Vol.53 『フランケンシュタインの花嫁』

発売元:ユニバーサルスタジオ・ジャパン株式会社
映像特典:メイキング、音声解説、フォト-ギャラリー

 今回ご紹介するのは、先回に続いて特殊効果のジョン・P・フルトンとジェームズ・ホエール監督が組んだ作品です。『透明人間』が完成後に会社から『フランケンシュタイン』の続編制作の依頼がありましたが、監督は一度断り1本撮り終えてから本作に取り掛かります。ジョン・P・フルトンは、本作でも新しい特殊効果を考え出して観客を驚かせています。本作では瓶の中に入った小さな人間を登場させます。人間に合わせた大きな瓶の中で演技をさせて、通常の画面と合成させています。この画面で瓶の透けて見える部分の処理が見事です。1931年の『フランケンシュタイン』の続編ですが、前作を超える素晴らしい作品になっています。見た目の醜さ不気味さにより、社会から疎外された者の物語です。ホエール監督は映画公開直前まで撮り直しと編集を繰り返し、上映時間を95分から75分に短縮して無駄の無いテンポの良い作品に仕上げています。ジェームズ・ホエール監督と特殊効果のジョン・P・フルトンの履歴は、Vol.50『透明人間』をご覧ください。

【スタッフとキャストの紹介】

 最終的な脚本が決まる迄は紆余曲折があり、ロバート・フローリーに始まり、トニー・リード、ローレンス・G・ブロックマン、フィリップ・マクドナルドと続きます。監督はジョン・L・ボルダーストンに依頼しエピローグは採用しましたが、最終的には監督と協力してウィリアム・ハールバットが脚本を書き上げました。

フランツ・ワックスマン

 音楽を担当したのが、フランツ・ワックスマン(1906年12月24日~1967年2月24日)です。現在のポーランド出身のアメリカの作曲家で、数々の名作の音楽を担当しています。彼は銀行で働きながら数年間ピアノや作曲の勉強し、その後ベルリンに移住してジャズ・バンドで演奏と編曲をします。映画音楽の最初の仕事は1930年の『嘆きの天使』の編曲でしたが、1932年にナチスの台頭によりユダヤ人の彼は活動拠点をフランスに移し、フランスで製作されるドイツ映画の音楽を担当します。そこでフリッツ・ラングの1934年の『リリオム』の音楽を担当し、ジェローム・カーンのミュージカルをアメリカで上演する為にアメリカに渡ります。その後、彼はホエール監督の依頼を受け、本作の音楽を担当します。この映画では主要キャラクターそれぞれにテーマ曲を作り、映像の邪魔をせず映像に合わせて音楽を入れて映画を盛り上げます。これはハリウッド映画の音楽に新しい風を吹き入れ、その後の映画に大きな影響を与えたと思います。1930年代から1940年にかけてユニバーサル映画で仕事をしていましたが、アルフレッド・ヒッチコックの1940年『レベッカ』、1941年『断崖』、MGMの『フェラデルフィア物語』等を手掛けています。1943年からはワーナー・ブラザース、1950年代はパラマウント映画に移っています。彼が担当した映画のジャンルは多岐に渡り、どの映画も映像と音楽が融合していると思います。『フランケンシュタインの花嫁』を始め、1938年の『クリスマス・キャロル』、1941年の『ジキル博士とハイド氏』、1950年の『サンセット大通り』、1951年の『陽のあたる場所』、1954年の『裏窓』、1957年の『翼よ!あれが巴里の灯だ』、1957年の『昼下がりの情事』等です。本作では登場人物ごとに作曲し、シーンに合わせて見事に曲を駆使して画面を盛り上げています。彼が音楽を担当した映画をご覧になる機会がありましたら、是非音楽にも注目して頂ければと思います。

フランケンシュタインの怪物役
ボリス・カーロフ(48歳)

 主役のフランケンシュタインの怪物は、前作ではノン・クレジットだったボリス・カーロフです。但し、映画のタイトル・ロールで“カーロフ”なっていますが、これは慣例によるものと言われています。ボリス・カーロフ(1887年11月23日~1969年2月2日)は、イギリスのロンドン出身で1909年にカナダに移住してカナダとアメリカで演劇活動をし、1919年に映画界入りしてサイレント映画時代の脇役として多くの映画に出演しています。彼の演技力が認められて、1930年には個性派俳優をして評価を得ます。そして1931年『フランケンシュタイン』で、フランケンシュタインの怪物に抜擢されます。ユニバーサルはベラ・ルゴシに怪物役を依頼しましたが、ルゴシは台詞が無い怪物役を断った為ボリス・カーロフが演じる事になりました。『フランケンシュタイン』は世界中で大ヒットし、フランケンシュタインと言ったら特殊メイクをした怪物の顔が浮かぶようになり、博士の名前が怪物の名前の様になっています。その後は特殊メイクをした役では無く、異常な人間や悪役を演じるようになります。そして、本作で再び怪物役を演じますが、怪物が言葉を喋る事に反対します。映画を撮り終えてから、怪物が喋る事でとても良い映画になったと語っています。その後、『フランケンシュタインの復活』で怪物役を演じますが、最初は前2作でやり尽くしたからと断りますが、ユニバーサルの強い要請で引き受けます。ユニバーサルはシリーズ化して継続して出演を依頼しますが、カーロフに断られて怪物役はロン・チャイニー・Jrが演じました。1950年以降も怪奇映画に出続けますが、存在感のある脇役を演じるようになります。出演作品が多いので、フランケンシュタイン・シリーズを覗いて主な作品を列記します。1932年の『暗黒街の顔役』、『魔の家』、『ミイラ再生』、1934年『黒猫』、1935年の『大鴉』『古城の扉』、1945年『死体を売る男』、1947年『征服されざる人々』、そして1968年の『殺人者はライフルを持っている』では本人役で出演しています。1969年2月2日にイギリスのサセックス州ミッドハーストの病院で亡くなりました。81歳でした。

ヘンリー・フランケンシュタイン役
コリン・クライブ(35歳)

 ヘンリー・フランケンシュタイン役は、前作に引き続きでコリン・クライブ(1900年1月20日~1937年6月25日)が演じました。クライブは、フランスのサン・マロ生まれのイギリスの舞台俳優・映画俳優です。彼はストーニーハースト・カレッジに通い、ロイヤル・ミリタリー・アカデミー・サンドハーストに入学しますが、膝を負傷して兵役免除になります。その後舞台俳優を目指し、ハル・レパートリー・シアター・カンパニーで3年間演劇を学びます。ロンドンで最初の作品「ショーボート」の舞台でスティーブ・ベイカー役を演じ、サヴォイ・シアターの「ジャーニーズ・エンド」でジェームズ・ホエールと共演します。彼は1925年から1932年まではロンドンの舞台を中心に出演し、時折ニューヨークの舞台にも出ていましたが、1933年からはニューヨークの舞台に出演していました。彼の映画デビューは1930年のジェームズ・ホエール監督の『暁の総攻撃』で、アルコール依存症のスタンホープ大尉を演じました。実生活でも彼はアルコール依存症で、本作の撮影時にはかなり悪化していましたが、ホエール監督は彼の神経質な表情が必要なので出演させました。「ショーボート」・「ハムレット」・「白鳥」等19本の舞台出演があり、1931年『フランケンシュタイン』、1933年『人生の高度計』、1934年『ジェーン・エア』、1935年『フランケンシュタインの花嫁』『狂恋』、1937年『歴史は夜作られる』等の18本の映画に出演しています。クライブは、重度の慢性アルコール依存症に苦しみ、1937年6月27日に結核の合併症の為37歳で亡くなりました。

エリザベス役
ヴァレリー・ホブソン(17歳)

 フランケンシュタインの恋人エリザベス役は、ヴァレリー・ホブソンが演じました。前作でエリザベスを演じたメイ・クラークが、健康が優れない為に役を降りたと言われています。ヴァレリー・ホブソン(1917年4月14日~1998年11月13日)は、1930年代から1950年代に活躍したイギリスの女優です。彼女は10歳頃からロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アークで、演技とダンスを学び始めます。1932年から映画に出演するようになり、17歳で1935年『フランケンシュタインの花嫁』『倫敦の人狼』、1935年『幻しの合唱』、1939年『スパイは暗躍する』、1949年『カインド・ハート』に出演し、1946年にはデビット・リーン監督の『大いなる遺産』にも出演しています。1953年3月8日に、ドルリー・レーンのシアター・ロイヤルで開演したミュージカル劇「王様と私」が最後の舞台でした。余談ですが、彼女は1954年に国会議員のジョン・プロフーモ准将と2度目の結婚をしますが、1963年に夫のプロフーモがスキャンダルを起こし政治生命を絶たれます。この事件は1989年の『スキャンダル』で映画されています。

セブティマス・ブレトリア博士役
アーネスト・セジガー(38歳)

 ヘンリー・フランケンシュタインの恩師セブティマス・ブレトリア博士を演じたのは、イギリスの舞台俳優・映画俳優のアーネスト・セジガー(1897年1月15日~1961年1月14日)です。彼はイギリスの名門出身で最初は画家を目指していましたが、演劇に転向して1909年にプロ・デビューします。第一次世界大戦中は1914年イギリス陸軍の準州軍に志願し、射撃手として3か月の訓練を受け西部戦線に送られます。彼はフランス滞在中に歴史的な刺繡を購入し、趣味としてその刺繍の修復をしていました。1915年に塹壕で負傷してイギリスに帰国します。帰国後、彼は兵士の為に小さな縫製キットを開発し、後にクロス・スティッチ名誉長官になり、バッキンガム宮殿でも仕事をするようになります。同時に1915年から舞台俳優と活躍します。1916年には映画デビューし、脇役ながら多くの作品に出演します。舞台俳優としての出演が主で、時折映画にも出演しています。1929年『高速度珍婚双紙』、1932年『魔の家』、1933年『月光石』等に出演し、1935年『フランケンシュタインの花嫁」で、ブレトリア博士役は正にはまり役で鬼気迫る演技です。その後、1936年『奇跡人間』、1945年『ヘンリィ五世』『シーザーとクレオパトラ』、1947年『赤い百合』、1951年『素晴らしき遺産~オードリー・ヘップバーン』、1953年『聖衣』、1948年『四重奏』、1951年『白衣の男』、1954年『卑怯者』、1960年『息子と恋人』等に出演しました。

メアリー・シェリーと怪物の花嫁役
エルザ・ランチェスター(33歳)

 「フランケンシュタイン」の原作者メアリー・シェリーと怪物の花嫁の二役を演じたのが、エルザ・ランチェスター(1902年10月28日~1986年12月26日)でイギリスの映画俳優です。余談ですが、夫のチャールズ・ロートンは1939年の『ノートルダムのせむし男』でカジモドを演じていますね。彼女は演劇の私塾で学び、17歳で自分の劇団と劇場を持ち1922年にロンドンの舞台にデビューして活躍します。1925年『緋色の女』で映画デビューし、1929年チャールズ・ロートンと結婚して時折共演しています。

 1933年『ヘンリー八世の私生活』、1935年『フランケンシュタインの花嫁』『孤児ダビド物語』、1936年『レンブラント/描かれた人生』、1941年『生きてる屍』、1942年『運命の饗宴』、1943年『名犬ラッシー~家路~』、1946年『剃刀の刃』『らせん階段』、1947年『気まぐれ天使』、1948年『大時計』、1950年『ミステリー・ストリート』等に出演しています。1957年『情婦』では看護婦役でチャールズ・ロートンと共演し、面白い掛け合いをしています。1958年『媚薬』、1964年『メリー・ポピンズ』、1967年『ゴー!ゴー!ゴー!』、1969年『ナタリーの朝』、1971年『ウイラード』、1976年『名探偵登場』等に出演しています。1986年12月26日、カリフォルニア州のウッドランドヒルズで、気管支炎の為84歳で亡くなりました。

盲目の隠者役
オリバー・ピーターズ・ヘギー(58歳)

 盲目の隠者を演じたのはオリバー・ピーターズ・ヘギー(1877年9月17日~1936年2月7日)で、オーストラリアの舞台俳優・映画俳優です。彼はアデレート音楽院で学んでアマチュア劇団に出演後、1900年にシドニー宮殿で舞台劇「火星からのメッセージ」でプロとしてデビューしました。その後、1906年にイギリスに渡り数々の舞台劇に出演し、「スペックルド・バンド」で演じたシャーロック・ホームズはコナン・ドイルに称賛されました。1914年にはニューヨークに渡り、自作の舞台劇を始め精力的に舞台俳優として活躍しました。その後、ハリウッドに移り1928年のサイレント映画『女優』で映画デビューします。主な出演作品は、1929年『フーマンチュウ博士の秘密』、1930年『ヴァガボンド王』・『続フーマンチュー博士』、1931年『女性に捧ぐ』、1934年『モンテ・クリスト伯爵』・『紅雀(赤毛のアン)』、1935年『フランダースの犬』・『フランケンシュタインの花嫁』等です。

侍従ミニー役
ウナ・オコナー(55歳)

 フランケンシュタイン家の侍従ミニー役をウナ・オコナーが演じています。本作でも出番は多く、コミカルに騒ぎまくります。ウナ・オコナーの履歴は、Vol.50『透明人間』をご覧ください。次回に続きます。 最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。