Vol.58 『暗い鏡』の最終章

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ルースをデートに誘うスコット(左)   ルースを動揺させるテリー(右)

 診療所でテリーが自由連想法の検査を受けています。スコットの質問の中で「死」と云う問いにテリーは「鏡」と答え、それからは自分のミスを隠すように答えます。その日の検査が終わってから、テリーはスコットをデートに誘い、全ての検査が終わってからデートする約束をします。別の日、ルースの検査が終わって家の前まで送って来たスコットは、ルースに検査が終了したらデートして欲しいと言います。ルースは快諾し二人はキスをしますが、二階の窓からテリーが見ていました。帰宅したルースが明かりの消えた寝室に入ると、テリーはベッドで横になっていました。ルースが洗面所で着替えている時に、テリーは睡眠薬を2錠飲むように言います。ルースは飲まないと言うと、寝ている時に話したり泣いたりするとテリーが言い、昨日は泣いていたから起こしたと言います。ルースは知らないし覚えていないと言いますが、テリーは何か恐れているみたいだったと言います。テリーはさり気なくスコットとの事も聞き、それからルースに何を恐れているのかと聞きます。ルースが見当もつかないと言いますが、私はどうしようと言っていたと言い、テリーは双子の一人は異常者だと言います。ルースは否定しますが、動揺を抑える為に睡眠薬を飲む事にします。(このシーンは特撮で、鏡台の前に座っているルースと鏡に映ったテリーが会話します。)

うそ発見器の検査を受けるテリー(左)
部屋の中が光ったと言って飛び起きたルース(右)

 検査も終わりに近づき、テリーはうそ発見器を使った検査を受けます。ここでスコットは、以前ルースとボーイフレンドを別れさせた時の話を質問します。スコットの質問にテリーは嘘の作り話をしますが、針の動きで嘘が明確に分かります。画面が変わってコリンズ姉妹の寝室、テリーは寝ているルースの様子を伺い、ベットの横の電気スタンドを一瞬点けます。ルースは驚いてテリーの名を呼んで起き上がり、部屋がピカッと光ったと言います。テリーは夢を見ただけだと言いますが、ルースは気が変になりそうと言って怯えます。テリーはルースを宥めて眠るように言います。

テリーの検査結果を警部補に伝えるスコット(左)
ルースを食事に誘うスコット(右)

 画面が変わって、診療所でスコットは警部補にテリーが犯人だろうと言います。テリーは病んでいて精神レベルは2歳程度で、善悪の判断がつかないと言います。警部補は逮捕には決定的な証拠が必要だと言い帰宅します。帰り際に警部補は、テリーの事をルースに伝えるようにスコットに言い、貴方も気を付けるよう言います。スコットは早速ルースに電話をし、テリーに内緒で会おうと言い、11時に会う約束をします。処が電話を切った直後にルースが訪問して来て、電話に出たのはテリーだと気が付きます。スコットはルースを食事に誘い出掛けます。食事が終わり帰る時に、スコットは警部補に電話をして自分が囮になると言い、10時半ごろ電話をすると言って電話を切ります。

 ルースが帰宅するとテリーは何処に行っていたのかと聞き、スコットと一緒だったかと聞きます。ルースは、一人で散歩していたと嘘を言います。テリーは踊りに行くと言って出掛けますが、その時チェストからルースのハンドバッグをこっそり持って行きます。スコットの家を訪れたテリーは、ルースを演じる手始めにソファーの上にルースのハンドバッグを落としたりします。スコットは重要な話があって君を呼んだ、実はテリーは精神の病に侵されている。危険な状態になっているから、早く治療する必要がある。テリーを説得して欲しいと言います。(この場面のスコットとテリーの演技は素晴らしいです。淡々と話すスコットと、話が進むに従って表情が変わって行くテリーとの、緊張感に溢れる演技のぶつかり合いです。)スコットはテリーの人格が歪んでしまった理由を説明し、危険な状態だから説得するように言います。ルースを演じているテリーは、治療をテリーが拒んだらとスコットに言います。そこでスコットは、”テリー”君が拒んだら殺人犯とその動機を警察に伝えると言います。スコットは事件当日の出来事をテリーに話して、治療するように説得しますが、テリーは断ります。その時電話が鳴り、スコットが電話に出ると警部補から大変な連絡を受けます。スコットが背を向けている時にテリーは机の上のハサミを見付け、手袋を着用し始めます。(殺意を感じる緊張したシーンです。)電話を切ったスコットが振り返り、ルースが死んだとテリーに言います。

自分はルースだと言ってテリーがペラルタ医師を殺害したと言います(左)
鏡に映ったルースを睨みつけるテリー(右)

 画面が変わって、テリーの家には警部補と刑事と検視官がいて、警部補はテリーを慰めます。テリーは泣き崩れ、泣きながらルースの自殺の原因を話し始めます。罪悪感に悩んでいて、彼女は解放されたんだと言います。テリーの表情が徐々に変って自分はルースだと言い出し、テリーは異常者でペラルタ医師を殺したと言って犯行の動機を話します。警部補が貴女はテリーでしょうと言いますが、テリーは私がルースと言います。そこに隣室にいたスコットが現れ、警部補に彼女はテリーだと言います。警部補はスコットに証明できるか尋ねると、スコットが出来ると言っている時に、隣室にいたルースが現れます。鏡に映るルースを見たテリーは、灰皿を掴み鏡に向かって投げつけます。(この時のテリーの表情は、鬼気迫るもの凄い表情で別人かと思うくらいです。)

警部補はテリーに自白させる為に策を練った事をスコットに謝罪します(左)
スコットはテリーに煙草入れをプレゼントします(右)

 画面が変わってスコットの家、警部補がルースと一芝居うった事を謝罪します。警部補 はルースがテリーに殺されると思い、ルースの家に行った時に思い付いたと話します。スコットは隣室にいるルースに食事を運びます。そのトレーには食事と一緒にオルゴール付き煙草入れがあり、ルースにプレゼントします。(今と違って昔の映画では、男女共に喫煙するシーンが多いです。余談ですが、日本では煙草のニコチンが悪者になっていますが、認知症の治療にニコチンが使われています。身体に悪いと言われているは過酸化水素ですが、免疫機能が正常であれば体内で分解されます。)最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

「サスペンス映画コレクション 野望の世界」
『真昼の暴動』、『拾った女』、『拳銃貸します』、『ブロンドの殺人者』、『暗い鏡』が入ったお得な10枚セットです。
 発行:コスミック出版 本体1,800円+税

『暗い鏡』作品データ

1946年製作 アメリカ 85分
原題:The Dark Mirror

監督:ロバート シオドマク

脚本:ナナリー・ジョンソン

原作:ウラジミ・ポズナー

製作:ナナリー・ジョンソン

撮影:ミルトン・クラスナー

音楽:ディミトリ・ティオムキン

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド:テリー・コリンズ

   オリヴィア・デ・ハヴィランド:ルース・コリンズ

   リュー・エアーズ:スコット・エリオット医師

   トーマス・ミッチェル:スティーブンソン警部補

   リチャード・ロング:ラスティ

   ゲイリー・オーウェン:フランクリン

Vol.57 『暗い鏡』の続き

電気スタンドが倒れた室内(左)   ナイフで殺されたペラルタ医師(右)

 タイトル画面の背景はインクブロット検査(インクを落とした紙を半分に折って出来た模様を使って精神分析をする検査です。)の模様が表示されていて、その上にクレジットが流れます。窓から見える夜景の画面から、カメラは横に移動して22時50分を指す時計が映されます。カメラは再び横に移動して、隣の部屋の中で倒れた電気スタンドがあり、部屋の中に入ると割れた鏡が映されて、背中にナイフが刺さった男が床に倒れています。殺人現場からの導入で、非常に簡潔にその部屋で起こった事が分かる手際の良い演出です。

テリーに犯行時刻のアリバイを聞く警部補(左)
テリーを抱き上げるエリオット医師(右)

 画面が変わってスティーブンソン警部補が、犯行があったアパートの住人や関係者からの証言を聴取します。被害者フランク・ラベルタ医師の秘書の証言から、医療ビルの売店の売り子テリー・コリンズを容疑者と断定します。医療ビルの売店にアパートの住人二人を連れて行き、容疑者の確認をします。二人の証人から犯行時間頃に見かけたのは、テリー・コリンズだと確証を得て警部補は彼女に会いに行きます。しかし、彼女は20時から公園に散歩に出ていて、その時数人の人と会い23時30分頃帰宅したと証言します。そこで警部補は、ラベルタ医師が殺された事を彼女に伝えます。それを聞いた彼女は歩き出しますが気を失い、スコット・エリオット医師に抱きかかえられて彼の診療室に運び込まれます。

テリーに昨夜のアリバイを聞くスティーブンソン警部補(左)
【テリーとルースに昨夜のアリバイを聞く警部補(右)

 警部補はテリーのアリバイを確認する為に、散歩中に会った二人と公園で話した三人の証言から、彼女のアリバイが完璧であると知ります。署に戻った警部補は、スコットの診療所にいる刑事に電話をして、彼女の拘束を解くと伝えます。警部は殺人事件が起きた時刻に、殺人現場から7㎞離れた公園に同一人物が存在する事に困惑します。そこで警部補は、テリーからもう一度話を聞く為に彼女の家を訪問します。警部補は貴方のアリバイは完璧ですと言い、彼女は事実だから当然ですと答えます。警部補は彼女に煙草を勧め、被害者のペラルタ医師との関係を聞きますが、必要な情報は得られません。テリーは警部補にもう遅いから帰るように言っている時、隣の部屋から“テリー”と呼びかける声がします。その声を聞いて警部補がその部屋のドアを開けると、そこにはもう一人のテリーがいます。彼女は姉のルースで、警部補は同一時刻に別の場所に同じ人間がいた訳が分かります。コリンズ姉妹は医療ビルではテリー・コリンズと名乗り、二人は時々入れ替っていました。そこで警部補は公園にいたのはどっちかと尋ねます。テリーの答えは、一人は公園で一人は家で寝ていたと答えます。警部補はテリーと言い合いになり、ルースに家にいたのはどっちか尋ねますが、ルースの答えは一人は公園で一人はと言った処で、警部補はどっちなんだと言います。それでは二人とも逮捕するか言うとテリーが反論し、話は収拾がつかなくなりテリーは警部補を帰します。

面通しを受けるコリンズ姉妹(左)
双子の姉妹を見て唖然とする証人たち(右)

 画面が変わって警察署では凶器のナイフから指紋が出ないので、ヒル判事にコリンズ姉妹への殺人容疑の令状を請求します。翌日警察署に証人を集めて、容疑者の所謂面通しを行います。最初にルースが出てきて、それを見た証人の一人は彼女に名違いない、一万人出てきても分かると豪語します。次にテリーが登場すると、全員唖然とします。

テリーに双子の姉がいたのを見て驚くスコットとラスティ(左)
双子のルースとテリー(右)

 画面が変わって別室でスコットとラスティが待機していて、呼ばれて二人は部屋に入り、テリーには双子の姉がいる事を知り二人は驚きます。判事はラスティに、事件当日売店の売り子とペラルタ医師が口論していたのを目撃したか聞き、ラスティはそうですと答えます。次に判事はスコットに、あなたは双子の研究をされていますねと言い、双子は精神や肉体に欠陥があるかと尋ねます。スコットは、それは迷信ですと否定します。続けて判事は、事件当日ペラルタ医師に会った時に話をしたか聞きます。スコットは、二重人格について聞かれたと答えます。判事が二重人格は危険かと聞くので、危険ですと答えます。

判事の質問に答えるスコット(左)   コリンズ姉妹を解放する検事(右)

 判事はペラルタ医師が朝テリーと喧嘩をしたが、今夜大事な話があると言っていたと伝えます。判事は事件当日会ったのは二人のどっちか聞きますが、スコットは分からないとと答えます。結論が出ないままスコットとラスティは帰され、コリンズ姉妹は隣の部屋に移されます。警部補は判事に見逃すのか聞きますが、判事は犯人を特定出来ないので逮捕する事は出来ないと言います。コリンズ姉妹を再び部屋に入れ君達のどちらかは冷酷非情な殺人者だが、遺憾ながら逮捕する事は出来ないと言って二人を帰します。(このシーンでのテリーとルースの表情を見て頂きたい、勝気なテリーと内気なルースを見事に演じ分けています。)

スコットにコリンズ姉妹の調査依頼をする警部補(左)
【コリンズ姉妹に双子の研究協力を依頼するスコット(右)

 画面が変わって、スコットの家を警部補が尋ねて来ます。警部補は双子事件の話を始めると、スコットが捜査は終了したのでは無いかと言います、警部補は個人的に動いていると言い、完全犯罪が成立するのが不愉快だと言い、二人を調べて欲しいと言います。スコットは断りますが、殺人者と無実の人間が一緒では口封じに殺されるかも知れないと言います。スコットは、警部補の説得に応じコリンズ姉妹の人格と個性を調べる事にします。(このシーンでの警部補の表情の変化は、流石といった演技です。)スコットはコリンズ姉妹の家に行き、自分の研究の為に謝礼を出すので協力して貰えないかと頼みます。二人は殺人事件の容疑者として新聞に載り、仕事に就けない状態になっていました。最初ルースは拒否しますが、テリーがルースを説得して彼の依頼を受けます。

インクブロット検査を受けるテリー(左)
インクブロット検査を受けるルース(右)

 画面が変わって夜間のスコットの診療所、テリーが検査の為に訪れます。先ずは性格を分析する為に、インクブロット検査から始まります。紙にインクを落として半分に折って広げた模様を見て、何に見えるか答えて行きます。別の日の昼間に今度はルースが診療所を訪れ、過去の養子縁組の話をします。養子は一人でテリーが選ばれなかったので、ルースはその家から出て行ったと言います。スコットは話を聞きながら、インクブロット検査をします。同じ模様を見ても、当然二人の答えは全然違います。夜ルースが帰宅すると、テリーが夕食の準備をしていて遅い帰宅の事を尋ねます。ルースはスコットと話をしていたと楽しそうに言います。テリーはスコットを未だ信じていないので、気を付けるようにとルースに言います。その頃、スコットは二人の精神分析を行い、重大な事を発見します。直ちにスコットは警部補に会い、精神分析結果で一つ分かった事がある。一人は異常者で、非常に頭は良いが正気じゃないと伝えます。

自由連想法の検査を受けるルース(左)
ルースに私を疑っていると言うテリー(右)

 画面が変わって、診療所でルースが自由連想法の検査をします。質問された言葉に素早く思い付いた言葉を言う検査で、人格を調べる為に行うものです。検査が始まって、「鏡」と云う問いにルースは「死」と言い、彼女は一瞬驚きます。その後、検査は最後まで続きます。帰宅後、ルースがその話をするとテリーは私を疑っていると言って、怒って隣の部屋に行きます。ルースは疑っていないと言いながら、テリーを追いかけて隣の部屋に行きます。テリーはルースに睡眠薬を飲んでいるか尋ねます。あの事件以来眠れないから飲んでいると言い、あなたも飲んでいるでしょうと言います。その時テリーは警察に言っていない事が一つあると言い、ルースに警察に電話したいならするように言います。そして、私を疑ったらどうなるか分からないと言います。(このシーンではテリーとルースが同一画面に登場します。窓際に立つテリーは後ろ姿か、正面を向いた時の顔は影になって見えません。)

次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『暗い鏡』作品データ

1946年製作 アメリカ 85分
原題:The Dark Mirror

監督:ロバート シオドマク

脚本:ナナリー・ジョンソン

原作:ウラジミ・ポズナー

製作:ナナリー・ジョンソン

撮影:ミルトン・クラスナー

音楽:ディミトリ・ティオムキン

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド:テリー・コリンズ

   オリヴィア・デ・ハヴィランド:ルース・コリンズ

   リュー・エアーズ:スコット・エリオット医師

   トーマス・ミッチェル:スティーブンソン警部補

   リチャード・ロング:ラスティ

   ゲイリー・オーウェン:フランクリン

Vol.56 『暗い鏡』

発売元:ブロードウェイ

 今回ご紹介するのはミステリー映画ですが、オリヴィア・デ・ハヴィランドの一人二役の素晴らしい演技を見て頂きたい作品です。一人二役の俳優が同一画面に登場する映画は沢山あります。本作では、ソファーに座る一人二役のオリヴィア・デ・ハヴィランドが、もう一人のオリヴィア・デ・ハヴィランドの頭を抱きかかえるシーンがあります。フィルム撮影では不可能で、どうやって撮影されたのか一瞬驚く場面です。一人二役の映画を撮る時は、必ず代役を演じる俳優さんが必要です。二人が対話するシーンでは、カメラは一人を背中越しに撮りもう一人は対面状態で撮ります。このシーンで背中を向けているのが代役の俳優さんです。この頭を抱えているシーンでは、代役の横顔だけが見えています。眉毛や目の輪郭はメイキャップでカバー出来ますが、耳の形や耳穴の形が違いますし、唇の形状も違うように思います。以前日本映画で、一人二役の俳優が握手をするシーンを観た事がありました。大曾根辰夫監督の1952年の『魔像』で、主役の坂東妻三郎が一人二役を演じた映画です。ラスト・シーンで二人が握手をしますが、耳の形状と口回りが違うように感じました。CGを使える現在と違い、実写で同時に同じ人間を撮影する方法は無いと思っております。これは私の憶測ですが、如何でしょうか。ご興味が湧いた方は是非DVDでご確認下さい。

テリーは正面から写しますが、ルースを写す時は左側の横顔だけです

【スタッフとキャストの紹介】

ロバート・シオドマク監督

 監督はフィルム・ノアールの巨匠と言われているロバート シオドマク(1900年8月8日~1973年3月10日)です。彼はドイツのドリスデン生まれの映画監督です。マールブルク大学卒業後、ドイツ国営映画会社のウーファー社に入社して助監督・脚本家として活動を始めます。1930年にはビリー・ワイルダーと組んでコメディを監督し、その後スリラー映画を監督します。ナチス政権が樹立した頃の1933年にパリに移り、コメディ・ミュージカル・ドラマと様々なジャンルの映画を監督します。仕事は順調でしたが、ナチスのパリ侵攻前の1938年にカリフォルニアに渡ります。1941年にパラマウント映画で2年間、1943年にはユニバーサル・スタジオで7年間映画監督として活躍し、1940年代にはアルフレッド・ヒッチコックやフィリッツ・ラングと並ぶスリラー映画の代表的な監督となります。主な作品は、1936年『フロウ氏の犯罪』、1944年『幻の女』・『コブラ・ウーマン』、1945年『容疑者』『らせん階段』、1946年『暗い鏡』『殺人者』・1948年『都会の叫び』、1949年『裏切りの街角』、1952年『真紅の盗賊』・1967年『カスター将軍』等です。ロバート・シオドマクは、1973年3月10日にスイスのロカルノで心臓発作の為、72歳で亡くなりました。。

ナナリー・ハンター・ジョンソン

 製作と脚本を担当したのは、ナナリー・ハンター・ジョンソン(1897年12月5日~1977年3月25日)です。彼はジョージア州コロンバス生まれのアメリカの脚本家・映画製作者・映画監督・劇作家と多才な方です。1927年から1967年の間に50本位以上の脚本を書き、その半分以上を製作してその内の8本を監督しています。彼はジャーナリストとして数社の新聞に寄稿していましたが、1927年に『ラフ・ハウス・ロージー』の脚本を書き脚本家としてスタートしました。1935年に20世紀フォックスに脚本家として雇われ、映画の製作もするようになります。1943年にはウィリアム・ゲッツと共同でインターナショナル・ピクチャーズを設立しています。彼が手掛けた映画で有名な作品は、1940年『怒りの葡萄』の脚本、1956年『灰色の服を着た男』の脚本と監督です。その他に1936年『虎鮫島脱獄』、1939年『地獄への道』等の脚本を書きました。1941年『タバコ・ロード』では脚本と製作、1944年『飾窓の女』、1945年『無宿者』、1946年『暗い鏡』、1950年『拳銃王』、1951年『砂漠の鬼将軍』と1952年『謎の佳人レイチェル』と1953年『百万長者と結婚する方法』では脚本と製作をしました。1954年の『夜の人々』では監督・脚本・製作をしました。1960年『燃える平原児』、1967年『特攻大作戦』等の脚本です。ジョンソンは、1977年3月25日にハリウッドで肺炎の為、79歳で亡くなりました。

ディミトリ・ティオムキン

 ディミトリ・ティオムキン(1895年5月10日~1979年11月11日)は映画音楽の作曲家・指揮者で、本作の音楽を担当しています。彼はウクライナのクレメンチューク生まれです。サンクトペテルブルク音楽院を卒業後は、ロシアのサイレント映画でピアノ伴奏して生計を立て、ピアニストになる為にピアノを学びます。ロシア革命後、父親と共にベルリンに移住し、ピアノを学びながらクラシック音楽やポピュラー音楽を作曲もしました。その後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でピアニストとして演奏デビューします。1925年にアメリカに移住し、ニューヨークで演奏活動を続けます。1929年10月の株式市場の暴落によりニューヨークでの仕事が激変し、ハリウッドに移ってMGMのミュージカル映画の音楽を担当するようになります。ノン・クレジットの場合もありましたが、1933年『不思議の国のアリス』で本格的に映画音楽を担当しました。1937年に腕を骨折し、ピアニストに復帰出来ない怪我の為、映画音楽の作曲に専念する事になります。ティオムキンは、1937年にアメリカの市民権を得ます。

 フランク・キャプラ監督との仕事が多く、1937年『失われた地平線』、1938年『我が家の楽園』、1939年『スミス都へ行く』、1941年『群衆』、1946年『素晴らしき哉、人生』の音楽を担当しています。彼が担当した映画は主な作品だけでも80作はあります。1956年『ジャイアンツ』『友情ある説得』、1957年『OK牧場の決斗』、1959年『リオ・ブラボー』、1960年『アラモ』、1961年『非情の町』、1963年『北京の55日』、1964年『ローマ帝国の滅亡』等です。1953年『真昼の決闘』、1955年『紅の翼』、1960年『老人と海』でアカデミー賞を受賞しています。『真昼の決闘』の公開時は、興行成績が悪かったので早々に公開は終わりました。ティオムキンはテーマ曲の版権を買い取り、フランキー・レーンに歌わせてシンブル・レコードを発売しました。曲は大ヒットしたので、ユナイテッド・アーチスト社はテックス・リッターに主題歌を歌わせて、4か月後に映画の上映を再開しました。TV映画の「ローハイド」や「ガン・スリンガー」のテーマ曲も担当しています。ディミトリ・ティオムキンは、1979年に転倒して骨盤を骨折した2週間後に、イギリスのロンドンで亡くなりました。84歳でした。

テリー-コリンズとルース-コリンズ役
オリヴィア-デ-ハヴィランド(30歳)

 テリー・コリンズとルース・コリンズの二役を演じるのは、オリヴィア・デ・ハヴィランド(1916年7月1日~2020年7月26日)です。彼女は勝気なテリーと控えめなルーズを、話し方や表情の変化によって見事に演じ分けています。本作で彼女は豊かな才能に裏打ちされた演技で評価を受け、その後の作品ではアカデミー賞を受賞します。オリヴィア・デ・ハヴィランドと妹のジョーン・フォンティンは東京で生まれましたが、病弱だった二人の為に母親は夫を東京に残して、1912年にロンドンに戻る事にします。旅の途中でオリヴィアが高熱で倒れた為カリフォルニアに滞在しますが、ジョーンも肺炎に罹り母親はサラトガに移住する事にします。元舞台俳優だった母親のリリアンは、二人にシェークスピアを読み聞かせをしたり音楽や弁論術を学ばせました。オリヴィアは高校時代に演劇部に所属していて、1933年に素人劇団の公演でルイス・キャロル原作の「不思議のアリス」のアリスを演じて初舞台を踏みます。1934年に高校卒業し、サラトガ・コミュニティ劇場で上演される戯曲「真夏の夜の夢」で妖精パック役を演じます。その後、ハリウッド・ボウルで上演されるマックス・ラインハルトが監督する『真夏の夜の夢』で、主役のハーミア役の俳優が降りた為に急遽代役で出演して好評を得ます。ラインハルトが「真夏の夜の夢」の映画化で監督する事になり、ハヴィランドに出演依頼をします。彼女は奨学金でミルズ大学に入学する事になっていましたが、監督の説得に従いワーナー・ブラザースと8年間の出演契約をします。1935年の『真夏の夜の夢』で映画デビューし、当時大人気の喜劇役者ジョー・E・ブラウンの1935年の『ブラウンの怪投手』を始め、3本のコメディ映画に出演します。コメディ路線の評判が芳しくなかったので、当時無名のエロール・フリンの相手役として彼女を起用し、1935年の『海賊ブラッド』に出演させます。この映画は大ヒットして、その後二人が共演する映画は8本製作されます。その間、コメディも含め色々な作品に出演しますが、彼女が望んでいたシリアスで重厚な役を演じる事がありませんだした。

 1939年の『風と共に去りぬ』のメラニー・ハミルトン役は、彼女が望んでいた役でしたが、監督のジョージ・キューカーは妹のジョーン・フォンティンにその役出演依頼をします。ジョーンはスカーレット役を望んでいたので出演を断り、姉のハヴィランドを推薦したと言われています。最終的には社長のジャック・ワーナーの妻のアンが後押ししたと言われています。メラニー役で絶賛を浴びシリアスな役を演じたいと願っていましたが、会社は相変わらず純情可憐な娘や乙女役しか演じさせない事に不満を募らせ、以前と同様な役の脚本を突き返すようになり、エロール・フリンとの共演映画も終わらせます。その後1941年『いちごブロンド』や1943年『カナリア姫』等に出演しますが、ワーナー・ブラザースはオリヴィアに6か月の契約延長を告げますが、彼女はこの申し入れを断ります。その当時の法律では、契約中の俳優が製作会社からの配役を拒否した場合は、その作品の撮影期間を契約期間に加算延長を認めていました。ベティ・ディヴィスが1930年代に訴訟を起こしましたが敗訴しています。殆どの俳優はこの契約を受け入れていましたが、1943年8月にオリヴィアは会社を相手に出演拒否に対する契約期間延長処置への訴訟を起こし、彼女は勝訴します。製作会社の絶大な権限を弱め、俳優たちに自由な創作活動を与えたこの判決は、ハリウッド映画界に大きな影響を与えました。今でもこの判例は、「デ・ハヴィランド法」と言われています。しかし、敗訴したワーナー・ブラザースは彼女に関する書簡を他の縁が製作会社に送り付け、その後彼女は「ブラック・リスト女優」として2年間映画出演する事が出来ませんでした。そしてお蔵入りになっていた『まごころ』が公開されてから、彼女はパラマウント映画と3本の出演契約をし、1946年の『暗い鏡』に出演します。この映画での演技から彼女は大きく飛躍し、シリアスで重厚な役を演じる俳優となって行きます。彼女はベティ・ディヴィスと親交が深く終生親友でした。彼女の主な出演作品は、1935年『真夏の夜の夢』『海賊ブラッド』、1936年『進め龍騎兵』、1938年『ロビンフッドの冒険』、1939年『風と共に去りぬ』、1941年『壮烈第七騎兵隊』、1943年『カナリア姫』、1946年『暗い鏡』『遥かなる我が子』、1948年『蛇の穴』、1949年『女相続人』、1952年『謎の佳人レイチェル』、1958年『誇り高き叛逆者』、1964年『不意打ち』『ふるえて眠れ』等です。

精神分析医スコット・エリオット
リュー・エアーズ(37歳)

 精神分析医スコット・エリオットを演じるのは、リュー・エアーズ(1908年12月28日~1996年12月30日)です。アメリカ合州国のミネアポリスで、バンジョー、ギター、ピアノ等が弾けるのでアリゾナ大学(薬学)卒業後、楽団に入団して演奏活動をしていました。テス社と6か月の契約をして1929年に映画デビューし、1930年の『西部戦線異状なし』で主役のポール・バウマーを演じました。衝撃的なラスト・シーンで映画は大ヒットし、演じたエアーズの名は世界中に知れ渡ります。映画俳優なり立てで有名になりましたが、経験不足もありスターにはなりませんでした。1935年からフォックス社のB級映画に出演するようになります。1938年MGMで「ドクター・キルデア(ジェームズ・キルダーレ博士)」シリーズの9本に出演しました。1942年3月に徴兵され、彼は良心的兵役拒否者を宣言します。彼の行動は、アメリカ国民にも映画会社にも受け入れられませんでした。(看護兵デスモンド・T・ドスを主人公にした2016年の映画『ハグソーリッジ』で、良心的兵役拒否者の事はお分かり頂けると思います。)エアーズは1942年5月18日アメリカ陸軍に入隊し、太平洋方面に医者と牧師の城主として任務に就きます。レイテ島やフィリピンやニューギニア等で、3年半医療軍団に活動して従軍星章を3度授与されます。この従軍星章で得た報酬は、全てアメリカ赤十字に寄付しています。1946年に映画に復帰しますが、戦争映画への出演は拒否してワーナー・ブラザースとの長期契約中も2本の映画出演だけでした。その後は時々映画に出演し、宗教活動に専念します。1960年からは、テレビ映画に出演するようになり俳優活動を再開しています。主な出演映画は、1930年『西部戦線異状なし』、1933年『あめりか祭』、1938年『素晴らしき休日』、1946年『暗い鏡』、1948年『ジョニー・ベリンダ』、1953年『ドノヴァンの脳髄』、1964年『大いなる野望』、1973年『最後の猿の惑星』等です。

スティーブンソン警部補役
トーマス・ミッチェル(54歳)

 スティーブンソン警部補を演じるのは、アメリカの映画俳優で劇作家の名優トーマス・ミッチェル(1892年7月11日~1962年12月17日)です。1939年の『駅馬車』で飲んだくれのブーン医師を演じているので、ご存じの方が多いと思います。彼はニュージャージー州エリザベス生まれで、高校卒業後に地元の新聞社に入社して新聞記者になります。1913年に新聞社を退社して、チャールズ・コバーンのシェークスピア劇団に入団して舞台俳優になります。1916年にブロードウェイ・デビューし、その後フロイド・ディールと共同で脚本を書くようになり舞台劇の演出もするようになります。1928年の舞台劇「Little Accident」が、1930年に『貰い児紛失事件』と1944年に『クーパーの花婿物語』として2度映画化されました。彼は1934年の『わたしのすべてを』で脚本家として映画界にデビューします。その後コロンビア映画と契約し、1936年の『クレイグの妻』で映画俳優として本格的にデビューします。と云うのは、彼は1度だけ1923年にサイレント映画『文明病』に映画出演していました。その後は数々の大作で存在感のある脇役として活躍しました。1939年の『駅馬車』でアカデミー助演男優賞を受賞し、テレビでは1952年にエミー賞の主演男優賞を受賞し、1953年には舞台劇「Hazel Flagg」でトニー賞ミュージカル主演男優賞を受賞し、アカデミー賞とエミー賞と三つの賞を受賞した最初の俳優となります。とにかく才能に溢れた方です。主な出演映画は、1937年『失はれた地平線』『ハリケーン』、1939年『駅馬車』『コンドル』『スミス都へ行く』『風と共に去りぬ』『ノートルダムの傴僂男』、1942年『運命の饗宴』、1943年『ならず者』『肉体と幻想』、1944年『西部の王者』『黒い河』、1946年『暗い鏡』『素晴らしき哉、人生!』、1952年『真昼の決闘』、1961年『ポケット一杯の幸福』等です。トーマス・ミッチェルは、11962年2月17日にフィラデルフィアの公演先で倒れ、癌の為ビバリーヒルズの自宅で亡くなりました70歳でした。

ラスティ役
リチャード・ロング(19歳)

 ラスティを演じているリチャード・ロング(1927年12月17日~1974年12月21日)は、アメリカ合州国の俳優です。1946年にアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズの『離愁』で映画デビューし、同年オーソン・ウェルズがロングの演技に感銘を受けて『オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー』に出演させ、続けて『暗い鏡』に出演しました。アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズが、ユニバーサル・ピクチャーズと合併後も1947年『卵と私』に出演しました。ロングはユニバーサル社と契約し、1948年『愛土地の大地』、1949年『裏切りの街角』で聴覚障碍者の役で素晴らしい援護をし、ラスト・シーンが印象的です1949年『ダイナマイト夫婦』、1950年『命知らずの男』に出演しました。

 1950年12月、朝鮮戦争中に徴兵されてカリフォルニア州フォート・オードで、マーティン・ミルナー、デビッデ・ジャンセン、クリント・イーストウッドらと2年間勤務しました。1953年『わたしの願い』、1954年『カスカチワの狼火』、1959年『地獄へつづく部屋』、1963年『渚のデイト』等に出演しました。その後テレビに出演するようになり、「幌馬車隊」、「西部のパラディン」、「百万弗貰ったら」、「トワイライト・ゾーン」等にゲスト出演しました。ロングはワーナー・ブラザースと契約して「連邦保安官」、「ハワイアン・アイ」等に出演し、1958年「マーベリック」でレギュラー出演しました。1959年から1960年まで「バーボン・ストリート」の主役を演じ、1960年から1962年まで「サンセット77」にレギュラー出演しました。1965年から1969年まで1「バークレイ牧場」ではビクトリア・バークレーの長男役で112話に出演しています。1970年から1971年まで「ぼくらのナニー」の主役を演じました。 ロングは若い頃に肺炎を患い、心臓が弱っていました。成人後心臓のトラブルを経験し、1961年最初の心臓発作を起こした。再度の心臓発作治療の為に、ロサンゼルスのターザナ医療センターに1か月入院した後に、1974年12月21日に47歳で亡くなりました。次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.31 『オデッサ・ファイル』の最終章

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ジギーを脅す殺し屋(左)  警察署のブラウン警部を訪れたジギー(右)

 “オデッサ”は恋人ジギーからピーターの居所を聞き出させる為に殺し屋を差し向けます。夜の地下道でジギーが帰宅中に、男に襲われてピーターの居所を聞かれている時、タイミング良く車が来たのでジギーは男から逃げて車に乗ります。車の男はブラウン警部で、翌日ジギーは警部に会いに行きますが不在でしたが、婦人警官の警護が付くことになります。

変装して潜入を開始するピーター(左)
“オデッサ”のミュウヘン支部 のリーダー(右)

 準備不足ながらピーターは、変装して“オデッサ”潜入を開始します。途中鉄十字章と短剣を入手して、“オデッサ”のミュウヘン支部に行きます。そこでは様々な質問をされてチェックされますが、モサドが過去の経験から全て準備していたので“オデッサ”に受け入れられます。

バイロイトに行くように指示を受けるピ-ター(左)
ジギーに電話をするピーター(右)

 バイロイトへ列車で移動する為にミュウヘン駅にいたピーターは、ジギーに電話をします。この電話から警護についていた婦人警官が、ピーターがミュウヘンにいる事を知り“オデッサ”に報告します。“オデッサ”はピーターに同行した男から駅で電話をした事を確認し、直ちに殺し屋をバイロイトに差し向けます。

ピーターと印刷屋のベンツザー(左)   ピーターを待つ殺し屋(右)

 バイロイトに着いたピーターは、印刷屋のクラウス・ベンツァーに会い運転免許証の偽造を依頼します。写真は直ぐ撮れないので、月曜日までホテル待つように言われ彼はホテルに行きます。ベンツァーには病気の母親が2階にいて、父親同様に組織に殺される事を心配していて用心する様に言います。殺し屋が着いたのでベンツァーはホテルのピーターに電話をし、今から写真を撮るから印刷所に来るように伝えます。殺し屋は、ベンツァーを外出させてピーターを待ちます。

椅子に座る殺し屋を窓から見る(左)
ベンツァーの母親から金庫の番号を聞き出す(右)

 一方ピーターは不審に思って印刷所に電話をしますが、電話に誰も出ないので罠だと気付きます。印刷所に着いて窓から中を覗くと、見知らぬ男が椅子に座っていました。ピーターは木を登って2回の窓から部屋に侵入します。その部屋は母親の寝室で、母親はピーターを神父だと勘違いして“オデッサ・ファイル”の話をします。ピーターは、母親からファイルが隠してある金庫の番号を聞きだします。

殺し屋との格闘(左)   金庫からオデッサ・ファイルを取り出す(右)

 ピーターは2階から1階の印刷所に降り、印刷機の電源を入れて殺し屋の不意を突いて格闘が始まります。何んとか殺し屋を片付けて、金庫から“オデッサ・ファイル”を手に入れます。

モサドのメンバーにファイルの一部を渡す(左)
ジギーに今後の行動を伝えるピーター(右)

 殺し屋の銃と車(ジャガーXK)を奪い、駅のロッカーにファイルを保管してからジギーに電話をします。ジギーは、婦人警官を部屋に閉じ込めて逃げ出します。ピーターはモサドに行き、ロシュマンを一人で追う事を告げます。ハイテルベルクに着いたピーターは、ホテルでジギーと会い、万が一の時にやるべき事を頼み、ロシュマンの元へ向かいます。

ロシュマンに銃を向けて話すピーター(左)   反撃するピーター(右)

 ピーターはロシュマンが住む古城に忍び込み、銃を手にしてロシュマンの部屋に辿り着きます。銃を向けたままのピーターに、ロシュマンは自分が今のドイツの為に役に立っていると話し出します。ピーターは1944年10月11日のリガの港で射殺された大尉は、柏葉・剣付騎士鉄十字勲章を着けていたので自分の父親である事を伝えます。ロシュマンをこの場で殺すべきか躊躇しているピーター、引き出しの銃を取ってピーターに反撃しようとするロシュマン。ロシュマンは父親の殺害を否定しながみ隙を見て銃を手に取り発砲します。ピーターは咄嗟に身を交わしロシュマンに反撃し、再び銃を構えようとするロシュマンを射殺します。

火災で崩壊するキーフェル電気研究所(左)
火災を見つめるモサドのメンバー(右)

 ピーターは当局に拘束されますが、3週間後に釈放されます。ジギーはピーターの指示通り、“オデッサ・ファイル”をヴィーゼンタールに届け、ナチス戦犯の逮捕が始まります。無線誘導装置を開発していたキーフェル電気研究所に火災が発生し、研究所は崩壊して無線誘導装置が作られる事は無くなりました。最後にタウバー老人の日記が朗読され、映画は終わります。

 映画は原作から削除さたり変更をしていますが、ロナルド・ニーム監督はテンポの良い演出で個人の復讐劇に纏めています。原作と映画は別物です。本作に登場するナチ・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタールとエドワルド・ロシュマン(エドゥアルト・ロシュマンとも表記される)は、実在の人物です。実際のロシュマンは、リガ・ゲットー副司令官でカイザーヴァルト強制収容所の所長です。瀕死の囚人に犬を嗾けて、食い殺されるのを何よりの楽しみしていた狂人です。戦後、ドイツ国防軍伍長の制服を着てオーストリに逃亡します。その後オーストリアからアルゼンチンに逃げ、アルゼンチンからパラグアイに向かう船上で、19977年8月10日心臓発作で死亡しています。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『オデッサ・ファイル』 作品データ

1974年製作/アメリカ/129分
原題:The Odessa File
配給:コロムビア映画

監督;ロナルド・ニーム

脚本;ケネス・ロネ、ジョ^ジ・マークスタイン

原作:フレデリック・フォーサイス

製作:ジョン・ウルフ

撮影:オズワルド・モリス

音楽:アンドリュー・ロイド=ウェバー

出演:ジョン・ボイド。マクシミリアン・シェル

   メアリー・タム、マリア・シェル

   ノエル・ウィルマン、デレク・ジャコビ

   ピーター・ジェフリ

Vol.31 『オデッサ・ファイル』の続き

1963年12月23日イスラエルの砂漠を走る戦車隊(左)
任務を命令する司令官とモサドの幹部(右)

 映画のオープニングは砂漠を移動する戦車隊が映し出され、“1963年9月23日イスラエル”と表示されます。前線基地の司令官のテントと思われる場面に変わり、司令官がモサド(イスラエル諜報機関)の幹部に任務を命令します。エジプト軍は、ロケット弾でイスラエルの拠点を攻撃し、その後全土を攻撃してくる。そのロケットの弾頭にはペスト菌とストロンチュウム90が搭載されるので、その計画が成功すればイスラエルは全滅する。無線誘導装置が完成したら、その計画が実行される。無線誘導装置はドイツの何処かの工場で作られているので、探り出して阻止するように伝えます。

夜のハンブルグ(左)   車を停めてラジオを聴くピーター(右)

 1963年11月23日のハンブルグの夜景に場面は変わり、ジョン・ボイト扮する新聞記者ピーター・ミラーが運転する車が街中を走っています。ラジオからはペリー・コモが歌う“クリスマス・ドリーム”が流れていますが、臨時ニュースでケネディ大統領の報道が入ります。ピーター(正しくはペーター)は車を停めてラジオ放送を聞くと、ケネディ大統領が暗殺された事を知ります。

現場に向かう救急車(左)   カール刑事に話を聞くピーター(右)

 その時、救急車が走っていくのが見えたので、新聞記者の習性で救急車を追いかけて現場のアパートに着きます。取材をしようと車から降り、現場の警察官に記者証を見せても現場には入れてくれません。そこにアパートから親友のカール刑事が出て来たので話を聞き、老人がガス自殺した事を知ります。

カール刑事から老人の日記を受け取るピ-ター(左)
ソロモン・タウバーとその妻(右)

 後日、カール刑事から自殺した老人の遺品の包みを渡されます。包みの中には自殺した老人が書いた日記が入っていて、老人の名前はソロモン・タウバーと云うユダヤ人、リガの強制収容所での出来事が綿密書かれていました。(収容所での場面は、モノクロになります)

リガ強制収容所所長
エドワルド・ロシュマン
大尉を射殺するロシュマン(左)
撃たれた大尉の 柏葉・剣付騎士鉄十字勲章 (右)

 リガの強制収容所の所長は、“虐殺者“と云われたエドワルド・ロシュマンSS大尉。日記にはロシュマンの殺しを楽しむ行動が、克明に書かれていました。その日記には、柏葉・剣付騎士鉄十字勲章を付けたドイツ国防軍の大尉が、ロシュマンに後ろから銃で撃たれた事が書かれていました。

柏葉・剣付騎士鉄十字勲章 (レプリカ)

 この柏葉・剣付騎士鉄十字勲章の受賞は160名、十字勲章のランクでは上から三番目で相当凄い戦功が無ければ受賞出来ません。因みに、外国人の軍人として1名だけ山本五十六が受賞しています。二番目はダイヤモンド柏葉・剣付騎士鉄十字勲章で受章者は27名、1番目は黄金ダイヤモンド柏葉・剣付騎士鉄十字勲章で受章者は、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル空軍大佐の1名だけです。この鉄十字章の話が映画のラストで登場し、ピーターの行動の動機付けが分かります。

戦時中の話をする母親(左
 ピーターの父親の事を涙ながらに話す母親(右)

 ピーターは、ロシュマンの追跡取材を新聞社に売り込むが、全然相手にされず断られます。彼は母親の元を訪れ、戦争中の話や父親の事を聞きます。過去の話をする時のマリア・シェルの演技が、素晴らしいです。彼女の表情はアップで撮られていて、眼で心情を表現しています。

アパートの管理人からタウバーの友人マルクスの事を聞き出す(左)
マルクスからロシュマンの情報を聞き出す(右)

 ピーターは自殺したタウバー老人が住んでいたアパートを訪ね、管理人からタウバーの親友マルクスの事を聞き出し、公園にいたマルクスと話をします。彼の話から“オデッサ”という組織の事とロシュマンが生きている事を知ります。タウバーが警察にロシュマンが生きている事を訴えたが、取り合ってくれずタウバーは絶望してガス自殺した事を知ります。収容所でタウバーの妻が排気ガスで殺害されたから、自分もガス自殺したのかと私は思いました。

ジギーとクリスマス・プレゼントを買い物(左)
地下鉄のホームに落とされたピーター(右)

 ロシュマンの情報を得る為、検事総長室に出向きますが情報は得られず、調査しないように警告されます。その時、ジークフリート師団の集会がある事を知り、その戦友会に潜り込んで写真を撮った為、その場から強制退去させられ暴行を受けます。クリスマス・プレゼントの買い物をした後、地下鉄のホームで電車が入って来た直前にピーターは男に線路上に突き落とされますが、間一髪彼は難を逃れます。

ピーターの電話を受けるカール刑事(左)
ナチス・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタール(右)

 ピーターはウィーンに向かい ナチス・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタール の居所を探りますが、手掛かりが無くカール刑事に協力して貰います。この電話で”オデッサ”にピーターの動きが察知されます。カール刑事の協力でナチス・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタールに会い、彼から“オデッサ”の組織の事、ロシュマンの戦後の行動を聞き写真も入手します。

ピーターを拉致するモサド(左)
ピーターを質問攻めモサドのメンバー(右)

 ホテルに戻ると、シュミット博士(“オデッサの”シュルツ)と名乗る男が待ち構えていて、ロシュマンの調査を止める様に脅迫されますが断ります。ピーターがハンブルグに帰る途中、突然モサドに拉致されます。彼が“オデッサの”シュルツと会っていた為、質問攻めに合いますが誤解が解け、彼は“オデッサ”に潜入する事になります。それから6週間のトレーニングに入ります。その間、モサドは病院を利用して、ピーターが元ナチスの軍曹ロルフ・コルブに成り代われる様に訓練します。

モサドのメンバーから訓練を受けるピーター

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『オデッサ・ファイル』 作品データ

1974年製作/アメリカ
原題:The Odessa File
配給:コロムビア映画

監督;ロナルド・ニーム

脚本;ケネス・ロネ、ジョ^ジ・マークスタイン

原作:フレデリック・フォーサイス

製作:ジョン・ウルフ

撮影:オズワルド・モリス

音楽:アンドリュー・ロイド=ウェバー

出演:ジョン・ボイド。マクシミリアン・シェル

   メアリー・タム、マリア・シェル

   ノエル・ウィルマン、デレク・ジャコビ

   ピーター・ジェフリ

Vol.30 『オデッサ・ファイル』

『オデッサ・ファイル』
発売:ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメント

 前回に続きフレデリック・フォーサイス原作の映画、『オデッサ・ファイル』です。監督はロナルド・ニーム、1972年の『ポセイドン・アドベンチャー』でお馴染みかと思います。フォーサイスが。特派員時代に収集した情報から書き上げた小説です。小説を基にした映画の場合、比較をして観る楽しみ方もあると思います。しかし、小説と映画は別物です。文章で書かれた小説は、上限が無く無限に描く世界を拡げられます。一方、映画は製作費・製作期間・上映時間等、多くの制約があります。例えば小説では数行の文章で書かれたものも、映画ではセットを作ったり或いはロケ地で撮ったりします。そうすると小説のどの部分を生かし、どこを切るかの選択が必要になります。プロデューサーと監督の考えの違いも大きく関わってきます。よくある話で、監督が撮った映画が120分だった時に、会社側が100分とか90分に短縮される事があります。最近は公開当時版のDVDが発売された何年か後に、ディレクターズ・カット版の上映時間が長いDVDが発売される事があります。これは単に、会社が金儲けする為かと思いますが。

【スタッフとキャストの紹介】

ロナルド・ニーム

 ロナルド・ニーム(1911年4月23日~2010年6月16日)は、イギリスの映画プロデューサー、監督、撮影監督、脚本家です。ニームは写真家のエルヴィン・ニームと有名な女優のアイビー・クローズの長男として、ロンドンのヘンドンで生まれました。ニームはユニバーシティ・カレッジ・スクールと、ハーストピアポイント・カレッジで学びました。父親が1923年に亡くなった為、アングロ・ペルシャ石油会社の事務員としての仕事に就きました。その後、母親の人脈を通じて、エルストリー・スタジオにメッセンジャー・ボーイとして入社しました。

 ニームは1929年にイギリス初のトーキー映画で、アルフレッド・ヒッチコック監督の『恐喝(ゆすり)』でアシスタント・カメラマンになりました。1933年の『ハッピー』で撮影監督となり、1938年『ウエヤ殺人事件』、1941年『バーバラ少佐』、1942年『軍旗の下に』『戦闘機失踪』を撮影しました。『軍旗の下に』に成功によりデヴィッド・リーン監督とプロデューサーのアンソニー・アランとニームは、共同でシネギルド社を設立しました。三人で映画を制作し、共同で脚本を執筆しました。このトリオの最初の3本は、1944年『幸福なる種族』『逢引き』、1945年『陽気な幽霊』で三作品とも共同脚本でした。1946年の『大いなる遺産』では撮影をせず、製作と脚本を担当しました。1947年に『テイク・マイ・ライフ』で監督デビューし、『オリヴァ・ツイスト』と1949年『情熱の友』の製作をして。アンソニー・アランの後シネギルド社を去りました。

 1949年『黄金の竜』の脚本を書き監督をし、1951年にウィリアム・エドワード・グリーンの伝記映画『マジック・ボックス』を製作しました。1952年『The Promoter』、1960年『TUNES OF GLORY』の監督をし、1961年『ザーレンからの脱出』では製作と監督をしています。1962年ジュディ・ガーランド最後の映画『愛と歌の日々』、1966年『泥棒貴族』、1968年『ミス・ブロンディの青春』、1970年『クリスマス・キャロル』、1972年『ポセイドン・アドベンチャー』、1974年『オデッサ・フィル』、1970年『メテオ』を監督しました。1986年『サクセス・ストーリー‘88/天才的記憶術の使い方』が最後の監督作品になりました。ニームは、2010年6月16日に足の骨折による合併症で亡くなりました。99歳でした。

ピーター・ミラー役
ジョン・ボイド(36歳)

 主人公のピーター・ミラー役を演じるのは、ジョン・ボイト(ジョン・ヴォイトと表記される事もあります)です。ジョン・ボイト(1938年12月29日生まれ)はニューヨーク州のヨンカーズ出身で、ワシントンD.C.のアメリカ・カトリック大学で数学を専攻していましたが、シェイクスピの「真夏の夜の夢」に出演した事で役者を目指します。大学卒業後、ニューヨークで舞台演出や舞台美術を学び、オフ・ブロードウェイやブロードウェイの舞台で俳優として活動しました。

 1967年『墓石と決闘』に29歳で映画デビューし、1969年『真夜中のカーボーイ』(正しくは、“カウボーイ”ですが)で注目され、1970年『キャッチ22』、1972年『脱出』、1974『オデッサ・ファイル』、1977年『殺意の行方 』等に出演しました。1978年の『帰郷』ではアカデミー主演男優賞とカンヌ国際映画祭男優を受賞している演技派俳優です。1979年『チャンプ』、1985年の『暴走機関車』ではゴールデングローブを受賞しています。1995年『ヒート』、1996年『ミッション:インポッシブル』、1997年『レインメーカー』、1998年『エネミー・オブ・アメリカ』、2001年『パール・ハーバー』、2004年『クライシス・オブ・アメリカ』、2007年『トランスフォーマー』、2017年『奇跡の絆』等に出演しました。出演する作品を選ばない方のようで、1997年『アナコンダ』にも出演しいています。又。長年不仲だったと云われていた娘のアンジェリーナ・ジョリーと、2001年の『トゥームレイダー』では共演しています。又、テレビ・ドラマでは2009年『24 -TWENTY FOUR-』の出演し、2013年『レイ・ドノヴァン ザ・フィクサー』では3度目のゴールデン・グローグ賞を受賞しています。

エドワルド・ロシュマン役
マクシミリアン・シェル(44歳)

 元ナチスのSS幹部でユダヤ人強制収容所の所長だったエドワルド・ロシュマンを演じるのが、マクシミリアン・シェルです。マクシミリアン・シェル(1930年12月8日~2014年2月1日)は、オーストリアのウィーンで生まれたオーストリアの俳優です。母親は女優、父親は小説家・詩人で、兄弟のマリア、カール、イミーは俳優です。彼は、3歳の時にウィーンで劇場デビューしました。1938年にオーストアリがナチス・ドイツに併合された時に一家はスイスに逃げてチューリッヒに移住しました。シェルは古典を学び、10歳の時には戯曲を書いていました。第二次世界大戦後、彼はドイツに移りってミューヘン大学に入学し、哲学と美術史を学びました。その後、チューリッヒに戻ってスイス陸軍に1年間従事しました。その後、ロンドンのユニバーシティ・カレッジ・スクルールに1年間通い、チューリッヒ大学で1年間学び、バーセル大学に6か月間再入学しました。この期間中、シェルは古典劇と現代劇の両方の舞台に出演し、バーゼル激情で本格的に演技を始めました。

 シェルは1955年『戦場の叫び』で映画デビュー、『暗殺計画7.20』等、7本の映画に出演しました。1958年ブロードウェイの演劇、アイラ・レヴィンの「インターロック」に出演する為に米国に招待され、ピアニストの役を演じました。(シェルは、熟練したピアニスト兼指揮者でした。)1958年『若き獅子たち』でハリウッド・デビューしました。1960年にドイツに戻り、ドイツのテレビ映画「ハムレット」でハムレットを演じ、舞台でもハムレットを演じました。1959年、テレビの生放送の「ニュールンベルグ裁判」で弁護人役を演じました。シェルは1961年の映画『ニュールンベルグ裁判』で同じ役を演じ、ドイツ語を話す俳優に初めてのアカデミー賞主演男優賞を受賞しました。合わせてニューヨーク映画批評家賞も受賞しました。1964年『トプカピ』、1967年『誇り高き戦場』、1969年『ジャワの東』、そして1970年の『初恋』では製作・監督・脚本・出演をしました。英語とドイツ語の両方を完璧に話せるシェルは、ナチスに時代をテーマにした戦争映画等に多く出演しています。1974年『オデッサ・ファイル』、1976年『セント・アイブス』、1977年『戦争のはらわた』・『遠い橋』『ジュリア』に出演しています。その他、1979年『ブラック・ホール』、1983年『青春の殺意』、1984年『炎のレジスタンス』、1994年『リトル・オデッサ』,1997年『17 セブンティーン』、2007年のドイツ映画『眠れる美女』、2009年『ブラザーズ・ブルーム』等に出演しました。その他、多くのテレビ・ドラマや舞台に出演していました。2014年2月1日、オーストリアのインスブルックで亡くなりました。83歳でした。

ピーターの母親役
マリア・シェル(48歳)

 主人公ピーターの母親を演じているのは、マクシミリアン・シェルの姉のマリア・シェルです。マリア・シェル(1926年1月15日~2006年4月26日)は、オーストリアのウィーンで生まれたオーストリア・スイスの女優です。1938年にオーストアリがナチス・ドイツに併合された時に一家はスイスに逃げてチューリッヒに移住しました。マリアはプロとしていくつかの劇場で演技を学び、1942年『シュタイブルッフ』で映画デビューしました。第二次世界大戦後、1948年『トランペットの天使』、1951年『マッチ・ボックス』・『ドクター・ホール』で主役を演じています。1952年『かくて我が恋は終りぬ』、1953年『事件の核心』、1956年の『居酒屋』でヴェネチア国際映画祭主演女優賞を受賞しています。1957年『白夜』・『ローズ・ベルトンの罪』に出演しています。

 1958年『カラマーゾフの兄弟』でハリウッド・デビューし、1959年『縛り首の木』、1960年『シマロン』に出演しています。1970年『血まみれの裁判官』、1974年『オデッサ・ファイル』、1976年『さすらいの航海』、1978年『スーパーマン』、1982年『サン・スーシーの女』に出演しています。その他、テレビ映画やブロードウェイの舞台にも出演していました。マリアは、2005年4月26日、肺炎のためオーストリア のケルンテン州の自宅で、肺炎の為亡くなりました。79歳でした。

ジギー役のメアリー・タム(24歳)

 メアリー・タム(1950年3月22日~2012年7月26日)は、イギリスの主にテレビに出演した女優です。父親の兄弟四人がソビエト連邦の強制収容所で亡くなった後、エストニアから逃れてイングランドのヨークシャーに移りました。タムは、エストニア人の父とオペラ歌手のロシア人のハーフの母との間に、ヨークシャーのウェストライディングのブラッドフォードで生まれました。タムはエストニア語しか話せませんでしたが、小学校に入学してから英語を学びました。11歳の時に奨学金を受けて、ブラッドフォード・ガールズ・グラマー・スクールに通い、市内のシビック・シアターに参加していました。1969年から1971年までロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アートで学び、卒業して準会員になっています。1971年バーミンガム・レパートリー・カンパニーで舞台デビューしました。1972年にロンドンに移住し、ミュージカルの『マザー・アース』に出演し、1973年にBBCのテレビ番組「ドナティの陰謀」でテレビに初出演しました。

 1973年『異界への扉』で映画デビューし、1974年『オデッサ・ファイル』、1976年『ポプル・ラッズ』、2001年『アマゾネス・グラディエーター』に出演しました。イギリスのBBCで放映された「ドクター・フー」は、SFテレビ・ドラマで、世界最長のテレビ・ドラマ・シリーズです。1963年から1989年と2005年から現在(2024年)も放映されています。タムは1978年から1980年までのシーズン16・17で、ロマーナ役で出演していました。1983年、BBCのテレビ・ドラマ「ジェーン・エア」を始め、多くのテレビに出演して活動しました。2012年7月26日に癌で亡くなりました。62歳でした。

 次回の本編に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.29 『ジャッカルの日』の続きの続き

『ジャッカルの日』のトップはこちら

 ジャッカルはローマでレンタ・カーの白いアルファ・ロメオ・スパイダーに乗り、貸ガレージで車体の下に潜り込んで車に細工をして特製の銃を隠します。英国特捜部から連絡を受けたリベル警視は、ポール・ダンカンの行方を捜査し始めます。

車体の下から部品を外すジャッカル(左)
部品に銃を隠すジャッカル(右)

  その頃ジャッカルは車で国境を越え、まんまとフランスに入国します。移動途中OASに電話連絡をした時に、ウォーレンの自白により名前を知られた事を知ります。徐々に捜査の手は、ジャッカルに迫りつつあります。ジャッカルは、ニースのホテルでロビーにいたモンペリオ夫人に近づき一夜を共にします。

国境で手荷物検査を受けるジャッカル(左)
モンペリオ夫人と語り合うジャッカル(右)

 ルベル警視はポール・ダンカンがニースのホテルに泊まった事を知り、ニースに飛んでジャッカル逮捕に向かいますが、一足違いで逃げられます。ホテルの従業員からの供述からジャッカルと一夜を共にしたモンペリオ夫人の家へヘリコプターで急行します。

ホテル従業員から証言を得るルベル警視(左)
モンペリオ夫人とルベル警視(右)

 その頃ジャッカルは、OASとの電話でフランス当局に車も割り出された事を知ります。早速ナンバー・プレートを盗み、車を青色に塗り替えます。その時、ルベル警視が乗るヘリコプターが飛んで行きます。ジャッカルは、車体の下に隠した銃を取り出し、モンペリオ夫人の家に向かいます。

車体を青に塗り替えるジャッカル(左)
車体の下に隠した銃を取り出す(右)

 途中交通事故を起こし、彼の車は大破します。相手の車は動く状態で、運転していた男は死亡していたのでその車で夫人の家に向かいます。ルベル警視が来た事で困惑している夫人を再び誘惑して一夜を共にします。翌朝、逃げているなら匿うと言う夫人にキスをしながら、ジャッカルは首を絞めて殺害します。任務遂行の為、何の躊躇も無く人を殺すジャッカルを、無表情で演じているエドワード・フォックスが良いですね。そして、カバンに隠してあったパスポートを取り出し、髪を栗色に染めてデンマーク人教師のペーア・ルントクビストに変装します。ジャッカルは夫人の車を盗んで駅に向かい、電車に乗ってパリに向かいます。

ジャッカルが突然訪問して困惑するモンペリオ夫人(左)
変装するジャッカル(右)

 その頃ルベル警視はモンペリオ夫人の殺害を知り、夫人の車の発見から電車でパリに着くと判断しパリ駅に向かいます。既にジャッカルは、反対車線を走るパトカーを眺めながらタクシーでサウナに向かっていました。サウナで知り合ったジュールの誘いで彼の部屋に行きます。

電車でパリに向かうジャッカル(左)
サウナでジュールと知り合いになる(右)

 ルベル警視はOASの女スパイを突き止め、会議の席上で情報がこの会議の出席者から漏れていた事を伝えます。女スパイに騙され情報を漏らした役人はその場から退席します。この場面での最後のオチが良いですね。その役人の部屋で女スパイを逮捕した時、既にその役人は自殺していました。

内部から情報が漏れていた事を伝えるルベル警視(左)
自分だと悟って立ち上がる役員(右)

 その後の会議でルベル警視は、暗殺実行日は3日後の解放記念日8月25日だと予測します。その発言に内務大臣は納得し、ルベル警視無しでも逮捕出来ると思い彼を解任します。内務大臣はモンペリオ夫人殺害の犯人として、ペーア・ルントクビストを全国に指名手配して大々的にテレビに流します。買い物に出掛けたジュールは、街角のテレビでジャッカルの顔を観て帰宅後にその話をします。部屋のテレビで殺人犯の報道している時に、ジュールは彼が殺人犯だと気が付きますが、時既に遅く呆気なく殺されてしまいます。

内務大臣はルベル警視を解任します(左)
街角で観たテレビにジャッカルが出ていた事を伝えるジュール(右)

 10万人を動員したにも関わらず、内務大臣の予想は大きく外れ無駄に2日間が過ぎ、解放記念日にルベル警視は再任されて任務に復帰します。式典が行われるノートルダム寺院前の広場は、警官によって厳重な警戒網が張られます。屋根には狙撃手が大勢配置され、不審者は直ぐ逮捕出来る状態になっています。ルベル警視は式典会場を見回り不審者探しをします。しかし、殆ど絶望的で成す術も無い状態です。式典の映像は実際の映像を使っているようです。

式典会場を見回るルベル警視(左)  いよいよ式典が始まります(右)

 そんな中、両手で松葉杖を使いながら警官に歩み寄る片足の老人が現れます。変装したジャッカルは警官に身分証を見せながら、以前下見したアパートを自宅だと言ってアパートに向かいます。

松葉杖で歩いてくる片足の老人(左)
警官の検問を受ける変装したジャッカル(右)

 管理人室で管理人のおばさんに水を所望します。管理人は笑顔で答えて快く水道の水をコップに入れている後ろから、ジャッカルは一撃を喰らわして管理人を倒し、折り曲げて吊り下げていた左足を伸ばします。

ジャッカルの申し出に笑顔で答える管理人(左)
吊っていた足を下すジャッカル(右)

 最上階へと階段を駆け登り、部屋に入って窓から外の様子を伺います。銃を組み立てて暗殺の準備をし、式典が始まるのを待ちます。やがて式典が始まりスコープを覗いて銃を構えてチャンスを待つジャッカル。

窓から外を見るジャッカル(左) 【屋根の上や屋上に待機する警官(右)
銃を組み立てて椅子の上に置く(左) 炸裂弾を装填するジャッカル(右)

 一方。ルベル警視は一人の警官から何か情報を得て、ジャッカルが潜む最上階の部屋に向かいます。

狙撃場所を特定するルベル警視(左
 窓から狙いをつけるジャッカル(右)

 ジャッカルは大統領を狙って銃を撃ちますが、大統領が頭を下げた為に外してしまいます。次の弾を銃に装填している時に機関銃を持った警官が入って来た為、銃で射殺します。

照準を合わせて撃つが、弾は外れる

 次の弾を込めようとした時に、ルベル警視は警官の機関銃を手に取ってジャッカルを射殺します。その後、ジャッカルの埋葬シーンがあって、太鼓の音共に映画は終わります。

次の弾を装填するジャッカル(左)
その前に機関銃でジャッカルを撃つルベル警視(右)

 この映画はドキュメンタリー・タッチで描かれ、作り話が真実にも思われるようなものです。正に、映画は嘘を本当の様に見せる素晴らしい芸術です。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『ジャッカルの日』 作品データ

イギリス・フランス 1973年 カラー 142分
原題:The Day of the Jackal

監督:フレッド・ジンネマン

製作:ジョン・ウルフ

原作:フレデリック・フォーサイス

脚本:ケネス・ロス

撮影:ジャン・トウニエ

編集:ラルフ・ケンプレン

音楽:ジョルジョ・ドルリュー  

出演:エドワード・フォックス、アラン・バデル 

   トニー・ブリットン、シリル・キューザック

   マイケル・ロンズデール、エリック・ポーター

   デルフィーヌ・セイリング、オルガ・ジョルジュ=ピコ

   デレク・ジャコピ、スキージャン・マルタン

   ミシェル・オークレール、モーリス・デ

Vol.28 『ジャッカルの日』の続き

 映画のオープニングと共に太鼓の音が鳴り、冒頭から緊張感を高めるのは音楽担当のジョルジュ・ドルリューの業です。(彼はフランソワーズ・トリフォー監督の映画の音楽を多く担当しています。)少し間があって、“1962年8月のフランス”続けて“アルジェリアの独立を認めたド・ゴール大統領は・・・”とナレーションが入り、軍部など右翼過激派地下組織のOASから恨みを買っていた事が分かります。本編が始まり、閣僚会議終了により、大統領がシトロエンDSに乗り込み移動を始めます。途中待ち伏せしていたOASのメンバーに機関銃で襲撃せれますが、危機一髪で無事逃げ去ります。この襲撃事件に加わった軍部のバスチアレ中佐は銃殺刑になり、銃で撃たれた後も士官が拳銃で仕上げをするシーンはリアリティがあります。フランス政府はOASの組織は、消滅したと考えます。

OASのメンバーによる襲撃(左)
銃弾を受ける大統領専用車のシトロエンDS(右)

 OASの残党ロダン大佐はオーストリアに逃亡潜伏し、幹部3人でド・ゴール暗殺の為に殺し屋を雇う事を決定します。ロダン大佐は既に英国から殺し屋を手配済みで、翌日幹部3人は殺し屋と会い暗殺の依頼をします。報酬は50万ドル、当時のドルのレートは日本円で1ドル360円ですから、途轍もない金額です。幹部はそんな金は無いと言いますがB、殺し屋は平然と“銀行から奪え”と言い暗殺の依頼を受けます。帰り際に名前を聞かれ、殺し屋は“ジャッカル”と名乗ります。ジャッカルは終始アスコット・タイを絞めていまして、非常に懐かしいスタイルです。それからOASは次々と銀行を襲い始めます。

再度大統領暗殺を計画するOAS幹部(左) ジャッカルと会って契約を結(右)

 ジャッカルは墓場で若くして亡くなった墓から成り代わる人物を決め、パスポート申請をします。そしてジェノバに移動して馴染みの銃職人(ガン・スミス)のゴッツィに会い、今回の暗殺に使用する銃を発注します。ここでの二人のやり取りは、非常にリアリティがあって大好きなシーンです。

銃職人のゴッツィに会い特性銃製作の依頼をするジャッカル(左)
銃のラフ・スケッチを見て見積もりをするゴッツィ(右)

 ジャッカルは空港でデンマーク人教師のパスポートを盗み、ローマからパリに移動して狙撃する場所を探します。決めた建物の管理人が不在時に管理人室に入り、最上階の部屋の鍵の複製を作る為の型を取ります。

目を付けたアパートの管理人を見るジャッカル(左)
鍵の型を取るジャッカル)右)

 OASは大統領官邸の役人に女スパイを送り込み、フランス当局の動きを把握します。連続する現金強奪にフランス当局は、OASの犯行と睨み捜査を開始。OAS幹部の二人がローマに移動したので、フランス当局はウォーレンスキーの動きを追います。

8㎜を観るフランス軍の将軍と特捜部部長(左)
不審な動きを見せるウォーレンスキー(右)

 8㎜カメラで撮影された映像から不審な動きを察知し、非合法な方法で彼を拉致して拷問で自白させます。この場面での自白から供述書を作成する方法は、今では考えられない大変手間の掛かるやり方です。

拷問を受けるウォーレンスキー(左)
別室で供述から文書を作成するスタッフ(右)

 ウォーレンスキーの供述から大統領暗殺計画らしいと判断したフランス当局は、パリで一番優秀な刑事のクロード・ルベル警視に内務大臣が全権を任せます。ルベル警視は、各国に秘密捜査の依頼をします。

内務大臣(左)から暗殺者逮捕の命令を受けるルベル警視(右)

 ルベル警視もジャッカルに負けない位の切れ者で、現場の叩き上げ刑事の執念で追い詰めて行きます。ここからルベル警視とジャッカルの攻防が始まります。

 ローマに戻ったジャッカルは、写真屋に依頼していた偽のパスポートを受け取りに行きますが、多額の報酬を要求して脅迫するので彼を簡単に始末します。

ジャッカルを脅迫する写真屋(左) 写真屋を倒し鍵を探すジャッカル(右)

 その後、出来上がった特注の銃を受け取りにゴッツィの家に行きます。部品を一個づつ確認しながら銃を組み立て、特性の炸裂弾6発と試射の弾を受け取ります。このシーンは、ガン・マニアにとっては本当にワクワクしますね。

銃を組み立てるジャッカル(左)    特注の炸裂弾(右)

 途中市場でスイカを買って郊外の森で試射を行います。スイカを顔に見立てて木に吊るし、100m程離れた位置にある木に、細いロープを少し緩めに括り付け、銃をロープの輪に入れて捩じって銃を固定します。

スイカを木に吊るしに行くジャッカル(左)  銃をロープで固定する(右)
木に吊るされたスイカ〚遠くて見えない〛(左)
スコープを覗くジャッカル(右)

 試射用の弾を込め、遠くにあるスイカをスコープで覗きながら試射します。弾がスコープの照準と一致するようにスコープを2度調整し、炸裂弾を装填して最後の試射を行います。

照準から外れて左斜め下に着弾(左)  照準を調整するジャッカル(右)

 この時カメラの位置が変わり、的になるスイカの傍から見た位置になって、炸裂弾によりスイカは砕け散ります。炸裂弾の威力が、もの凄く強力な事を印象付ける演出です。

炸裂弾を銃に装填する(左)        砕け散るスイカ(右)

 フランスのルベル警視の依頼で調査を始めた英国特捜部長ブライアンは、英国外務部長ハリーと公園で会って噂になっている情報を聞きます。1961年にドミニカの独裁者トリヒーヨを暗殺したのは、英国人の犯行らしい事を知ります。兵器商の現地代表で名前はチャールズ・カルスロップと云い、射撃の名手で暗殺後行方不明になっている。フランス語でジャッカルのスペルは“CHACAL”で。チャールズ・カルスロップの名前の頭3文字を組み合わせると、合致するので彼がジャッカルだと告げられます。英国特捜部は、この情報を基に捜査をしてジャッカルは偽のパスポートで出国と判断し、死亡者名簿と突き合わせをしてポール・ダンカンと確定します。今だったらコピューターで直ぐ調べる事が出来ますが、全て人海戦術で人間が資料を1枚づつ調べて行きます。

手前が外務部のハリー、隣が特捜部のブライアン(左)
ハリーが新聞に”CHACAL”と書く(右)

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『ジャッカルの日』 作品データ

イギリス・フランス 1973年 カラー 142分
原題:The Day of the Jackal

監督:フレッド・ジンネマン

製作:ジョン・ウルフ

原作:フレデリック・フォーサイス

脚本:ケネス・ロス

撮影:ジャン・トウニエ

編集:ラルフ・ケンプレン

音楽:ジョルジョ・ドルリュー  

出演:エドワード・フォックス、アラン・バデル 

   トニー・ブリットン、シリル・キューザック

   マイケル・ロンズデール、エリック・ポーター

   デルフィーヌ・セイリング、オルガ・ジョルジュ=ピコ

   デレク・ジャコピ、スキージャン・マルタン

   ミシェル・オークレール、モーリス・デナム

Vol.27 『ジャッカルの日』

 今回は、フレデリック・フォーサイス著「ジャッカルの日」を基に製作された『ジャッカルの日』で、監督フレッド・ジンネマンです。ドキュメンタリータッチな作風と、原作に忠実な演出で話題を呼びました。ジンネマン監督が描く主人公は、男の信念を貫く男が多いです。監督自身の分身を描いている様に思います。本作でも主人公のジャッカルは、最後まで自分の信念通して仕事に挑んでいます。

『ジャッカルの日』
発売元:ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント

【スタッフとキャストの紹介】

フレッド・ジンネマン(1940年頃)

 ウィーン(オーストリア)生まれのフレッド・ジンネマン(1907年4月29日~1997年3月14日)は、代々医師のユダヤ系ドイツ人の家に生まれました。ウィーン大学在学中に映画界に憧れ、1927年にパリの映画撮影技術学校に入学して映画製作の基礎を学び、その後ドイツでカメラマンの助手になりますが、1929年アメリカに渡りハリウッドに行きます。大恐慌の最中カメラマンになれず、1930年の『西部戦線異状なし』でエキストラをやりました。チーフ助監督と喧嘩をしてクビになった後、ベルホルト・ヴィアテル監督の助手になります。その後、ジンネマンは記録映画監督ロバート・フラハティに申し出て助手になり、映画製作の多くを学びました。1933年、メキシコからの依頼で、ドキュメンタリー映画『波』を監督しました1936年ヘンリー・ハサウェイ監督の『永遠に愛せよ』で第二班監督になり、ウィリアム・ワイラー監督の『孔雀夫人』や1937年ジョージ・キューカー監督の『椿姫』の撮影に参加しました。

 1938年MGMと3年契約で一巻物の短編映画の監督をし、ジンネマンは多くの事を学びました。1941年にB級映画『Kid Glove Killer』で監督デビューし、1942年に『Eyes in the Night』を監督します。1944年にA級映画の『第七の十字架』を監督しましたが、会社側と衝突して再びB級映画に専門になります。何本か監督をした後、仕事を断り続けて停職処分になります。1947年に『山河遥かなり』の監督をしてアカデミー賞にノミネートされますが、ヒットにはなりませんでした。この映画は地味ながら良く出来た作品だと思います。機会を作って紹介します。その後、1952年に異色の西部劇『真昼の決闘』を監督し、この映画は大ヒットします。1953年には、アメリカ陸軍内部を暴くような問題作『地上より永遠に』を発表します。この映画も大ヒットし、監督として不動の地位を得ます。その後、1959年『尼僧物語』、1964年『日曜日には鼠を殺せ』と1966年『わが命つきるとも』では監督と製作をしています。1973年『ジャッカルの日』、1977年『ジュリア』、1982年『氷壁の女』(日本未発売)でも監督と製作をしています。ジンネマンの両親はアメリカへのビザを待っていましたが、1941年と1942年にホロコーストで亡くなっています。ジンネマンは知ったのは、戦後になってからでした。後年、ジンネマンはイギリスに移住していまして、1997年に心臓発作で亡くなりました。

ジャッカル役
エドワード・フォックス(37歳

 暗殺者ジャッカルを演じるのは、エドワード・フォックス( 1937年4月13日生まれ)は、ロンドンのシェルシー出身のイギリスの俳優です。父親のロビン・フォックスは俳優のエージェント、母親のアンジェラ・ワージントンは元女優で作家、弟のジェームズ・フォックスは俳優と芸能一家の長男として生まれました。フォックスは公立の男子寄宿学校“ハロー・スクール”で教育を受け、徴兵制によりロイヤル連隊に入隊して満期完了しました。

 フォックスは1958年に劇場デビューし、1960年代は主に舞台に出演してハムレット役を演じていました。1962年にはエキストラで映画デビューし、1963年『孤独の報酬』にノン・クレジットで出演しました。1967年『裸のランナー』、1969年『素晴らしき戦争』『空軍大戦略』と出演し、1971年の『恋』では英国アカデミー賞助演男優賞を受賞しています。1973年の『ジャッカルの日』で頭脳明晰で冷酷非情な暗殺者ジャッカルを見事に演じています。主役はこの映画だけですが、1977年『遠すぎた橋』、1978年『ナバロンの嵐』、1980年『クリスタル殺人事件』、1982年『ガンジー』、1983年『ネバーセイ・ネバーアゲイン』、1995年『湖畔のひと月』等に出演しています。

ルベル警視役
マイケル・ロンズデール(40歳)

 ルベル警視役のマイケル・ロンズデール{1931年5月24日~2020年9月21日)は、パリ出身のイギリス系フランス人俳優で舞台演出家です。1955年「喝采」で舞台デビューし、1956年に『C‛est arrive å Aden 』に出演して映画界入りしました。1962年『審判』、1963年『日曜日には鼠を殺せ』、1966年『パリは燃えているか?』、1968年『黒衣の花嫁』名地に出演し、1972年の『ジャッカルの日』のクロード・ルベル警部役で世界的に注目を浴びました。1974年『薔薇のスタビスキー』、1976年『パリの灯は遠く』、そして1979年『007 ムーンレイカー』のサー・ヒューゴ・ドラックス役で世界的に有名になりました。1958年よりテレビ映画にも出演し、1974年には舞台演出家としても活動を開始して、演奏会の語り役やラジオ劇や朗読テープ(CD)も多数録音しています。その後、1986年『薔薇の名前』、1993年『日の名残り』、1995年『とまどい』、1998年『RONIN』、2006年『宮廷画家ゴヤは見た』、2009年『アレクサンドリア』等に出演し、2010年『神々と男たち』でセザール賞の助演男優賞を受賞しました。2020年9月21日、パリの自宅で死去したことを代理人から発表されました。89歳没、死因は明らかにされていません。

ゴッツィ役
シリル・キューザック(63歳)

 銃職人(ガン・スミス)のゴッツィ役のシリル・キューザック(1910年11月26日~1993年10月7日)は、南アフリカのナタール州ダーバン生まれのアイルランドの俳優です。キューザックの幼児期に両親が離婚した為、女優だった母親とイギリスに渡り、その後アイルランドに移りました。母親はブレフニ・オロークと再婚し、二人で舞台に出ていました。又、キューザックは7歳で舞台デビューしました。彼はキルデア州ニューブリッジのニューブリッジ・カレッジで学び、ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンで法律を学びましたが、学位を取得せずに中退しました。1932年にアベイ座に加入して1945年まで60以上の公演に出演しました。1947年にキューザックは自身の会社、シリル・キューザック・プロダクションズを設立して、ダブロン、パリ・ニューヨークで作品を上演しました。1963年にロンドンのロイヤル・シェークスピア・カンパニーに加入し、数シーズンにわたって出演しました。1963年にはテレビ映画の「三連祭壇画」での演技でジェイコブス賞を受賞しました。

 キューザックは8歳の時に、1918年『ノックナゴウ』で映画デビューしていました。1947年『邪魔者を消せ』、1950年『女狐』、1958年『ギデオン』、1965年『寒い国から来たスパイ』、1966年『華氏451』、1971年『死刑台のメロディ』、1973年『ジャッカルの日』等に出演しました。1977年にアイルランド語映画『ポイティン』で主役を演じ、1981年『告白』、1984年『1984』、1989年『マイ・レフトフット』等に出演しました。1993年110月7日に運動ニューロン病の為、ロンドンの病院で82歳で亡くなりました。

フレデリック・フォーサイス(34歳)

 原作者のフレデリック・フォーサイス(1938年8月25日生まれ)はイギリスの作家で、スパイ小説や軍隊に関する小説を多数著作しています。1956年から1958年までイギリス空軍に入隊し、除隊後イースター・ディリー・プレスのレポーターになり、1961年からロイター通信社の特派員となりパリ・東ベルリン・プラハで勤務します。1965年BBC放送に転職して1967年にナイジェリアの内戦取材の為、特派員をして現地入りします。この内戦はビアフラ独立の為の戦争で、彼はビアフラ養護の報道をする為、イギリス政府の方針に反対するものだったので特派員を解任されます。1970年パリでシャルル・ド・ゴール大統領の番記者をしている時に、大統領警護員から見聞したエピソードを基に、大統領暗殺未遂事件を小説にしたのが『ジャッカルの日」です。小説は各国で大ヒットし、彼は作家としてデビューします。1973年頃は、イギリスのMI6の協力者として仕事をしています。1972年にナイジェリア内戦で敗れたビアフラ人の為、彼は自費で傭兵部隊を雇い赤道ギニア共和国に対し政権転覆のクーダターを企てます。しかし、買収していたスペインの役人の裏切りにより、傭兵の隊長がスペインで拘束されて失敗します。この話を基に書かれた小説が「戦争の犬たち」です。その後、映画化された「第四の核」等多数の小説を発表しています。

次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.26 『Tメン』の続き

アメリカ財務省(左)  エルエルエルマー・L・アイリー前管理者(右)

 題名で使われている“Tメン”は、“TAX MAN”の略称で、アメリカ財務省の特別税務捜査官の事です。映画は、アメリカ財務省の前管理官エルマー・L・アイリーが組織構成と業績を語るシーンから始まります。この冒頭のシーンから分かるように、財務省の活動を映画でアメリカ国民に周知させる目的で作られたようです。この映画は実話に基づいた映画で、アル・カポネ逮捕以来の大事件である「上海の紙」事件を扱ったものです。偽札偽造団一味を逮捕する為に二人の捜査官が悪の組織に入り込み、黒幕を逮捕するまでの活躍を描いています。アンソニー・マン監督は、ドキュメンタリー・タッチで見事なサスペンス映画に仕上げています。

殺し屋モクシー(左)    偽札を持ち去るモクシー(右)

 本編の冒頭で、偽札を入手した情報提供者が捜査官に偽札を渡す為に現れますが、殺し屋モクシーに射殺され偽札は持ち去られます。銃声を聞いて捜査員が駆け付けた時には、犯人は車で逃げ去ってしまいます。フイルム・ノアールの香りタップリの冒頭シーンです。

図書館でギャングの歴史を学ぶデニスとトニー(左)
公園で記憶の確認をするデニスとトニー(右)

 ロサンゼルスで大量に発見された偽札に、デトロイトのイタリアン・マフィアのヴァントゥッチが関与していると睨み捜査を開始します。潜入する捜査官にデニス・オブライアンとトニー・ジェナーロの二人が選ばれ、デトロイトから捜査を始める事になります。二人はデトロイト・ギャングの歴史を調べ上げ、リバーギャングの事を徹底的に頭に叩き込みます。この辺の展開はテンポも良く、時折入るナレーションでドキュメンタリー・タッチが際立ちます。

ホテルに宿泊予約する二人(左)  ヴァントゥッチ(右)

 二人は偽名でイタリアン・マフィアに通じるホテルに泊まり、地元警察との連携でホテルの主人に逃亡犯だと信じ込ます事に成功します。ホテルの主人の紹介でイタリアン・マフィアのヴァントゥッチに会い、部下となってロサンゼルスに乗り込みます。

シアーノとデニス(左)  
左からトニー、デニス、ポール・スミス、シアーノ(右)

 ヴァントゥッチの紹介でロサンゼルスのジル・シアーノに会い、彼の仲間に加わります。二人は偽札作りに関する手掛かり捜しをし、調査の結果スキーマーと云う男を探し始めます。

スキーマーの作業着を持ち出すデニス(左)
連絡員から報告を受けるデニス(右)

 スキーマーの作業着を工場から持ち出し、本部に送って調べて貰います。その結果、予測される年齢・身長・体重の他に、強い葉巻を好み中国漢方を常用していて、左肩に傷がある男と報告されます。デニスがこの報告を受けるシーンは、今ではお馴染みのやり方ですが良いシーンですね。

薬局で聞き込みをするデニス(左) サウナでスキーマーを見付ける(右)

 デニスは早速薬局周りを始めますが、手掛かりを掴めずにいた時にサウナ好きの男の情報を得ます。それからデニスは、10日間サウナに入りながら遂にスキーマーを見つけ出します。

ロサンゼルス支局で偽札を受け取るデニス(左)
賭博場でスキーマーに出会う(右)

 それからスキーマーを尾行し続けて、秘密の賭博場でわざと偽札を使ってスキーマーに紙幣偽造関係者である事を分からせます。ここで賭博場の男たちに痛めつけられます。その後、デニスはスキーマーの部屋に押し入って、自分が彫刻された偽札の原版を持っている事を告げ、手を組む事になります。

ヴァントゥッチ に激しく詰問される
トニー

 一方トニーは、デニスが急にいなくなったので、一味の連中に彼の行き先や理由を問いただされます。終始「分からない」と答え続けましたが、殺すと脅されて「トニー・ロッコから逃げる為」と言うと ヴァントゥッチ は納得します。

スキーマーを罠に掛ける二人(左)
サウナでトニーに自分を売り込むスキーマー(右)

 それから二人はスキーマーを罠に掛け、トニーはスキーマーと親密になります。そして、スキーマーが周りで起きた犯罪の全てを書いた手帳を隠している事を知ります。

町中で偶然メアリーと出会う
トニーとスキーマー

 しかし、スキーマーと町中を歩いていた時にトニーの妻の友人に会い、その友人は傍にいた妻のメアリーに知らせます。トニーもメアリーも間違いだと言ってその場を去りますが、スキーマーは感付いてしまいます。ジョーン・ロックハートの戸惑った表情とトニーの表情、そしてスキーマーとの三者三様の演技が良いですね。

スキーマーの部屋で手帳を探すトニー(左)
撃たれながらもデニスを罵るトニー(右)

 デニスは偽札の原版と紙の相性を見る為に偽札偽造一味から偽札用の紙を入手し、本部で印刷された裏面だけの偽札1枚を受け取り、残りの紙は分析されます。一味に印刷した偽札を見せて取引交渉を進めますが、トニーの身元がバレた事をデニスは知ります。スキーマーが抹殺され持ち物の中に手帳が無かったので、敵に身元がバレたトニーはスキーマーの部屋で手帳を探します。スキーマーの部屋に一味と同行させられたデニスは、部屋で物色中のトニーに会います。話す間も無く、トニーはモクシーに銃で撃たれます。その時トニーはデニスに向かって、「お前は一流の詐欺師」だと罵って死んでゆきます。最後まで相棒の捜査官を守る言葉を吐き、任務遂行の為に命を落とします。

 これからデニスは一人で敵に立つ向かう事になりますが、一味の鑑定士ポール・スミスは、デニスの持っている原版が造幣局のものだと見抜く人間なので、デニスにその事を知らせる為に捜査官を送ります。伝言が書かれたメモの受け渡しは、デニスと捜査官の突然の殴り合いから始まり、二人が倒れて揉み合っている時に行われます。

隠した原版を取ろうとするデニス

 部屋に戻って伝言を見たデニスは、一味の男から声を掛けられ咄嗟にメモを口に入れてガムを噛むような真似をします。デニスは原版を隠した洗面台に向かいますが、一味の一人が髭を剃ってその場を動きません。仕方なく男に近寄って行き、手を洗い出します。この時カメラは洗面台の下が映る位置にあり、一度・二度とデニスが原版を取ろうとする所を写します。二度目に原版を取って上着のポケットに入れます。何んとかその場から逃げようとするデニスを、一味はボスがいる船に連れて行きます。その船の中には印刷所があり、偽札はそこで作られています。

 船に着いたデニスは、殺しがあったから取引の中止を訴えますが聞き入れられません。敵の手に渡った原版の表面を別室にいるボスが見て、造幣局の原版だと言います。デニスは時間稼ぎの為に、鑑定士のポール・スミスを呼ぶように要求します。一方、デニスの消息が分からなくなった財務局の管理官は、ポール・スミスを見張っていました。一味からの連絡でポール・スミスが動き出したので尾行しますが、途中で尾行不可能になります。

初めて見る原版だと嘘を言うポール・スミス(左)
政府の証人になると言うポール・スミス(右)

 ポール・スミスが船に到着し、原版を見て思いもよらない事を言います。「初めて見る素晴らしい原版だ」と言い、デニスを連れて印刷しに行きます。その後、甲板に出て、「この仕事から足を洗いたいので、政府の証人になる」と言い出します。その直後、ポール・スミスはモクシーに後ろから銃で撃たれて殺害されます。

銃弾を受けながら撃ち返すデニス

 一味の男は丸腰のデニス目掛けて発砲してきます。逃げ回りながらポール・スミスの銃を手に取り撃ち返します。 一味の男 が撃っていた銃が弾切れしますが、別の銃を取り出して撃ち始めます。デニスは立ったまま悠々と歩きながら、撃ち返します。 一味の男 の銃弾が1発デニスに当たりますが、ゆっくりと歩き出して撃ち返し、 一味の男 を倒して自分も倒れ込みます。この銃声を聞きつけて財務局を始め、指令で駆け付けた警官隊などが船に乗り込んで来て一味を全員逮捕します。画面が変わって事件のその後が明かされ、デニスとトニーの妻のメアリーの事が語られます。

 この映画は脚本がよく練られていていますし、場面ごとの台詞も素晴らしいです。特に、一味に潜入した捜査官である事を悟られないようにする受け答えが素晴らしいです。映画はストーリーが解ればそれで満足する方が大半かと思いますが、場面ごとの監督の演出や俳優さんの演技を観るのも楽しいと思います。カメラマン上がりのアンソニー・マン監督は、カメラを少し低い位置に置いて少し見上げるような撮り方をしています。この撮り方が、映画全体に緊張感を醸し出していると思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『Tメン』 作品データ

アメリカ  1947年 モノクロ  96分

原題:T-MEN

監督:アンソニー・マン

製作:オーブリー・シェンク

原案:ヴァージニア・ケロッグ

脚本:ジョン・C・ヒビンズ

撮影:ジョン・アルトン

音楽:ポール・ソーテル

出演:デニス・オキーフ、メアリー・ミード

   アルフレッド・ライダー、ウォーリー・フォード

   ジューン・ロックハート、チャールズ・マッグロー