Vol.71 『その女を殺せ』

 今回ご紹介するのは、B級フィルムノアールの『その女を殺せ』です。ハリウッド映画では当たり前の主人公とヒロインとのラブ・ロマンスを排除し、登場人物が多いのにも関わらず無駄無くテンポ良く物語が展開されます。埋もれるのは惜しいフライシャー監督の傑作です。

発売元:(株)ブロードウェイ
販売元:(株)ブロードウェイ

【スタッフとキャストの紹介】

リチャード・フライシャー監督

★監督:リチャード・フライシャー(1916年12月6日~2006年3月25日)は、アメリカ合州国の映画監督です。彼の父親マックス・フライシャーは、アニメーションのパイオニアで「ベティ・ベーブ」、「ポパイ」、「スーパーマン」などを製作しました。彼はブルックリンで生まれ、ブラウン大学を卒業後にイェール大学演劇学部に進学しました。第二次世界大戦中はアメリカ陸軍に入隊していました。1942年にRKOに入社し、短編映画・ドキュメンタリー映画・サイレント映画のフリッカー(ノイズ除去)やコンビレーション(編集)をしていました。所謂フリッカー・フラッシュ・バックと云われる仕事です。1946年に長編映画『Child of Divorce』で監督デビュー、1947年にドキュメンタリー映画『Design for Death』を製作・監督してアカデミー賞を受賞しました。1948年『ボディ・ガード』『ニューヨーク大騒動』、1949年『静かについて来い 』、1950年『札束無情』等を監督しました。1951年『替え玉殺人事件』は最初ジョン・ファローが監督しましたが、RKOのオーナーのハワード・ヒューズが気に入らずフライシャーに大幅な撮り直しをさせて完成させました。1952年『その女を殺せ!』までの初期の作品で、フィルムノアールを監督していました。

 1954年には、父親のライバルだったウォルト・ディズニーがプロデュースした『海底二万哩』の監督をしました。1955年『恐怖の土曜日』、1956年『ならず者部隊』、1957年『ヴァイキング』、1959年『強迫/ロープ殺人事件』、1961年『バラバ』、1966年『ミクロの決死圏』、1967年『ドリトル先生不思議な旅』、1968年『ゲバラ!』、1970年『トラ・トラ・トラ』、1971年『ラスト・ラン/殺しの一匹狼』『見えない恐怖』『10番街の殺人』、1972年『センチュリアン』、1973年『ソイレント・グリーン』、1974年『マジェスティック』とA級・B級の様々なジャンルの作品を監督し、1974年の『スパイク・ギャング』では製作と監督をしました、1975年には物議を醸した問題作の『マンディンゴ』、1975年『キング・、オブ・デストロイヤー/コナンPART2』、1984年『レッドソニア』等を監督しました。1987年の『おかしなおかしな成金大作戦』が、フライシャーの長編映画の遺作となりました。

 2006年3月25日にMPTFカントリーハウス&ホスピタルで呼吸器感染症の為、睡眠中に89歳で亡くなりました。※MPTFはメアリー・ピックフォードが立ち上げた映画関係者救済基金モーション・ピクチャー&テレビジョン・ファンドで、後にテレビジョン関係者に枠を広げMPTFとなりました。MPTFカントリーハウス&ホスピタルは、MPTFが管理する住居と病院です。

★脚本:アール・フェルトン(1909年10月16日~1972年5月2日)は、アメリカ合州国の脚本家です。フェルトンは子供の頃からポリオで足が不自由だったので、松葉杖と杖を使って自分の身体を支えながら移動していました。フェルトンは1936年の『FRESHMAN LOVE』で脚本家デビューし、1936年『ベンガルの虎』の原案と脚本を担当しました。1941年『ハリウッド・スパイ騒動』』、1942年『サンセット・セレナーデ』、1949年『バシュフル盆地のブロンド美人』、1950年『札束無情』、1951年『犯罪都市』、1952年『その女を殺せ』、1954年『海底二万哩』、1956年の『反逆者の群れ』では原案と脚本を担当、1959年『キリマンジャロの決斗』等の脚本を書きました。。

ブラウン刑事役
チャールズ・マックグロー(38歳)

★ブラウン刑事役のチャールズ・マックグローは悪役を演じる事が多いのですが、本作で多分唯一の善人役で刑事を演じています。彼の略歴は『Tマン』をご覧ください。。

偽のニール夫人役
マリー・ウィンザー(33歳)

★偽のニール夫人役のマリー・ウィンザー(1919年12月11日~2000年12月10日)は、ユタ州メアリーズベールのアメリカ合州国の俳優で、身長175cmの長身の女優さんです。彼女はフィルムノアールで、ファム・ファタール或いはヴァンプのキャラクターとして有名でした。又、彼女は多くのB級映画で主役を演じ、B級映画の女王とも呼ばれていました。

 ウィンザーは1934年にメアリーズベール高校を卒業し、ブリガムヤング大学に通いながら演劇活動にも参加しました。彼女は1939年に81人の出場者の中から、ユタ州ソルトレイク市のCovered Wagon Daysの女王に選ばれ、故郷の商工会議所から非公式に“1939年のミス・ユタ”に任命されました。1939年の新聞記事では、“熟練したアスリート、ダンサー、水泳選手、馬術の専門家で、ゴルフ、テニス、スキーをする”と伝えています。

 1940年にハリウッドに移り、マリア・ウスペンスカヤの演劇学校の入学した後に芸名を“マリー・ウィンザー”として舞台劇デビューしました。1941年にパサデナ・プレイハウスで「Once in a Lifetime」に出演しました。電話交換手や舞台やラジオの仕事をしながら、1941年からはノン・クレジットで映画デビューし、1947年までエキスタラや端役で20数本の映画に出演しました。1947年『影なき男の息子』でヘレン・アンボイ役を演じてから役が付くようになりました1948年『悪の力』でジョン・ガーフィールドと共演しますが彼女の身長が175cmあるので歩くシーンでは膝を曲げながら歩いたと語っていました、自分より身長が低い男優との共演が多く苦労したようです。1948年『三銃士』、1949年『ケンタッキー魂』と出演し、1949年『地獄の銃火』で女ガンマン、1950年『偽札造りのリル』では小切手のサイン偽造師役の主役を演じています。1950年『フレンチ―/復讐の道』、1951年『東は東』、1952年『狙撃者』『その女を殺せ』等に出演し、1953年にはSFカルト・ムーヴィーとして有名な『月のキャット・ウーマン』に出演しています。1953年『背高きテキサス人』、1954年『西部の女賊』・『賞金を追う男』、1955年『女囚大脱走』、1956年『現金に体を張れ』、1960年『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』、1964年『モンタナの西』、1973年『ビッグケーヒル』、1973年『組織』、1979年『死霊伝説』、1985年『ヒューマノイド・プロテクター』等の様々なジャンルのB級映画に出演しています。

 ウィンザーは1954年に西部劇のテレビ・シリーズ「Stories of the century」に出演し、ベル、スターを演じました。その後1980年代まで多くのテレビ映画に出演しました。「シャイアン」、「バットマスターソン」、「ローハイド」、「ボナンザ」、「サンセット77」、「マーベリック」、レッド・スケルトン・アワー」、「ハワイアン・アイ」、「ペリー・メイスン」、「バーボン・ストリート」、「F・B・I」、「マニックス」、「チャーリーズ・エンジェル」等に出演しました。彼女は1991年に72歳で引退し、その後画家・彫刻家となりました。ウィンザーは2000年12月10日にうっ血性心不全で亡くなりました。

ニール夫人役
ジャクリーン・ホワイト(30歳)

★ニール夫人役のジャクリーン・ホワイト(1922年11月27日生まれ)は、カリフォルニア州ビバリーヒルズ出身のアメリカ合州国の俳優です。彼女はビバリーヒルズ高校卒業後、カリフォルニア大学ロスアンゼルス校に通いました。ホワイトは1942年に映画デビューし、小さな役を演じました。1943年『極楽スパイ狩り』で主役を演じ、同年『ジョーと呼ばれた男』に出演しました。彼女はB級映画で主役を演じ、A級映画では脇役を演じていました。1946年『ハーヴェイガールズ』、1947年『十字砲火』、1948年『Mystery in Mexico』・『ブラックストーンの決闘』等に出演しました。

 ホワイトはウェストウッドヒルズで1948年11月12日にニール・ブルース・アンダーソンと結婚し、1950年に夫と共にワイオミング州に移住しました。彼女は出産の為にロスアンゼルスに戻った時に、『その女を殺せ』のオファーを受けました。1952年『その女を殺せ』に出演し、1952年に映画界から去りました。彼女は夫が石油ビジネスを始めた為、夫と共にワイオミング州に移住しました。ホワイトは現在、家族と共にテキサス州ヒューストンに住んでいます。(2025年2月現在102歳です。)

 次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

サスペンス映画 名優が演じる「暗黒の世界」 発行:コスミック出版
『ギルダ』、『その女を殺せ』、『過去を逃れて』、『月光の女』、

「裏切りの街角」、『深夜復讐便』、『青い戦慄』、『暗黒街の弾痕』、
『悪の力』、『絶壁の彼方に』 お勧めの10枚セットです。