Vol.64 『突破口!』の続き

オープニングの夜の山並み(左)   “CHARLEY VARRICK”のタイトル(右)

 オープニングで月が映し出され、カメラが引いて遠くに山並みが見える夜のシーンに主演のウォルター・マッソーの名前が出ます。次に“CHARLEY VARRICK”と書かれた衣服のようなものが燃えているシーンが映画のタイトルとなります。画面は遠くに山並みが見える田園風景の朝です。牧場が映し出され、のんびりとした日常生活を描いています。そして、そこの町の人々の暮らしぶりが分かるような何気ないシーンに続きます。(この間クレジットが画面の片隅に表示されますが、出演者の最後に“ドナルド・シーゲル”と書かれています。)

ウエスタン信託銀行の看板(左)     銀行前に停まったリンカーン(右)

 画面が変わってニューメキシコ州のウエスタン信託銀行の看板が映し出されます。カメラは壁伝いに上に上がり、旗の間から遠くに車が見えた処からカメラが下がります。銀行の前に黄色のリンカーンが停車します。(1970年代のアメ車は大きいです)

変装したチャーリーと妻のネイディーン(左)  二人に声を掛ける警官(右)

 助手席には老人に変装したチャーリー、運転席には妻のネイディーンがいます。銀行前に停車している車を見て、パトカーカーが来ます。警官が銀行前に停車しないように注意しますが、チャーリーが包帯を巻いた左足を見せて、小切手の換金だけだから直ぐ終わると言います。ネイディーンが、夫は私を信用していないので換金させてくれないと言い、二人が言い争います。それを見ていた警官は、早く車を出すよう言って去ります。

本部に車のナンバーを照会する警官(左)
支店長に小切手を見せるチャーリー(右)

 チャーリーが銀行に入って行った後に、画面はパトカーの車内に変わります。警官はナンバープレートから盗難車ではないかと思い、本部に連絡をしてナンバーの照会を依頼します。銀行ではチャーリーが出した小切手が他行のものなので、支店長が出てきます。

マスクを付けたアルとサリバンが登場(左)
支店長に銃を突き付けるh-万(右)

 ここからのんびりムードは終わり、緊迫して画面になります。マスクを付けた二人の男が銃を持って現れ、チャーリーも銃を構えて銀行強盗に早変わりします。相棒のサリバンがカウンターの中に入って現金を漁ります。(サリバンは白い布で自分が触った所の指紋を拭き取ります。この描写で彼等はプロである事が分かります・)チャーリーは支店長に金庫を開けるように言いますが、困惑して直ぐに金庫を開けませんでした。チャーリーが支店長の足を蹴り、サリバンが後ろから拳銃を頭に押し付けると金庫を開けます。その頃、パトカーに本部から連絡があり、照会した車が盗難車だと分かります。(このシーンで二人の警官のホルスターを映し、ホルスター内に銃を固定するストラップを外す処はリアリティがあり緊張感が出ています。)

支店長に銃を突き付けて別の金庫を開けるように言うチャーリー(左)
別の金庫から出された革のバッグ(右)

 銀行では奪った金が少ないとサリバンが言うと、チャーリーは支店長にもっと金を出すように言います。支店長は冷や汗を流しながらもう無いと言いますが、チャーリーに銃を突き付けられて渋々別の金庫を開けます。支店長が中から革のカバンを出したので、中身を問いただすと譲渡不能の証券だと言います。

バッグの中の免許証を探すふりをするネイディーン(左)
バッグの中から銃を撃つネイディーン(右)

 その頃、パトカーが銀行に戻ってきて、一人の警官がネイディーンに免許証を見せるように言います。ネイディーンはバックの中を探すようにしながら、バックの底を警官の方に向けてバックの中から銃を発砲して警官を射殺します。続けて車の後ろ側にいた警官も撃ちますが、その警官は倒れながら銃を発砲します。その弾はドアに当たります。

パトカーに衝突後ボンネットが開いたリンカーン(左)
建物に衝突して停まった保安官のパトカー(右)

 銀行では警備員の傍で銃を向けていた仲間のアルが、外の銃声を聞いて横を向いた隙に警備員がアルのもう一丁の銃を奪ってアルを射殺します。チャーリーとサリバンは、警備員を射殺して逃げ出します。ネイディーンは二人が乗ったと同時に車を発進しますが、前に止まっているパトカーを引掛けてしまい、ボンネットが開いた状態で走ります。駆け付けたもう一台のパトカーとは、側面を接触しながら走り去ります。パトカーは建物の一部を壊して、駐車していた車にぶつかって止まります。パトカーに乗っていた保安官は、本部に銀行強盗があった事を伝え、非常線を張るように指示します。

警官の生存を確認した保安官(左)
保安官にリンカーンのナンバーを知らせる少年(右)

 保安官は銃撃現場で一人の警官の生存を確認し、銀行に入ろうとした時に少年がリンカーンのナンバーを知らせに来ます。(この少年役を演じたのは、チャールズ・マッソーでウォルター・マッソーの息子さんです。)逃走中のリンカーンは多少の蛇行をしながら走りますが、スピードを落として道路脇に止まります。そこでチャーリーはネイディーンが銃で撃たれた事を知ります。銀行では保安官と支店長が事件の報告先の話をしていて、支店長は銀行員のベスタに地方検事に連絡するように言い、小声でリノのメイナード・ボイルにも連絡するように言います。

奪った金を容器に入れる二人(左)   点火装置を設置するチャーリー(右)

 妻のネウディーンを助手席に座らせ、チャーリーは変装を取りながら運転して山中に向かいます。山中の車を乗り換える場所に車を止め、仕事用のバンに用意してある2本の円柱形の容器に奪った金を入れ、その上からカモフラージュする詰め物をして蓋をします。サリバンはリンカーンの周りに火薬を撒き、チャーリーは妻の介抱をしますがネイディーンは亡くなります。妻の指から指輪を外し、リンカーンの周りに火薬を撒いて、妻の身体にも火薬を掛けます。ガソリンキャップを開けて布を垂らし、その布に点火装置を仕掛けてその場を去ります。

積み荷を確認する警官(左)     山で突然爆発が起こります(右)

 山を下りて幹線道路を走りながら、サリバンがチャーリーの以前の仕事の事を尋ねます。チャーリーは曲芸飛行をやっていたが、死にそうになって飛行機での農薬散布の仕事していた。しかし、コンバインが出回って仕事が減ったので、銀行強盗を始めたと話します。その時、対向車線をパトカーが走って来ます。すれ違ったパトカーはUターンして、チャーリーに停車するように指示します。サリバンは拳銃を出して警官を撃とうとしますが、チャーリーは拳銃をしまうように言います。警官は営業許可証を見てから荷物の確認をします。サリバンは銃を取り出して、助手席で銃を構えます。チャーリーが容器の中身の説明をしている時に、遠くの山の方で爆発があり、警官は爆発現場に向かってパトカーを走らせます。(劇中マッソーが何度もガムを書くシーンが出てきますが、ヘビースモーカーだった彼が禁煙したアピールなのかと思ったりしました。)警官が去った後、チャーリーは橋の上から犯行に使った銃を川に捨てます。サリバンにも銃を捨てるように言い、サリバンは渋々銃を捨てます。仲間のアルの銃も捨てて、自宅に向かいます。

モリ―夫人と話すチャーリー(左)     奪った金の多さに驚く二人(右)

 トレーラーハウスの自宅に着き、トレーラーハウスを叩きながらネイディーンに声を掛け、隣人のタフ・モリ―夫人の所に行って妻を見なかったか尋ねます。モリ―夫人は見なかったけど、逃げられたのかと良います。この辺は女たらしがいるから、気を付けないと言い、私も言い寄られていると言い出します。チャーリーは適当に返事をして、トレーラーハウスに向かいます。(モリ―夫人が登場するシーンでは平凡な日常に戻るので、それが映画にリアリティを与えているように思います。)サリバンがトレーラーハウスに運び込んだ容器を開けて、予想以上の大金が入っていました。サリバンは大喜びですが、チャーリーは額が多すぎるので疑惑を抱きます。あの地方銀行なら3万ドル位だが、ざっと見積もっても50万ドル以上あります。その時ラジオの速報があり、被害額は2000ドル弱だと時放送されます。これを聞いてチャーリーはマフィアの隠し金だと確信し、身を隠して3~4年金に手を付けないようにすると、サリバンに説明しますが彼は事の重大さを理解しません。

モリ―に無線で仕事を依頼するボイル(左)
ジョンに賭けの負け金を払うラフティ役のシーゲル監督(右)

 画面が変わってボイルのオフィス、ボイルは秘書のフォートに配達人を手配するように指示します。ボイルは無人の会議室に入り鍵をかけ、無線機を撮り出して殺し屋のモリ―に仕事の依頼をします。ウエスタン信託銀行トレス・クルーセス支店で75万ドル盗まれたので、金の回収と後始末をするように指示します。モリ―は配達人のジョンのオフィスに向かいます。ジョンのオフィスは中華店料理のレストランの地下にあり、遊戯室になっていてジョンと卓球をやっているマーフィ役がシーゲル監督です。賭けに負けてお金を払って出て行きます。

モリ―を説得していごとを依頼するジョン(左)
男を殴り倒して車を回収するモリ―(右)

 ジョンはモリ―と奥のオフィスに入り、前払い金を渡し現在情報が無いと言うと、ジョンは仕事を断ります。ジョンは組織の内部情報を手に入れると言って、モリ―を説得します。ジョンはニューメキシコのホテルを手配し、車は訳有りの男から回収して使うように依頼します。モリ―は勝手に車を奪った男を殴り倒し、車を回収してニューメキシコに向かいます。(カメラが横にパンして、窓から父親が殴り倒されたのを見ていた不安げな子供が映されます。何気ないこんなシーンが挿入されるが、シーゲル監督の魅力ですね。)

飛行機で逃走す事を提案するサリバンと一応承諾するチャーリー

 画面が変わって月が映し出され、サリバンが酒を飲んでいます。チャーリーに呼ばれてトレーラーハウスに入ります。サリバンは奪った金の置き場所を聞き、金額を聞きます。チャーリーは76万5180ドルだと答えて、サリバンは3分の1で自分は3分の2を貰うと言います。サリバンは納得し、二人でテレビ・ニュースを観ます。妻を乗せた車を燃やした事で山火事になった報道があり、発見された車は銀行強盗の逃走車と認定し、手掛かりは遺体の歯形だけなので州内の歯医者を調べていると保安官が言います。サリバンは道路封鎖されても飛行機で逃げればいいとチャーリーに言います。飛行場も見張られているから無理だとチャーリーが言うと、サリバンは着陸出来る所なら何処でも良いだろうと言います。(このシーンのアンディ・ロビンソンの表情は、金に目が眩んだ若者の演技で本領発揮です。)

妻のカルテを抜き取るチャーリー

 チャーリーは一応承諾したような返答をし、ネイディーンのカルテを処分する為に歯医者に行きます。歯医者に侵入したチャーリーはネイディーンのカルテを抜き取り、サリバンのレントゲン写真を抜き取って自分のレントゲン写真と入れ替えて、自分のレントゲン写真を持ち帰ります。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『突破口!』 作品データ

1973年製作 111分 アメリカ
原題:CHARLEY VARRICK

監督:ドン・シーゲル

製作:ドン・シーゲル

製作総指揮:ジェニングス・ラング

原作:ジョン・リーズ

脚本:ハワード・ロッドマン、ディーン・リーズナー

編集:フランク・モリス

音楽:ラロ・シフリン

ウォルター・マッソー:チャーリー・ヴァリック

ジョー・ドン・ベイカー:モリ―(殺し屋)

アンディ・ロビンソン:ハーマン・サリバン(相棒)

ジャクリーン・スコット:ネイディーン・ヴァリック(妻)

フェリシア・ファー:シビル・フォート(秘書)

シェリー・ノース:ジュエル・エベレット(偽造屋)

ジョン・ヴァーノン:メイナード・ボイル(マフィアのボス)

マージョ・ベネット:(隣人のお婆さんのターフ夫人)

ドナルド・シーゲル:マーフィ

Vol.63 『突破口!』

 今回ご紹介するのは、ドン・シーゲル監督が設立したプロダクションの第1作『突破口!』です。長年B級映画を撮り続けてきた監督が、自分が撮りたかった念願の映画です。短期間に低予算で映画を撮ってきた監督の演出は、無駄が無くテンポが良くて好きな監督さんです。出演する役者さんも厳選されていますし、スタッフもお馴染みのシーゲル組の面々です。

発売元:キングレコード株式会社

【スタッフとキャストの紹介】

ドン・シーゲル監督

監督:ドン・シーゲル(1912年10月26日~1991年4が20日)は、アメリカのシカゴ出身の映画監督です。父親がマンドリン奏者で、巡業のため一家はアメリカ各地を転々とします。彼が高校卒業後に一家はイギリスに渡り、ケンブリッジ大学や英国王立演劇アカデミーで学びます。その後一家はフランスに渡りますが、1931年に帰国します。1934年に叔父さんが働いていたワーナー・ブラザーズに入社し、編集助手や助監督をしてキャリアを積んで行きます。しかし、1944年に会社と契約で意見衝突し、数か月間失職状態になります。ハワード・ホークス監督の助監督を務め、1945年に短編映画『Star In The  night』で監督デビューします。その後に撮ったドキュメンタリー映画『Hitler Lives?』の2本はアカデミー賞を受賞します。1946年に『ビッグ・ボウの殺人』で長編映画デビューし、1949年に『暗闇の秘密』の監督をします。しかし、映画業界がTVの進出により斜陽化が始まり、ワーナー・ブラザーズは多くのスタッフを解雇しました。シーゲル監督は9ヶ月の失業生活を送りますが、ロバート・ロッセン監督の『オール・ザ・キングスマン』で第2班監督として仕事をします。(この仕事は、ノン・クレジットです。)その後、ハワード・ヒューズがRKOに招き入れます。(それにしてもハワード・ヒューズは、多くの人達の手助けをしていますね。苦境にあったタッカーにも素晴らしい情報を提供しています。)それからのシーゲル監督は様々な映画会社の仕事をこなし、低予算早撮りで製作するB級映画を数多く監督しました。1964年の『第十一号監房の暴動』を撮った時に、サム・ペキンパーが助監督として付きます。その後も『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』や『暴力の季節』で、サム・ペキンパーは助監督を務めます。シーゲル監督は生活費を稼ぐ為に、1950年代から1960年代までテレビ映画も数多く演出しています。その中で1964年の『殺人者たち』は、内容が暴力的と云う事で劇場公開されました。1968年の『マンハッタン無宿』の監督決定が難航した時、クリント・イーストウッドがドン・シーゲルを指名しました。監督候補だったマーク・ライデルもシーゲルを絶賛した事もあり、ドン・シーゲルが監督になります。この映画の撮影を通じて二人は親交を深め、イ-ストウッドはシーゲル監督から本格的に監督業を学び始めます。二人は1970年『真昼の死闘』、続けて1971年にサスペンス映画『白い肌の異常な恐怖』を撮ります。残念ながらこの映画は興行的に失敗しますが、監督は自分の最高傑作と当時仰っていました。そして1971年に『ダーティハリー』を発表し、世界的な大ヒットとなります。その後自身のプロダクションを設立して1973年に『突破口!』を発表し、1974年『ドラブル』、1976年『ラスト・シューティスト』、1977年『テレフォン』、1979年『アルカドラスからの脱出』と続きます。主な作品は、1952年『抜き打ち二挺拳銃』、1956年『ボディ・スナッチャ-/恐怖の街』、1960年『燃える平原児』、1961年『突撃隊』、1967年『太陽の流れ者』、1968年『刑事マディガン』等です。1982年の『ジンクス!あいつのツキをぶっとばせ!』が遺作になりました。

ハワード・ロッドマン

脚本:ハワード・ロッドマン(1920年2月18日~1985年12月5日)はブルックリン出身の脚本家・作家で、息子のハワード・A・ロッドマンも脚本家・作家です。ロッドマンは1950年代から数多くのTV映画シリーズの脚本を書き、特に有名なのは「600万ドルの男(The Six Million Dollar Man)」です。ロッドマンはパイロット版の「サイボーグ大作戦(邦題)」脚本を書き、主人公のスティーブ・オースティンのキャラクターを創造しました。しかし、最終的に出来上がった作品に不満があり、クレジットは別名のアンリ・シモンとなっています。その他のTV映画の1958年「プレイハウス」・「裸の町」、1960年「ルート66」等の脚本を書き、1964年「ペイトンプレイス物語」ではアソシエイト・プロデューサーを務めています。1960年代からは1966年『0011ナポレオン・ソロ 消えた相棒』、1967年『刑事マディガン』、1968年『マンハッタン無宿』、1969年『レーサー』等の映画の脚本も執筆しています。1973年の『突破口!』では脚本の第1稿を執筆しますが、会社が採用せずディーン・リーズナーの第2項で撮影されました。

ディーン・リーズナー

脚本:ディーン・リーズナー(1918年11月3 日~2002年08月18日)は、ニューヨーク市生まれのアメリカ合州国の映画・TV映画の脚本家です。父親のチャールズ・ライナーが映画監督だったので、ディーン・リーズナーはディンキー・ディーンの芸名で、1923年にチャールズ・チャップリンの『偽牧師』にも出演しています。しかし、母親が映画出演に反対した為、子役は長く続きませんでした。リスナーは1947年に『ビルの冒険物語(BILL AND COO)』の脚本と監督を担当しました。この短編映画は、鳥と小動物が人間のように洋服を着て物語を展開する実写映画です。彼はこの作品でアカデミー特別賞を受賞しています。(是非観てみたい作品ですが、残念ながら現在は観ることが出来ません。)1950年代から1960年代にかけてTV映画シリーズの脚本を担当し、1955年の「シャイアン」を始め、「ローハイド」、「ドビーの青春」、「ベンケー・シー」等の脚本を執筆しています。1957年の『烙印の裁き』(「シャイアン」の劇場版)、1958年の『パリの休日』等の映画の脚本を執筆します。1968年の『マンハッタン無宿』からドン・シーゲル監督の作品の脚本を担当し、1971年『ダーティハリー』『恐怖のメロディ』、1973年『突破口!』『ダーティハリー3』と執筆しました。その他、1983年『ブルーサンダー』、1987年『危険な天使』の脚本を執筆しています。

ラロ・シフリン

音楽:ラロ・シフリン(1932年6月21日生まれ)は、アルゼンチン出身の作曲家、編曲家、ジャズ・ピアニスト、指揮者です。父親がヴァイオリン奏者だった事から、6歳からピアノを習い始め二人の師から個人レッスンを受けます。その後、アルゼンチンの大学でクラシックを学びながらジャズも演奏するようになります。1950年代初めにパリに留学し、パリ国立音楽学校や舞踊学校で学びます。そして、フランスでジャズ・ピアニストやアレンジャーとしてスタートし、ヴォーグ等からラテン音楽のレコードを出します。1950年代終わりにアルゼンチンに帰国して、ジャズ・ミュージッシャンとして活躍します。1958年にディジー・ガレスビーに出会い、彼の為に曲を提供しました。1960年にニューヨークでガレスビーと再会し、彼の楽団でピアニスト兼アレンジャーとして参加します。その後アメリカに移住し、サビア・クガートやクインシー・ジョーンズ等の楽団に参加します。自身の楽団でも活躍し、ジャズやラテン音楽やボサノバ等も演奏していました。シフリンはMGMの子会社のヴォーグに所属していたので、スタン・ゲッツ、ジミー・スミス、カウント・ベーシー、ルイス・ボンファ、サラ・ボーン等の作品に参加していました。やがてMGMの映画音楽の作曲をするようになり、ハリウッドに移住して映画やTV映画の作曲をするようになります。TV映画では1964年の「ナオレオン・ソロ」に続いて、1965年の「スパイ大作戦」のテーマ曲を作曲します。この曲は4分の5拍子で作曲され、非常にインパクトがあり大ヒットしました。(時代を超えて今でも使われています。)その他に1967年「マニックス」、1974年「猿の惑星」、1975年「刑事スタスキー&ハッチ」等があります。映画音楽は多過ぎるので、全てはご紹介出来ませんが列記致します。やはり最初は、1973年『燃えよドラゴン』ですね。オリエンタル・ムードのメロディをシンセサイザーを使って強烈な印象を与えています。1964年『危険がいっぱい』、1965年『シンシナティ・キッド』、1968年『ブリット』『暴力脱獄』『マンハッタン無宿』『女狐』、1970年『戦略大作戦』。1973年『ダーティハリー』から始まって『ダーティハリー3』を除いて、『ダーティハリー5』まで担当しています。クリント・イーストウッドやドン・シーゲルの作品が多いです。そして1973年『突破口!』です。

チャーリー・ヴァリック役
ウォルター・マッソー(53歳)

 ウォルター・マッソー(1920年10月1日~2,000年7月1日)は、アメリカの俳優・コメディアン・映画監督です。ニューヨーク州ニューヨーク市生まれのマンハッタン育ちです。父親が家族を捨てた為、ロウアー・イースト・サイドのアパートに移りました。母親は衣料品のスウェットショップで働き、彼も新聞配達等をして家計を助けましたマッソーはユダヤ人の非営利のトランキリティ・キャンプに参加し、キャンプが土曜日の夜に上演するショーに出演し始め、サプライズレイク・キャンプにも参加しました。マッソーは、スワードパーク高校卒業後にコロンビア大学でジャーナリズムを学んでいます。第二次世界大戦中、マッソーはイギリスの第24空軍のアメリカ陸軍航空軍で、ラジオ・ガンナー(無線機の砲手)として爆撃機に搭乗しました。彼はジェームズ・スチュアートと同じ第9砲撃隊に所属し、ヨーロッパ大陸で任務を遂行しました。終戦時、軍曹でした。

 アメリカに帰国後、ニュー・スクールのドラマティック・ワークショップで、ドイツの監督のエルヴィン・ピスカトールから演技を学びました。1961年のブロードウェイ舞台劇「A Shot in the Dark」に出演し、トニー賞の最優秀主演男優賞を受賞しました。(この舞台劇は脚本を大幅に書き直して、1964年『暗闇でドッキリ』として映画化されました。)1955年にバート・ランカスターが監督・主演した『ケンタッキー人』で映画デビューし、『赤い砦』、1956年『黒の報酬』、1957年『群衆の中の一つの星』、1958年『闇に響く声』、1960年『逢う時はいつも他人』、1962年『脱獄』、1963年『シャレード』、1964年『未知への飛行』等に出演しました。この頃、テレビ・ドラマの「裸の町」・「ヒチコック劇場」・「ドクター・キルデア」等にゲスト出演していました。1965年にニール・サイモンのブロードウェイの舞台劇「おかしな二人」にアート・カーニーと共演しました。

 その後、1966年『恋人よ帰れ!わが胸に』、1968年『おかしな二人』、1969年『ハロー・ドーリー!』、1969年にジャック・レモン初監督の『コッチおじさん』、1973年『突破口!』『マシンガン・パニック/笑う警官』、1974年『フロント・ページ』、1976年『がんばれ!ベアーズ』、1978年『カリフォルニア・スイート』、1982年『わたし女優志願』、1991年『JFK』、1993年『ラブリー・オールドマン』、1997年『カリブは最高』等に出演しています。2000年『電話を抱きしめて』が遺作となりました。マッソーは1980年代から1990年代にかけて、国立学生映画研究所の諮問委員会の委員を務めていました。ヘビー・スモーカーのマッソーは1966年に心臓発作を起こし、1993年に心臓バイパス手術を受けていました。1999年に結腸腫瘍を切除しましたが、晩年の数年間はアテローム性動脈硬化性心臓病を患っていました。2000年7月1日の深夜に自宅で心臓発作を起こし、救急車でサンタモニカのセントジョンズヘルスセンターに運ばれましたが、数時間後に79歳で亡くなりました。

モリ―役
ジョー・ドン・ベイカー(37歳)

 ジョー・ドン・ベイカー(1936年2月12日生まれ)はテキサス州クロースベック生まれの性格俳優であり、アクターズ・スタジオの終身会員です。彼はノーステキサス大学に通い、在学中から演技を始めました。卒業後に軍隊に入隊し、軍の演劇学校で2年間演技を学びました。除隊後、様々な仕事をしながらアクター・スタジオで本格的に演技を学びました。1964年にニューヨークで初舞台を踏み、テレビでは「バークレイ牧場」、「モッズ特捜隊」、「ボナンザ」、「ガンスモーク」等に出演していました。1967年『暴力脱獄』で映画デビューして、1969年『新・荒野の七人/馬上の決闘』に出演し、1969年にはブロードウィイデビューしました。

 ベトナム帰還兵に対するアメリカ国民の反応と帰還兵の苦悩を描いた、1972年の『ソルジャー・ボーイ』に出演しました。ベトナム戦争中に問題提起した作品で、その後のベトナム帰還兵を扱った作品に大きな影響を与えた映画です。1972年『ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦』、1972年『組織』、1973年『ウォーキング・トール』『突破口!』、1974年『黄金の針』、1985年『フレッチ/殺人方程式』、1987年『007/リビング・デイライツ』、1995『007/ゴールデンアイ』、1996年『マーズ・アタック』、1997年『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』、2012年『MUD マッド』等に出演しました。007シリーズでは悪役と007の味方の両方を演じています。『007/リビング・デイライツ』では悪役の武器商人ブラッド・ウィテカーを演じ、『007/ゴールデンアイ』と『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』ではCIAエージェントのジャック・ウェイドを演じています。

シビル・フォート役
フェリシア・ファー(41歳)

 フェリシア・ファー(1932年10月4日生まれ)は、ニューヨーク州ウエストチェスター郡生まれのアメリカ合州国の元女優でモデルです。彼女はエラスムスホール高校に通い、ペンシルベニア州立大学で社会学を学びました。19歳と年齢を偽って15歳でランジェリーのモデルをし、1950年代から1960年代には写真のモデルや広告に出演しました。ファーは1955年にコロンビア・ピクチャ-ズと7年間の契約し、1955年『去り行く男』・『真昼の脱獄』、1956年『襲われた幌馬車』、1957年『決断の3時10分』、1964年『ねぇ!キスしてよ』、1971年『コッチおじさん』、1973年『突破口!』、1992年『ザ・プレイヤー』等に出演しました。ファーは1960年代のテレビ映画の「裸の街」、「幌馬車隊」、「ベン・ケーシー」、「ボナンザ」、「ヒチコック劇場」、「バークにまかせろ」等にゲスト出演していました。

ハーマン・サリバン役
アンドリュー・ロビンソン(31歳

 アンドリュー・ロビンソン(1942年2月14日生まれ)は、アメリカ合州国・ニューヨーク出身の俳優で南カリフォルニア大学の美術修士プログラムの元ディレクターです。父親は彼が2歳の時に第二次世界大戦で戦死し、母親と共にコネチカット州ハートフォードに移り住みます。少年時代は非行に走りますが、更生してロードアイランド州のセントアンドリュースクール(寄宿学校)に入学しました。高校卒業後、ニューハンプシャー大学に入学しますが、予備役将校訓練課程に反対して放校処分になります。ニューヨークのニュー・スクール大学に編入して英語の学士号を取得し、フルブライト奨学金を得てロンドンに留学しました。彼はロンドン音楽演劇芸術アカデミーに通いながら、シェイクスピアとボイストレーニングを学びました。帰国後、ニューヨークの舞台で活動し始めました。

 1971年『ダーティハリー』で“さそり”役に抜擢され、鬼気迫る演技で強烈な印象を残しました。1973年『突破口!』、1975年『新・動く標的』に出演し、テレビ映画にも出演しています。1978年ら5年程が俳優を休業し、カリフォルニア州アイデルワイドの小さなコミュニティに家族と共に移住しました。大工として働きながら、地元の中高生の為にコミュニティ・シアターで演技指導を行っていました。その後映画界に復帰して、1985年『マスク』、1986年『コブラ』、1987年『ヘル・レイザー』、1988年『影なき男』、1991年『チャイルド・プレイ3』等に出演しました。テレビ・シリーズでは1976年から1978年の「ライアンの希望(Ryan’s Hope)」や1993年から1999年の「スタートレック/ディープ・スぺス・ナイン」にレギュラー出演しました。その他、「ベガス」、「特攻野郎Aチーム」、「新・トワイライトゾーン」、「ジェシカおばさんの事件後」等にゲスト出演しました。

ジュエル・エベレット役
シェリー・ノース(41歳)

 シェリー・ノース(1932年1月17日~2005年11月4日)は、アメリカ合州国カリフォルニア州ロサンゼルス生まれの映画・テレビの女優、ダンサー、歌手です。彼女は第二次世界大戦中に“USOショー”で踊り始めました。その後、シャーリー・メイベッシレという芸名で、クラブのダンサーとして踊り続けました。1951年『Excuse My Dust』にノン・クレジットで映画デビューし、この頃から芸名をシェリー・ノースと改名します。ノースはミュージカル「ヘーゼルフラッグ」でブロードウェイ・デビューし、シアターワールド賞を受賞しました。1954年にパラマウント社の『底抜けニューヨークの休日』に出演後、ノースは20世紀フォックスと契約しました。20世紀フォックスは、ノースをマリリン・モンローの後継者にしようとライフ誌の表紙に登場させました。1950年『スカートをはいた中尉さん』やミュージカル映画に出演しましたが、20世紀フォックスはノースの代わりにジェーン・マンスフィールドを売り込むようになります。1957年『頭金なし』、1958年『恋愛候補生』・『大戦争』と出演し、20世紀フォックスを去ります。

 その後、テレビ映画の「アンタッチャブル」、「ガンスモーク」、「ベン・ケーシー」、「バークにまかせろ」、「バージニアン」、「逃亡者」等に出演しました。1966年から映画に復帰し、1967年『刑事マディガン』、1969年『トラブル・ウィズ・ガールズ』・『さすらいの大空』、1970年『追跡者』、1972年『夜の大捜査線 霧のストレンジャー』、1973年『突破口!』『組織』、1975年『ブレイクアウト』、1976年『ラスト・シューティスト』『テレフォン』、1988年『マニアックコップ』、1991年『ディフェンスレス/密会』等に出演しました。1998年『スーザンズ・プラン 殺せないダーリン』が遺作となりました。2005年11月4日に、カリフォルニア州ロサンゼルスのシダーズ・サイナイ・医療センターでの癌手術中に亡くなりました。73歳でした。

メイナード・ボイル役ジョン・ヴァーノン(41歳)

 ジョン・ヴァーノン(1932年2月24日~2005年2月1日)は、カナダのモントリオール生まれの俳優です。俳優になる為に、カナダのアルバータ州バンプの大学とロンドンの王立演劇学校で学びました。数多くの劇団に加わって舞台経験を積んだ後、カナダに戻って舞台やテレビに出演しました。その後、ブロードウェイに進出して1964年の「Nobody Waved Good bye」で本格的にデビューしました。

 1967年の『殺しの分け前/ポイント・ブランク』で映画デビューし、1969年『夕陽に向かって走れ』『トパーズ』に出演しました。1971年の『ダーティハリー』から1973年『突破口!』、1974年『ドラブル』とドン・シーゲル監督の作品に出演しています。1975年『ブラニガン』、1976年にはクリント・イーストウッド監督の『アウトロー』に出演しています。1978年『アニマル・ハウス』、1982年『フライング・ハイ2・危険がいっぱい月への旅』、1983年『チェーンヒート』等に出演しました。ヴァーノはテレビ映画の「スパイ大作戦」、「F・B・I」、「ナイトライダー」等にゲスト出演し、テレビ・アニメの「アイアンマン」、「キャプテン・アメリカ」、「バットマン」、「スパイダーマン」、「超人ハルク」等では声の出演をしています。2005年2月1日に心臓手術後の合併症の為、カリフォルニア州ウェストウッドで亡くなりました。72歳でした。

隣人のターフ夫人役
マージョリー・ベネット(77歳)

 マージョリー・ベネット(1896年1月15日~1982年6月14日)は、西オーストラリア州のヨークで生まれた、主にイギリスとアメリカで活躍したオーストラリアの女優です。その後渡米し、1917年に『The Girl, Glory』で映画デビューして数本のサイレント映画に出演しました。1940年代から本格的に映画に出演し、1947年『殺人時代』、1949年にアボットとコステロの『凸凹殺人ホテル』、1950年『西部の二国旗』、1952年『ライムライト』、1954年『麗しのサブリナ』、1956年『枯葉』、1957年『千の顔を持つ男』、1960年『オーシャンと十一人の仲間』、1962年『何がジェーンに起こったか?』『ガール!ガール!ガール!』、1964年『マイ・フェア・レディ』、1968年『マンハッタン無宿』、1973年『突破口!』、1974年『エアポート‘75』等に出演しています。1961年ディズニー・アニメの『101匹わんちゃん』で声の出演をしていました。ベネットは、1982年6月14日、カリフォルニア州ハリウッドで亡くなっています。86歳でした。次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.62 『蛇の穴』の最終章

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検温をしているつもりの元看護師長だったサマビル(左)
ヘスターに話しかけるヴァージニア(右)

 そこは大きな部屋で、大勢の患者がひしめき合っている。一人で喋りまくっている患者、踊りながら歩き回っている患者、床に蹲っている患者、ヴァージニアに話しかけてくる患者。何も手に持っていないのに、ヴァージニアの名前を聞き検温をすると言う患者が現れた。その患者は1棟の看護師長だったサマビルで、彼女自身が患者になっていた。離れた所で一人の患者の首を絞めている患者が、ヴァージニアの目に入って来た。その患者の名前はヘスターと云い、誰とも口を利かず暴力的だと教えられるが、ヴァ-ジニアはその彼女に近づいて行きます。そしてヘスターに貴方は私と同じだから友達になろうと言いますが、へスターは無反応でその場を去ります。

ヴァージニアが見た幻想(左)
キック医師の説明に納得するヴァージニア(右

 やがてヴァージニアは変な感覚に襲われ、自分も含めてひしめき合う全員が深く大きな穴の中にいて、自分が上から見下ろしてように感じます。それは以前読んだ本に書かれていた“蛇の穴”だと思い出します。(昔、精神病患者を蛇だらけの穴に入れて、異常な経験をさせると正常に戻ると考えられた治療法。)ヴァージニアは、その時周りの人たちが異常で自分は正常だと気が付き、治るかも知れないと思うようになったとキック医師に話します。キック医師は彼女の病気の原因を解明し、君は良くなっていると言います。乳児の時から母親の愛情を受ける事なく育てられ、大好きな父親も母親の味方をするようになり、いなくなればいいと思った時に父親が死に罪悪感を感じて過去を封印した。父親の代わりになる男性と付き合い、結婚しても違和感があり耐えられなくなって発病してしまった。キック医師は夫と父親は別物だと言うと、ヴァージニアの表情が明るくなり納得します。

男女が左右に分かれて座っているダンス大会の会場(左
強引に誘われて踊っているヴァージニア(右)

 画面が変わってダンス大会が開催される病棟の大講堂、真ん中を大きく開けて左右に椅子が並んでいます。女性患者が左側の座り、別棟から来た男性患者は右側に座りダンスが始まります。(当時実際に病院内でダンス大会が開催されていました。)ヴァージニアは相変わらず無口のヘスターの隣の席に座り、彼女に話しかけています。ダンスが始まり一踊りした時にキック医師が現れ、退院審査をすると話します。

 その時ステージで一人の患者が「家路」を歌い出します。そこにいた全員がステージに注目し、そして全員が歌い始めます。中には眼に涙を浮かべながら歌い、無口なヘスターの表情も変わってきます。

患者たちに囲まれるヴァ-ジニア(左
ヴァージニアにさよならを言うヘスター(右

 画面が変わってヴァージニアの退院審査の日、全員一致で退院となったが最後にカーティス区長から質問があった。キック医師の心理療法だけで治ったが、自分の病気の原因を自覚したのか質問した。彼女は小さい頃からの多くの経験が影響していたが、これから自分に向き合って生きて行けると答えます。ヴァージニアが退院するのでトランクを持って帰ろうとすると、患者たちが集まってきます。サマビル元看護師長はヴァージニアの熱を測ろうとしますが、看護師に検温ごっこを止められます。ヴァージニアはヘスターの所に行き、又会いに来ると言います。そして、先生と話せばきっと良くなると言って帰ろうとします。その時ヘスターがヴァージニアの後ろから手を掴み、“さよなら、ヴァージニア”とたどたどしく言います。ヴァージニアは絶対治るわと言って、ヘスターにハグします。(このシーンのヘスター役のベッツィ・ブレアの演技は、素晴らしいです。)

キック医師に別れを告げるヴァージニア(左)
ロバートと外に出たヴァージニア(右)

 ヴァージニアは病棟から出る前にキック医師に会い別れを言いますが、治ったと自覚したもう一つの理由を話します。キック医師への愛が冷めたからと彼女が言うと、キック医師がそれは錯覚だったのさ、と言います。外に出てロバートと会い、再び結婚指輪を嵌めて貰いバスに乗り込みバスが発車して映画は終わります。

 この映画の出演者数は非常に多いですが、全員プロの俳優です。日本と違って出演者全員がオーディションを受けて役を貰います。以前岡本喜八監督が『イースト・ミーツ・ウエスト』をアメリカで撮影した時に、エキストラを募集したら50人の応募があり全員と1日掛けて面接したと対談で語っていました。応募者全員が芸歴も書かれた履歴書を持ってきたのには驚いたと語っていました。その話を思い出し、この映画の出演者を決めるのに何日掛かったのかと考えてしまいました。出演者全員の素晴らしい演技で出来上がった作品です。是非、観て頂ければと思います、最後までお付き合い頂き有難う御座いました。

ホラー・ミステリー文学映画のコレクション「狂気と幻影の世界」
『悪魔の人形』・『風車の秘密』・『謎の下宿人』がお勧めです。
発行:コスミック出版 本体価格1800円+税

『蛇の穴』 作品データ

アメリカ モノクロ 108分

原題:The Snake Pit

監督:アナトール・リトヴァク

脚本:フランク・パルトス、ミレン・ブランド

原作:メアリー・ジェーン・ウォード

製作:アナトール・リトヴァク、 ロバート・バスラー

撮影:レオ・トーバー

音楽:アルフレッド・ニューマン

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド:ヴァージニア・スチュアート・カニンガム

   マーク・スティーブンス:ロバート・カニンガム

   レオ・ゲン:マーク・キック医師

   セレステ・ホルム:グレイス

   グレン・ランガン:テリー医師

   ヘレン・グレイグ:看護師ベティ

   リーフ・エリクソン:ゴードン

   ビューラ・ボンダイ:ミセス・グリア

Vol.61 『蛇の穴』の続きの続き

絨毯に座るヴァージニアを注意する看護師(左)
踊る患者の手を引く看護師(右

 12棟の入院患者が集う広い部屋。中央に大きな絨毯が敷かれていて、患者たちはその周りにいる。ヴァ-ジニアはその絨毯の上を歩き中央に座り込んだ。すると看護師が絨毯の中に入るのは規則で禁止されていると言って、彼女に出るように注意します。彼女が絨毯の外側に出て看護師に抗議していると、一人の患者が歌って踊り出します。その看護師は慌てて靴を脱いで、その患者を捕まえて絨毯の上から連れ出します。

自分が退院審査を受けさせたと
話すロバート

 画面が変わって談話室。夫のロバートが面会に来ていて、二人でチョコレートを食べながら話している時にカーティス区長が二人の傍を歩いてきます。ヴァ-ジニアはあの人は悪い人で、私が彼の指を噛んだと言っているとロバートに言います。ロバートは指を噛んだのは本当の事だと言い、カーティス区長は女性病棟の責任者でキック医師の上司だと言います。ヴァ-ジニアはキック医師が自分をこの病院から追い出そうとしていると思っているので、彼の名前を聞いて嫌悪感を表します。ロバートは退院審査を受けさせたのは自分で、キック医師だけ反対していたと言うとヴァージニアの表情が晴れやかになります。その夜、ヴァージニアは仮病を使ってキック医師に会い、自分を追い出そうとしていない事が分かったと話します。そして自分は未だ退院するのは早いから治療を続けると言います。キック医師は彼女の病棟を1棟に変えて、ゆっくり治療をする事にします。

規則の説明をするデイビス看護師長(左)
人形と煙草を交換するヴァージニア(右

 1棟では自分の部屋を与えられますが、看護師のベティが規則に厳しい新任の看護師長になっていてミス・デイビスと呼ばれていました。挨拶に来た看護師長のデイビスに会った時、ヴァージニアは初対面だと思って接します。デイビス師長に娯楽室に行くように言われて部屋を出る時に、ヴァージニアは以前の事を思い出し捨て台詞を言いながら退室します。娯楽室で手作りの人形を持っている患者と会い、煙草5本と人形を交換してその人形を手に入れます。人形を抱いて遊んでいると、先程の患者が来て煙草を10本追加するように言うのでヴァージニアは箱ごと渡します。

再びグリア夫人登場(左)
盗んだ人形を返すように言うデイビス看護師長(右

 ヴァージニアが人形で遊んでいるとビューラ・ボンディ演じるグリア夫人が登場して、私は金持ちだと言って持っている宝石自慢を始めます。ヴァージニアも負けずに適当な事を言って応戦します。そこにデイビス師長が表れて盗んだ人形を返すように命令します。ヴァ-ジニアは煙草と交換したから盗んではいないと言い、絶対に渡さないと言って逃げ回ります。デイビス師長は看護師にヴァージニアをデイビス師長室に連れて行くように言います。ヴァージニアがデイビス師長室で人形と遊んでいるとキック医師が表れたので、彼女は人形を盗んでいないと弁明します。キック医師がどうして人形を返却しないのかと問い質すと、ヴァージニアの態度が豹変して父のように叱ればいいと言い出します。キック医師は人形と父親の事が彼女の病気に関係していると思い、人形は返さなくていいと言って彼女に明日の朝会う事を伝えて退室します。

子供の頃の話をするヴァージニア(左)
話し終えて号泣するヴァージニア(右

 翌日、キック医師の執務室でキック医師はヴァージニアに”子供の頃、お父さんに叱られた“と言っていたねと聞きます。ヴァージニアは”小さな人形の事よ“と言って、幼かった頃の出来事を話し始めます。母親から貰った人形を友達と交換したら、返すように云われて反抗した事。優しい父親と遊園地に行き、射的ゲームで父親が景品の兵隊さんの人形を取ってくれた事。嫌いだった母親に父親が味方するようになって、父親の事も嫌いになった事。そして父親が尿毒症で死んでしまった事。父親の死を語る時には、彼女は泣き崩れて号泣します。泣き止んで退室する時、煙草と交換した人形が解けて、只の布切れを丸めて作ったものだった事が分かります。

小説を書くように言うデイビス看護師長(左)
拘束衣を着せられるヴァージニア(右

 画面が変わってヴァージニアの部屋。デイビス師長がタイプライターを持って来て、彼女に作家だから小説を書くように言います。毎日休憩時間の1時間、タイプライターを貸し出すと言い、彼女が書くのを立って眺めています。彼女はデイビス師長にキック医師の事を好きだから、嫌がらせをすると言って言い合いになります。しかし、彼女は失言したと思いデイビス師長に謝罪しますが、受け入れられずデイビス師長は棟から出ていきます。そこにグリア夫人が現れて、あなたはもう直ぐここから追い出されると言います。それを聞いた彼女は、洗面所に入り錠を掛けて立て籠もります。(外でヴァージニアを探している看護師たちの声を聞き、洗面所にいる彼女は無言で様々な反応をします。このシーンはハヴィランドの一人芝居です。)看護師たちは彼女が洗面所にいる事が分かり、夫のロバートが来ていると嘘を言って、彼女を洗面所から出させて全員で彼女を取り押えて無理やり拘束衣を着せます。

ヴァージニアと面会するキック医師

 画面が変わって、雪が降る中キック医師は重症患者が入院している病棟を訪れます。その病棟の責任者で友人のテリー医師に会い、ヴァージニアの部屋に向かいます。そこに入院している患者は、全員が明らかに異常な行動をしています。ヴァージニアの部屋に入ると彼女は拘束衣を着せられていて、窓の前に佇んでいました。キック医師はテリー医師の許可を得て、彼女の拘束衣を脱がせて貰います。彼女がキック医師に今でも自分の担当かと聞くので、棟が違うので君の担当は私の友人のテリー医師だと伝え、いつでも会いに来ると言います。彼女はキック医師にこの病棟での出来事を話し始めます。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『蛇の穴』 作品データ

アメリカ モノクロ 108分

原題:The Snake Pit

監督:アナトール・リトヴァク

脚本:フランク・パルトス、ミレン・ブランド

原作:メアリー・ジェーン・ウォード

製作:アナトール・リトヴァク、 ロバート・バスラー

撮影:レオ・トーバー

音楽:アルフレッド・ニューマン

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド:ヴァージニア・スチュアート・カニンガム

   マーク・スティーブンス:ロバート・カニンガム

   レオ・ゲン:マーク・キック医師

   セレステ・ホルム:グレイス

   グレン・ランガン:テリー医師

   ヘレン・グレイグ:看護師ベティ

   リーフ・エリクソン:ゴードン

   ビューラ・ボンダイ:ミセス・グリア

Vol.60『蛇の穴』の続き

 今回ご紹介する『蛇の穴』の主人公ヴァージニアは、カタトニア(緊張病)で精神を病んでいる患者です。過去の記憶が欠落して思い出せず、突然思い付いた事を言い出したりします。物語はヴァージニアの視点で語られ、それにキック医師の原因究明の話が導入されて進行します。劇中ヴァージニアの心の声と誰かの声が聞こえて、精神を患った人の心理状態が表現されています。

クラレンスとヴァージニア(左) ヴァージニアに話しかけるキック医師(右

 精神病院の中庭にあるベンチに座るヴァージニア。彼女の頭の中に誰かの声が聞こえて来て、それに頭の中で答えています。横を見ると同じベンチに座っている女性に気が付き、その女性に近づいて話し掛けます。そのベンチに座っているのはクレランスで、ヴァージニアの事が心配でいつも傍にいますが、ヴァージニアは知らない人だと思って話掛けます。(冒頭からヴァージニアの頭の中の混乱振りが、よく分かる演出です。)病棟に戻る指示を聞きクラレスは、ヴァージニアの手を取って病院の入り口に向かいます。ヴァージニアは自分が入院患者だと自覚していないので、意味不明の事を言いながら病棟に入っていきます。病院内に入って行きながら、ヴァージニアは頭の中に思い浮かぶ事を口走ります。病院内を見回して刑務所にいると思い逃げ出そうとしますが、それをクレランスが止めます。そこに担当のキック医師が現れてヴァージニアに声を掛けます。彼女は見知らぬ人に話しかけられたと思い警戒し、キック医師の質問には支離滅裂な答えを返します。結婚しているかと聞かれて最初は未婚だと答えますが、直ぐに結婚していると答えます。それを聞いた夫のロバートは、彼女に自分が夫のロバートだと言いますが彼女には分かりません。それを見ていたキック医師は、ロバートを彼女から引き離してその場を去ります。

食堂で食事をするヴァ-ジニアとロバート(左)
映画館でプレゼントするライターで煙草に火を点けるヴァ-ジニア(右)
(映画館は禁煙でしたが、1950年代までは日本も喫煙する人が結構いました。)

 画面が変わってキック医師の執務室。キック医師は、ヴァージニアが発病した原因を究明する為にロバートを病院に呼び出していました。ロバートはヴァージニアの過去の出来事をキック医師に語り始めます。ロバートがシカゴの出版社で編集の仕事をしている時に、彼女が持ち込んだ小説は採用されなかったと伝えたのが最初の出会いでした。(この時、彼は彼女にマッチを貰います。)彼はいつも下の階の食堂で昼食を食べていましたが、ある日彼女を食堂で見かけ同席して一緒に食事するようになります。何度か食堂で会って、二人が好きなクラッシックのコンサートに行ったりデートするようになります。ある日、コンサートに行く前に時間潰しをしていた時、16時40分を指す時計を見た途端に彼女はコンサートに行けないと言ってその場から去ります。その後、彼はニューヨークのオデオン・ホテルで働き始め、クラッシック・コンサートに行っては彼女を捜します。半年後のボストン交響楽団のコンサートで、彼女と再会します。(この時、彼女は彼の煙草にマッチで火を点けます。)又、以前の様にデートを重ねる日々が続き、二人で映画を観に行ったときに彼女は彼にライターをプレゼントします。二人でニュース映画(1960年代前半までだったと思いますが、映画の本編が始まる前にニュース映画が上映されていました。ニュース映画や短編のサイレント映画だけを上映する映画館もありました。昔の映画館は現在のような入れ替え制では無かったので、同じ映画を何度でも観る事が出来ました。)を見ている時に、彼女は画面上の5月12日の文字を観て表情が変わります。映画館から出たヴァージニアの具合が悪そうなのでロバートが声をかけると、彼女は私と結婚したいかと聞きます。何度も求婚しているロバートは結婚しようと答え、彼女の望むように翌朝結婚します。結婚から数日後、ロバートが帰宅するとヴァージニアの様子がおかしくなっていて、日付も分からず夫のロバートの事も分からなくなりました。それでロバートは彼女を病院に入院させましたと、キック医師に話します。話を聞いたキック医師は、5月12日が病気の原因究明の鍵になると判断し、ショック療法をするとロバートに伝えます。

電気ショック治療機(左)     頭に電極を付けられたヴァ-ジニア(右

 画面が変わって、ヴァージニアのショック療法が始まる場面になります。(1933年にカタトニアの治療法としてインシュリンによる低血糖昏睡による治療が行われ、1939年に頭部に通電するショック療法も行われるようになりました。1950年代に精神病治療薬が開発されてからは、ショック療法は減少しています。)グレイスに付き添われてベンチに座るヴァージニアは、非常に怯えています。治療室に入ると真ん中に丸いメーターが付いた黒い箱状の電気装置が目に入ります。怯える彼女をキック医師は、ベッドに寝かせます。3人の看護師が彼女の足を押さえ付け、頭の両側に電極を付けられます。彼女は処刑されるのかと思っている時に、電気ショック治療が始まります。10月4日から10月16日までの間に4回の電気ショック治療が行われました。大きな変化が無かった4回目の治療の次の日の夜、キック医師は彼女と話して変化の兆しを感じます。翌日ショック療法を中止し、執務室でヴァージニアと面談します。

ヴァ-ジニアから過去の出来事を聞き出すキック医師(左)
中庭でランチを取るロバートとヴァージニア(右)

 画面が変わって執務室、ヴァージニアはキック医師と昨晩会った事を記憶していて症状に変化が現れています。キック医師が“5月12日”の日付を出した途端に彼女は取り乱し、机の上のナイフに眼が行きます。忘れたい過去の事に触れられた時、凶暴性が一瞬頭に思い浮かぶ事があります。キック医師は確信に近づいたと確信し、彼女を落ち着かせて面談を続けます。彼女は断片的に記憶を取り戻し、キック医師に夫ロバートの事も聞き始めます。キック医師は、ロバートが面会日には必ず会いに来ている事を彼女に伝えます。面会日にロバートが会いに来ますが、彼女は偽物じゃないかと疑りながら話します。二人は病院から出て庭でランチをしますが、ドアに鍵が掛かっていない事に驚きながら外に出ます。彼女は鶏肉をかぶりつき、その後喫煙する時にロバートが彼女からプレゼントされたライターを渡します。“RC”のイニシャルが書いてあるライターを見て、彼女は本当の夫だと安心します。

シカゴでの出来事を聞き出すキック医師(左)
ヴァージニアに求婚するゴードン(右

 キック医師は病院側からヴァージニアを退院させるように指示を受け、手っ取り早い方法(恐らくインシュリンによる低血糖昏睡)で原因追及をします。この治療によって彼女が、シカゴで突然コンサート行きを止めて帰宅した理由が判明します。彼女がその頃付き合っていたゴードンと6時30分に会う為でした。その日ゴードンと車で出掛けますが、車中でゴードンに求婚されて彼女は取り乱します。ゴードンに気分が悪くなったから引き返すように頼み、ゴードンは引き返します。その時トレーラーと衝突してゴードンは死亡した事が分かります。(この場面でのオリヴィアの演技は迫力満点です。)この話を聞いたキック医師は、ヴァージニアの退院を中止するように進言しますが、病院側は彼女を退院させようとします。

ヴァージニアに退院審査の事を話すロバート(左)
台詞無しで一瞬登場するメエ・マーシュ(右

 画面が変わって患者用の食堂。ロバートはアイスクリームとコーヒーを買っている間、ヴァージニアは席に座って周りにいる人達を観察して色々思いを巡らしています。(この場面でメエ・マ-ーシュがワン・シーン登場します。)ロバートが退院審査の話をし、退院してロバートの母親の農場に行って暮らそうと言います。ギフォード院長が退院審査の許可を出したし、キック先生も同意しているとロバートが彼女に伝えます。

ヴァージニアに質問をするカーティス医長(左)
ヴァージニを落ち着かせるキック医師(右

 退院審査の日、最初キック医師がヴァージニアに質問に答えるように依頼しますが、話がかみ合わずカーティス医長と変わり質問が始まります。住所を聞かれますが、思い出せません。夫ロバートの職業も以前の仕事の事しか分かりません。動揺しているヴァージニアにカーティス医長は、働いた事はあるかと聞きます。彼女は働いた事はあると言い、自分の社会保険番号を言い出します。カーティス医長は社会保険番号を覚えているのに、住所も言えないのかと彼女の鼻先に葉巻を持った指先を向けて言います。キック医師は審査を中止するように言います。彼女はその指先を自分に向けてくる動作に恐怖を感じ、頭の中に嵐の海が現れ溺れそうな自分が映し出されます。彼女は崖の上に上がる為に両手を掛けていますが、看護師がその手を外したので海に落ちます。すると彼女は一人用の風呂に入っている画面に変わります。看護師と言い合いしている時にキック医師が来て話しかけても彼女は話をしなくなります。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『蛇の穴』 作品データ

アメリカ モノクロ 108分

原題:The Snake Pit

監督:アナトール・リトヴァク

脚本:フランク・パルトス、ミレン・ブランド

原作:メアリー・ジェーン・ウォード

製作:アナトール・リトヴァク、 ロバート・バスラー

撮影:レオ・トーバー

音楽:アルフレッド・ニューマン

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド:ヴァージニア・カニンガム

   マーク・スティーブンス:ロバート・カニンガム

   レオ・ゲン:マーク・キック医師

   セレステ・ホルム:グレイス

   グレン・ランガン:テリー医師

   ヘレン・グレイグ:看護師ベティ

   リーフ・エリクソン:ゴードン

   ビューラ・ボンダイ:ミセス・グリア

Vol.59『蛇の穴』

 今回ご紹介するのは1948年の『蛇の穴』で、主演は前回の『暗い鏡』に続いてオリヴィア・デ・ハヴィランドです。原作者のメアリー・ジェーン・ウォードの自伝的小説「蛇の穴」を映画化したものです。小説はウォードの実体験を基に、主要な登場人物は実際の人物をモデルにして書かれています。題名の「蛇の穴」とは、凶暴で危険な精神病患者を収容する病棟の事です。アナトール・リトヴァク監督は精神病院で入念な取材を行い、医師の助言を得ながら映画を製作しています。主役のハヴィランドは3か月ほど精神病院に通い、患者と共に過ごして交流をして多くを学んでいます。この映画に出演しているのは全員プロの俳優で、実際の州立精神病院で撮影されています。精神病院の実態を描いたこの映画は、公開後様々な反響があり精神病院の改善にも繋がっています。

発売元:株式会社ジュネス企画

【スタッフとキャストの紹介】

アナトール・リトヴァク

 監督のアナトール・リトヴァク(1902年5月10日~1974年12月15日)は、ロシア(現ウクライナ)出身で、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカで活躍しました。本作では監督と製作もしています。1916年にサンクト・ベテルブルグの前衛劇場で舞台俳優としてデビューし、大学で哲学と共に演技も学んで劇団の俳優兼助手となりました。1923年からノルドキノ・スタジオに入り、数本の舞台劇で脚本や美術を担当しました。同年ドイツに渡って映画の編集や助監督をした後、1930年からは監督としてデビューし、1931年『女人禁制』、1932年『今宵こそは』等を発表します。ナチス政権が成立した1933年にフランスに移住し、1935『最期の戦闘機』や1936年『うたかたの戀』等を発表しました。1937年に渡米してハリウッドで1937年『トヴァリッチ』、1938年『犯罪博士』・『黄昏』、1939年『戦慄のスパイ網』、1940年『凡てこの世も天国も』・『栄光の都』、1942年『純愛の誓い』等を監督しました。1942年から1945年までは、プロパガンダ映画『我々はなぜ戦うか』シリーズをフランク・キャプラ監督と共同でプロパガンダ映画を共同で監督しました。このシリーズを監督した功績により、戦後フランス政府からレジオン・ドゴール勲章を授与されました。その後もハリウッドで1948年『私は殺される』『蛇の穴』、1951年『暁前の決断』、1956年『追想』、1957年『マイヤーリング』(『うたかたの戀』をセルフ・リメイクしたTV映画で、当時夫婦だったオードリー・ヘップバーンとメル・ファーラーが出演。)等を発表しました。1960年からはヨーロッパに渡り、1961年『さようならをもう一度』、1967年『将軍たちの夜』、1970年『殺意の週末』等を発表しました。1974年12月15日、フランスのヌイイ=シュル=セーヌで亡くなりました。72歳でした。

 原作者のメアリー・ジェーン・ウォード(1905年8月7日~1981年2月27日)はアメリカの小説家で、カタトニックに罹った時の体験を小説にしたのが「蛇の穴」です。(以前はカタトニック総合失調症とされていましたが、現在ではカタトニックは総合失調症とは別の病気とされています。)幼い頃から高校生の頃までは、音楽活動をしていて作曲もしていました。その後、ノースウェスタン大学に入学し、同時にシカゴのライセウム・オブ・アーツ・コンサバトリーでも学んでいます。1928年に統計学者でアマチュア劇作家のエドワード・クエールを結婚し、彼の進言により短編小説を出版して1937年に書評家となります。1938年には2冊の小説を出版しましたが、芳しい結果は得られませんでした。1939年にグリニッチ・ビレッジに移住して出版の仕事を続けますが、経済的に苦しい状態が続きストレスにより心理的苦痛を抱えます。その上、戦争への参戦や作家としての自分の能力に対する不安、そして予定されていた平和主義的反対を主張する政治演説する事が直接の原因で、カタトニックに罹ったと言われています。彼女はロックランド州立病院に入院し、数年間の精神病棟での体験を基に小説「蛇の穴」を書き、1946年に出版されて批評家や精神医学分野の専門家から高い評価を受けます。主要な登場人物は実在の人物を基に書かれていますが、看護師は権威主義者の象徴として書かれていて、反人種差別主義と反制度的分離を現しています。「蛇の穴」を発表後は5冊の小説を発表し、最後の編集では友人になったミレン・ブランドが協力しています。その間も彼女は病気の再発で3回入院し、最後の2冊の小説は精神疾患をテーマにしています。

 脚本はフランク・パルトス(1901年7月2日~1956年12月23日)で、ハンガリー系アメリカ人の脚本家です。ブタペストで生まれた彼は事務員をしていましたが、1921年に渡米してニュージャージー州に住む継父の許に行きます。1920年代後半にMGMに入社し、1932年の『グランド・ホテル』の脚本を書きますが、スクリーン・クレジットに載らなかったのでMGMを退社します。1930年代はパラマウント映画で脚本家として活動し、1939年にPKOラジオ・ピクチャーズに移って脚本家のチャールズ・ブラケットと共同で脚本を書きました。本作ではミレン・ブラントと共同で脚本を書いて、アカデミー賞にノミネートされています。彼が手掛けた主な作品は、1937年『謎の夜』、1939年『踊るホノルル』、1940年『3階の見知らぬ男』、1944年『呪いの家』、1948年『蛇の穴』、1951年『テレブラフヒルの家』等です。

アルフレッド・ニューマン

 音楽は巨匠のアルフレッド・ニューマン(1901年3月17日~1970年2月17日)で、アメリカの映画音楽の作曲家です。母親の勧めで6歳からピアノを習い始め、単身ニューヨークに行ってピアノを習いながら作曲法等を学びます。1914年には家族もニューヨークに移って来たので、13歳で家計を助ける為にヴォードビル・ツアーに参加したり、ブロードウェイの映画館でピアニストをして働きました。この頃既に指揮者や音楽監督として高い評価を受けていました。20歳の時にブロードウェイで音楽監督となり、29歳の時にハリウッドに移って映画音楽の作曲をするようになります。1931年の『街の灯り』を始め、20世フォックス社のロゴ・マーク表示で使われるファンファーレを作曲しました。20世フォックス社の音楽部長として活躍し、1970年の『大空港』まで作曲を続けました。第二次世界大戦時のニュース映画を含め、200本以上の作品の音楽を担当してアカデミー音楽賞を9回受賞しています。作曲数が多過ぎるので、担当した映画の列記は割愛致します。

ヴァ-ジニア・カニンガム役
オリヴィア・デ・ハヴィランド(32歳)

 主役のヴァ-ジニア・スチュアート・カニンガム役は、オリヴィア・デ・ハヴィランドです。1946年『暗い鏡』に出演した同年の『遥かなる我が子』で、アカデミー主演女優賞を受賞し、1949年の『女相続人』で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞しています。本作でも彼女は、『私は殺される』のバーバラ・スタンウィックと『ジョニー・ベリンダ』のジェーン・ワイマンと並んでアカデミー主演女優賞にノミネートされました。最終選考で『ジョニー・ベリンダ』のジェーン・ワイマンが、アカデミー主演女優賞を受賞しました。しかし彼女の演技は高く評価され、1948年のナショナル・ボード・レビュー主演女優賞。ニューヨーク映画評論家協会主演女優賞、1949年のヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞しています。(詳細はVol.56『暗い鏡』をご参照下さい。)

ロバート・カニンガム役
マーク・スティーブンス(32歳)

 ヴァ-ジニアの夫のロバート・カニンガム役は、マーク・スティーブンス(1916年12月13日~1994年9月15日)です。オハイオ州クリーブランド生まれのスティーブンスは画家を目指していましたが、オハイオ州のアクロンでラジオのアナウンサーとなり活動します。1943年にハリウッドに移り、スティーブン・リチャーズの名でワーナーブラザーズから映画デビューします。1944年『ハリウッド玉手箱』、1945年『決死のビルマ戦線』の他に10本程の映画に出演しましたが、ノン・クレジットの小さな役しか与えられませんでした。1945年に20世紀フォックスと契約し、マーク・スティーブンスと改名します。1946年の『小さな愛の日』でジョーン・フォンテンと共演し、『闇の曲り角』ではルシル・ボールと共演しました。リチャード・ウィドマークが映画デビューした1948年の『情無用の街』ではジョン・マッキンタイアと共演し、FBIの潜入捜査官を演じました。本作に続き、1950年『拳銃無情』、1952年『カリブの反乱』、1953年『コロラドの決闘』等に出演しました。スティーブンスは俳優だけでは無く監督もし、1957年からTV映画にも出演していました。1994年9月15日、スティーブンスはスペインのマジョレスで癌の為77歳で亡くなりました。

マーク・キック医師役
レオ・ゲン(43歳)

 マーク・キック医師役は、イギリスの俳優で法廷弁護士のレオ・ゲン(1905年8月9日~1978年1月26日)です。彼はケンブリッジ大学の法科で学び、劇団の法律顧問をしているうちに演劇の道に進み、1930年にロンドンで舞台デビューしました。その後、1938年のブロードウェイの舞台出演まで、数多くの舞台劇に出演しました。1935年に『不滅の紳士』で映画デビューし、1938年『太鼓』・『ピグマリオン』(ノン・クレジット)に出演しました。戦争が近づくと、ゲンは1938年に将校緊急予備役に加わり、1940年7月6日に大率砲兵隊に入隊しました。1943年に中佐に昇進し、1945年にクロワ・ド・ゲール勲章を授与されました。ゲンはベルゼン強制収容所での戦争犯罪を調査する英国部隊の一員で、ドイツのリューネブルクで開催されたベルゼン戦争犯罪裁判の検事補を務めました。

 1944年にローレンス・オリビエが監督・主演した『ヘンリー5世』、1945年の『シーザーとクレオパトラ』、1946年『青の恐怖』等のイギリス映画に出演しました。1948年『蛇の穴』・『ビロードの手袋』、1950年『木馬』、1951年『クォ・ヴァディス』、1953年『赤いベレー』、1955年『恐喝』・『チャタレー夫人の恋人』ではクリフォード・チャタレー卿を演じています、1956年『白鯨』、1960年『ローマは夜だった』、1962年『史上最大の作戦』、1963年『北京の55日』、1962年『姿なき殺人者』、1971年『幻想殺人』等に出演しています。レオ・ゲンは1976年1月26日、肺炎の合併症により心臓発作の為ロンドンで亡くなりました。74歳でした。

グレイス役
セレステ・ホルム(31歳)

 グレイスを演じたセレステ・ホルム(1917年4月29日~2012年7月15日)は、ニューヨーク出身の舞台、映画、テレビの女優です。彼女は、シカゴのユニバーシティ・スクール・フォー・ガールズ(私立高校)に入学し、その後フランシス・W・.パーカー・スクールに転校して多くの学校の舞台作品に出演しました。高校卒業後にシカゴ大学で演劇を学び、1938年からブロードウェイの舞台に立ち1994年まで舞台への出演を続けました。1946年には20世紀フォックスから映画にも出演するようになり、1947年の『紳士協定』でアカデミー助演女優賞とゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞しました。その後、1948年『蛇の穴』、1949年『日曜日は鶏料理』、1950年『イヴの総て』、1956年『上流社会』等に出演しました。1950年代後半からはテレビ出演が多くなり、1970年代から1980年代には多くのテレビ映画にゲスト出演しています。アクターズ・スタジオの終身会員だったホルムは、1968年のサラ・シドンズ賞を始め多くの栄誉を受けています。彼女は2002年から記憶喪失の治療を受けていて、皮膚がん、出血性潰瘍、肺虚脱を患い、人工股関節置換術とペースメーカーを装着していました。2012年6月、脱水症状でニューヨークのルーズベルト病院に入院し、7月13日に心臓発作を起こしました。7月15日にセントラルパーク・ウエストのアパートで亡くなりました。95歳でした。

看護師ベティ役
ヘレン・グレイグ(36歳)

 看護師ベティ役のヘレン・グレイグ(1912年5月13日~1986年7月20日)は、テキサス州サンアントニオ生まれのアメリカの俳優です。彼女はオーソン・ウェルズとジョン・ハウスマンが設立したマーキュリー・シアターで演劇を学び、ブロードウェイで数多くの舞台劇に出演しています。特に1940年の舞台劇「ジョニー・ベリンダ」で主役のベリンダを演じたのが有名です。聴覚障害者のベリンダを演じる為、劇中台詞は全て手話で行い、他の俳優の台詞には絶対反応しない難しい役をこなしました。彼女は舞台劇の他に映画やTVにも出演していました。主な出演映画は、1948年『蛇の穴』『夜の人々』、1977年『幸福の旅路』等です。

ミセス・グリア役
ビューラ・ボンディ(59歳)

 ワン・シーンだけ登場するミセス・グリア役は、ビューラ・ボンディです。舞台俳優としてのキャリアが長く、映画デビューは43歳だったのでお母さん役やお婆さん役が多いアメリカの女優です。シリアスな役からコミカルな役まで見事に演じる名脇役です。(詳細はVol.33『モーガン先生のロマンス』をご参照下さい。)

トミーの母親役
メエ・マーシュ(54歳)

 トミーの母親役で、メエ・マーシュ(1894年11月9日~1968年2月13日)がノン・クレジットでワン・シーンだけ登場します。彼女は1915年の『國民の創生』と1916年の『イントレランス』に出演し、ジョン・フォードの作品に多数出演しています。その後は散発的に小さい役やノン・クレジットでも映画に出演しています。

 次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています

Vol.58 『暗い鏡』の最終章

『暗い鏡』のトップはこちら

ルースをデートに誘うスコット(左)   ルースを動揺させるテリー(右)

 診療所でテリーが自由連想法の検査を受けています。スコットの質問の中で「死」と云う問いにテリーは「鏡」と答え、それからは自分のミスを隠すように答えます。その日の検査が終わってから、テリーはスコットをデートに誘い、全ての検査が終わってからデートする約束をします。別の日、ルースの検査が終わって家の前まで送って来たスコットは、ルースに検査が終了したらデートして欲しいと言います。ルースは快諾し二人はキスをしますが、二階の窓からテリーが見ていました。帰宅したルースが明かりの消えた寝室に入ると、テリーはベッドで横になっていました。ルースが洗面所で着替えている時に、テリーは睡眠薬を2錠飲むように言います。ルースは飲まないと言うと、寝ている時に話したり泣いたりするとテリーが言い、昨日は泣いていたから起こしたと言います。ルースは知らないし覚えていないと言いますが、テリーは何か恐れているみたいだったと言います。テリーはさり気なくスコットとの事も聞き、それからルースに何を恐れているのかと聞きます。ルースが見当もつかないと言いますが、私はどうしようと言っていたと言い、テリーは双子の一人は異常者だと言います。ルースは否定しますが、動揺を抑える為に睡眠薬を飲む事にします。(このシーンは特撮で、鏡台の前に座っているルースと鏡に映ったテリーが会話します。)

うそ発見器の検査を受けるテリー(左)
部屋の中が光ったと言って飛び起きたルース(右)

 検査も終わりに近づき、テリーはうそ発見器を使った検査を受けます。ここでスコットは、以前ルースとボーイフレンドを別れさせた時の話を質問します。スコットの質問にテリーは嘘の作り話をしますが、針の動きで嘘が明確に分かります。画面が変わってコリンズ姉妹の寝室、テリーは寝ているルースの様子を伺い、ベットの横の電気スタンドを一瞬点けます。ルースは驚いてテリーの名を呼んで起き上がり、部屋がピカッと光ったと言います。テリーは夢を見ただけだと言いますが、ルースは気が変になりそうと言って怯えます。テリーはルースを宥めて眠るように言います。

テリーの検査結果を警部補に伝えるスコット(左)
ルースを食事に誘うスコット(右)

 画面が変わって、診療所でスコットは警部補にテリーが犯人だろうと言います。テリーは病んでいて精神レベルは2歳程度で、善悪の判断がつかないと言います。警部補は逮捕には決定的な証拠が必要だと言い帰宅します。帰り際に警部補は、テリーの事をルースに伝えるようにスコットに言い、貴方も気を付けるよう言います。スコットは早速ルースに電話をし、テリーに内緒で会おうと言い、11時に会う約束をします。処が電話を切った直後にルースが訪問して来て、電話に出たのはテリーだと気が付きます。スコットはルースを食事に誘い出掛けます。食事が終わり帰る時に、スコットは警部補に電話をして自分が囮になると言い、10時半ごろ電話をすると言って電話を切ります。

 ルースが帰宅するとテリーは何処に行っていたのかと聞き、スコットと一緒だったかと聞きます。ルースは、一人で散歩していたと嘘を言います。テリーは踊りに行くと言って出掛けますが、その時チェストからルースのハンドバッグをこっそり持って行きます。スコットの家を訪れたテリーは、ルースを演じる手始めにソファーの上にルースのハンドバッグを落としたりします。スコットは重要な話があって君を呼んだ、実はテリーは精神の病に侵されている。危険な状態になっているから、早く治療する必要がある。テリーを説得して欲しいと言います。(この場面のスコットとテリーの演技は素晴らしいです。淡々と話すスコットと、話が進むに従って表情が変わって行くテリーとの、緊張感に溢れる演技のぶつかり合いです。)スコットはテリーの人格が歪んでしまった理由を説明し、危険な状態だから説得するように言います。ルースを演じているテリーは、治療をテリーが拒んだらとスコットに言います。そこでスコットは、”テリー”君が拒んだら殺人犯とその動機を警察に伝えると言います。スコットは事件当日の出来事をテリーに話して、治療するように説得しますが、テリーは断ります。その時電話が鳴り、スコットが電話に出ると警部補から大変な連絡を受けます。スコットが背を向けている時にテリーは机の上のハサミを見付け、手袋を着用し始めます。(殺意を感じる緊張したシーンです。)電話を切ったスコットが振り返り、ルースが死んだとテリーに言います。

自分はルースだと言ってテリーがペラルタ医師を殺害したと言います(左)
鏡に映ったルースを睨みつけるテリー(右)

 画面が変わって、テリーの家には警部補と刑事と検視官がいて、警部補はテリーを慰めます。テリーは泣き崩れ、泣きながらルースの自殺の原因を話し始めます。罪悪感に悩んでいて、彼女は解放されたんだと言います。テリーの表情が徐々に変って自分はルースだと言い出し、テリーは異常者でペラルタ医師を殺したと言って犯行の動機を話します。警部補が貴女はテリーでしょうと言いますが、テリーは私がルースと言います。そこに隣室にいたスコットが現れ、警部補に彼女はテリーだと言います。警部補はスコットに証明できるか尋ねると、スコットが出来ると言っている時に、隣室にいたルースが現れます。鏡に映るルースを見たテリーは、灰皿を掴み鏡に向かって投げつけます。(この時のテリーの表情は、鬼気迫るもの凄い表情で別人かと思うくらいです。)

警部補はテリーに自白させる為に策を練った事をスコットに謝罪します(左)
スコットはテリーに煙草入れをプレゼントします(右)

 画面が変わってスコットの家、警部補がルースと一芝居うった事を謝罪します。警部補 はルースがテリーに殺されると思い、ルースの家に行った時に思い付いたと話します。スコットは隣室にいるルースに食事を運びます。そのトレーには食事と一緒にオルゴール付き煙草入れがあり、ルースにプレゼントします。(今と違って昔の映画では、男女共に喫煙するシーンが多いです。余談ですが、日本では煙草のニコチンが悪者になっていますが、認知症の治療にニコチンが使われています。身体に悪いと言われているは過酸化水素ですが、免疫機能が正常であれば体内で分解されます。)最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『暗い鏡』作品データ

1946年製作 アメリカ 85分
原題:The Dark Mirror

監督:ロバート シオドマク

脚本:ナナリー・ジョンソン

原作:ウラジミ・ポズナー

製作:ナナリー・ジョンソン

撮影:ミルトン・クラスナー

音楽:ディミトリ・ティオムキン

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド:テリー・コリンズ

   オリヴィア・デ・ハヴィランド:ルース・コリンズ

   リュー・エアーズ:スコット・エリオット医師

   トーマス・ミッチェル:スティーブンソン警部補

   リチャード・ロング:ラスティ

   ゲイリー・オーウェン:フランクリン

Vol.57 『暗い鏡』の続き

電気スタンドが倒れた室内(左)   ナイフで殺されたペラルタ医師(右)

 タイトル画面の背景はインクブロット検査(インクを落とした紙を半分に折って出来た模様を使って精神分析をする検査です。)の模様が表示されていて、その上にクレジットが流れます。窓から見える夜景の画面から、カメラは横に移動して22時50分を指す時計が映されます。カメラは再び横に移動して、隣の部屋の中で倒れた電気スタンドがあり、部屋の中に入ると割れた鏡が映されて、背中にナイフが刺さった男が床に倒れています。殺人現場からの導入で、非常に簡潔にその部屋で起こった事が分かる手際の良い演出です。

テリーに犯行時刻のアリバイを聞く警部補(左)
テリーを抱き上げるエリオット医師(右)

 画面が変わってスティーブンソン警部補が、犯行があったアパートの住人や関係者からの証言を聴取します。被害者フランク・ラベルタ医師の秘書の証言から、医療ビルの売店の売り子テリー・コリンズを容疑者と断定します。医療ビルの売店にアパートの住人二人を連れて行き、容疑者の確認をします。二人の証人から犯行時間頃に見かけたのは、テリー・コリンズだと確証を得て警部補は彼女に会いに行きます。しかし、彼女は20時から公園に散歩に出ていて、その時数人の人と会い23時30分頃帰宅したと証言します。そこで警部補は、ラベルタ医師が殺された事を彼女に伝えます。それを聞いた彼女は歩き出しますが気を失い、スコット・エリオット医師に抱きかかえられて彼の診療室に運び込まれます。

テリーに昨夜のアリバイを聞くスティーブンソン警部補(左)
【テリーとルースに昨夜のアリバイを聞く警部補(右)

 警部補はテリーのアリバイを確認する為に、散歩中に会った二人と公園で話した三人の証言から、彼女のアリバイが完璧であると知ります。署に戻った警部補は、スコットの診療所にいる刑事に電話をして、彼女の拘束を解くと伝えます。警部は殺人事件が起きた時刻に、殺人現場から7㎞離れた公園に同一人物が存在する事に困惑します。そこで警部補は、テリーからもう一度話を聞く為に彼女の家を訪問します。警部補は貴方のアリバイは完璧ですと言い、彼女は事実だから当然ですと答えます。警部補は彼女に煙草を勧め、被害者のペラルタ医師との関係を聞きますが、必要な情報は得られません。テリーは警部補にもう遅いから帰るように言っている時、隣の部屋から“テリー”と呼びかける声がします。その声を聞いて警部補がその部屋のドアを開けると、そこにはもう一人のテリーがいます。彼女は姉のルースで、警部補は同一時刻に別の場所に同じ人間がいた訳が分かります。コリンズ姉妹は医療ビルではテリー・コリンズと名乗り、二人は時々入れ替っていました。そこで警部補は公園にいたのはどっちかと尋ねます。テリーの答えは、一人は公園で一人は家で寝ていたと答えます。警部補はテリーと言い合いになり、ルースに家にいたのはどっちか尋ねますが、ルースの答えは一人は公園で一人はと言った処で、警部補はどっちなんだと言います。それでは二人とも逮捕するか言うとテリーが反論し、話は収拾がつかなくなりテリーは警部補を帰します。

面通しを受けるコリンズ姉妹(左)
双子の姉妹を見て唖然とする証人たち(右)

 画面が変わって警察署では凶器のナイフから指紋が出ないので、ヒル判事にコリンズ姉妹への殺人容疑の令状を請求します。翌日警察署に証人を集めて、容疑者の所謂面通しを行います。最初にルースが出てきて、それを見た証人の一人は彼女に名違いない、一万人出てきても分かると豪語します。次にテリーが登場すると、全員唖然とします。

テリーに双子の姉がいたのを見て驚くスコットとラスティ(左)
双子のルースとテリー(右)

 画面が変わって別室でスコットとラスティが待機していて、呼ばれて二人は部屋に入り、テリーには双子の姉がいる事を知り二人は驚きます。判事はラスティに、事件当日売店の売り子とペラルタ医師が口論していたのを目撃したか聞き、ラスティはそうですと答えます。次に判事はスコットに、あなたは双子の研究をされていますねと言い、双子は精神や肉体に欠陥があるかと尋ねます。スコットは、それは迷信ですと否定します。続けて判事は、事件当日ペラルタ医師に会った時に話をしたか聞きます。スコットは、二重人格について聞かれたと答えます。判事が二重人格は危険かと聞くので、危険ですと答えます。

判事の質問に答えるスコット(左)   コリンズ姉妹を解放する検事(右)

 判事はペラルタ医師が朝テリーと喧嘩をしたが、今夜大事な話があると言っていたと伝えます。判事は事件当日会ったのは二人のどっちか聞きますが、スコットは分からないとと答えます。結論が出ないままスコットとラスティは帰され、コリンズ姉妹は隣の部屋に移されます。警部補は判事に見逃すのか聞きますが、判事は犯人を特定出来ないので逮捕する事は出来ないと言います。コリンズ姉妹を再び部屋に入れ君達のどちらかは冷酷非情な殺人者だが、遺憾ながら逮捕する事は出来ないと言って二人を帰します。(このシーンでのテリーとルースの表情を見て頂きたい、勝気なテリーと内気なルースを見事に演じ分けています。)

スコットにコリンズ姉妹の調査依頼をする警部補(左)
【コリンズ姉妹に双子の研究協力を依頼するスコット(右)

 画面が変わって、スコットの家を警部補が尋ねて来ます。警部補は双子事件の話を始めると、スコットが捜査は終了したのでは無いかと言います、警部補は個人的に動いていると言い、完全犯罪が成立するのが不愉快だと言い、二人を調べて欲しいと言います。スコットは断りますが、殺人者と無実の人間が一緒では口封じに殺されるかも知れないと言います。スコットは、警部補の説得に応じコリンズ姉妹の人格と個性を調べる事にします。(このシーンでの警部補の表情の変化は、流石といった演技です。)スコットはコリンズ姉妹の家に行き、自分の研究の為に謝礼を出すので協力して貰えないかと頼みます。二人は殺人事件の容疑者として新聞に載り、仕事に就けない状態になっていました。最初ルースは拒否しますが、テリーがルースを説得して彼の依頼を受けます。

インクブロット検査を受けるテリー(左)
インクブロット検査を受けるルース(右)

 画面が変わって夜間のスコットの診療所、テリーが検査の為に訪れます。先ずは性格を分析する為に、インクブロット検査から始まります。紙にインクを落として半分に折って広げた模様を見て、何に見えるか答えて行きます。別の日の昼間に今度はルースが診療所を訪れ、過去の養子縁組の話をします。養子は一人でテリーが選ばれなかったので、ルースはその家から出て行ったと言います。スコットは話を聞きながら、インクブロット検査をします。同じ模様を見ても、当然二人の答えは全然違います。夜ルースが帰宅すると、テリーが夕食の準備をしていて遅い帰宅の事を尋ねます。ルースはスコットと話をしていたと楽しそうに言います。テリーはスコットを未だ信じていないので、気を付けるようにとルースに言います。その頃、スコットは二人の精神分析を行い、重大な事を発見します。直ちにスコットは警部補に会い、精神分析結果で一つ分かった事がある。一人は異常者で、非常に頭は良いが正気じゃないと伝えます。

自由連想法の検査を受けるルース(左)
ルースに私を疑っていると言うテリー(右)

 画面が変わって、診療所でルースが自由連想法の検査をします。質問された言葉に素早く思い付いた言葉を言う検査で、人格を調べる為に行うものです。検査が始まって、「鏡」と云う問いにルースは「死」と言い、彼女は一瞬驚きます。その後、検査は最後まで続きます。帰宅後、ルースがその話をするとテリーは私を疑っていると言って、怒って隣の部屋に行きます。ルースは疑っていないと言いながら、テリーを追いかけて隣の部屋に行きます。テリーはルースに睡眠薬を飲んでいるか尋ねます。あの事件以来眠れないから飲んでいると言い、あなたも飲んでいるでしょうと言います。その時テリーは警察に言っていない事が一つあると言い、ルースに警察に電話したいならするように言います。そして、私を疑ったらどうなるか分からないと言います。(このシーンではテリーとルースが同一画面に登場します。窓際に立つテリーは後ろ姿か、正面を向いた時の顔は影になって見えません。)

次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『暗い鏡』作品データ

1946年製作 アメリカ 85分
原題:The Dark Mirror

監督:ロバート シオドマク

脚本:ナナリー・ジョンソン

原作:ウラジミ・ポズナー

製作:ナナリー・ジョンソン

撮影:ミルトン・クラスナー

音楽:ディミトリ・ティオムキン

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド:テリー・コリンズ

   オリヴィア・デ・ハヴィランド:ルース・コリンズ

   リュー・エアーズ:スコット・エリオット医師

   トーマス・ミッチェル:スティーブンソン警部補

   リチャード・ロング:ラスティ

   ゲイリー・オーウェン:フランクリン

Vol.56 『暗い鏡』

発売元:ブロードウェイ

 今回ご紹介するのはミステリー映画ですが、オリヴィア・デ・ハヴィランドの一人二役の素晴らしい演技を見て頂きたい作品です。一人二役の俳優が同一画面に登場する映画は沢山あります。本作では、ソファーに座る一人二役のオリヴィア・デ・ハヴィランドが、もう一人のオリヴィア・デ・ハヴィランドの頭を抱きかかえるシーンがあります。フィルム撮影では不可能で、どうやって撮影されたのか一瞬驚く場面です。一人二役の映画を撮る時は、必ず代役を演じる俳優さんが必要です。二人が対話するシーンでは、カメラは一人を背中越しに撮りもう一人は対面状態で撮ります。このシーンで背中を向けているのが代役の俳優さんです。この頭を抱えているシーンでは、代役の横顔だけが見えています。眉毛や目の輪郭はメイキャップでカバー出来ますが、耳の形や耳穴の形が違いますし、唇の形状も違うように思います。以前日本映画で、一人二役の俳優が握手をするシーンを観た事がありました。大曾根辰夫監督の1952年の『魔像』で、主役の坂東妻三郎が一人二役を演じた映画です。ラスト・シーンで二人が握手をしますが、耳の形状と口回りが違うように感じました。CGを使える現在と違い、実写で同時に同じ人間を撮影する方法は無いと思っております。これは私の憶測ですが、如何でしょうか。ご興味が湧いた方は是非DVDでご確認下さい。

テリーは正面から写しますが、ルースを写す時は左側の横顔だけです

【スタッフとキャストの紹介】

ロバート・シオドマク監督

 監督はフィルム・ノアールの巨匠と言われているロバート シオドマク(1900年8月8日~1973年3月10日)です。彼はドイツのドリスデン生まれの映画監督です。マールブルク大学卒業後、ドイツ国営映画会社のウーファー社に入社して助監督・脚本家として活動を始めます。1930年にはビリー・ワイルダーと組んでコメディを監督し、その後スリラー映画を監督します。ナチス政権が樹立した頃の1933年にパリに移り、コメディ・ミュージカル・ドラマと様々なジャンルの映画を監督します。仕事は順調でしたが、ナチスのパリ侵攻前の1938年にカリフォルニアに渡ります。1941年にパラマウント映画で2年間、1943年にはユニバーサル・スタジオで7年間映画監督として活躍し、1940年代にはアルフレッド・ヒッチコックやフィリッツ・ラングと並ぶスリラー映画の代表的な監督となります。主な作品は、1936年『フロウ氏の犯罪』、1944年『幻の女』・『コブラ・ウーマン』、1945年『容疑者』『らせん階段』、1946年『暗い鏡』『殺人者』・1948年『都会の叫び』、1949年『裏切りの街角』、1952年『真紅の盗賊』・1967年『カスター将軍』等です。ロバート・シオドマクは、1973年3月10日にスイスのロカルノで心臓発作の為、72歳で亡くなりました。。

ナナリー・ハンター・ジョンソン

 製作と脚本を担当したのは、ナナリー・ハンター・ジョンソン(1897年12月5日~1977年3月25日)です。彼はジョージア州コロンバス生まれのアメリカの脚本家・映画製作者・映画監督・劇作家と多才な方です。1927年から1967年の間に50本位以上の脚本を書き、その半分以上を製作してその内の8本を監督しています。彼はジャーナリストとして数社の新聞に寄稿していましたが、1927年に『ラフ・ハウス・ロージー』の脚本を書き脚本家としてスタートしました。1935年に20世紀フォックスに脚本家として雇われ、映画の製作もするようになります。1943年にはウィリアム・ゲッツと共同でインターナショナル・ピクチャーズを設立しています。彼が手掛けた映画で有名な作品は、1940年『怒りの葡萄』の脚本、1956年『灰色の服を着た男』の脚本と監督です。その他に1936年『虎鮫島脱獄』、1939年『地獄への道』等の脚本を書きました。1941年『タバコ・ロード』では脚本と製作、1944年『飾窓の女』、1945年『無宿者』、1946年『暗い鏡』、1950年『拳銃王』、1951年『砂漠の鬼将軍』と1952年『謎の佳人レイチェル』と1953年『百万長者と結婚する方法』では脚本と製作をしました。1954年の『夜の人々』では監督・脚本・製作をしました。1960年『燃える平原児』、1967年『特攻大作戦』等の脚本です。ジョンソンは、1977年3月25日にハリウッドで肺炎の為、79歳で亡くなりました。

ディミトリ・ティオムキン

 ディミトリ・ティオムキン(1895年5月10日~1979年11月11日)は映画音楽の作曲家・指揮者で、本作の音楽を担当しています。彼はウクライナのクレメンチューク生まれです。サンクトペテルブルク音楽院を卒業後は、ロシアのサイレント映画でピアノ伴奏して生計を立て、ピアニストになる為にピアノを学びます。ロシア革命後、父親と共にベルリンに移住し、ピアノを学びながらクラシック音楽やポピュラー音楽を作曲もしました。その後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でピアニストとして演奏デビューします。1925年にアメリカに移住し、ニューヨークで演奏活動を続けます。1929年10月の株式市場の暴落によりニューヨークでの仕事が激変し、ハリウッドに移ってMGMのミュージカル映画の音楽を担当するようになります。ノン・クレジットの場合もありましたが、1933年『不思議の国のアリス』で本格的に映画音楽を担当しました。1937年に腕を骨折し、ピアニストに復帰出来ない怪我の為、映画音楽の作曲に専念する事になります。ティオムキンは、1937年にアメリカの市民権を得ます。

 フランク・キャプラ監督との仕事が多く、1937年『失われた地平線』、1938年『我が家の楽園』、1939年『スミス都へ行く』、1941年『群衆』、1946年『素晴らしき哉、人生』の音楽を担当しています。彼が担当した映画は主な作品だけでも80作はあります。1956年『ジャイアンツ』『友情ある説得』、1957年『OK牧場の決斗』、1959年『リオ・ブラボー』、1960年『アラモ』、1961年『非情の町』、1963年『北京の55日』、1964年『ローマ帝国の滅亡』等です。1953年『真昼の決闘』、1955年『紅の翼』、1960年『老人と海』でアカデミー賞を受賞しています。『真昼の決闘』の公開時は、興行成績が悪かったので早々に公開は終わりました。ティオムキンはテーマ曲の版権を買い取り、フランキー・レーンに歌わせてシンブル・レコードを発売しました。曲は大ヒットしたので、ユナイテッド・アーチスト社はテックス・リッターに主題歌を歌わせて、4か月後に映画の上映を再開しました。TV映画の「ローハイド」や「ガン・スリンガー」のテーマ曲も担当しています。ディミトリ・ティオムキンは、1979年に転倒して骨盤を骨折した2週間後に、イギリスのロンドンで亡くなりました。84歳でした。

テリー-コリンズとルース-コリンズ役
オリヴィア-デ-ハヴィランド(30歳)

 テリー・コリンズとルース・コリンズの二役を演じるのは、オリヴィア・デ・ハヴィランド(1916年7月1日~2020年7月26日)です。彼女は勝気なテリーと控えめなルーズを、話し方や表情の変化によって見事に演じ分けています。本作で彼女は豊かな才能に裏打ちされた演技で評価を受け、その後の作品ではアカデミー賞を受賞します。オリヴィア・デ・ハヴィランドと妹のジョーン・フォンティンは東京で生まれましたが、病弱だった二人の為に母親は夫を東京に残して、1912年にロンドンに戻る事にします。旅の途中でオリヴィアが高熱で倒れた為カリフォルニアに滞在しますが、ジョーンも肺炎に罹り母親はサラトガに移住する事にします。元舞台俳優だった母親のリリアンは、二人にシェークスピアを読み聞かせをしたり音楽や弁論術を学ばせました。オリヴィアは高校時代に演劇部に所属していて、1933年に素人劇団の公演でルイス・キャロル原作の「不思議のアリス」のアリスを演じて初舞台を踏みます。1934年に高校卒業し、サラトガ・コミュニティ劇場で上演される戯曲「真夏の夜の夢」で妖精パック役を演じます。その後、ハリウッド・ボウルで上演されるマックス・ラインハルトが監督する『真夏の夜の夢』で、主役のハーミア役の俳優が降りた為に急遽代役で出演して好評を得ます。ラインハルトが「真夏の夜の夢」の映画化で監督する事になり、ハヴィランドに出演依頼をします。彼女は奨学金でミルズ大学に入学する事になっていましたが、監督の説得に従いワーナー・ブラザースと8年間の出演契約をします。1935年の『真夏の夜の夢』で映画デビューし、当時大人気の喜劇役者ジョー・E・ブラウンの1935年の『ブラウンの怪投手』を始め、3本のコメディ映画に出演します。コメディ路線の評判が芳しくなかったので、当時無名のエロール・フリンの相手役として彼女を起用し、1935年の『海賊ブラッド』に出演させます。この映画は大ヒットして、その後二人が共演する映画は8本製作されます。その間、コメディも含め色々な作品に出演しますが、彼女が望んでいたシリアスで重厚な役を演じる事がありませんだした。

 1939年の『風と共に去りぬ』のメラニー・ハミルトン役は、彼女が望んでいた役でしたが、監督のジョージ・キューカーは妹のジョーン・フォンティンにその役出演依頼をします。ジョーンはスカーレット役を望んでいたので出演を断り、姉のハヴィランドを推薦したと言われています。最終的には社長のジャック・ワーナーの妻のアンが後押ししたと言われています。メラニー役で絶賛を浴びシリアスな役を演じたいと願っていましたが、会社は相変わらず純情可憐な娘や乙女役しか演じさせない事に不満を募らせ、以前と同様な役の脚本を突き返すようになり、エロール・フリンとの共演映画も終わらせます。その後1941年『いちごブロンド』や1943年『カナリア姫』等に出演しますが、ワーナー・ブラザースはオリヴィアに6か月の契約延長を告げますが、彼女はこの申し入れを断ります。その当時の法律では、契約中の俳優が製作会社からの配役を拒否した場合は、その作品の撮影期間を契約期間に加算延長を認めていました。ベティ・ディヴィスが1930年代に訴訟を起こしましたが敗訴しています。殆どの俳優はこの契約を受け入れていましたが、1943年8月にオリヴィアは会社を相手に出演拒否に対する契約期間延長処置への訴訟を起こし、彼女は勝訴します。製作会社の絶大な権限を弱め、俳優たちに自由な創作活動を与えたこの判決は、ハリウッド映画界に大きな影響を与えました。今でもこの判例は、「デ・ハヴィランド法」と言われています。しかし、敗訴したワーナー・ブラザースは彼女に関する書簡を他の縁が製作会社に送り付け、その後彼女は「ブラック・リスト女優」として2年間映画出演する事が出来ませんでした。そしてお蔵入りになっていた『まごころ』が公開されてから、彼女はパラマウント映画と3本の出演契約をし、1946年の『暗い鏡』に出演します。この映画での演技から彼女は大きく飛躍し、シリアスで重厚な役を演じる俳優となって行きます。彼女はベティ・ディヴィスと親交が深く終生親友でした。彼女の主な出演作品は、1935年『真夏の夜の夢』『海賊ブラッド』、1936年『進め龍騎兵』、1938年『ロビンフッドの冒険』、1939年『風と共に去りぬ』、1941年『壮烈第七騎兵隊』、1943年『カナリア姫』、1946年『暗い鏡』『遥かなる我が子』、1948年『蛇の穴』、1949年『女相続人』、1952年『謎の佳人レイチェル』、1958年『誇り高き叛逆者』、1964年『不意打ち』『ふるえて眠れ』等です。

精神分析医スコット・エリオット
リュー・エアーズ(37歳)

 精神分析医スコット・エリオットを演じるのは、リュー・エアーズ(1908年12月28日~1996年12月30日)です。アメリカ合州国のミネアポリスで、バンジョー、ギター、ピアノ等が弾けるのでアリゾナ大学(薬学)卒業後、楽団に入団して演奏活動をしていました。テス社と6か月の契約をして1929年に映画デビューし、1930年の『西部戦線異状なし』で主役のポール・バウマーを演じました。衝撃的なラスト・シーンで映画は大ヒットし、演じたエアーズの名は世界中に知れ渡ります。映画俳優なり立てで有名になりましたが、経験不足もありスターにはなりませんでした。1935年からフォックス社のB級映画に出演するようになります。1938年MGMで「ドクター・キルデア(ジェームズ・キルダーレ博士)」シリーズの9本に出演しました。1942年3月に徴兵され、彼は良心的兵役拒否者を宣言します。彼の行動は、アメリカ国民にも映画会社にも受け入れられませんでした。(看護兵デスモンド・T・ドスを主人公にした2016年の映画『ハグソーリッジ』で、良心的兵役拒否者の事はお分かり頂けると思います。)エアーズは1942年5月18日アメリカ陸軍に入隊し、太平洋方面に医者と牧師の城主として任務に就きます。レイテ島やフィリピンやニューギニア等で、3年半医療軍団に活動して従軍星章を3度授与されます。この従軍星章で得た報酬は、全てアメリカ赤十字に寄付しています。1946年に映画に復帰しますが、戦争映画への出演は拒否してワーナー・ブラザースとの長期契約中も2本の映画出演だけでした。その後は時々映画に出演し、宗教活動に専念します。1960年からは、テレビ映画に出演するようになり俳優活動を再開しています。主な出演映画は、1930年『西部戦線異状なし』、1933年『あめりか祭』、1938年『素晴らしき休日』、1946年『暗い鏡』、1948年『ジョニー・ベリンダ』、1953年『ドノヴァンの脳髄』、1964年『大いなる野望』、1973年『最後の猿の惑星』等です。

スティーブンソン警部補役
トーマス・ミッチェル(54歳)

 スティーブンソン警部補を演じるのは、アメリカの映画俳優で劇作家の名優トーマス・ミッチェル(1892年7月11日~1962年12月17日)です。1939年の『駅馬車』で飲んだくれのブーン医師を演じているので、ご存じの方が多いと思います。彼はニュージャージー州エリザベス生まれで、高校卒業後に地元の新聞社に入社して新聞記者になります。1913年に新聞社を退社して、チャールズ・コバーンのシェークスピア劇団に入団して舞台俳優になります。1916年にブロードウェイ・デビューし、その後フロイド・ディールと共同で脚本を書くようになり舞台劇の演出もするようになります。1928年の舞台劇「Little Accident」が、1930年に『貰い児紛失事件』と1944年に『クーパーの花婿物語』として2度映画化されました。彼は1934年の『わたしのすべてを』で脚本家として映画界にデビューします。その後コロンビア映画と契約し、1936年の『クレイグの妻』で映画俳優として本格的にデビューします。と云うのは、彼は1度だけ1923年にサイレント映画『文明病』に映画出演していました。その後は数々の大作で存在感のある脇役として活躍しました。1939年の『駅馬車』でアカデミー助演男優賞を受賞し、テレビでは1952年にエミー賞の主演男優賞を受賞し、1953年には舞台劇「Hazel Flagg」でトニー賞ミュージカル主演男優賞を受賞し、アカデミー賞とエミー賞と三つの賞を受賞した最初の俳優となります。とにかく才能に溢れた方です。主な出演映画は、1937年『失はれた地平線』『ハリケーン』、1939年『駅馬車』『コンドル』『スミス都へ行く』『風と共に去りぬ』『ノートルダムの傴僂男』、1942年『運命の饗宴』、1943年『ならず者』『肉体と幻想』、1944年『西部の王者』『黒い河』、1946年『暗い鏡』『素晴らしき哉、人生!』、1952年『真昼の決闘』、1961年『ポケット一杯の幸福』等です。トーマス・ミッチェルは、11962年2月17日にフィラデルフィアの公演先で倒れ、癌の為ビバリーヒルズの自宅で亡くなりました70歳でした。

ラスティ役
リチャード・ロング(19歳)

 ラスティを演じているリチャード・ロング(1927年12月17日~1974年12月21日)は、アメリカ合州国の俳優です。1946年にアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズの『離愁』で映画デビューし、同年オーソン・ウェルズがロングの演技に感銘を受けて『オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー』に出演させ、続けて『暗い鏡』に出演しました。アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズが、ユニバーサル・ピクチャーズと合併後も1947年『卵と私』に出演しました。ロングはユニバーサル社と契約し、1948年『愛土地の大地』、1949年『裏切りの街角』で聴覚障碍者の役で素晴らしい援護をし、ラスト・シーンが印象的です1949年『ダイナマイト夫婦』、1950年『命知らずの男』に出演しました。

 1950年12月、朝鮮戦争中に徴兵されてカリフォルニア州フォート・オードで、マーティン・ミルナー、デビッデ・ジャンセン、クリント・イーストウッドらと2年間勤務しました。1953年『わたしの願い』、1954年『カスカチワの狼火』、1959年『地獄へつづく部屋』、1963年『渚のデイト』等に出演しました。その後テレビに出演するようになり、「幌馬車隊」、「西部のパラディン」、「百万弗貰ったら」、「トワイライト・ゾーン」等にゲスト出演しました。ロングはワーナー・ブラザースと契約して「連邦保安官」、「ハワイアン・アイ」等に出演し、1958年「マーベリック」でレギュラー出演しました。1959年から1960年まで「バーボン・ストリート」の主役を演じ、1960年から1962年まで「サンセット77」にレギュラー出演しました。1965年から1969年まで1「バークレイ牧場」ではビクトリア・バークレーの長男役で112話に出演しています。1970年から1971年まで「ぼくらのナニー」の主役を演じました。 ロングは若い頃に肺炎を患い、心臓が弱っていました。成人後心臓のトラブルを経験し、1961年最初の心臓発作を起こした。再度の心臓発作治療の為に、ロサンゼルスのターザナ医療センターに1か月入院した後に、1974年12月21日に47歳で亡くなりました。次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。