右)

 準備不足ながらピーターは、変装して“オデッサ”潜入を開始します。途中鉄十字章と短剣を入手して、“オデッサ”のミュウヘン支部に行きます。そこでは様々な質問をされてチェックされますが、モサドが過去の経験から全て準備していたので“オデッサ”に受け入れられます。

バイロイトに行くように指示を受けるピ-ター(左)
ジギーに電話をするピーター(右)

 バイロイトへ列車で移動する為にミュウヘン駅にいたピーターは、ジギーに電話をします。この電話から警護についていた婦人警官が、ピーターがミュウヘンにいる事を知り“オデッサ”に報告します。“オデッサ”はピーターに同行した男から駅で電話をした事を確認し、直ちに殺し屋をバイロイトに差し向けます。

ピーターと印刷屋のベンツザー(左)   ピーターを待つ殺し屋(右)

 バイロイトに着いたピーターは、印刷屋のクラウス・ベンツァーに会い運転免許証の偽造を依頼します。写真は直ぐ撮れないので、月曜日までホテル待つように言われ彼はホテルに行きます。ベンツァーには病気の母親が2階にいて、父親同様に組織に殺される事を心配していて用心する様に言います。殺し屋が着いたのでベンツァーはホテルのピーターに電話をし、今から写真を撮るから印刷所に来るように伝えます。殺し屋は、ベンツァーを外出させてピーターを待ちます。

椅子に座る殺し屋を窓から見る(左)
ベンツァーの母親から金庫の番号を聞き出す(右)

 一方ピーターは不審に思って印刷所に電話をしますが、電話に誰も出ないので罠だと気付きます。印刷所に着いて窓から中を覗くと、見知らぬ男が椅子に座っていました。ピーターは木を登って2回の窓から部屋に侵入します。その部屋は母親の寝室で、母親はピーターを神父だと勘違いして“オデッサ・ファイル”の話をします。ピーターは、母親からファイルが隠してある金庫の番号を聞きだします。

殺し屋との格闘(左)   金庫からオデッサ・ファイルを取り出す(右)

 ピーターは2階から1階の印刷所に降り、印刷機の電源を入れて殺し屋の不意を突いて格闘が始まります。何んとか殺し屋を片付けて、金庫から“オデッサ・ファイル”を手に入れます。

モサドのメンバーにファイルの一部を渡す(左)
ジギーに今後の行動を伝えるピーター(右)

 殺し屋の銃と車(ジャガーXK)を奪い、駅のロッカーにファイルを保管してからジギーに電話をします。ジギーは、婦人警官を部屋に閉じ込めて逃げ出します。ピーターはモサドに行き、ロシュマンを一人で追う事を告げます。ハイテルベルクに着いたピーターは、ホテルでジギーと会い、万が一の時にやるべき事を頼み、ロシュマンの元へ向かいます。

ロシュマンに銃を向けて話すピーター(左)   反撃するピーター(右)

 ピーターはロシュマンが住む古城に忍び込み、銃を手にしてロシュマンの部屋に辿り着きます。銃を向けたままのピーターに、ロシュマンは自分が今のドイツの為に役に立っていると話し出します。ピーターは1944年10月11日のリガの港で射殺された大尉は、柏葉・剣付騎士鉄十字勲章を着けていたので自分の父親である事を伝えます。ロシュマンをこの場で殺すべきか躊躇しているピーター、引き出しの銃を取ってピーターに反撃しようとするロシュマン。ロシュマンは父親の殺害を否定しながみ隙を見て銃を手に取り発砲します。ピーターは咄嗟に身を交わしロシュマンに反撃し、再び銃を構えようとするロシュマンを射殺します。

火災で崩壊するキーフェル電気研究所(左)
火災を見つめるモサドのメンバー(右)

 ピーターは当局に拘束されますが、3週間後に釈放されます。ジギーはピーターの指示通り、“オデッサ・ファイル”をヴィーゼンタールに届け、ナチス戦犯の逮捕が始まります。無線誘導装置を開発していたキーフェル電気研究所に火災が発生し、研究所は崩壊して無線誘導装置が作られる事は無くなりました。最後にタウバー老人の日記が朗読され、映画は終わります。

 映画は原作から削除さたり変更をしていますが、ロナルド・ニーム監督はテンポの良い演出で個人の復讐劇に纏めています。原作と映画は別物です。本作に登場するナチ・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタールとエドワルド・ロシュマン(エドゥアルト・ロシュマンとも表記される)は、実在の人物です。実際のロシュマンは、リガ・ゲットー副司令官でカイザーヴァルト強制収容所の所長です。瀕死の囚人に犬を嗾けて、食い殺されるのを何よりの楽しみしていた狂人です。戦後、ドイツ国防軍伍長の制服を着てオーストリに逃亡します。その後オーストリアからアルゼンチンに逃げ、アルゼンチンからパラグアイに向かう船上で、19977年8月10日心臓発作で死亡しています。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『オデッサ・ファイル』 作品データ

1974年製作/アメリカ/129分
原題:The Odessa File
配給:コロムビア映画

監督;ロナルド・ニーム

脚本;ケネス・ロネ、ジョ^ジ・マークスタイン

原作:フレデリック・フォーサイス

製作:ジョン・ウルフ

撮影:オズワルド・モリス

音楽:アンドリュー・ロイド=ウェバー

出演:ジョン・ボイド。マクシミリアン・シェル

   メアリー・タム、マリア・シェル

   ノエル・ウィルマン、デレク・ジャコビ

   ピーター・ジェフリ