Vol.37 『桃色(ピンク)の店』の続き

 この映画は、基本的に二人芝居が続く構成になっていて、非常にテンポ良く物語が展開されます。この映画に登場する俳優全員が、素晴らしい演技をしています。出番が少ないルディ役のチャールズ・スミスも含めて、とても良い二人芝居が観られます。素晴らしい台詞のやり取りが書かれた脚本は最高で、ルビッチ監督の無駄のない演出で最後まで引き込まれます。この作品はルビッチ監督が、ヨーロッパに住んでいた頃の思い出を基に作られていますので、監督の思い入れタップリの映画になっています。

開店前に集まっている従業員(左)
社長が乗って来たタクシーのドアを開けるペピ(右)

 物語の舞台はハンガリーのブタペストですが、会話は全て英語です。街角にある雑貨店「マトチェック商会」の店の前から始まります。開店前に従業員全員が店の前に集まり、社長が店を開けるのを待っています。この場面で従業員の人間関係が分かります。クラリックは皆の信望があり、気障なヴァダスは嫌われています。使い走りのペピは抜け目のない若者で、社長の乗ったタクシーが着いたらいち早くドアを開けて挨拶をします。

文通している事をピロビッチに話すクラリック(左)
オルゴール付き煙草入れをクラリックに見せる社長(右)

 開店準備をしている時にクラリックは、ピロビッチに私書箱を通じて女性と文通している話をします。(今風に説明すると、手紙はメールで私書箱がチャット・ルームになります)クラリックは今まで4回文通をして、彼女を非常に気に入っているとピロビッチに話します。二人で話をしている時に、クラリックは社長のマトチェックに呼ばれて事務所に行きます。社長は蓋付きの小箱を手に持っていて、この商品の感想を聞いて来ます。それは「オルゴール付きの煙草入れ」で、社長は一時間悩んで迷っていました。クラリックは、一目見て売れないと即答します。社長は他の従業員を呼んで感想を聞くと、立場を考えて悪くは言いません。社長は再びクラリックに感想を聞きますが、彼の答えは変わりません。

店員の募集は無いとクララに伝えるクラリック(左)
社長に職を求めるクララ(右)

 そんな時に女性客は入店し、ハンド・バックを見ていたのでクラリックが対応します。その女性と話をしていると、彼女は客では無く職探しの為に来店した事が分かります。今は従業員数は足りているので、雇う事は無いと伝えますが彼女は引き下がりません。今度は、社長に会いたいと言います。そのやり取りを遠くから見ていた社長は、彼女が客だと思い対応します。しかし、この女性が求職中だと知ると事務所に逃げ込みます。彼女はクラリックに住所を伝え、募集があったら連絡をくれる様に頼みます。

クララに煙草入れの感想を聞く社長(左)
キャンディー入れだと言って売るクララ(右)

 クラリックは社長に呼ばれて事務所に入ります。二人が話している時にヴァダスが入って来て、煙草入れが売れそうだと言ってきます。二人で店内に戻ると、先程の女性が煙草入れを手に取って見ていました。そこで社長は、彼女に煙草入れの感想を聞きます。彼女は口から出任せで適当な事を言いながら褒めて小売り価格を聞きます。彼女が“お買い得ですね”と大声を出したら、店内にいた女性客が興味を示したので、彼女は煙草入れをその女性に見せます。煙草入れを手に取った女性は、“キャンデー入れね”と言います。彼女は、個性的なキャンデー入れです云い、蓋を開けて“黒い瞳”のメロディが流れますと説明します。キャンデーを取り出す度にメロディが流れるのは最悪だと言って女性客は拒否します。そこで彼女はキャンデーを食べ過ぎないように、注意を促す為にメロディが流れるように作られていると言います。女性客はそれで納得して購入しますが、彼女は社長から聞いた価格よりも高い価格で売ります。この実績でクララ・ノヴァックは店員になりますが、ここからクラリックとの仲は悪くなります。

開店前から言い争いをするクララとクラリック(左)
最近社長の態度が変だと言うクラリック(右)

 それから半年後、店のショー・ウィンドーには売れ残った煙草入れが、仕入れ価格で並べられています。店の前でクラリックは、ピロビッチに文通相手と今晩会う事になった事を伝えます。そこにクララが現れて、本を読み始めます。クラリックは彼女の服装の事で社長に言われた事を伝えますが、ここから言い争いが始ります。この6か月間、二人は何かにつけ言い争いを続けています。そこにヴァダスがタクシー出勤し、大金を見せびらかしながらタクシー代を払います。社長が出勤してきてショー・ウィンドーを見るなり、今日は残業して全員で飾り付けをするように言います。今日は文通相手と初デートなので、クラリックは社長に早退したい事を伝えに行きます。しかし、社長は忙しいと言って取り合わないので、最近の社長の態度が変だと言いますが冷たくあしらわれます。

クラリックに解雇を伝える社長(左)  皆に別れを告げるクラリック(右)

 倉庫でクラリックとクララが店に出す商品を揃えている時、クララが急に優しい態度で話しかけてきます。仲良くなれそうになった時、早退したいから社長に頼んで欲しいと言い出します。それを聞いたクラリックは彼女が媚びを売ってきた事に怒り出し、再び二人の仲は険悪になります。それでクララは、直接社長に早退を申し出ます。社長はクラリックに彼女を帰しても飾り付けが出来るか聞きます。するとクラリックも大事な用があるので、自分も早退したいと言います。それを聞いた社長は激怒し、全員残業させられます。飾り付けが進む中、社長はクラリックを事務所に呼び彼を解雇します。9年間完璧に近い仕事をしてきたクラリックには、納得出来ない解雇ですが受け入れるしかありません。事務所から出て来たクラリックが解雇されたと言うと、従業員全員も彼同様に納得出来ずにいますがどうしようもありません。クラリックは皆に別れを告げて店を出て行きます。事務所にいる社長に探偵から電話があり、従業員全員を帰します。クララは走って更衣室に行き、急いで着替えして待ち合わせの場所に向かいます。普段、絶対社長に意見を言わないピロビッチが、社長に解雇を思い直すように言いますが拒否されます。

店の外から文通の相手を探すピロビッチ(左)
店内でも言い合いが始まる二人(右)

 クラリックの事を心配してピロビッチは、クラリックに同行して彼の待ち合わせ場所に行きます。クラリックは失業したから彼女に会えないが、どんな女性か見て欲しいとピロビッチに頼みます。ピロビッチが外から店内を見てみると、目印の赤いバラを本に挟んだ女性はクララだと言います。驚いた二人は一旦帰りますが、クラリックは再び戻って来て入店します。惚けながら彼女と会話をしますが、いつもの言い合いが始まります。彼女が待っている男性は自分だと言えず、クラリックは店を出ます。

探偵から調査報告を聞く社長

 店で待つ社長の許に探偵が訪れ、奥さんの浮気の調査結果を報告します。社長は奥さんの浮気相手はクラリックだと思っていましたが、実際の浮気相手はヴァダスでした。社長は自分の間違いに愕然とします。探偵を帰して社長は事務所に入ります。その時ペピが店に帰って来て社長を探します。事務所を覗くと社長はピストル自殺をする処でしたが、間一髪自殺を止めます。

社長は勘違いで解雇した事をクラリックに話す(左)
命の恩人のぺピは店員に昇格します(右)

 翌日ペピの連絡で病院に駆け付けたクラリックは、病室で社長に会います。社長は奥さんの浮気の相手がクラリックだと思い込んで解雇したと言い、復職して主任になって欲しいと頼みます。そしてヴァダスを穏便に解雇するように頼みます。店に帰るクラリックと入れ替わりにペピが入って来ます。ここで社長とペピの面白いやり取りがあって、ペピは使い走りから店員に昇格します。 次回に続きます、最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『桃色の店』 作品データ

1940年製作 アメリカ 99分
原題:The Shop Around the Corner

監督:エルンスト・ルビッチ

製作:エルンスト・ルビッチ

脚本:サムソン・ラファエルソン

原作戯曲:ニコラス・ラズロ

撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:マーガレット・サラヴァン、ジェームズ・スチュアート

   フランク・モーガン、ジョゼフ・シルドクラウト

   フェリックス・ブレザート、サラ・ヘイドン

   ウィリアム・トレーシー、イネズ・コートニー

   サラ・エドワーズ、エドウィン・マクスウェル

   チャ-ルズ・ハルトン、チャールズ・スミス

Vol.36 『桃色(ピンク)の店』

 今回もスクリュー・ボール・コメディです。原題は“The Shop Around the Corner”ですが、なんと酷い邦題でしょうか。ご存じの方も多いと思いますが、この映画をリメイクしたのが『ユー・ガット・メール』です。監督はエルンスト・ルビッチ、主演はマーガレット・サラヴァンとジェームズ・スチュアートです。

【スタッフとキャストの紹介】

エルンスト・ルビッチ

  エルンスト・ルビッチ(1892年1月28日~1947年1月30日)は、ドイツ・ベルリン生まれの映画監督・映画プロデューサーで、ビリー・ワイルダーの師匠です。1908年の16歳の時に高校を中退し、人気喜劇俳優ヴィクトル・アルノルトに弟子入りします。喜劇俳優をやりながら小道具係や照明の助手をし、1911年にマックス・ラインハルト劇団に入団し、翌年から映画に出演するようになります。1913年、主演作『アルプス高原のマイヤー』でコメディアンとして愉快なユダヤ人のマイヤーを演じ、好評を博して短編シリーズものに多く出演しました。1914年に自身主演の短編喜劇『シャボン玉嬢』で監督デビューし、1916年にオッシー・オスヴェルタを見出して複数の短編映画を撮ります。オスヴァルダは「ドイツのメアリー・ピックフォード」と称され、人気者となりました。1918年から長編映画『呪の目』を発表し、続けて発表した『カルメン』がヨーロッパで大ヒットし名声を得ます。1919年『マダム・デバリュー』を監督して大成功を収め、1922年にメアリー・ピッツフォードに招聘されてアメリカに渡ります。

 1923年にピックフォードの主演映画『ロジタ』を監督し、1924年『結婚哲学』。1925年『当世女大学』の監督をします。この頃から、人物の位置や視線などの映像表現によって人物の感情を描く、独自の「ルビッチ・タッチ」を確立していったと云われています。1928年パラマウント社に移籍し、1929年にトーキー映画第一作の『ラブ・パレード』、1931年『陽気な中尉さん』、1932年『極楽特急』、1933年の『生活の設計』等を監督します。1934年から製作もするようになり、1935年にマレーネ・ディートリヒ主演の『真珠の頚飾(真珠の首飾り)』を製作しました。1935年1月28日、ナチス・ドイツによってルビッチのドイツ市民権が剥奪されました。ルビッチはドイツに残っていた姉達とその家族、亡き兄の遺児をアメリカに呼び寄せました。ルビッチは1936年1月24日、アメリカの市民権を獲得しました。1937年にフランス政府からレジオンドヌール勲章を授与されました

 1937年『天使』、1938年『青髭八人目の妻』を監督し、『桃色(ピンク)の店』の制作・監督をする事になりましたが、マーガレト・サリヴァンの強い要望に応えて、ジェームズ・スチュアートのスケジュールが空く迄待ちます。その間の1939年にMGMでグレタ・ガルボ主演の『ニノチカ』を製作・監督しました。1941年に独立して『淑女超特急』を製作・監督し、1942年にナチス占領下のポーランドから脱出する芸人の姿を描いた『生きるべきか死ぬべきか』を監督しました。1944年頃より心臓疾患を抱えていた為監督を休業し、1946年に『小間使』で復帰します。1947年11月30日、ベティ・グレイブル主演のミュージカル映画『あのアーミン毛皮の貴婦人』の準備中に、自宅で心臓発作で倒れて死亡しました。55歳でした。ビリー・ワイルダーと西ベルリン映画ジャーナリストクラブによって、1958年にエルンスト・ルビッチ賞が創設されました。毎年ルビッチの誕生日に授賞式が行われています。

クララ・ノヴィック役
マーガレット・サラヴァン(31歳)

 マーガレット・サラヴァン(1909年5月16日~1960年1月1日)は、ヴァージニア州ノーフォーク生まれのアメリカ合州国の女優です。裕福な家庭に育った彼女は、高校の卒業式で学生代表として演説を行うなど学業優秀でしたが、両親の反対を押し切って女優を目指します。1931年にブロードウェイにデビューし、1933年「晩餐八時」に代役で出演していた時に、映画監督のジョン・M・スタールにスカウトされて1933年『昨日』で映画デビューしました。1934年『第三階級』、1935年『お人好しの仙女』『薔薇は何故紅い』、1936年『月は我が家』1941年『裏街』・『新婚第一歩』に出演しています。彼女は舞台活動を重視していた為に映画出演は少ないですが、演技力は高く評価されていました。1938年『三人の仲間』で、ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞を受賞し、アカデミー主演女優賞でノミネートされています。

 ジェームズ・スチュアートとは、1936年『結婚設計図』、1938年『店曝らしの天使』、1940年『桃色(ピンク)の店』『死の嵐』の4本で共演しています。1943年『Cry‟Havoc”』に出演し、1950年の『No Sad Songs for Me』が最後の映画出演となりました。1950年代以降は、難聴と神経衰弱の症状に苦しんでいました。難聴は先天性のもので、周囲の人たちには隠していました。サラヴァンは子供達と過ごす時間を増やす為に映画出演を辞めましたが、長男と次女との関係が上手くいかず、彼女の精神状態を悪化させる一因でした。1960年1月1日にコネチカット州ニューヘイブンのホテルの部屋で、意識不明の状態で発見され病院で死亡が確認されました。検死報告では、薬物の摂取量を誤った事による事故死となっています。51歳でした。

アルフレッド・クラリック役役
ジェームズ・スチュアート(32歳)

 アルフレッド・クラリック役はジェームズ・スチュアートで、彼の略歴は『モーガン先生のロマンス』をご覧ください。

社長のヒューゴ・マトチェック役
フランク・モーガン(50歳)

 フランク・モーガン(1890年6月1日~1949年9月18日)は、ニューヨーク州ニューヨーク市に生まれのアメリカ合州国の俳優です。モーガンは、コーネル大学卒業後にブロードウェイでデビューし、1914年に『The Suspect』で映画デビューしています。1910年代から1920年代は様々なサイレント映画に出演して、俳優として順調に活躍しました。その後1930年代から1940年代にかけて35年間、主にMGM映画に数多く出演していました1930年『喧嘩商会』、1935年『お人好しの仙女』、1936年『巨星ジーグフェルド』『テムプルのえくぼ』、1937年『ロザリイ』・『サラトガ』等に出演しました。

 1939年『オズの魔法使い』では、マーベル教授、エメラルド・シティの門番、御者、警備員、オズ大魔王の幻影、魔法使いの6役を演じています。1940年『死の嵐』『桃色(ピンク)の店』、1941年『無法街』、1942年『町の人気者』、1944年『クーパーの花婿物語』、1945年『ヨランダと泥棒』、1946年『名犬ラッシー/ラッシーの勇気』、1948年『三銃士』、1949年『甦る熱球』等に出演しています。1940年代にはラジオ番組にも出演したり、1949年には子供向けのレコードを吹き込んでいます。モーガンは、1949年12月12日に心臓発作の為に59歳で急死しました

ヴァダス役
ジョゼフ・シルドクラウト(44歳)

 ジョゼフ・シルドクラウト(1896年3月22日~1964年1月21日)は、オーストリアのウィーン生まれの俳優です。父親は舞台俳優・映画俳優のシルルフ・シルドクラウトです。4歳の時に家族でドイツのハンブルグに移り、そこでピアノやヴァイオリンを習います。その後家族でベルリンに移って、6歳で初舞台を踏んで、1911年にベルリンの王立音楽アカデミーを卒業しました。1912年に家族と共にアメリカに渡りニューヨークで舞台デビューしますが、第一次世界大戦中に一度ヨーロッパに戻り、1920年に再度アメリカに移住して舞台に立ちます。1921年アメリカでの初舞台上演、「リリオム」(映画『回転木馬』の原作)で主役を演じました・その後、サイレント映画に出演したり。時々舞台の仕事もしていました。

 1921年『嵐の孤児』、1927年『キング・オブ・キングス』では親子で共演し、1929年『ショー・ボート』、1934年『奇傑パンチョ』『クレオパトラ』、1936年『砂漠の花園』、1937年『三銃士』等に出演し、『ゾラの生涯』ではアカデミー助演男優賞を受賞しました。1938年『マリー・アントアネットの生涯』、1940年『桃色(ピンク)の店』、1945年『炎の街』、1949年『拳銃の嵐』、1959年『アンネの日記』、1961年『でっかい札束』、1965年『偉大な生涯の物語』等に出演しました。1950年代からはテレビ映画に出演し、「トワイライト・ゾーン」では2エピソードに出演していました。シルドクラウトは、1964年1月21日に心臓発作でニューヨーク市の自宅で亡くなりました。68歳でした。彼の父親も68歳の時に心臓発作で亡くなっています。

ピロビッチ役
フェリックス・ブレザート(45歳)

 フェリックス・ブレザート(1895年3月2日~1949年3月17日)は、ドイツの東プロイセンのエイトクーネン(現在のロシアのネフテロフスキー地区)生まれの舞台・映画俳優です。本作では、クラリックの良き相談相手となり、何かと彼を支える役を好演しています。社長が従業員に意見を求めている時は、直ぐに雲隠れしてしまう惚けた役をこなしています。

 ブレザートは、1914年「十二夜」で舞台デビューし、オーストリア、デンマーク、イギリス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ユーゴスラビアで演技を続けました。1928年から1935年までは40本のドイツ映画に出演しました。1930年『給油所の三人』に出演してからは、主役を演じるようになりました。1933年にナチスが台頭してきた頃、ユダヤ人のブレザートは、ドイツを離れてオーストリアでドイツ語の映画に出演していました。1938年にアメリカに移住し、1939年『ニノチカ』・『懐かしのスワニー』、1940年『同志X』・『人間エヂソン』・『桃色(ピンク)の店』、1941年『塵に咲く花』『美人劇場』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、1944年『第七の十字架』、1946年『永遠に君を愛す』、1948年『ジョニーの肖像』『ヒット・パレード』等に出演しました。ブレザートは、1949年3月17日に白血病の為に57歳で急逝しました。

ペピ・カトナ役
ウィリアム・トレーシー(23歳)

 ウィリアム・トレーシー(1917年12月1日 – 1967年7月18日)は、ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれたアメリカ合州国の俳優です。本作では非常に機転が利く使い走りのペピ役で彼が登場すると、その場面は彼の独り舞台のようになる存在感ある俳優です。

 トレーシーは、1938年『汚れた顔の天使』、1940年『ストライク・アップ・ザ・バンド』に出演し、『桃色(ピンク)の店』のぺピ役で有名になり、1941年『タバコ・ロード』『スミス夫妻』に出演しました。トレーシーはジョー・ソーヤーとコンビで、B級コメディ映画のシリーズ8本に出演しました。1941年『タンクス・ミリオン』のドリアン・”ドードー”・ダブルデイ軍曹役で、B級コメディ映画のシリーズ8本に出演しました。1942年『トリポリ魂 海兵隊よ永遠なれ』、1952年の『ミスター・ウォーキー・トーキー』が最後の映画となりました。1950年代は主にテレビに出演し、ラジオ番組にも出演していました。トレーシーはカリフォルニア州ハリウッドで、49歳の若さで亡くなりました。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。