Vol.31 『オデッサ・ファイル』の続き

1963年12月23日イスラエルの砂漠を走る戦車隊(左)
任務を命令する司令官とモサドの幹部(右)

 映画のオープニングは砂漠を移動する戦車隊が映し出され、“1963年9月23日イスラエル”と表示されます。前線基地の司令官のテントと思われる場面に変わり、司令官がモサド(イスラエル諜報機関)の幹部に任務を命令します。エジプト軍は、ロケット弾でイスラエルの拠点を攻撃し、その後全土を攻撃してくる。そのロケットの弾頭にはペスト菌とストロンチュウム90が搭載されるので、その計画が成功すればイスラエルは全滅する。無線誘導装置が完成したら、その計画が実行される。無線誘導装置はドイツの何処かの工場で作られているので、探り出して阻止するように伝えます。

夜のハンブルグ(左)   車を停めてラジオを聴くピーター(右)

 1963年11月23日のハンブルグの夜景に場面は変わり、ジョン・ボイト扮する新聞記者ピーター・ミラーが運転する車が街中を走っています。ラジオからはペリー・コモが歌う“クリスマス・ドリーム”が流れていますが、臨時ニュースでケネディ大統領の報道が入ります。ピーター(正しくはペーター)は車を停めてラジオ放送を聞くと、ケネディ大統領が暗殺された事を知ります。

現場に向かう救急車(左)   カール刑事に話を聞くピーター(右)

 その時、救急車が走っていくのが見えたので、新聞記者の習性で救急車を追いかけて現場のアパートに着きます。取材をしようと車から降り、現場の警察官に記者証を見せても現場には入れてくれません。そこにアパートから親友のカール刑事が出て来たので話を聞き、老人がガス自殺した事を知ります。

カール刑事から老人の日記を受け取るピ-ター(左)
ソロモン・タウバーとその妻(右)

 後日、カール刑事から自殺した老人の遺品の包みを渡されます。包みの中には自殺した老人が書いた日記が入っていて、老人の名前はソロモン・タウバーと云うユダヤ人、リガの強制収容所での出来事が綿密書かれていました。(収容所での場面は、モノクロになります)

リガ強制収容所所長
エドワルド・ロシュマン
大尉を射殺するロシュマン(左)
撃たれた大尉の 柏葉・剣付騎士鉄十字勲章 (右)

 リガの強制収容所の所長は、“虐殺者“と云われたエドワルド・ロシュマンSS大尉。日記にはロシュマンの殺しを楽しむ行動が、克明に書かれていました。その日記には、柏葉・剣付騎士鉄十字勲章を付けたドイツ国防軍の大尉が、ロシュマンに後ろから銃で撃たれた事が書かれていました。

柏葉・剣付騎士鉄十字勲章 (レプリカ)

 この柏葉・剣付騎士鉄十字勲章の受賞は160名、十字勲章のランクでは上から三番目で相当凄い戦功が無ければ受賞出来ません。因みに、外国人の軍人として1名だけ山本五十六が受賞しています。二番目はダイヤモンド柏葉・剣付騎士鉄十字勲章で受章者は27名、1番目は黄金ダイヤモンド柏葉・剣付騎士鉄十字勲章で受章者は、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル空軍大佐の1名だけです。この鉄十字章の話が映画のラストで登場し、ピーターの行動の動機付けが分かります。

戦時中の話をする母親(左
 ピーターの父親の事を涙ながらに話す母親(右)

 ピーターは、ロシュマンの追跡取材を新聞社に売り込むが、全然相手にされず断られます。彼は母親の元を訪れ、戦争中の話や父親の事を聞きます。過去の話をする時のマリア・シェルの演技が、素晴らしいです。彼女の表情はアップで撮られていて、眼で心情を表現しています。

アパートの管理人からタウバーの友人マルクスの事を聞き出す(左)
マルクスからロシュマンの情報を聞き出す(右)

 ピーターは自殺したタウバー老人が住んでいたアパートを訪ね、管理人からタウバーの親友マルクスの事を聞き出し、公園にいたマルクスと話をします。彼の話から“オデッサ”という組織の事とロシュマンが生きている事を知ります。タウバーが警察にロシュマンが生きている事を訴えたが、取り合ってくれずタウバーは絶望してガス自殺した事を知ります。収容所でタウバーの妻が排気ガスで殺害されたから、自分もガス自殺したのかと私は思いました。

ジギーとクリスマス・プレゼントを買い物(左)
地下鉄のホームに落とされたピーター(右)

 ロシュマンの情報を得る為、検事総長室に出向きますが情報は得られず、調査しないように警告されます。その時、ジークフリート師団の集会がある事を知り、その戦友会に潜り込んで写真を撮った為、その場から強制退去させられ暴行を受けます。クリスマス・プレゼントの買い物をした後、地下鉄のホームで電車が入って来た直前にピーターは男に線路上に突き落とされますが、間一髪彼は難を逃れます。

ピーターの電話を受けるカール刑事(左)
ナチス・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタール(右)

 ピーターはウィーンに向かい ナチス・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタール の居所を探りますが、手掛かりが無くカール刑事に協力して貰います。この電話で”オデッサ”にピーターの動きが察知されます。カール刑事の協力でナチス・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタールに会い、彼から“オデッサ”の組織の事、ロシュマンの戦後の行動を聞き写真も入手します。

ピーターを拉致するモサド(左)
ピーターを質問攻めモサドのメンバー(右)

 ホテルに戻ると、シュミット博士(“オデッサの”シュルツ)と名乗る男が待ち構えていて、ロシュマンの調査を止める様に脅迫されますが断ります。ピーターがハンブルグに帰る途中、突然モサドに拉致されます。彼が“オデッサの”シュルツと会っていた為、質問攻めに合いますが誤解が解け、彼は“オデッサ”に潜入する事になります。それから6週間のトレーニングに入ります。その間、モサドは病院を利用して、ピーターが元ナチスの軍曹ロルフ・コルブに成り代われる様に訓練します。

モサドのメンバーから訓練を受けるピーター

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『オデッサ・ファイル』 作品データ

1974年製作/アメリカ
原題:The Odessa File
配給:コロムビア映画

監督;ロナルド・ニーム

脚本;ケネス・ロネ、ジョ^ジ・マークスタイン

原作:フレデリック・フォーサイス

製作:ジョン・ウルフ

撮影:オズワルド・モリス

音楽:アンドリュー・ロイド=ウェバー

出演:ジョン・ボイド。マクシミリアン・シェル

   メアリー・タム、マリア・シェル

   ノエル・ウィルマン、デレク・ジャコビ

   ピーター・ジェフリ

Vol.30 『オデッサ・ファイル』

『オデッサ・ファイル』
発売:ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメント

 前回に続きフレデリック・フォーサイス原作の映画、『オデッサ・ファイル』です。監督はロナルド・ニーム、1972年の『ポセイドン・アドベンチャー』でお馴染みかと思います。フォーサイスが。特派員時代に収集した情報から書き上げた小説です。小説を基にした映画の場合、比較をして観る楽しみ方もあると思います。しかし、小説と映画は別物です。文章で書かれた小説は、上限が無く無限に描く世界を拡げられます。一方、映画は製作費・製作期間・上映時間等、多くの制約があります。例えば小説では数行の文章で書かれたものも、映画ではセットを作ったり或いはロケ地で撮ったりします。そうすると小説のどの部分を生かし、どこを切るかの選択が必要になります。プロデューサーと監督の考えの違いも大きく関わってきます。よくある話で、監督が撮った映画が120分だった時に、会社側が100分とか90分に短縮される事があります。最近は公開当時版のDVDが発売された何年か後に、ディレクターズ・カット版の上映時間が長いDVDが発売される事があります。これは単に、会社が金儲けする為かと思いますが。

【スタッフとキャストの紹介】

ロナルド・ニーム

 ロナルド・ニーム(1911年4月23日~2010年6月16日)は、イギリスの映画プロデューサー、監督、撮影監督、脚本家です。ニームは写真家のエルヴィン・ニームと有名な女優のアイビー・クローズの長男として、ロンドンのヘンドンで生まれました。ニームはユニバーシティ・カレッジ・スクールと、ハーストピアポイント・カレッジで学びました。父親が1923年に亡くなった為、アングロ・ペルシャ石油会社の事務員としての仕事に就きました。その後、母親の人脈を通じて、エルストリー・スタジオにメッセンジャー・ボーイとして入社しました。

 ニームは1929年にイギリス初のトーキー映画で、アルフレッド・ヒッチコック監督の『恐喝(ゆすり)』でアシスタント・カメラマンになりました。1933年の『ハッピー』で撮影監督となり、1938年『ウエヤ殺人事件』、1941年『バーバラ少佐』、1942年『軍旗の下に』・『戦闘機失踪』を撮影しました。『軍旗の下に』に成功によりデヴィッド・リーン監督とプロデューサーのアンソニー・アランとニームは、共同でシネギルド社を設立しました。三人で映画を制作し、共同で脚本を執筆しました。このトリオの最初の3本は、1944年『幸福なる種族』・『逢引き』、1945年『陽気な幽霊』で三作品とも共同脚本でした。1946年の『大いなる遺産』では撮影をせず、製作と脚本を担当しました。1947年に『テイク・マイ・ライフ』で監督デビューし、『オリヴァ・ツイスト』と1949年『情熱の友』の製作をして。アンソニー・アランの後シネギルド社を去りました。

 1949年『黄金の竜』の脚本を書き監督をし、1951年にウィリアム・エドワード・グリーンの伝記映画『マジック・ボックス』を製作しました。1952年『The Promoter』、1960年『TUNES OF GLORY』の監督をし、1961年『ザーレンからの脱出』では製作と監督をしています。1962年ジュディ・ガーランド最後の映画『愛と歌の日々』、1966年『泥棒貴族』、1968年『ミス・ブロンディの青春』、1970年『クリスマス・キャロル』、1972年『ポセイドン・アドベンチャー』、1974年『オデッサ・フィル』、1970年『メテオ』を監督しました。1986年『サクセス・ストーリー‘88/天才的記憶術の使い方』が最後の監督作品になりました。ニームは、2010年6月16日に足の骨折による合併症で亡くなりました。99歳でした。

ピーター・ミラー役
ジョン・ボイド(36歳)

 主人公のピーター・ミラー役を演じるのは、ジョン・ボイト(ジョン・ヴォイトと表記される事もあります)です。ジョン・ボイト(1938年12月29日生まれ)はニューヨーク州のヨンカーズ出身で、ワシントンD.C.のアメリカ・カトリック大学で数学を専攻していましたが、シェイクスピの「真夏の夜の夢」に出演した事で役者を目指します。大学卒業後、ニューヨークで舞台演出や舞台美術を学び、オフ・ブロードウェイやブロードウェイの舞台で俳優として活動しました。

 1967年『墓石と決闘』に29歳で映画デビューし、1969年『真夜中のカーボーイ』(正しくは、“カウボーイ”ですが)で注目され、1970年『キャッチ22』、1972年『脱出』、1974『オデッサ・ファイル』、1977年『殺意の行方 』等に出演しました。1978年の『帰郷』ではアカデミー主演男優賞とカンヌ国際映画祭男優を受賞している演技派俳優です。1979年『チャンプ』、1985年の『暴走機関車』ではゴールデングローブ賞を受賞しています。1995年『ヒート』、1996年『ミッション:インポッシブル』、1997年『レインメーカー』、1998年『エネミー・オブ・アメリカ』、2001年『パール・ハーバー』、2004年『クライシス・オブ・アメリカ』、2007年『トランスフォーマー』、2017年『奇跡の絆』等に出演しました。出演する作品を選ばない方のようで、1997年『アナコンダ』にも出演しいています。又。長年不仲だったと云われていた娘のアンジェリーナ・ジョリーと、2001年の『トゥームレイダー』では共演しています。又、テレビ・ドラマでは2009年『24 -TWENTY FOUR-』の出演し、2013年『レイ・ドノヴァン ザ・フィクサー』では3度目のゴールデン・グローグ賞を受賞しています。

エドワルド・ロシュマン役
マクシミリアン・シェル(44歳)

 元ナチスのSS幹部でユダヤ人強制収容所の所長だったエドワルド・ロシュマンを演じるのが、マクシミリアン・シェルです。マクシミリアン・シェル(1930年12月8日~2014年2月1日)は、オーストリアのウィーンで生まれたオーストリアの俳優です。母親は女優、父親は小説家・詩人で、兄弟のマリア、カール、イミーは俳優です。彼は、3歳の時にウィーンで劇場デビューしました。1938年にオーストアリがナチス・ドイツに併合された時に一家はスイスに逃げてチューリッヒに移住しました。シェルは古典を学び、10歳の時には戯曲を書いていました。第二次世界大戦後、彼はドイツに移りってミューヘン大学に入学し、哲学と美術史を学びました。その後、チューリッヒに戻ってスイス陸軍に1年間従事しました。その後、ロンドンのユニバーシティ・カレッジ・スクルールに1年間通い、チューリッヒ大学で1年間学び、バーセル大学に6か月間再入学しました。この期間中、シェルは古典劇と現代劇の両方の舞台に出演し、バーゼル激情で本格的に演技を始めました。

 シェルは1955年『戦場の叫び』で映画デビュー、『暗殺計画7.20』等、7本の映画に出演しました。1958年ブロードウェイの演劇、アイラ・レヴィンの「インターロック」に出演する為に米国に招待され、ピアニストの役を演じました。(シェルは、熟練したピアニスト兼指揮者でした。)1958年『若き獅子たち』でハリウッド・デビューしました。1960年にドイツに戻り、ドイツのテレビ映画「ハムレット」でハムレットを演じ、舞台でもハムレットを演じました。1959年、テレビの生放送の「ニュールンベルグ裁判」で弁護人役を演じました。シェルは1961年の映画『ニュールンベルグ裁判』で同じ役を演じ、ドイツ語を話す俳優に初めてのアカデミー賞主演男優賞を受賞しました。合わせてニューヨーク映画批評家賞も受賞しました。1964年『トプカピ』、1967年『誇り高き戦場』、1969年『ジャワの東』、そして1970年の『初恋』では製作・監督・脚本・出演をしました。英語とドイツ語の両方を完璧に話せるシェルは、ナチスに時代をテーマにした戦争映画等に多く出演しています。1974年『オデッサ・ファイル』、1976年『セント・アイブス』、1977年『戦争のはらわた』・『遠い橋』・『ジュリア』に出演しています。その他、1979年『ブラック・ホール』、1983年『青春の殺意』、1984年『炎のレジスタンス』、1994年『リトル・オデッサ』,1997年『17 セブンティーン』、2007年のドイツ映画『眠れる美女』、2009年『ブラザーズ・ブルーム』等に出演しました。その他、多くのテレビ・ドラマや舞台に出演していました。2014年2月1日、オーストリアのインスブルックで亡くなりました。83歳でした。

ピーターの母親役
マリア・シェル(48歳)

 主人公ピーターの母親を演じているのは、マクシミリアン・シェルの姉のマリア・シェルです。マリア・シェル(1926年1月15日~2006年4月26日)は、オーストリアのウィーンで生まれたオーストリア・スイスの女優です。1938年にオーストアリがナチス・ドイツに併合された時に一家はスイスに逃げてチューリッヒに移住しました。マリアはプロとしていくつかの劇場で演技を学び、1942年『シュタイブルッフ』で映画デビューしました。第二次世界大戦後、1948年『トランペットの天使』、1951年『マッチ・ボックス』・『ドクター・ホール』で主役を演じています。1952年『かくて我が恋は終りぬ』、1953年『事件の核心』、1956年の『居酒屋』でヴェネチア国際映画祭主演女優賞を受賞しています。1957年『白夜』・『ローズ・ベルトンの罪』に出演しています。

 1958年『カラマーゾフの兄弟』でハリウッド・デビューし、1959年『縛り首の木』、1960年『シマロン』に出演しています。1970年『血まみれの裁判官』、1974年『オデッサ・ファイル』、1976年『さすらいの航海』、1978年『スーパーマン』、1982年『サン・スーシーの女』に出演しています。その他、テレビ映画やブロードウェイの舞台にも出演していました。マリアは、2005年4月26日、肺炎のためオーストリア のケルンテン州の自宅で、肺炎の為亡くなりました。79歳でした。

ジギー役のメアリー・タム(24歳)

 メアリー・タム(1950年3月22日~2012年7月26日)は、イギリスの主にテレビに出演した女優です。父親の兄弟四人がソビエト連邦の強制収容所で亡くなった後、エストニアから逃れてイングランドのヨークシャーに移りました。タムは、エストニア人の父とオペラ歌手のロシア人のハーフの母との間に、ヨークシャーのウェストライディングのブラッドフォードで生まれました。タムはエストニア語しか話せませんでしたが、小学校に入学してから英語を学びました。11歳の時に奨学金を受けて、ブラッドフォード・ガールズ・グラマー・スクールに通い、市内のシビック・シアターに参加していました。1969年から1971年までロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アートで学び、卒業して準会員になっています。1971年バーミンガム・レパートリー・カンパニーで舞台デビューしました。1972年にロンドンに移住し、ミュージカルの『マザー・アース』に出演し、1973年にBBCのテレビ番組「ドナティの陰謀」でテレビに初出演しました。

 1973年『異界の扉』で映画デビューし、1974年『オデッサ・ファイル』、1976年『ポプル・ラッズ』、2001年『アマゾネス・グラディエーター』に出演しました。イギリスのBBCで放映された「ドクター・フー」は、SFテレビ・ドラマで、世界最長のテレビ・ドラマ・シリーズです。1963年から1989年と2005年から現在(2024年)も放映されています。タムは1978年から1980年までのシーズン16・17で、ロマーナ役で出演していました。1983年、BBCのテレビ・ドラマ「ジェーン・エア」を始め、多くのテレビに出演して活動しました。2012年7月26日に癌で亡くなりました。62歳でした。

 次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。