Vol.49 『英雄を支えた女』の最終章

グラスにウィスキーを注ぐスティーリー(左)
スティーリーを銃で撃とうとするイーサン(右)

 ハンナが死んだと思ったスティーリーはバージニア・シティに行き、酒場でウィスキーをグラスに注ごうとした時、銃声がしたと同時に手に持ったウィスキー便が砕け散ります。銃を撃った男は、俺が酒を飲みに来た時は俺の奢りだと。そして銀山の王イーサン・ホイトだと名乗りますが、ウィスキーの瓶を持っていた男を見て、スティーリーだと気が付きます。イーサンは銃を向けたままスティーリーに近づき、何の用だと言います。スティーリーがハンナは死んだと言った途端にイーサンは銃でスティーリーを撃ち酒場を出て行きます。

イーサンの近況を話すスティーリー(左)
微動だにせず話を聞くハンナ(右)

 撃たれたスティーリーは命を取止め、嘗てハンナが経営していたサクラメントの宿屋に行きます、スティーリーが宿屋の中を覗くと奥の部屋から明かりが見えたので中に入るとハンナがゆり椅子に座っていました。ハンナに我々は死んだとイーサンは思っていて彼が再婚した事を伝えます。(この場面のハンナは瞬き一つせずにスティーリーの話を聞き、その表情はやがて悲しみを堪えているのが伝わって来ます。)ハンナは子供たちの埋葬地に行き、そこでサンフランシスコ行きを決めます。

ハンナにイーサンが再婚した事を告げる父親(左)
父親を追い返すハンナ(右)

 ハンナはスティーリーがサンフランシスコで経営する賭博場でディーラーとして働いています。そこに父親が突然ハンナに会いに来ます。ハンナは家族の事を聞こうとしますが、父親は話を遮ってお前は死んだと思われているから死んだままでいてくれ。名前を変えて何処か遠くに行ってくれと言います。イーサン・ホイトは再婚して子供もいるので、お前の存在がスキャンダルになる。イーサン・ホイトの夢は破れて鉄道を引こうとしている。その為に出馬して議会に出ようとしていると言います。。ハンナはイーサンがホイト・シティを創るのを諦めて反対勢力と結託しようとしている事を知り、父親を追い返します。ハンナはスティーリーに別れを告げ、ホイト・シティに向かいます。

再会したハンナとイーサン(左)
ホイト・シティを創るように説得するハンナ(右)

 ハンナは選挙演説を聞き、かつてのイーサンが言っていた事を対抗するハンクが言い、イーサンが反対していた事をイーサン自身が言っているのを聞きます。演説が終わってイーサンは一人、嘗てハンナと暮らした家で自分の信条に背ている自分を責めます。その時、外で物音がしたので窓から外を見るとハンナが立っていました。イーサンは外に出て再会を喜び近況を話し、ハンナは二人が出会った頃の話をします。二人は家に入り、イーサンは自分一人では夢を実現出来ないと言いますが、ハンナは二人で夢見たホイト・シティを創るように言います。力を貸して欲しいと言うイーサンに、ハンナはもう離婚したからと嘘を言って自力で実現するように諭します。イーサンは馬上の人となり帰って行きます。(とても良いシーンです。)

銅像を見上げる二人(左)        結婚証明書を破るハンナ(右)

 画面が変わって、ハンナが伝記作家に話しているシーンになります。1906年にスティーリーはサンフランシスコの大火事で人助けをして死んだ事、その年イーサンが死ぬ為にハンナの家を訪れた事を話します。二人はイーサン・ホイトが馬に乗っている銅像の前に立ち、ハンナは伝記作家にイーサンの偉業を語ります。伝記作家は話を聞き終えると、ハンナにキスをして伝記を書くのを止めますと言います。ハンナは彼女を帰してから、ボロボロになった結婚証明書を出して細かく破いて捨てて帰宅します。こうして奇妙な三角関係のラブ・ストーリーは終わります。

帰宅するハンナ

 最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『英雄を支えた女』、『決死の騎兵隊』、『賭博の町』、『オクラホマ無宿』
等が入ったお得な10枚セットです。
発行:コスミック出版 本体1,500円+税

『英雄を支えた女』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 90分

原題:The Great Man’s Lady

監督:ウィリアム・A・ウェルマン

製作:ウィリアム・A・ウェルマン

脚本:W・L・リヴァー

原作:ビーニャ・デルマー(コスモポリタンの短編小説「人間の側面」)

アデラ・ロジャース・セント・ジョンズ

ソーナ・オーウェン

撮影:ウィリアム・メロ

美術:ハンス・ドレイアー、アール・ヘドリック

編集:トーマス・スコット

音楽:ビクター・ヤング

出演者:バーバラ・スタンウィック、ジョエル・マクリー

    ブライアン・ドンレヴィ、K・T・スティーブンス

    サーストン・ホール

Vol.47 『英雄を支えた女』の続きの続き

土地を購入しようとする男を追い返すハンナ左)
金を掘りにカリフォルニアに行こうと言うハンナ(右)

 偉大な夢を抱いてスタートした二人だが、思うように計画は進まずイーサンは諦めかけていた。ホイト・シティを創る為に購入した広大な土地の4分の3を売る契約をしようとしていた。そこに外で今晩の食料になるウサギを銃で仕留めたハンナが入って来て、土地を購入しようとする男を追い出してしまいます。ハンナは、イーサンに金山の夢を見た話をします。太陽を背にした黒い山が、空から手招きするような夢だったと。二人は一時この土地を離れ、カリフォルニアで金山を探しに行く事にします。

ギャンブラーのスティーリー登場(左)
ギャンブルに100ドルを賭けるイーサン・ホイト(右)

 イーサンは早速仲間を誘いに町に出掛け、話が纏まり仲間と酒を飲んで盛り上がります。しかし、手元の資金は100ドル。酒場から出ると、外にいたギャンブラーのスティーリーに声を掛けられます。私と勝負して勝ったら1ドルが100ドルになります。3枚のカードの中からエースを見付けるだけですが、イカサマです。イーサンは最初断りますが、仲間に言われるままに勝負して負けてしまいます。元手の100ドルを取り戻す為に勝負をして、結局馬や牛や鶏等の全てを失います。

スティーリーを銃で脅すハンナ(左)
ハンナはスティーリーにカードで勝負に挑む(右)

 家でイーサンの帰りを待っていたハンナは、家の家畜や荷馬車を運び出すのを窓越しに見て、銃を片手にギャンブラーの許へ行きます。そしてハンナはギャンブラーに銃を向けて、酔っ払い相手に公平じゃないから全部返すように言います。(スティーリーとの初顔合わせのシーンは、ハンナの顔の左半分だけしか写していません。ここから奇妙な三角関係が始まります。)ギャンブラーは私も少し酔っていたし、銃を向けて返せと云うのは不公平だからカードで決着を付けよう言います。勝負の結果、ハンナはお金も家畜も全て取り戻して帰宅します。情けない表情のイーサンに全て取り戻したと言い、テーブルにお金を出して何事も無かったように夕食の支度を始めます。何か言おうとするイーサンに食事をしながら明日出発だから準備してと言います。

銀鉱を見付けるまでの話を伝記作家にするハンナ

 画面が変わって、ハンナが伝記作家に話しているシーンに戻ります。カルフォルニアに行ったら直ぐに金が見つかると思ったが、見つからず8年掛かって銀を見付けた。金鉱探しからイーサンが帰った時は幸せだったが、いない時は苦しかった。その8年間スティーリーは傍にいたが、彼には恋愛感情は無かったと語り、サクラメントで宿を営んでいた頃の話が始まります。

スティーリーに平手打ちをしたハンナ(左)
スティーリーに銃を向けるイーサン(右)

 ハンナは宿のラウンジのランプを消していて、スティーリーが椅子に座って彼女の店じまいを待っている。全てのランプが消えた時、スティーリーはハンナをコンサートに誘うが断られる。(ここから画面は暗転し、シルエットだけになります。登場人物の感情が断絶している時、表情が見えない画面が映し出されます。)スティーリーはハンナを思うあまりイーサンを非難するとハンナは平手打ちをします。直ぐにハンナは謝罪し、イーサンの子供を身籠っている事を伝えます。その時イーサンが帰って来て、銃を手にして女房から離れろと言います。銃を突き付けているイーサンに、銃を所持しないスティーリーは丸腰だと言って上着を広げて見せます。イーサンに出て行けと言われて、スティーリーは店から出て行きます。

青いベトベトした物を手に取るハンナ(左)
以前、夢で見た事を思い出すハンナ(右)

 イーサンは疲れているから眠りたいと言って、二人で二階の寝室に行きイーサンはベッドに横たわります。いくら掘っても金は出てこないし、青いベトベトした物が邪魔をすると言います。そして掘っている丘の光景を話し出します。その丘は太陽の丘と呼ばれ、空から手招きしているように見えると言います。イーサンのブーツを脱がしているハンナは青いベトベトした物を手に取り、イーサンの話が以前自分が見た夢と同じだと思います。ハンナはブーツに付いた青いベトベトした物を搔き集めて手に取り鉱物分析所に向かいます。

分析所で純度の高い銀だと言われる(左)
スティーリーに借金を申しむハンナ(右)

 分析の結果、その青いベトベトした物は純度の高い銀で、8年間の苦労が実り大金持ちになって夢を実現する事が可能になります。ハンナは急いでイーサンに知らせに走りますが、途中でスティーリーに出会い山を買う為の資金を借金します。(スティーリーのハンナへの片思いが切ない。)

ハンナに資金の出所を問い詰めるイーサン(左)
ハンナと共にサクラメントに残るスティーリー(右)

 ハンナはイーサンに銀山を掘り当てた事を伝え、直ぐその山を購入するように言ってお金を渡します。イーサンは荷物を持って階段を降りた処で、ハンナにお金の出所を問い質します。(この場面も二人のシルエットになります)ハンナはそれに答えずイーサンに抱きつきます。イーサンはお金の出所はスティーリーだと確信し、二度とここには戻って来ないと言って出て行きます。

双子の子供達と馬車日に乗ったハンナ(左)
生き残ったハンナ(右)

 画面が変わって双子の親となったハンナは、スティーリーが手配した馬車に乗りバージニア・シティに向かいます。激しい嵐の中、橋を渡る時に鉄砲水で橋もろとも馬車は川に流され、子供たちは死にハンナだけが生き延びます。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『英雄を支えた女』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 90分

原題:The Great Man’s Lady

監督:ウィリアム・A・ウェルマン

製作:ウィリアム・A・ウェルマン

脚本:W・L・リヴァー

原作:ビーニャ・デルマー(コスモポリタンの短編小説「人間の側面」)

   アデラ・ロジャース・セント・ジョンズ

   ソーナ・オーウェン

撮影:ウィリアム・メロ

美術:ハンス・ドレイアー、アール・ヘドリック

編集:トーマス・スコット

音楽:ビクター・ヤング

出演者:バーバラ・スタンウィック、ジョエル・マクリー

    ブライアン・ドンレヴィ、K・T・スティーブンス

    サーストン・ホール

Vol.47 『英雄を支えた女』の続き

空席の椅子(左)       大都会の一角にある不釣り合いな邸宅(右)

 椅子が映し出されカメラは引いて俯瞰画面になり、大都会の一角に不釣り合いな邸宅が見えます。画面が変わって、その邸宅を見下ろすホイト・シティ新聞社の編集長が双眼鏡で空席の椅子を見てから語り始めます。35年間毎日ポーチにある椅子に座り続けた謎の老婦人、ハンナ・セプラーが今日は現れない。今日は“イーサン・ホイトの日”で、彼の銅像の除幕式があるのに無視して姿を見せない。彼女を見張っていた記者たちに除幕式に行くように指示を出します。

除幕式で演説する市長(左)         除幕式を見る記者たち(右)

 除幕式には全米各地から有力紙の記者たちがあつまっていて、その中に若い伝記作家の女性もいます。

セプラー邸に車で駆けつける記者達(左)
セプラー邸の中に強引に入る記者たち(右)

 市長の演説の後、除幕式が終わると有力紙の記者たちはセンプラー邸に向かいます。そして強引に邸内に押し入ってセプラー夫人に面会を求めます。

邸宅に押し入った記者の前に登場したハンナ・セプラー

 やがて100歳のハンナ・セプラーが現れます。(この場面の表情も動きも語り口も、正に100歳の老婦人で見事です。上唇の使い方、手の動き、弱弱しい話し方、素晴らしいです。)世間が真相を知る為だと言い、記者たちはハンナに一斉に質問を浴びせかけ、イーサン・ホイトのスキャンダラスを聞き出そうとします。

ハンナを擁護する女流伝記作家(左)
イーサン・ホイトの話を聞かせて欲しいと懇願する女流伝記作家(右)

 ハンナは記者たちに“貴方たちは世間では無い”と言い、“あなた達は世間と無縁の人たちです”と言います。若い伝記作家は、記者たちの非礼を詫びてハンナを擁護します。ハンナは、“ホイト・シティを創った偉人にスキャンダルは無い”と言い、記者たちを帰します。若い伝記作家は残ってハンナに、イーサン・ホイトの伝記を3年間書いているので話を聞かせて欲しいと頼ますが、ハンナは相手にせず彼女に帰るように言います。泣き出した若い伝記作家を見て気が変わったハンナは、彼女と共に2階の部屋に行きます。(この場面のバーバラ・スタンウィックの演技は、前半の見せ場と言っても良い位に見事です。)

窓から顔を出す三姉妹(左)   娘たちに挨拶するイーサン・ホイト(右)

 2階の部屋に入ってハンナが“あれは、1848年の事よ”と語った瞬間に娘時代の話が始まります。窓に駆け寄るハンナと二人の姉妹、通りを馬に乗るイーサン・ホイトが家に向かってきます。窓から顔を出したハンナは、可愛らしく溌溂とて10代の乙女のように見えます。馬から降りたイーサンは笑顔で上を見上げると、二人の姉妹は窓から離れます。残ったハンナは、ハンカチを落としてイーサンに渡します。(ハンナの一途な恋心をウェルマン監督は、こんな乙女チックな演出で表現したんでしょうね。)

資金援助を得る為に夢を語るイーサン・ホイト(左)
イーサン・ホイトの話に聞き入るハンナ(右)

 ハンナは父親が勝手に決めた自分の婚約者を茶化し、部屋を出て1階の書斎に向かいます。階段を降りようとすると、メイドのデリラに書斎に行かないように注意されます。ハンナは階段の手すりを跨ぎ腹ばいになりながら、本を取りに行くと言って手すりを滑って1階に降ります。(この時のハンナの表情はお転婆で無邪気な娘で、デリラとの会話は仲の良い親子の様です。)書斎ではイーサンが資金援助を得る為に、センプラーとキャドワラーに熱く自分の夢を語っています。廊下でそれを聞いたハンナは益々イーサンを好きになり、思わず拍手をして父親に叱られます。援助を断られたイーサンは、帰ります。

深夜に訪れたイーサンに会うハンナ(左)
プロポーズするイーサン(左)

 ベッドで眠りについたハンナは、物音で眼を覚まし窓から外をみます。真夜中の12時にイーサンが家の前にいて、降りてくるように言います。無理とか言いながら結局降りて行って、二人で馬に乗り郊外に出掛けます。森の中での奇妙なやり取りの後、イーサンのプロポーズをハンナは受けて駆け落ちします。

旅先で簡単な結婚式を挙げる(左)     結婚証明書を受け取る(右)

 画面は変わって嵐の中、雨に打たれ乍ら簡単な結婚式を行い神父から結婚証明書をハンナは受け取ります。

未だ何もない広大な土地を眺めて、ホイト・シティの実現を誓う二人

 そして二人はホイト・シティへと向かいます。着いたホイト・シティは、未だ何もなく広大な土地に小さな家があるだけです。しかし、二人の眼には未来のホイト・シティが見えていて、二人で偉大な都市を作る事を誓います。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

「西部劇パーフェクトコレクション オクラハマ無宿」
『英雄を支えた女』、『決死の騎兵隊』、『賭博の町』、『オクラホマ無宿』
等が入ったお得な10枚セットです。
発行:コスミック出版 本体1,500円+税

『英雄を支えた女』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 90分

原題:The Great Man’s Lady

監督:ウィリアム・A・ウェルマン

製作:ウィリアム・A・ウェルマン

脚本:W・L・リヴァー

原作:ビーニャ‣デルマー(コスモポリタンの短編小説「人間の側面」)

   アデラ・ロジャース・セント・ジョンズ

   ソーナ・オーウェン

撮影:ウィリアム・メロ

美術:ハンス・ドレイアー、アール・ヘドリック

編集:トーマス・スコット

音楽:ビクター・ヤング

出演者:バーバラ・スタンウィック、ジョエル・マクリー

    ブライアン・ドンレヴィ、K・T・スティーブンス

    サーストン・ホール

Vol.46 『英雄を支えた女』

パブリック・ドメインの為、
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 今回ご紹介するのは、ウィリアム・A・ウェルマンが1942年に製作・監督した日本未公開の『英雄を支えた女』です。原作は、ビーニャ・デルマーがコスモポリタンに発表した短編小説「人間の側面」です。その短編小説をアデラ・ロジャース・セント・ジョンズとソーナ・オーウェンが物語として書き上げ、その物語を基にW・L・リヴァーが脚本にしています。若い女性の伝記作家に100歳のハンナ・セプラー・ホイトが、過去を語る事で物語は展開します。なんとも奇妙な三角関係の物語です。100歳のハンナを演じるのがバーバラ・スタンウィック、ハンナに支えられる夫のイーサン・ホイトを演じるのがジョエル・マクリー、ハンナに恋焦がれるギャンブラーのスティリーを演じるのがブライアン・ドンレビィ、そして若い伝記作家を演じるのがK・T・スティ-ブンスです。

【スタッフとキャストの紹介】

ウィリアム・A・ウェルマン(1937年)

 ウィリアム・A・ウェルマン((1896年2月29日~1975年12月9日)は、マサチューセッツ州ブルックライン生まれのアメリカ合州国の映画監督です。サイレント映画時代も含めると80本程の作品を監督しています。トーキー映画が始まった時には、俳優が動いて台詞を言えるように箒にマイクを吊るして音取りをしたり、現在のガン・マイクの原型を作ったりしています。特に航空映画に思い入れが強かったので、機体にカメラを固定するフレームを作ったり、コクピットでカメラマンが隠れて飛行中に俳優を撮影出来るようにモーター駆動のカメラを作ったりと、新しい技術を作り出した人でもあります。

 10代の頃は非行少年でしたが、製材所のセールスマンとなりマイナーリーグのホッケーの選手として活躍しました。第一次世界大戦中はノートン・ハルジェス救急隊に入隊して運転手をしていましたが、パリにいる時にフランス外人部隊に入隊して1917年12月3日に戦闘機パイロットとして配属され、エース・パイロットとして目覚ましい活躍をしました。戦後アメリカに帰国したウェルマンは、サンディエゴで新人パイロットの教育を行っていました。その頃、週末には戦闘機でハリウッドに行ってダグラス・フェアバンクスに会っていて、彼の勧めで映画界入りします。最初は俳優になりますが、監督を目指して雑用係から助監督・第2監督となり、1923年に監督デビューします。1927年の『つばさ』は第1回アカデミー賞の作品賞を受賞し、様々なジャンルの映画を送り出しています。1931年『民衆の敵』、1932年『立ち上がる米国』、1933年『飢ゆるアメリカ』、1937年『スター誕生』、1939年『ボー・ジェスト』、1943年『牛泥棒』、1944年『西部の王者』、1945年『G・Iジョー』、1949年『戦場』、1951年『ミズーリ横断』、1952年『女群西部へ!』、1954年『紅の翼』、1955年『中京脱出』などを監督しました

ハンナ・セプラー・ホイト役
バーバラ・スタンウィック(35歳)

 主役のハンナ・セプラー・ホイトを演じるのは、演技派の名優バーバラ・スタンウィック(1907年7月16日~1990年1月20日)です。彼女はニューヨークで5人兄弟の末っ子として生まれました。4歳の時に母親が車の事故で亡くなり、その後父親は彼女を置き去りにして出て行ってしまいます。彼女は里子に出されて里親のもとを転々とし、10歳の時に姉のミルドレッドに引き取られ姉の恋人からダンスを習います。13歳で学校を中退して働き出し、1922年15歳の時にジークフェルド・フォーリーズのコーラス・ダンサーになります。1927年20歳で『ブロードウェイ』で映画デビューしますが舞台の仕事を続けて、1933年26歳でブロードウェイ舞台の主役を演じるようになります。1928年にフランク・フェイと結婚し、共にハリウッドに渡り映画に出演するようになります。  

 1930年にフランク・キャプラ監督の『希望の星』に出演して、実力派俳優として認められるようになります。その後はキャプラ監督を始め、ジョージ・スティーブンス、ハワード・ホークス、セシル・B・デミル、ブレストン・スタージェスと多くの監督の映画に出演します。ジャンルもラブ・ストーリー、ヒューマン・ドラマ、ラブ・コメディ、西部劇と多岐に渡り、演じる役も様々で演技の幅を広げていきます。1931年『奇蹟の処女』、1933年『風雲のチャイナ』、1935年『愛の弾丸』、1936年『鍬と星』、1937年の『ステラ・ダラス』でアカデミー主演女優賞に初ノミネートされます。(4度オスカーにノミネートされますが、受賞する事はありませんでした。信じられません。)

 1939年『大平原』『ゴールデン・ボーイ』、1941年、『レディ・イヴ』『群衆』『教授と美女』、1944年にビリー・ワイルダー監督の『深夜の告白』で、男を破滅させる魔性の女を演じて更に芸域を広げます。1946年『呪いの血』、1947年『カリフォルニア』、1950年『復讐の荒野』、1954年『重役室』でヴェネチア国際映画祭の審査員特別賞を受賞しました。1955年『欲望の谷』、1956年『烙印なき男』、1957年『四十挺の拳銃』、1964年『青春カーニバル』等に出演しました。

 1950年代まで映画に出演し続けますが、1960年からTVに進出して「バーバラ・スタンウィック・ショー」のホストと主役を1年間務め、1965年から1969年まで「バークレー牧場」では出演とプロデューサーもしました。日本でも人気のあったTV映画で、アメリカでも好評で多くのファンに愛されました。この両作品でエミー賞を受賞しています。気取らず性格の良い彼女は、共演者やスタッフから愛され尊敬をされていました。映画の主演本数も多く、素晴らしい演技の作品が多いです。スタンウィックは1981年にフィルム・ソサエティの特別賞、1982年にはアカデミー名誉賞、1983年にはゴールデン・グローブ賞とエミー賞を受賞しています。1990年カリフォルニア州サンタモニカで心不全の為亡くなりました。82歳でした。

イーサン・ホイト役
ジョエル・マクリー(37歳)

 後に英雄となるイーサン・ホイトを演じるのは、ジョエル・マクリー(1905 年 11 月 5日~1990年10月20日)です。彼はカリフォルニア州サウス パサデナ出身の映画俳優で、1927年からエキストラやスタントマンの出演から始まって1976年の『アドベンチャー・カントリー』までの50年間に100本以上の映画に出演しました。彼はハリウッド高校を卒業後、ポモナ大学で演劇とパブリック・スピーキングのコースを受講し1929年に卒業しました。

 1932年『銀鱗に躍る』から主役を演じるようになり、1930年RKOに移籍して、1932年『南海の劫火』でドロレス・デル・リオと共演し、ドラマやコメディも演じられる二枚目スターとして認められるようになります。1932年の『猟奇島』ではフェイ・レイと共演していますが、『キング・コング』のジャングルのセットの一部を使って撮影されました。昼間は『キング・コング』の撮影で使い、夜間に『猟奇島』の撮影がされました。

 マクリーは、様々なジャンルで多くのキャラクターを演じました。1935年『私のテンプル』、1936年『大自然の凱歌』、1936年『バーバリー・コースト』、1936年『紐育の顔役』・『新天地』、1939年『大平原』、1940年『海外特派員』、1941年『サリヴァンの旅』、1943年『陽気なルームマイト』等に出演しました。彼は自分の信条に合わない役や、以前演じた様な役のオファーは断っています。特に第二次世界大戦中は、英雄の軍人役は断っています。

 1940年代に入ってからは出演映画の殆どが西部劇で、歳を取るに従って西部劇に出演するのが快適だったと、晩年インタビューで答えていました。1944年『西部の王者』、1946年『落日の決闘』、1947年『復讐の二連銃』、1949年『死の谷』、1953年『ローン・ハンド孤高の男』、1959年『ダッジ・シティ』、1962年『昼下がりの決斗』等に出演しました。彼はランドルフ・スコットと共にB級映画の2代スターと言われています。ランドルフ・スコットは保安官とか南軍の将校役を多く演じていて、そんなイメージがあって似合っていると思っています。一方、ジョエル・マクリーには固定したイメージが浮かびませんので、演技力のある俳優さんだと思います。以前、キャサリン・ヘップバーンが一緒に仕事をした最高の俳優の一人であると感じたと言っていました。又、ジョエル・マクリーはスペンサー・トレイシーやハンフリー・バガートと並んでランク付けされるべきだったとも語っていました。1990年10月20日、ロサンゼルスのウッドランドヒルズにあるモーション・ピクチャー・アンド・テレビジョン・カントリーハウス・アンド・ホスピタルで肺炎の為84歳で亡くなりました。

ギャンブラーのスティリー役
ブライアン・ドンレヴィ(41歳)

 ギャンブラーのスティリーを演じるのは、ブライアン・ドンレヴィ(1901年2月9日~1972年4月5日)です。彼は北アイルランド出身で、アメリカで活躍した映画俳優です。生後10ヶ月でアメリカのウィスコンシン州ラシーンに移住し、9歳の時にオハイオ州クリーウランドで移住しました。彼は15歳の時にメキシコに渡り年齢を偽ってパンチョ・ビリャの革命を阻止する政府軍に入隊し、第一次世界大戦に従軍してラファイエット戦闘機隊で活躍しました。1920年代に入ってからニューヨークの舞台で俳優として出演するようになり、サイレント映画にも出演するようになります。1935年の『バーバリー・コースト』で人気が出始め1936年『当たり屋勘太』1937年『シカゴ』、1939年『大平原』『地獄への道』と出演し、同年の『ボー・ジェスト』では冷酷非情な悪役を見事に演じました。

 1941年『ブルースの誕生』、1942年『ガラスの鍵』『ウェーク島攻防戦』、1943年『死刑執行人もまた死す』、1944年『モーガンズ・クリークの奇跡』、1945年『落日の決闘』『ハリウッド宝船』、1946年『インディアン渓谷』、1947年『死の接吻』、1948年『戦略爆撃指令』、1949年『狂った殺人計画』、1950年『命知らずの男』、1953年『死刑(リンチ)される女』、1955年『原子人間』、1957年『宇宙からの侵略者』、1965年『蠅男の呪い』等に出演しました。1959年の『戦雲』では映画の最後に登場し、少ない出番ながら存在感の演技を披露しています。1950年代末まで西部劇・戦争映画・ギャング映画等、様々なジャンルの映画に出演しています。1950年代からTV映画にもゲスト出演するようになり、日本で1858年に放映された「Gメン」(1952年製作)では、世界各地を飛び回って密輸団・暗殺団・スパイ団を相手に活躍する、アメリカ政府のシークレット・エージェントのスティーブ・ミッチェルを演じました。ドンレヴィは1971年に喉頭癌の手術を受け、1972年4月6日にカリフォルニア州ロサンゼルスのウッドランドヒルズにあるモーション・ピクチャー・アンド・テレビジョン・カントリーハウス・アンド・ホスピタルで亡くなりました。71歳でした。

女流伝記作家役
K・T・スティーブンス(23歳)

 若い女流伝記作家を演じるのは、K・T・スティーブンス(1919年7月20日~1994年6月13日)です。彼女はロサンゼルス生まれの映画及びテレビ俳優で、サム・ウッド監督の娘さんです。父親が監督した1921年のサイレント映画『ペックの悪い少年』で、2歳の時の映画デビュー(?)しています。その後、自分の意志で映画に出演するようになった時は、サム・ウッドの娘だと知られぬようにK・T・スティーブンスと名乗っていました。当初キャサリン・スティーブンスとも名乗っていた時期もありましたが、最終的にK・T・スティーブンスとなっています。

 メイン州スコヒガンで演劇を学びブロードウェイの舞台にも出演するようになります。その後父親が監督した1940年の『恋愛手帳』に出演し、1944年『住所不明』、1949年『ニューヨーク港』、1950年『ハリエット・クレイグ』、1958年『月へのミサイル』、1969年『ボブ&キャロル&テッド&アリス』、1994年『コリーナ、コリーナ』が最後の映画出演でした。1960年代からは『マッコイじいさん』、『反逆児』、『ブラナガン』、『ライフルマン』、『アイ・ラブ・ルーシー』等、多くのテレビ映画に出演していました。スティーブンスは1994年6月13日、カリフォルニア州ブレントウッドの自宅で肺癌の為、74歳でした。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.45『チップス先生さようなら』の最終章

コリー2世とパーキンスを仲直りさせるチップス先生(左)
校長から引退を勧められるチッピング(右)

 画面が変わり、校舎の入り口で生徒たちが点呼を取られているシーンになります。点呼を終えた生徒たちの会話で、時の流れを簡潔に表現しています。1899年10月10日の南ア戦争(ボーア戦争とかズール戦争とも云われています)から始まり、ビクトリア女王(1819年5月24日~1901年1月22日)の葬儀と時は進みます。校舎の入り口で点呼を取っているチッピングは、既に60歳代になっています。そこに校長からの呼び出しがあり、校長室に向かいます。途中で喧嘩している新入生のコリー2世とパーキンスを見付けて、仲裁に入り仲直りをさせます。チッピングが校長室に入ると、校長から最新式のラテン語の発音を採用する様に言われます。時代は変わっている、古いものに固執するなら引退するように言われます。古き伝統を重んじるチッピングは、時代が変わって古き良きものが失われて行く、自分は引退しないでここまま行くと言って退室します。(この時のチッピングの台詞に“子供たちを自立させる為に教えている”と云うのがありますが、この言葉は世の大人が永遠に伝え続けなければならない事ですね)

5年前のエピソードを話す校長(左)
全校生徒からの贈り物を受け取るチップス先生(右)

 それから5年後、チッピングは引退します。講堂でチッピングの引退式典が開催され、校長から引退勧告時のエピソードが話された後全員で乾杯し、全校生徒からプレゼントが贈られます。チッピングの引退時のスピーチはユーモアに溢れ、語り口や表情は長年教壇に立っていた70歳の先生そのものです。校舎から出る時。門番の老人がこれから会えなくなるのが寂しいと声を掛けて来て、校長先生になれると思っていたと伝えます。チッピングは、亡くなった妻のキャサリンの事を思い出します。老人はオーストリアの皇太子が暗殺された事も話します。(1914年6月28日のサラエボ事件で、この暗殺によって第一次世界大戦が始まります)

通りを行進する志願した生徒たち(左)
戦争は直ぐ終わると話すチップス先生(右

 通りを軍隊が行進している画面に変わります。チップス先生の家に集まった生徒たちは窓からそれを眺め、卒業生が入隊したとか自分も志願するとか戦争の話をしています。その当時殆どのイギリス人が思っていたように、チップス先生も戦争は数週間で終わると生徒たちに話します。

チップス先生に会いに来たコリー2世(左)
青年になったパーキンス(右)

 しかし、予想に反して戦争は長引き出兵した卒業生や教師が戦死し、校長が講堂で全校生徒に報告します。そこに青年になったピーター・コリー2世が現れ、チップス先生に自分の出兵後に家を訪問して妻の話し相手になってくれるように頼みます。コリー2世を見送る為に外に出るとパーキンスが待っていました。コリー2世とパーキンスは新入生だった頃に取っ組み合いの喧嘩をしましたが、パーキンスは士官のコリー二世の部下で仲良くやっています。

校長就任を依頼する理事長(左)
校長室でキャサリンの写真に報告するチップス先生(右)

 帰宅すると理事長は待っていて、校長が軍隊に志願したのでチッピングに戦争が終わる迄校長になるように依頼されます。チッピングは申し出を受け、翌日校長室でキャサリンの写真を眺めながら“君が言った通り、校長になった”と写真のキャサリンに報告します。

戦地に向かう生徒たちを見送るチップス先生と軍人(左)
校長室でバートンに罰を与えるチップス先生(右)

 学校から出兵する生徒たちを見送るチッピングに、軍人が彼らは明日の将校だと言います。チッピングは、明日が来なければいいと返します。(イギリスの名門校の生徒は、ノブレス・オブリージュ<noblesse oblige>と云う道徳観に基づき、開戦時には国を守る為に志願して戦地に向かいます)画面が変わって校長室、教師に反抗的な態度を取ったバートンに罰を与えます。バートンは学校に残って教えている教師は臆病者だと思っていて反抗していましたが、教師全員は志願をしているが学校を守る為に残った教師がいる事を教えます。

チップス先生の家を訪問するコリー3世(左)
お茶を淹れて語り合うコリー3世とチップス先生(右)

 学校の教会でチップス先生はコリー2世の戦死を伝え、親友のドイツ語教師マックス・シュテフェルの戦死も伝えます。チッピングが帰宅すると終戦を知らせる電話があり、講堂で生徒たちに終戦を伝えます。終戦によりチッピングは臨時校長から元の生活戻ります。時が流れ83歳になったチッピングの家に新入生のコリ―3世が訪問して来ます。先輩の悪戯で訪問したコリー3世を家に入れて二人でお茶を飲みながら語り合います。以前、コリーに2世の家を訪問した時は赤ん坊だった子です。コリー3世が帰る時、チッピングは体調不良を感じ見送らずに椅子に座ったままです。コリー3世が、“さよならチップス先生”と言ってドアを閉めます。その言葉を耳にしたチッピングは、過去の出来事が思い浮かびますが体調が悪くなっていきます。

病床のチッピングを見舞う理事長と校長(左)
私には何千人もの子供がいると話すチッピング(右)

 画面が変わり病床につくチッピング、校長が見舞いに来ていて“子供がいればよかったのに”と話しています。その時、チッピングは“私には何千人もの子供いる”と言います。画面に今まで卒業した生徒たちの映像が流れ、最後にピーター・コリーが笑顔で“チップス先生、さようなら”と言って映画は終わります。

さようならを告げるピ-ター・コリー

 この映画は、ごく普通の教師の半生記を描きながら多くの事を学ばせてくれます。ヒューマン・ドラマであり、ラブ・ストーリーであり、反戦ドラマでもありますが、決して押し付けがましくなく自然に受け入れられると思います。これこそ名作です。是非、多くの方々に観て頂きたい映画です。手元に置いて、時々観て頂きたいと思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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発売元:ワーナー・ホーム・ビデオ

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース

Vol. 44 『チップス先生さようなら』の続きの続き

40歳代になったチッピング(左)   ハーグリーブスとチッピング(右)

 時は大きく流れ、チッピング先生は40歳代になり最古参の教師になっています。(中年になったチッピングは、表情も所作も話し方も変わっていて時間の経過が分かります。)終業式が終わり、生徒も教師も待望の夏休みに入ります。生徒たちは実家に帰省し、教師たちは旅行に出掛ける準備を始めます。チッピングは自分の部屋に向かう途中の道で、ハーグリーブスに会います。彼はチッピングが列車の中で声を掛けたら、突然泣き出した少年で20年振りの再会です。今年は寄宿生を監督する舎監になれるかも知れないと、チッピングは彼に話します。

チッピング舎監就任の話で盛り上がる教員室(左)
校長から舎監就任が無い事を伝えられるチッピング(右)

 教員室でもチッピングの舎監就任の話題で持ちきりです。教師たちが生徒から貰ったケーキを食べている時に、チッピングが入って来て一緒にケーキを食べ始めます。そこに校長先生の呼び出しがあり、皆は舎監就任の話だと励まします。しかし、校長からの話は優秀なギリシャ語教師のチッピングには煩雑な舎監ではなく、教師の仕事に専念して欲しいと言われ落胆して部屋に戻ります。

暗い部屋で呆然とするチッピング(左) 徒歩旅行に誘うステュフェル(右)

 暗い部屋に呆然としていると、友人のシテュフェルが入って来て一緒に旅行に行こうと誘います。チッピングは毎年訪れるハロゲットの宿で一人過ごすと言いますが、シテュフェルトはチロルからウィーンに一緒に徒歩旅行する事に決めてしまいます。

女性の声を聞きつけたチッピング(左) 危険な岩場を登るチッピング(右)

 その日の夜から二人は汽車でチロルに向かい、翌日チッピングは一人で山に登ります。登山途中で霧が出て来て待機していると、上の方から女性の声が聞こえたので無謀にも山を登り始めます。危険な岩場を登る途中で危うく落ちそうになり、杖を落としてしまいます。

上に辿り着いたチッピング(左)
サンドイッチを食べているキャサリン・エリス(右)

 やっと登ってみると、若い女性が岩に腰かけて平然とサンドイッチを食べています。助けを呼んでいると思って登って来たとチッピングが言うと、その女性はなんと無謀な人だと言います。命を落とすかも知れないのに心配して登って来てくれた事に彼女は感謝します。

一緒にサンドイッチを食べるチッピング(左)
楽しく語り合う二人(右)

 そして二人で岩に腰かけてサンドイッチを食べ、その女性キャサリン・エルスはチッピングに教師の素晴らしさを語り出します。女性と付き合う事の無かったチッピングは、自分の心の高揚に驚きながらキャサリンの話を聞きます。(このシーンのドーナットとガーソンの演技は自然で、恋した事の無い中年男と行動的で聡明な女性との素晴らしいやり取りが続きます。)

ドナウ川を眺めるチッピングとステュフェル(左)
2階のデッキでドナウ川を眺めるフローラとキャサリン(右)

 やがて霧が晴れて下山すると、チッピングの勇敢な行動を称えてホテルでパーティーを用意しますが、主賓のチッピングは怖気づいたかのように部屋に戻ってしまいます。キャサリンたちは翌朝出発してしまい落胆しつつ旅を続け、船のデッキでドナウ川を眺めているチッピングとシテュフェル。シテュフェルがドナウ川は茶色で青く無いが、チッピングには青く見えないかと尋ねます。丁度その頃、船の2階のデッキではキャサリンとフローラが同様の会話をしていて、キャサリンにはドナウ川が青く見えています。(このシーンの監督の演出は素敵です。)

踊るチッピングを見て驚くフローラとステュフェル(左)
楽しく踊るチッピングとキャサリン(右)

 先に船から降りたチッピングは、キャサリンを見付けて駆け寄ります。その日の夜、舞踏会に出席した二人は取り留めのない会話をしていますが、キャサリンが旅の一番の思い出は舞踏会で踊った事だと言います。チッピングはその言葉に狼狽しますが、勇気を振り絞って彼女と踊ります。(このシーンも二人の表情の変化が素敵で、このダンス・シーンは観ていて幸せな気持ちになります。)

言いたい事が言えないチッピング(左)
走りながらプロポーズをするチッピング(右)

 汽車で発つキャサリンを見送るチッピングは、言いたい事が言い出せないまま汽車が発車し始めた時、キャサリンが軽くキスをして乗車します。発車した汽車を追いかけながら、チッピングはキャサリンにプロポーズします。しかし、汽車はキャサリンと共に行ってしまい、もう会えないと絶望しているチッピングに親友のステュフェルが声を掛けます。“心配するな、教会の手配はしたから明日は結婚式だ”と言って二人で祝杯を挙げに行きます。

チッピング夫人の事をステュフェルに聞く教師たち(左)
チッピングと共に現れたキャサリン(右)

 画面が変わって学校の教員室、新聞でチッピングの結婚を知った同僚はステュフェルに、奥さんは器量が悪いんだろうとか最悪なんだろうとか言っています。そこにチッピングが奥さんを連れて現れます。奥さんを見た途端に全員の顔が笑顔になり、女性入室禁止の教員室なのに大歓迎で受け入れます。(このシーンは観ていて一緒に笑顔になります。それにしてもグリア・ガーソンの笑顔は素敵です。)

生徒たちにキャサリンを紹介するチッピング(左)
生徒たちをお茶会に招待するキャサリン(右)

 この時キャサリンが、チッピングを“チップス”と呼びます。それを聞いた同僚は、チッピングを“チップス”と呼ぶようになります。教員室を二人で出ると、キャサリンを一目見ようと教え子たちが集まっていました。キャサリンは教え子たちに、“先生は日曜にお茶会を開くから、皆来てね”と言い、戸惑うチップスに“4時だったわね”と言います。彼女の突然の提案に“ああ、そうだった”と言い、それから毎週お茶会は開催されます。

お茶とケーキで持成すキャサリン(左)
授業で冗談も言うようにアドバイスするキャサリン(右)

 お茶会の後、キャサリンはチップスに授業中に冗談も言って生徒たちと友達になるようアドアイスします。この先キャサリンは事ある毎にアドアイスし、チップスはドンドン変わっていきます。(なんと素敵な奥さんでしょう。グリア・ガーソンが登場するシーンを観ていると、幸福感に浸れます。)

舎監になった事を告げるチップス(左)
チップスの素晴らしさを伝えるキャサリン(右)
”セルブス”と言って乾杯する三人

 時は流れてクリスマス、生徒たちは帰省し始めチップスは今では生徒たちの人気者になっています。キャサリンがクリスマス・ツリーを飾り付けていると、チップスが慌てふためいて帰宅して舎監になったと言います。喜びあっている二人の許にステュフェルがシャンペンを持って現れます。そして3人で祝杯を挙げます。二人が山で出会った日の夜の様に“セルブス”と言って乾杯します。

出産が難しい状態だと聞かされるチップス(左)
妻が死んだ直後に授業を始めるチップス(右)

 画面が変わって翌年の4月1日、エイプリルフールの日にキャサリンは出産をします。しかし、出産は難産で母子共に亡くなってしまいます。(1890年頃の医学では細菌の存在は広く認識されていない為、出産は不衛生な状態で行われていたので母子共に死亡する事はよくあったようです。)その日生徒たちは、チップス先生にエイプリルフールの悪戯を皆で用意していました。腑抜け状態になったチップスは、そんな状態でも授業を行います。生徒たちの悪戯をチップス先生が喜んでくれると思っていましたが、期待は裏切られます。

チップス夫人が亡くなった事を伝える生徒(左)
教科書を読むコーリー(右)

 そこに遅れて一人の生徒が教室に入って来て、チップス夫人と子供が亡くなった事を皆に伝えます。チップスは授業を始め、コリーに教科書を読むように言います。(キャサリンが亡くなってから授業までのロバート・ドーナットの表情は、正に魂が抜けたように感じるものです。名優です。)

魂が抜けたようなチップス

 この映画でデビューして素晴らしい演技をしたグリア・ガーソンは、後に自分のキャリアに大きな影響を与える映画だとは思っていなかったと語っています。それが逆に気負いもなく自然な演技に繋がったのではないかと、思っております。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース

Vol.43『チップス先生さようなら』の続き

新任教師に学校の歴史を語る先輩教師(左
登校して来る生徒たち(右

 高く聳え立つ塔が映しだされた画面から始まり、ジョブサン・ブルックフィールドにある1492年創立のブルックフィールド校の校内が俯瞰で映しだされます。先輩教師が新任教師に学校の歴史の話をしています。やがて汽車が到着し、生徒たちが続々と登校して来ます。

講堂に集合した全校生徒(左
訓示の後、チップス先生が欠勤した事を伝える校長(右

 全寮制の寄宿学校なので生徒各自がベッドに荷物を置き、講堂に集合します。校長が新学年の訓示を全校生徒にし、今日は58年間無欠勤だったチップス先生が風邪で欠勤した事を伝えています。

83歳のチップス先生(左
ピーター・コリー3世と話すチップス先生(右

 その頃、道路では小走りで講堂に向かう83歳のチップス先生が登場します。白髪でふさふさの立派な口ひげを生やし、帽子を被って杖を持ち眼鏡を掛け、その眼はクリクリっとして愛嬌があります。額の皺や頬の皺、話し方も動きも如何にも83歳と思わせるような表情です。(現在の様に特殊メイクが無い時代ですから、ロバート・ドーナットは表情や動作の演技でカバーしています。モノクロ映画とは言え、お見事としか言いようがありません。)講堂に向かう途中で遅刻した新入生のドーゼット(ピーター・コリー3世)と出会います。二人が講堂に着いてドアを開けようとしたら錠が掛かっていて入れなので、その場で話をしながら待ちます。

次々と生徒から声を掛けられるチップス先生(左)
校長に抗議するチップス先生(右

 やがて講堂のドアが開き、生徒たちが続々と出て来てチップス先生に声を掛けます。生徒たちの声掛けに冗談で返す光景は、チップス先生が全校生徒の人気者である事がよく分ります。校長はチップス先生が登校してきたので驚き、体調を気遣いますがチップス先生は外出禁止の処置に不満を言います。

新任教師にアドバイスをするチップス先生(左
暖炉の前で転寝をチップス先生(右

 その時、新任の教師を紹介され彼はチップス先生の人気の秘訣を聞きます。そうなるには長い月日が掛かったが、“ある人”のお蔭だと彼に言います。新任教師は初めての授業に向かい、チップス先生は家に戻って暖炉の前の椅子に座って転寝をします。

駅のホームで先輩教師に声を掛けるチッピング先生(左
生徒たちと列車に乗り込んだチッピング先生(右

 画面が変わって22歳のチッピング先生(未だチップス先生とは呼ばれていません。)が、ブルックフィールド行きの汽車に乗る為に駅のホームを歩いている場面になります。(83歳のチップス先生から一転して若返り、実年齢34歳ながら22歳に変身しています。勿論、顔には皺も無く眼もキリッとした好青年で、画像を観ても驚くと思います。)ホームは汽車に乗る生徒たちで溢れかえっています。

生徒が突然泣き出して
困惑するチッピング先生

 生徒たちと共に汽車に乗って席に着くと、向かいの席の生徒が不安げに下を向いているので声を掛けると、その生徒は突然泣き出してしまいます。(この生徒の名はハーブリーブス、大人になってから登場します。)

先輩教師からアドバイスを受けるチップス先生(左
教室で帽子を巡って一騒動(右

 学校に着いたチッピング先生は、先輩の案内で自分の部屋に入り荷物を置いて校長室に向かいます。教員室で校長から先輩教師に紹介され、生徒たちが行う新任教師の洗礼に対する様々なアドバイスを受けます。教室に入ると早速生徒たちの悪戯が始まり、帽子を巡って一騒動あります。

生徒たちに罰を与える事を伝える校長

 生徒を席に着かせて課題の感想文を書かせますが、生徒たちはチッピングを困らせるような質問をし始めます。その内生徒たちが言い合いを始め乱闘になります。チッピングが仲に入って収めようとしますが、騒ぎに巻き込まれている最中に校長が教室に入って来ます。校長は生徒たちに罰を与える事を伝え、チッピングには校長室に来るように言われます。

クリケットの試合に勝つように檄を飛ばす校長(左
生徒たちに自習をさせる事を伝えるチッピング先生(右

 校長からは退職を勧められますが、もう一度チャンスをくれる様に頼み、威厳を持って厳しく生徒に接するようなります。しかし、大事なクリケットの対試合の日に生徒たちの態度が悪かったので、自習させる事にしたので主要メンバーが欠場して試合は負けてしまいます。

先生は大っ嫌いだと言うジョン-コリー

 生徒のジョン・コリーから母校が負けたのは悔しい、先生は大っ嫌いだと言われます。チッピングは、厳しく対応した事を大いに反省し、生徒と信頼関係を築く事の大切さを知ります。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース

Vol.42『チップス先生さようなら』

 今回ご紹介するのは、ジェームズ・ヒルトン原作の有名な『チップス先生さようなら』の初映画化されたもので日本では未公開作品です。主演はロバート・ドーナット、共演は映画初デビューのグリア・ガースン、サム・ウッド監督の1939年の作品です。物語の舞台は、架空の全寮制男子校のブルックフィールド校です。そこに就任した22歳の新任教師チャールズ・エドワード・チッピングの生涯を時の移り変わりと共に描かれた作品です。

発売元:ワーナー・ホーム・ビデオ

【スタッフとキャストの紹介】

サム・ウッド監督

 サム・ウッド(1883年7月10日~1949年9月22日)は、アメリカ合州国ペンシルベニア州フェラデルフィア出身の映画監督です。20世紀初頭に不動産ブローカーをしながら、チャド・アプリゲートの名で俳優をしていました。1915年からセシル・B・デビルの助監督からスタートして1919年からは監督になっています。大女優のグロリア・スワンソンやウォーレシ・リードが出演する映画を数多く撮っています。1927年にはMGMでマリオン・デイヴィス、クラーク・ゲーブル、ジミー・デュランテ等の映画を監督しています。ウッドは、同じシーンを20回くらい繰り返し撮影するので有名でした。

 1935年『マルクス兄弟オペラは踊る』、1937年『マルクス一番乗り』、1939年『チップス先生さよなら』、1940年『恋愛手帳』『我らの町』、1942年『打撃王』『嵐の青春』等を監督しました。1943年の『誰がために鐘は鳴る』は大ヒットしました。1944年『クーパーの花婿物語』『サラトガ本線』、1948年『戦略爆撃指令』、1949年『蘇る熱球』『アパッチ族の最後』等を監督しました。ウッドは1919年9月22日に心臓発作により、66歳で亡くなりました。

チャールズ-エドワード-チッピング役
ロバート・ドーナット(34歳)

 ロバート・ドーナット(1905年3月18日~1958年6月9日)は、マンチェスター・ウィシントン出身の舞台俳優で映画俳優です。ドーナットは、酷い吃音を治す為にジェームズ・バーナードの弁論レッスンを受けていました。15歳で学校を辞めて、バーナードの秘書として働きました。1921年バーミンガムのプリナス・オブ・ウェールズ劇場の「ジュリアス・シーザー」で舞台デビューし、その後も舞台の仕事を続けます。

 1932年『Men of Tomorrow』で映画デビューし、1933年『ヘンリー八世の生活』に出演して高い評価を受けます。キリっとした顔立ちと英国紳士らしい立ち振る舞いで、1934年『巌窟王』、1935年『三十九夜』『幽霊西へ行く』、1937年『鎧なき騎士』、1938年『城砦』等に出演しました。1939年『チップス先生さよなら』でアカデミー主演男優賞を受賞し、1948年『ウィンスロー少年』、1858年『六番目の幸福』では北京語で演じています等に出演しました。ドーナットは長い間喘息の発作に悩まされ、撮影が休止したり役を降りたりしていました。又、彼は映画出演のオファーが来ても断る事多く、アルフレッド・ヒチコック監督の『間諜最後の日』『サボタージュ』『レベッカ』のオファーを断っています。出演した映画は20本足らずですが、彼の演技の凄さは本作を観れば一目瞭然です。25歳のチップス先生から40歳代・60歳代・83歳まで、鬘とメイクに加えて顔の表情や立ち振る舞いを年齢に合わせて変えています。特に眼の演技と話し方は、一人の俳優が演じているとは思えない位です。(チップスは妻のキャサリンが彼を呼ぶ時の愛称で、チャールズ・エドワード・チッピングが本当の名前です。劇中前半では、チッピングと呼ばれています。)

キャサリン・エリス役
グリア・ガーソン(35歳)

 グリア・ガーソン(1904年9月29日~1996年4月6日)は、イギリスのロンドン出身のイギリス系アメリカ人の女優・歌手です。彼女は、キングス・カレッジ・ロンドンでフランス語と18世紀の文学を学び、グルノーブル大学の大学院を卒業しました。卒業後、レバー・ブラザーズのマーケティング部門で働きながら、1932年1月、27歳の時にバーミンガム・レパートリー・シアターで舞台デビューし、地元で舞台俳優をしていました。1937年5月14日、ロンドンのBBCテレビの生放送で、シェークスピアの「十二夜」に出演しました。彼女の舞台を観たルイス・B・メイヤーがスカウトし、1937年後半にMGMと契約しました。

 1939年『チップス先生さよなら』で映画デビューしました。この映画に出演した時は分からなかったが、後の自分のキャリアに大きく影響した事を知ったと語っていました。その後、1940年の『高慢と偏見』で、主演のローレンス・オリビエを相手に堂々とした演技を披露して注目されるようになり、1941年『塵に咲く花』に出演します。そして1942年の『ミニヴァー夫人』でアカデミー主演女優賞を受賞し、『心の旅路』や1943年『キューリー夫人』等で素晴らしい演技をする知的な美人俳優です。その反面、1948年の『奥様武勇伝』のようなラブ・コメディにも出演して歌や踊りも披露しています。1953年『ジュリアス・シーザー』、1955年『荒野の貴夫人』、1960年『ルーズベルト物語』、1966年『歌え!ドミニク』に出演し、1967年の『最高にしあわせ』が彼女の最後の映画出演でした。ガーソンは、晩年をダラスの長老派病院のペントハウス・スイートで過ごし、1996年4月6日に心不全の為91歳で亡くなりました。

コリー家の4世代の少年時代のピ-ター
テリー・キルバーン(13歳)

 テリー・キルバーン(1926年11月25日~)は、ロンドン出身の映画俳優・舞台俳優・舞台監督です。幼少期から有名人の物真似で寄席芸人として活動し、エージェントの勧めで1937年に母親と二人でアメリカのハリウッドに移住し、父親は翌年に渡米しました。エディ・カンターのラジオ番組に出演している時にスカウトされ、1938年の『海国魂』で映画デビューしました。1938年『クリスマス・キャロル』、1939年『チップス先生さようなら』に出演し、この二作ではラスト・シーンで物語を締めくくる最後の台詞を言っています。1939年『シャーロック・ホームズの冒険』、1940年『新・ロビンソン漂流記』、1944年『緑園の天使』等に出演しました。

 キルバーンは高校卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で演劇を学び、舞台に出演していました。彼はテレンス・キルバーンの芸名で、ブロードウィ・デビューし、1952年にジョージ・バーナード・シューの「カンディダ」に出演しました。1946年『黒馬物語』、1950年『海賊ブラッドの逆襲』、1951年『勇者のみ』、1958年『顔のない悪魔』等に出演し、最後の映画出演は1962年の『ロリータ』での端役でした。1970年から1994年までミシガン州ロチェスターのオークランド大学のメドウブルック劇場で芸術監督を務めました。

ピーター・コリー2世役
ジョン・ミルズ(31歳)

 ジョン・ミルズ(1908年2月22日~2005年4月25日)は、イギリスのノーフォーク州ノース・エルムハム出身の俳優です。彼はロンドン・バラムのグラマー・スクール、ベックルズのサー・ジョン・レマン高校、ノリッジ男子高校で学び、1929年ロンドンのヒポドローム劇場の舞台コーラスとしてデビューしました。アジア巡業中にノエル・カワード(イギリスの俳優・脚本家・監督・作曲家・作詞家等として知られる著名人)に出会い、1931年から彼の舞台劇の「ロンドンの壁」や「カヴァルケード」など彼の舞台に出演し、オールド・ヴィク座にもしゅつえんして舞台俳優のキャリア積みました。

 1933年には映画デビュー、1936年『友情と兵隊』、1939年『チップス先生さようなら』、1942年『軍旗の下』、1943年『潜水艦シー・タイガー』、1946年『大いなる遺産』、1948年『南極のスコット』、1949年『暁の出航』、1954年『ホブスンの婿選び』、1955年『潜水艦帰投せず』、1956年『戦争と平和』、1959年『追いつめられて…』、1960年『南海漂流』、1965年『クロスボー作戦』、1967年『砦のガンベルト』、1969年『素晴らしき戦争』等に出演しました。

 1970年『ライアンの娘』でアカデミー賞助演男優賞を受賞し、1978年『大いなる眠り』、1979年『ズール戦争』、1982年『ガンジー』、1986年『風が吹くとき』(声の出演)等に出演しました。映画と同時に舞台にも出演し、1970年代からはテレビにも出演していました。1976年にエリザベス2世より騎士の称号を授与されています。ミルズは2005年4月23日バッキンガムシャーのデナムで、脳卒中の為97歳で亡くなりました。

マックス・ステュフェル役
ポール・ヘンリード(34歳)

 ポール・ヘンリードは(1905年1月10日~1992年3月29日)は、オーストリア出身の俳優・映画監督・プロデューサー・作家です。ヘンリードは、ウィーンの全日制学校テレジアニッシェ・アカデミーで学びながら、出版社で働きました。彼は家族の反対を押し切って、ウィーンの劇場で演劇に出演していました。その後、演出家のマックス・ラインハルトの劇団で塗隊デビューしました。1930年代にドイツ映画でデビューし、1935年にオーストリア映画『郷愁』に出演しました。1935年にイギリスに渡り、1937年にロンドンで「ヴィクトリア・レジーナ」に出演しました。1938年ドイツ政府は、反ナチスの彼を“第三帝国の公式の敵”に指定して、ドイツで彼の全財産を没収しました。1939年第二次世界大戦の勃発により、敵国人として国外追放されそうになります。ドイツの俳優コンラート・ファイトの尽力で、イギリス政府は彼が滞在して働く事を許可します。

 1939年『チップス先生さよなら』に出演し、チップス先生の人生を変える切っ掛けを作る、親友のドイツ語教師のマックス・ステュフェルを演じ、1940年『ミューヘンへの夜行列車』に出演しました。同年、ヘンリードはニューヨーク市に移住しました、1941年にブロードウェイの舞台に出演しました。RKOと契約し、1942年『パリのジャンヌ・ダルク』で、ナチス占領下のフランスから脱出するイギリス空軍パイロットを演じました。1942年にワーナー・ブラザーズに移籍し、1942年『情熱の航路』に出演しました。ベティ・デイヴィスと共演して、ヘンリードが二本の煙草に火をつけてベティ・デイヴィスに一本を渡すシーンを演じました。このシーンは、後に多くの映画で模倣されました。『カサブランカ』では反ナチスの指導者ヴィクター・ラズロを演じました。イギリスで国外追放になりそうになった時に、助けてくれたコンラート・ファイトも出演していました。

 1944年『復讐!反ナチ地下組織/裏切り者を消せ』・『霧の中の戦慄』、1945年『海賊バラクーダ』、1946年『まごころ』・『愛増の曲』、1949年『欲望の砂漠』、1954年『我が心に君深く』、1959年『戦雲』、1965年『クロスボー作戦』等に出演しました。ヘンリードは、1946年にアメリカ合州国の市民権を得ています。1950年代初頭から映画とテレビ番組の両方の監督を始めました。1964年の『誰が私を殺したか?』やテレビ映画の「マーベリック」や「バージニアン」等を監督しています。1973年にはブロードウェイの舞台で、バーナーでオ・ショーの「ドン・ファン・イン・ヘル」に出演しています。1977年『エクソシスト2』が、ヘンリード最後の映画出演となりました。1992年に脳卒中を患った後に、カリフォルニア州サンタモニカで肺炎の為、84歳で亡くなりました。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。 

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.41 『生きるべきか死ぬべきか』の続きの続き

見知らぬ男に驚くヨーゼフ(左)  教授の事を中尉に伝えるマリア(右)

 ヨーゼフが帰宅すると妻のベッドに見知らぬ男が寝ています。「ハムレット」の舞台の途中で席を立った男だと分かり、“生きるべきか死ぬべきか”と台詞を言うとベッドの男は飛び起きます。ヨーゼフは彼に質問をし始めますが、そこにマリアが帰宅して教授が明日ゲシュタボに行く事を中尉に伝えます。何も分からないヨーゼフは質問を続けますが、マリアと中尉の会話は進みます。教授を殺害する必要がある事を理解したヨーゼフは、自分が殺害すると言い出します。

白紙に署名させるマリア(左)   自殺を思わせる文を書くマリア(右)

 マリアは教授の部屋を訪れシャンペンで乾杯して、教授に署名の筆跡で性格を調べると言って白紙に名前を書かせます。そこにゲシュタボ本部から兵士が来て、教授に同行するように言います。教授はマリアを部屋に残して、ゲシュタボ本部に向かいます。マリアは、署名された白紙にタイプライターで自殺を思わせる文を書いてベッドの枕に置き、帰宅しようしますが教授が来る迄部屋に監禁されます。

名簿を取り出す教授’(左)
名簿の写しがある事をドボッシュに伝えるヨーゼフ(右)

 教授を迎えるゲシュタボ本部は、劇場にゲシュタボ本部の看板を掲げて変装した劇団員が待ち構えてます。教授はヨーゼフが変装したエアハルト大佐に会い、地下組織メンバーの名簿を渡します。これで名簿奪還の作戦は終わる筈でしたが、ホテルのトランクの中に写しがある事が分かります。報告書を作成すると言ってヨーゼフは退室し、ドボッシュに写しがある事を伝え次の策を練るように言い教授の元に戻ります。

偽のエアハルト大佐を見破った教授(左)
レジスタンスに射殺された教授(右)

 ヨーゼフは時間稼ぎをしようとしますが、マリアと中尉の事を聞いて激怒した為に教授に正体を見破られます。教授はヨーゼフに銃を突きつけ、部屋から逃げ出します。劇団員が総出で教授を探し始め、教授は劇場の観客席から舞台へと逃げますが、レジスタンスに射殺されます。

偽の教授と知らず迎えに来た シュルツ (左)
偽の教授に媚びを売るエアハルト大佐(右)

 場面は変わってホテルの部屋で待つマリアの元に本物のゲシュタボが現れます。教授に変装したヨーゼフが帰宅すると、ゲシュタボのシュルツ大尉が直ぐエアハルト大佐が会いたいと伝えゲシュタボ本部に行きます。大佐は、総統と親しい教授に取り入ろうと色々話し掛けます。ここで大佐が話す事は、既に登場していた冗談で悪い方に話が展開します。偽教授と大佐の会話は、もの凄く面白いです。それに可哀そうなシュルツ大尉が会話に加わり、さらに面白くなります。(ナチスへの皮肉たっぷりのシーンです。)大佐は教授のロンドン行きの飛行機を手配しますが、教授が二人分を要求したので翌日マリアに合う事になります。

マリアに教授の死を伝える大佐(左)
教授の死体が発見された事を伝えるマリア(右)

 翌日マリアが大佐を尋ねると、教授が殺害された事を伝えられます。教授が死んだので、大佐はマリアと親しくなろうとします。マリアが退室した後、死んだ筈の教授から”少し遅れる“と電話が入ります。マリアはヨーゼフにゲシュタボが教授の死を知った事を伝えにホテルに行きますが、ヨーゼフは既にゲシュタボ本部に向かっていました。マリアは劇団員が集まっている所に駆け付け、ドボッシュに教授の死体が見つかった事を伝え、ヨーゼフを助けてくれるように頼みます。

ヨーゼフの作戦に引っ掛かった大佐(左)
ラウィッチ扮する偽親衛隊長がヨーゼフを連行する(右)

 場面が変わってゲシュタボ本部、教授に扮装したヨーゼフは本部の奥の部屋に通されます。そこには本物の教授の死体が椅子に座らされていました。ヨーゼフはポケットにあった予備の髭で細工をします。ヨーゼフは大佐を部屋に呼び入れます。ここからどっちが偽物かの探り合いが始まり、素晴らしい会話のやり取りで話は進みます。大佐はヨーゼフの作戦にまんまと引っ掛かります。ヨーゼフを本物だと思って帰そうとした時、劇団員扮する親衛隊の一団が現れます。親衛隊の責任者が、総統が到着した途端に陰謀が発覚したと言って大佐を責め、この教授は偽物だと言って髭を引っ張り正体を明かします。ヨーゼフは偽の親衛隊に連れ去られ、大佐は途方にくれます。

脱出作戦を話すドボッシュ(左)   親衛隊の中に紛れ込む劇団員(右)

 劇団員が集まってワルシャワから脱出出来ないと話している時に、ドボッシュが脱出作戦を思い付きます。ヒトラーが観劇に来るのを利用して、「ハムレット」で槍持ちをしていたグリーンバークを主役にした大胆な作戦です。劇団員は全員で稽古を始めます。

偽ヒトラーに演説をするグリーンバーグ(左)
偽ヒトラーに退出を進言するヨーゼフ(右)

 大勢の親衛隊の中に劇団員は紛れ込んで隠れます。劇場にヒトラーが現れ、舞台が始まる迄の合間にグリーンバークが廊下に飛び出し、例の台詞で演説をします。ラウィッチ扮する親衛隊隊長は彼を偽の親衛隊員に連行させ、不祥事が起こったのでブロンスキー扮するヒトラーにこの場を離れる様に進言します。偽親衛隊一行は車で空港に向かい、ヨーゼフは途中でマリアを迎えに行きます。しかし、ヨーゼフは付け髭を失くしてしまいマリアを迎えに行けなくなります。

マリアに言い寄る大佐(左)    ヒトラーが現れ恐れをなす大佐(右)

 一方、ヨーゼフの迎えを待つマリアの部屋に大佐は突然訪問して来ます。マリアがポーランド側のスパイ疑惑で質問をしますが、全て見事に交わされてシュルツ大尉が怒られて退室します。部屋に残った大佐は、マリアに言い寄り口説き落とそうとします。マリアは人が迎えに来るからと拒否して逃げ回ります。そこにブロンスキー扮するヒトラーが現れ驚愕する大佐。マリアが部屋を出た後、部屋から銃声一発と倒れる音、そして“シュルツ”の一声。劇団員全員が飛行機に乗りこみ、ドイツ軍のパイロットとソビンスキー中尉が交代してスコットに向かいます。ドイツ軍のパイロット二人は、皮肉たっぷりの面白い方法でいなくなります。

ハムレットを演じるヨーゼフ(左)    席を立つ見知らぬ若者(右)

 スコットランドに着いた劇団員は新聞記者達の取材を受け、ヨーゼフはイギリスの舞台で「ハムレット」を演じる事になります。観客席にはソビンスキー中尉もいます。ヨーゼフが例の台詞を話すと、席を立つ若者が現れます。ヨーゼフもソビンスキーもビックリで、映画は終わります。最後の最後まで楽しませてくれる、ルビッチ監督の最高傑作だと思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『生きるべきか死ぬべきか』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 99分

原題:TO BE OR NOT TO BE

監督:ルンスト・ルビッチ

製作:アレクサンダー・コルダ

脚本:エドウィン・ジャスタス・メイヤー

撮影:エオドルフ・マテ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:キャロル・ロンバード:マリア・トゥーラ

   ジャック・ベニー:ヨーゼフ・トゥーラ

   ロバート・スタック:ソビンスキー中尉

   フェリックス・ブレザート:グリーンバーク

   ライオネル・アトウィル:ラウィッチ

   スタンリー・リッジス:アレクサンダー・ツレッキー教授

   シグ・ルーマン:エアハルト大佐

   トム・デューガン:ブロンスキー

   チャールズ・ハルトン:ドボッシュ

Vol.40 『生きるべきか死ぬべきか』の続き

ワルシャワの街に一人で現れたヒトラー

 1939年8月、ポーランドのワルシャワから物語は始まります。ワルシャワの街に突然ヒトラーが一人で現れます。街中の人々が驚き、固まってしまいます。

舞台劇「ゲシュタボ」のワン・シーン(左)
ボランスキーに駄目出しをするドボッシュに抗議するグリーンバーグ(右)

 そこでナレーターが、”どうして彼が現れたか”と言って場面はゲシュタボ本部に変わります。しかし、このゲシュタボ本部は舞台劇のもので、本物ではありません。(この場面に登場する少年が言う冗談は、後ほど違う場面でも出て来ます。本作の題名の”生きるべきか死ぬべきか”も、後ほど度々出て来ます。先に使われた台詞が、全然状況の違う場面で云われる事によって、非常に面白い事になります。本当によく練られて書かれた脚本です。)その本部にヒトラーが登場して、軽い冗談めいた台詞を言います。勝手に台詞を変えた事を舞台演出家のドボッシュが怒り、ヒトラー役のブロンスキーに全然似てないと言って駄目出しをします。そこでブロンスキーは、自分はヒトラーそのものだと言ってワルシャワの街に出て行き、誰にも見破られない事を証明しようとした訳です。

偽ヒトラーのボランスキーに
サインを求める少女

 ヒトラーに扮したブロンスキーの周りを群衆が囲む中、一人の少女がヒトラーに近寄り”ブロンスキーさん、サイン下さい。”と言ってサインして貰います。大人は全員、彼の服装とチョビ髭でヒトラーだと思い込みましたが、この少女だけがこのヒトラーは役者が扮装している偽物と気付いていた訳です。

槍持ちに扮した
グリーンバーグとボランスキー

 画面が変わって劇場で上演されている「ハムレット」のポスターが映しだされます。楽屋から出て来たブロンスキーとグリーンバークは、槍持ちの扮装で愚痴を言い合ってます。グリーンバークは、得意の「ベニスの商人」の台詞を言い、ブロンスキーが褒め称えます。(この二人、舞台では槍を持っている役しか貰えませんが、後半で大役を与えられます。)

ハムレットを演じるヨーゼフ(左)
台詞を聞いて席を立つソビンスキー中尉(右)

 座長のヨーゼフ・トゥーラが楽屋から出てきて、電話でサンドイッチとビールを注文します。そこに妻のマリアが現れ、二人の面白い会話が続きます。楽屋でマリアが椅子に座って鏡に向かっていると、ヨーゼフが現れ3日間贈られて来る花を見て、誰からの贈り物か問い質します。マリアが曖昧な返事をしている時に、ヨーゼフは出番になって舞台に向かいます。ここでマリアと付き人のおばさんが花の送り主の話をしていると、その送り主からの会いたいと云う手紙が届きます。マリアは付き人に言い訳がましい事を言いながら、ハムレットが”生きるべきか死ぬべきか”の台詞を言った時に楽屋に来るように返事を書きます。舞台でハムレットが登場して台詞を言った途端に、花の贈り主であるソビンスキー中尉は堂々と席を立ちます。(この出来事が、大物俳優のヨーゼフ・トゥーラを悩まし続けます。)喜び勇んで中尉は、マリアの待つ楽屋に向かいます。中尉はマリアの舞台は全部観ているし、雑誌の記事も読んでいるので色々質問をします。マリアは調子を合わせているだけですが、中尉は有頂天です。彼は爆撃機のパイロットで、翌日空港で爆撃機を見せる約束をして楽屋を出ます。入れ替わりにヨーゼフが入って来て、舞台の途中で客が席を立ったので酷く落ち込んでいます。マリアは素知らぬ顔で、ヨーゼフを慰めます。

マリアに求婚するソビンスキー中尉(左)
戦争が始まった事を知るヨーゼフ(右)

 画面が変わって舞台劇「ゲシュタボ」の稽古中、全員がラジオでヒトラーの演説を聞いています。そこに外務省のボヤルスキー博士が現れて、「ゲシュタボ」の舞台公演中止を伝えます。それで再び「ハムレット」を講演する事になりますが、ハムレットが台詞を言うと昨日と同様に中尉が席を立ちます。楽屋に入った彼は、マリアに結婚しようと言い出します。困惑するマリアの事はお構いなしに、彼はヨーゼフに二人の結婚話をすると言い出します。そこに付き人のおばさんが、新聞を手に戦争が始まったと言って楽屋に入って来ます。彼はマリアに別れを告げて基地に戻ります。ドボッシュ達も戦争が始まったと言って楽屋に入って来ます。そこに客が席を立った事に怒り狂ったヨーゼフが入って来ます。ドボッシュと噛み合わない怒鳴り合いになり、ヨーゼフは皆の話から戦争が始まった事を知ります。

破壊されたワルシャワの街(左)   瓦礫の中を更新するドイツ兵(右)

 その時、空襲警報が鳴り空爆が始まります。観客は劇場から逃げ出し、団員は地下室に逃込みます。空爆によりワルシャワは破壊されて瓦礫の山となり、そこをドイツ軍兵士が行進していきます。それを漠然と見るワルシャワ市民、この場面からルビッチ監督の思いが描かれています。

エアハルト大佐によるゲシュタボのポスター(左)
グリーンバークは「ベニスの商人」での台詞を語ります(右)

 街にはエアハルト大佐によるゲシュタボのポスターが張られます。ブロンスキーとグリーンバークのコンビが登場し、グリーンバークは例の台詞を語ります。しかし、ここからワルシャワ市民のレジスタンス活動も始まり、ポーランドの若い兵士は英国空軍に入り飛行機での反撃が始まります。

歌う兵士たちの中にいる教授(左) 教授にマリアへの伝言を頼む中尉(右)

 ロンドンの空軍基地で、ポーランドの兵士が歌っている中にシレッキー教授がいます。彼は兵士たちにワルシャワに行く話をすると、兵士たちは危険だから止める様に言います。教授は極秘の任務があるから行かなければならないと言い、兵士たちの家族の住所を教える様に言います。中尉は、教授にワルシャワにいるマリア・トゥーラに伝言を頼みます。伝言は例の台詞です。処が教授は、ワルシャワで有名なマリアの事を知りません。その後兵士たちは家族の住所を書いた紙を教授に渡します。

軍情報部に教授の事を伝える中尉(左)  v教授の写真を靴に仕込む(右)

 翌日ソビンスキー中尉は軍情報部に行き、シレッキーは疑わしい人物だと伝えます。ワルシャワでは誰でも知っているマリア・トゥーラを知らないので、ワルシャワ行きを止めて欲しいと伝えます。教授は既に船で出発しているので中尉は飛行機で移動し、地下組織に渡す教授の写真を持参させ、住所が書かれた名簿を回収する様に命令します。

不審者を追跡するドイツ兵(左)   ドイツ兵に発見された中尉(右)

 対空砲火の中、中尉はパラシュートでワルシャワ郊外に着地し、ドイツ兵の追跡を交わし乍ら逃げ回ります。写真を受け渡しする場所のシュタルガ書店(レジスタンスとの中継場所)まで辿り着きますが、ドイツ兵に見つかりその場から逃げ去ります。

本に写真を挟んで店主に渡すマリア(左)
写真を確認し、指令を読む店主(右)

 画面が変わり同じ書店の前に、マリアが登場します。店内にはドイツ兵が二人、マリアは店主に「アンナ・カレーニナ」(『桃色‘ピンク』の店』でも登場した本です)の本を見たいと言います。ページを捲りながら150ページに教授の写真を挟みます。本の価格を聞き、高すぎて変えないと言ってマリアは店を出ます。ドイツ兵が帰った後に店主は奥の部 屋へ行き、教授の写真を見て裏面に書かれた指令を読みます。

ドイツ兵に連行されるマリア(左)
マリアにスパイになるように進言する教授(右)

 マリアが帰宅するとドアの前にドイツ兵がいて、教授がいるホテルに連行されます。彼はマリアに中尉の伝言を伝えます。その時電話に出た彼の会話からゲシュタボの手先である事を知ります。彼はマリアにドイツのスパイになるように勧めます。マリアは即答せずに、ディナーの招待を受けて帰宅します。

次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『生きるべきか死ぬべきか』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 99分

原題:TO BE OR NOT TO BE

監督:ルンスト・ルビッチ

製作:アレクサンダー・コルダ

脚本:エドウィン・ジャスタス・メイヤー

撮影:エオドルフ・マテ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:キャロル・ロンバード:マリア・トゥーラ

   ジャック・ベニー:ヨーゼフ・トゥーラ

   ロバート・スタック:ソビンスキー中尉

   フェリックス・ブレザート:グリーンバーク

   ライオネル・アトウィル:ラウィッチ

   スタンリー・リッジス:アレクサンダー・ツレッキー教授

   シグ・ルーマン:エアハルト大佐

   トム・デューガン:ブロンスキー

   チャールズ・ハルトン:ドボッシュ