Vol.26 『Tメン』の続き

アメリカ財務省(左)  エルエルエルマー・L・アイリー前管理者(右)

 題名で使われている“Tメン”は、“TAX MAN”の略称で、アメリカ財務省の特別税務捜査官の事です。映画は、アメリカ財務省の前管理官エルマー・L・アイリーが組織構成と業績を語るシーンから始まります。この冒頭のシーンから分かるように、財務省の活動を映画でアメリカ国民に周知させる目的で作られたようです。この映画は実話に基づいた映画で、アル・カポネ逮捕以来の大事件である「上海の紙」事件を扱ったものです。偽札偽造団一味を逮捕する為に二人の捜査官が悪の組織に入り込み、黒幕を逮捕するまでの活躍を描いています。アンソニー・マン監督は、ドキュメンタリー・タッチで見事なサスペンス映画に仕上げています。

殺し屋モクシー(左)    偽札を持ち去るモクシー(右)

 本編の冒頭で、偽札を入手した情報提供者が捜査官に偽札を渡す為に現れますが、殺し屋モクシーに射殺され偽札は持ち去られます。銃声を聞いて捜査員が駆け付けた時には、犯人は車で逃げ去ってしまいます。フイルム・ノアールの香りタップリの冒頭シーンです。

図書館でギャングの歴史を学ぶデニスとトニー(左)
公園で記憶の確認をするデニスとトニー(右)

 ロサンゼルスで大量に発見された偽札に、デトロイトのイタリアン・マフィアのヴァントゥッチが関与していると睨み捜査を開始します。潜入する捜査官にデニス・オブライアンとトニー・ジェナーロの二人が選ばれ、デトロイトから捜査を始める事になります。二人はデトロイト・ギャングの歴史を調べ上げ、リバーギャングの事を徹底的に頭に叩き込みます。この辺の展開はテンポも良く、時折入るナレーションでドキュメンタリー・タッチが際立ちます。

ホテルに宿泊予約する二人(左)  ヴァントゥッチ(右)

 二人は偽名でイタリアン・マフィアに通じるホテルに泊まり、地元警察との連携でホテルの主人に逃亡犯だと信じ込ます事に成功します。ホテルの主人の紹介でイタリアン・マフィアのヴァントゥッチに会い、部下となってロサンゼルスに乗り込みます。

シアーノとデニス(左)  
左からトニー、デニス、ポール・スミス、シアーノ(右)

 ヴァントゥッチの紹介でロサンゼルスのジル・シアーノに会い、彼の仲間に加わります。二人は偽札作りに関する手掛かり捜しをし、調査の結果スキーマーと云う男を探し始めます。

スキーマーの作業着を持ち出すデニス(左)
連絡員から報告を受けるデニス(右)

 スキーマーの作業着を工場から持ち出し、本部に送って調べて貰います。その結果、予測される年齢・身長・体重の他に、強い葉巻を好み中国漢方を常用していて、左肩に傷がある男と報告されます。デニスがこの報告を受けるシーンは、今ではお馴染みのやり方ですが良いシーンですね。

薬局で聞き込みをするデニス(左) サウナでスキーマーを見付ける(右)

 デニスは早速薬局周りを始めますが、手掛かりを掴めずにいた時にサウナ好きの男の情報を得ます。それからデニスは、10日間サウナに入りながら遂にスキーマーを見つけ出します。

ロサンゼルス支局で偽札を受け取るデニス(左)
賭博場でスキーマーに出会う(右)

 それからスキーマーを尾行し続けて、秘密の賭博場でわざと偽札を使ってスキーマーに紙幣偽造関係者である事を分からせます。ここで賭博場の男たちに痛めつけられます。その後、デニスはスキーマーの部屋に押し入って、自分が彫刻された偽札の原版を持っている事を告げ、手を組む事になります。

ヴァントゥッチ に激しく詰問される
トニー

 一方トニーは、デニスが急にいなくなったので、一味の連中に彼の行き先や理由を問いただされます。終始「分からない」と答え続けましたが、殺すと脅されて「トニー・ロッコから逃げる為」と言うと ヴァントゥッチ は納得します。

スキーマーを罠に掛ける二人(左)
サウナでトニーに自分を売り込むスキーマー(右)

 それから二人はスキーマーを罠に掛け、トニーはスキーマーと親密になります。そして、スキーマーが周りで起きた犯罪の全てを書いた手帳を隠している事を知ります。

町中で偶然メアリーと出会う
トニーとスキーマー

 しかし、スキーマーと町中を歩いていた時にトニーの妻の友人に会い、その友人は傍にいた妻のメアリーに知らせます。トニーもメアリーも間違いだと言ってその場を去りますが、スキーマーは感付いてしまいます。ジョーン・ロックハートの戸惑った表情とトニーの表情、そしてスキーマーとの三者三様の演技が良いですね。

スキーマーの部屋で手帳を探すトニー(左)
撃たれながらもデニスを罵るトニー(右)

 デニスは偽札の原版と紙の相性を見る為に偽札偽造一味から偽札用の紙を入手し、本部で印刷された裏面だけの偽札1枚を受け取り、残りの紙は分析されます。一味に印刷した偽札を見せて取引交渉を進めますが、トニーの身元がバレた事をデニスは知ります。スキーマーが抹殺され持ち物の中に手帳が無かったので、敵に身元がバレたトニーはスキーマーの部屋で手帳を探します。スキーマーの部屋に一味と同行させられたデニスは、部屋で物色中のトニーに会います。話す間も無く、トニーはモクシーに銃で撃たれます。その時トニーはデニスに向かって、「お前は一流の詐欺師」だと罵って死んでゆきます。最後まで相棒の捜査官を守る言葉を吐き、任務遂行の為に命を落とします。

 これからデニスは一人で敵に立つ向かう事になりますが、一味の鑑定士ポール・スミスは、デニスの持っている原版が造幣局のものだと見抜く人間なので、デニスにその事を知らせる為に捜査官を送ります。伝言が書かれたメモの受け渡しは、デニスと捜査官の突然の殴り合いから始まり、二人が倒れて揉み合っている時に行われます。

隠した原版を取ろうとするデニス

 部屋に戻って伝言を見たデニスは、一味の男から声を掛けられ咄嗟にメモを口に入れてガムを噛むような真似をします。デニスは原版を隠した洗面台に向かいますが、一味の一人が髭を剃ってその場を動きません。仕方なく男に近寄って行き、手を洗い出します。この時カメラは洗面台の下が映る位置にあり、一度・二度とデニスが原版を取ろうとする所を写します。二度目に原版を取って上着のポケットに入れます。何んとかその場から逃げようとするデニスを、一味はボスがいる船に連れて行きます。その船の中には印刷所があり、偽札はそこで作られています。

 船に着いたデニスは、殺しがあったから取引の中止を訴えますが聞き入れられません。敵の手に渡った原版の表面を別室にいるボスが見て、造幣局の原版だと言います。デニスは時間稼ぎの為に、鑑定士のポール・スミスを呼ぶように要求します。一方、デニスの消息が分からなくなった財務局の管理官は、ポール・スミスを見張っていました。一味からの連絡でポール・スミスが動き出したので尾行しますが、途中で尾行不可能になります。

初めて見る原版だと嘘を言うポール・スミス(左)
政府の証人になると言うポール・スミス(右)

 ポール・スミスが船に到着し、原版を見て思いもよらない事を言います。「初めて見る素晴らしい原版だ」と言い、デニスを連れて印刷しに行きます。その後、甲板に出て、「この仕事から足を洗いたいので、政府の証人になる」と言い出します。その直後、ポール・スミスはモクシーに後ろから銃で撃たれて殺害されます。

銃弾を受けながら撃ち返すデニス

 一味の男は丸腰のデニス目掛けて発砲してきます。逃げ回りながらポール・スミスの銃を手に取り撃ち返します。 一味の男 が撃っていた銃が弾切れしますが、別の銃を取り出して撃ち始めます。デニスは立ったまま悠々と歩きながら、撃ち返します。 一味の男 の銃弾が1発デニスに当たりますが、ゆっくりと歩き出して撃ち返し、 一味の男 を倒して自分も倒れ込みます。この銃声を聞きつけて財務局を始め、指令で駆け付けた警官隊などが船に乗り込んで来て一味を全員逮捕します。画面が変わって事件のその後が明かされ、デニスとトニーの妻のメアリーの事が語られます。

 この映画は脚本がよく練られていていますし、場面ごとの台詞も素晴らしいです。特に、一味に潜入した捜査官である事を悟られないようにする受け答えが素晴らしいです。映画はストーリーが解ればそれで満足する方が大半かと思いますが、場面ごとの監督の演出や俳優さんの演技を観るのも楽しいと思います。カメラマン上がりのアンソニー・マン監督は、カメラを少し低い位置に置いて少し見上げるような撮り方をしています。この撮り方が、映画全体に緊張感を醸し出していると思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『Tメン』,『窓』,『生まれながらの殺し屋』,『上海ジェスチャ』が
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『Tメン』 作品データ

アメリカ  1947年 モノクロ  96分

原題:T-MEN

監督:アンソニー・マン

製作:オーブリー・シェンク

原案:ヴァージニア・ケロッグ

脚本:ジョン・C・ヒビンズ

撮影:ジョン・アルトン

音楽:ポール・ソーテル

出演:デニス・オキーフ、メアリー・ミード

   アルフレッド・ライダー、ウォーリー・フォード

   ジューン・ロックハート、チャールズ・マッグロー

Vol.25 『Tメン』

『Tメン』
発行:ブロードウェイ社

 今回はアンソニー・マン監督の『Tメン』です。1940年代は本作のようなフイルム・ノアールを撮り、1950年代には多くの西部劇を撮っています。特にジェームズ・スチュアートと撮った西部劇はヒット作が多く、彼が撮った西部劇は全部大好きです。前回登場したアーサー・ケネディはジェームズ・スチュアートの敵役を好演しています。アンソニー・マン監督の演出は、非常に丁寧ながら一味違ったもので緊張感の高め方は素晴らしいです。

【スタッフとキャストの紹介】

アンソニー・マン(1952年頃)

 アンソニー・マン(1906年6月30日~1967年4月29日)は、カリフォルニア州サンディエゴ生まれのアメリカの映画監督、舞台俳優でした。マンが3歳の時に両親は父の治療の為、オーストリアに移ります。マンはサンディエゴ群のロランドに残され、14歳になるまで両院は戻って来ませんでした。1917年マンの家族はニューヨークに移住し、演技に興味を持つようになります。ユダヤ人コウミュニティ・センターで演技を続け、ニューアークのセントラル高校でも舞台に出演していました。1923年に父が亡くなった為、家族の生計を立てる為に高校3年生の時に中退してニューヨークに戻ります。彼は夜景の仕事に就き、日中は舞台の仕事を探していました。数か月後、グリニッジ・ヴィレッジのトライアングル・シアターでフルタイムの仕事に就きます。1925年から舞台に出演し。1929年にはブロードウェイの舞台にも出演しました。1930年に彼はシアター・ギルドでプロダクション・マネージャーなり、最終的には演出家となりますが、演技は続けていました。1937年にセルジニック・インター・ナショナル・ピクチャーズでタレント・スカウト兼キャスティング・ディレクターをして、多くの映画のスクリーン・テストを行いました。数か月後、彼はパラマウント・ピクチャーに移り、助監督になります。1941年の『サリヴァンの旅』でブレストン・スタージェス監督の助監督になり、監督から多くの事を学びました。助監督を3年務めた頃、友人のマクドナルド・キャリーの推薦で1942年の『ドクター・ブロードウェイ』で監督デビューします。1943年『ムーンライト・イン・ハバナ』を監督し、1944年8月ブロードウェイで「子供のための鏡」の演出をしました。1944年に『夜のストレンジャー』、1945年に『たそがれの恋』と監督し、RKOに移って1946年『午前2時の勇気』、リパブリック・ピクチャーズで1946年『仮面の女』、RKOで『バンブー・ブロンド』を監督しました。1947年に『必死の逃避行』『Tマン』『偽証』、1948年に『脱獄の掟』を監督しました。映画評論誌“ハリソンズ・リポート”は、マンの演出を「テンポが速くアクション満載で、張り詰めた演出が興奮とサスペンスを絞り出している」と評論しています。『Tマン』について調べている時に国境警備隊員の事を知り、『国境事件』の脚本が出来て1949年にマンが監督をしました。

 1950年はマンにとって大きな転換期になります。この後の10年間で合計10本の西部劇を監督していますが、そのうちの3本は1050年に公開されています。ロバート・テーラーが先住民を演じる『流血の谷』『ウィンチェスター銃`73』『復讐の荒野』と3本とも素晴らしい映画です。

そして、マンが監督した『サイド・ストリート』は最後のフィルム・ノワールとなりました。『ウィンチェスター銃`73』の成功で、コロンビアはアソニー・マンとジェームズ・スチュアートのコンビで映画を製作します。1951年『怒りの河』、1953年『裸の拍車』、1954年『グレン・ミラー物語』『遠い国』、1955年『ララミーから来た男』『戦略空軍命令』と映画は制作されました。それからマンは様々な映画会社で監督をしました。1955年『シャロン砦』、1956年『愛のセレナーデ』、1957年『最前線』『胸に輝く星』、1958年『西部の人』、1960年『シマロン』・1961年『エルシド』『ローマ帝国の滅亡』、そして最後の作品1968年『殺しのダンディ』では監督と製作をしました。マンの映画に登場する主人公はアンチ・ヒーローが多く、過去に罪を犯していたり問題を抱えています。マンと出会って、ジェームズ・スチュアートは今までと違ったキャラクターを演じるようになりました。マンの映画はロケーション撮影が多いです。自然の風景の中で俳優を撮影する事によって、アクションや演技を強化する事が出来ると語っていました。1967年4月29日、マンはホテルの部屋で心臓発作で亡くなりました。

デニス・オブライアン役
デニス・オキーフ(39歳)

 デニス・オキーフ(1908年3月29日~1968年8月31日)は、アイオワ州フォート・マディソン生まれのアメリカの俳優、脚本家です。両親がアイルランド系のヴォードヴィリアンでしたので、彼は両親のヴォードヴィルに参加し、後に舞台用の寸劇の脚本を書いていました。オキーフは南カリフォルニア大学に通いましたが、父親が亡くなった為に大学2年生の途中で退学しました。父親の死後数年間は、父親のヴォードヴィルを引き継いで続けました。1931年からはバド・フラナガンの名前で、多くの映画にエキストラとして出演しました。1937年クラーク・ゲーブルの推薦でMGMと契約し、デニス・オキーフと改名しました。1938年にウォーレス・ビアリー主演の『ザ・バッドマン・オブ・ブリムストーン』に出演し、その後主に低予算映画に出演しました。オキーフはアクション・ドラマや犯罪ドラマでタフガイ役が多かったですが、シリアスな役もコミカルな役も演じました。1940年『囁きの木陰』、1941年『彼女はゴースト』、1942年『レオパルドマン豹男』、1943年『死刑執行人もまた死す』、1943年の『軍医ワッセル大佐』ではコメディ・スターとして注目されました。1944年『ニューヨークの饗宴』、1950年『鷲と鷹』『六人の脱獄囚』、1954年の『灰色のダイヤ・対決!暗黒組織』では監督・出演しました。その後、1957年『ドラゴン砦の決戦』、1961年『七面鳥艦隊』に出演しました。

 1950年、CBSのラジオ番組「Tメン」に出演したり、いくつかの番組の演出をしたりミステリー小説を書いていました。1950年代には多くのテレビ番組にも出演し、1959年には「デニス・オキーフ・ショー」で主役を務めていました。又、1940年代後半から1960年代にかけてジョナサン・リックのペンネームで脚本を書いたり、1960年代にはアル・エレヴェレットのペンネームで脚本を書いていました。オキーフは1968年にカリフォルニア州サンタモニカのセント・ジョンズ病院で、肺癌で亡くなりました。60歳でした。

トニー・ジェナード役
アルフレッド・ライダー(31歳)

 アルフレッド・ライダー(1916年1月5日~1995年4月16日)は、アメリカのテレビ、舞台、ラジオ、映画の俳優兼監督です。ライダーは8歳で演劇を始め、後にアクターズ・スタジオで演劇を学び終身会員になりました。彼はブロードウェイの舞台に出演したり、15年続いたラジオ番組の「イージー・エース」にも出演していました。第二次世界大戦中、アメリカ陸軍航空軍に所属し、空軍のブロードウェイの舞台や1944年の『有翼の勝利』に出演しました。そして、パラマウントと契約して1946年の『Tメン』に出演しました。

 ハムレット役に拘っていたライダーは、アメリカン・レパートリー・シアター、フォローアップ劇団、マーガレット・ウェブスター・シェイクスピア・カンパニーでハムレット役を演じてツアーに参加しました。最後にアクター・スタジオでもハムレット役を演じています。1950年代はブロードウェイの舞台に出演し続け、テレビにも出演していました。1961年のブロードウェイ舞台劇「遠い国」の監督をしました。1964年にシェイクスピア・イン・ザ・パークで待望のハムレットを演じますが、初日の翌日に役を降ろされます。

 ライダーはアクターズ・スタジオの監督として、UCLAのシアター・グループの演出をしたり、米国政府の教育研究所劇場プロジェクトやロサンゼルス・フリー・シェイクスピア・フェスティバルの芸術監督をしました。1960年代はテレビのゲスト・スターとして、「ワイルド・ウエスト」、「0011ナポレオン・ソロ」等多くの作品に出演していました。「インベーダー」の2シーズンではエイリアンのリーダーのネクサスを演じていました。1961年にブロードウェイで「サイ」が公演された時に、イーライ・ウォラックの代役でベレンジャーを演じました。1969年『勇気ある追跡』に出演し、1979年にテレビのトーク・ショー「ミーティング・オブ・マインズ」の2エピソードの共同監督をしています。ライダーはニュージャージー州のアクターズ・ホームに移り住み、1995年に肝臓癌で亡くなりました。

メアリー・ジェナード役
ジューン・ロックハート(22歳)

 ジューン・ロックハート(1925年6月25日)は、ニューヨーク州ニューヨーク市生まれの引退した女優です。両親が俳優だったロックハートは8歳で舞台デビューし、メトロポリタン歌劇場の「ピーター・イベットソン」に出演しました。彼女は、カリフォルニア州ビバリーヒルズのウエストレイク女子学校に通いました。彼女は1938年『クリスマス・キャロル』で両親と共演して、映画デビューしました。1940年『凡てこの世も天国も』、1941年『ヨーク軍曹』、1944年『若草の頃』で脇役を演じ、1945年『名犬ラッシー/ラッシーの息子』で主役を演じるようになります。1946年『謎の狼女』・「小鹿物語」、1963年『名犬ラッシーの大冒険』、1998年『ロスト・イン・スペース』に出演しました。1986年の『トロル』では、彼女の娘のアン・ロックハートと同じ役を年代を分けて共演しています。

 1955年にはアメリカCBSで放送されたアンソロジー・テレビ番組の「アポイントメント・ウィズ・アドベンチャー」や単発ドラマ番組の「ウェスティングハウス・スタジオ・ワン」に出演していました。又、NBCの法律ドラマ「ジャスティス」やCBSの「プレイハウス90」にも何度か出演しています。1950年代後半からは、「西部のパラディン 」、「幌馬車隊」、「ローハド」などにゲスト出演していました、1958年「名犬ラッシー」、1963年「ジェネラル・ホスピタル」、1965年「宇宙家族ロビンソン」、1968年「ペチコート大作戦」ではレギュラー出演しています。1960年代以降も「ペリー・メイスン」、「奥様は魔女」、「0011ナポレオン・ソロ」、「じゃじゃ馬億万長者」、「ハッピーデイズ」、「ベガス」、「Dr.刑事クインシー」、「ビバリーヒルズ高校白書」等、多くのテレビ番組にゲスト出演しています。2013年アメリカ航空宇宙局(NASA)は、宇宙探査について一般の人々を鼓舞したとして、ロックハートに“Exceptional Public Achievement Medal”を授与しました。

スキーマー役
ウォレス・フォード(49歳)

 ウォレス・フォード(1898年2月12日~ 1966年6月11日)は、イングランドのランカシャー州ボルトンで生まれ帰化したアメリカのヴォードヴィリアン、舞台俳優、映画俳優です。彼の本名はサミュエル・グランディですが、1942年5月8日に帰化して法的に名前をウォレス・フォードに改名しました。彼の家庭が貧しかった為に叔父と叔母に預けられていましたが、彼が3歳の時にバーナルド孤児院に入れられました。彼が7歳の時に同じ様な境遇の子供達は、大英帝国の政策によってカナダの農家の里親に送られました。サミュエルはマニトバ州の家族の養子なりますが、虐待を受けて何度も家出をしては当局によって連れ戻されていました。かれが11歳の時に最後の家出をして、ウィニペグ・キディーズと呼ばれるカナダをツアーするヴォードヴィルの劇団に入り、パフォーマーとしての訓練を受けました。1914年劇団を辞めて、16歳のサミュエルともう一人の若者、ウォレス・フォードは、貨物列車に無賃乗車で乗り込み南アメリカを目指します。その旅行中にフォードは列車の車輪の下で死亡しました、その後、サミュエルは芸名をウォレス・フォードに改名しました。

 第一次世界大戦中にカンサス州フォート・ライリーでアメリカ騎兵隊に入隊して従軍した後、アメリカの証券会社でヴォードヴィルの舞台俳優になりました。1919年に舞台劇「セブンティーン」に出演し、シカゴで数か月間上演さ、その後ニューヨークのブロードウェイの公演も成功しました。そしてブロードウェイの大ヒット作「アビーのアイルッシュローズ」で主役を演じ、他のブロードウェイの舞台にも出演しました。1938年にはジョン・スタインベック原作の舞台劇「廿日鼠と人間」でも主役を演じています

 映画では1931年の『蜃気楼の女』でクレジット・デビューし、1932年には『フリークス』で主役を務めました。1930年代と1940年代にはハリウッドのB級映画で主役を演じたり。長編映画の脇役を演じていました。1934年『肉弾鬼中隊』、1936年『俺は善人だ』、1935年『男の敵』、1941年『暴力街』、1942年『疑惑の影』、1943年『ベラ・ルゴシの猿の怪人』、1945年『白い恐怖』、1947年『Tメン』『魔法の町』『大いなる別れ』、1947年『罠』、1950年『ハーヴェイ』等に出演しました。1940年代後半から1950年代初頭にかけて性格俳優に転身し、当時人気が出て来た西部劇に出演するようになりました。1951年『インディアン征路』、1954年『テキサスの白いバラ』、1955年『ララミーから来た男』、1959年『ワーロック』に出演しました。1959年にはテレビ映画の「胸に輝く星」にレギュラー出演していました。1965年『いつか見た青い空』のオーレ・パ役の演技は、フォードのキャリアを締めくる作品になりました。フォードは1962年にカリフォルニア州ウッドランドヒルズのモーション・ピクチャー・アンド・テレビジョン・カントリー・ハウス・アンド・ホスピタルで心不全で亡くなりました。

殺し屋モクシー役
チャールズ・マッグロー(33歳)

 チャールズ・マッグロー(1914年5月10日~1980年7月29日)は、アイオワ州デモイン生まれのアメリカの舞台、映画、テレビの俳優です。彼は後に両親と共にオハイオ州アクロンに引っ越し、1932年アクロンの高校を卒業し、大学に入学して1学期を過ごします。マッグローは、貨物船の作業員やナイトクラブでダンサーをしていました。又、劇場のロードカンパニーで活躍し、数十のオフ・ブロードウェイの作品に出演しました。

1942年『不死の怪物 』でノン・クレジットで映画デビューしました。1943年『カレー大空襲』『駆逐艦ジョーンズ』『駆潜艇K-225 』、1944年『第七の十字架』とノン・クレジットで出演しています。1946年フィルム・ノワールの『殺人者』の殺し屋役でクレジット・デビューします。1947年『ミネソタの娘』『真夏の暴動』『ギャングスター』『Tメン』、1948年『ベルリン特急』『月下の銃声』、1949年『秘密指令』『国境事件』、1950年『サイド・ストリート』とノン・クレジットも含めて出演し。1952年『その女を殺せ』では主役を演じています。その後、A級映画にも出演するようになり、1954年b『トコリの橋』、1958年『全巻発進せよ』『手錠のまゝの脱獄』・『ロケット・パイロット』、1960年『スパルタカス』、1963年『鳥』『おかしなおかしなおかしな世界』、1967年『冷血』、1968年『奴らを高くつるせ』、1971年『ジョニーは戦場へ行った』、1977年『合衆国最後の日』等に出演しました。

 マッグローは、1949年3月13日のノワール風ラジオ番組『パット・ノヴァク・フォー・ハイヤー』等のラジオ番組に出演しています。又、1954年から「アドベンチャーズ・オブ・ザ・ファルコン」で主役のマイク・ワーリング役を演じ、1955年『カサブランカ』ではリック・ブレイン役を演じました。その他、「ボナンザ」、「ガンスモーク」、「保安官ワイアット・アープ」、「アンタッチャブル」等にゲスト出演しました。1980年7月29日、カリフォルニア州スタジオ・シティの自宅のバス・ルームで転倒して、ガラスのドアを破損して腕などに多くの傷を負い上腕動脈を切断する事故で、出血多量の為に死亡しました。

エヴァンジェリン役
メアリー・ミード(24歳)

 メアリー・ミード(1923年11月24日~2003年12月10日)は、ルイジアナ州生まれのアメリカの映画女優です。1945年『ワンダーマン』でゴールドウィンガールとして出演し、1947年『Tメン』、1948年『IN THIS CORNER』に出演しています。1949年パリでテッド・グルーヤと結婚し、1951年“カジノ・ド・パリ”やロンドンの”ピガール・クラブ“で「ゲイ・パリ」で公演していました。その後、アメリカに戻って”ウォールド・アストリア・ホテル“等の会場で講演しました。本編は次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。