Vol.46 『英雄を支えた女』

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 今回ご紹介するのは、ウィリアム・A・ウェルマンが1942年に製作・監督した日本未公開の『英雄を支えた女』です。原作は、ビーニャ・デルマーがコスモポリタンに発表した短編小説「人間の側面」です。その短編小説をアデラ・ロジャース・セント・ジョンズとソーナ・オーウェンが物語として書き上げ、その物語を基にW・L・リヴァーが脚本にしています。若い女性の伝記作家に100歳のハンナ・セプラー・ホイトが、過去を語る事で物語は展開します。なんとも奇妙な三角関係の物語です。100歳のハンナを演じるのがバーバラ・スタンウィック、ハンナに支えられる夫のイーサン・ホイトを演じるのがジョエル・マクリー、ハンナに恋焦がれるギャンブラーのスティリーを演じるのがブライアン・ドンレビィ、そして若い伝記作家を演じるのがK・T・スティ-ブンスです。

【スタッフとキャストの紹介】

ウィリアム・A・ウェルマン(1937年)

 ウィリアム・A・ウェルマン((1896年2月29日~1975年12月9日)は、マサチューセッツ州ブルックライン生まれのアメリカ合州国の映画監督です。サイレント映画時代も含めると80本程の作品を監督しています。トーキー映画が始まった時には、俳優が動いて台詞を言えるように箒にマイクを吊るして音取りをしたり、現在のガン・マイクの原型を作ったりしています。特に航空映画に思い入れが強かったので、機体にカメラを固定するフレームを作ったり、コクピットでカメラマンが隠れて飛行中に俳優を撮影出来るようにモーター駆動のカメラを作ったりと、新しい技術を作り出した人でもあります。

 10代の頃は非行少年でしたが、製材所のセールスマンとなりマイナーリーグのホッケーの選手として活躍しました。第一次世界大戦中はノートン・ハルジェス救急隊に入隊して運転手をしていましたが、パリにいる時にフランス外人部隊に入隊して1917年12月3日に戦闘機パイロットとして配属され、エース・パイロットとして目覚ましい活躍をしました。戦後アメリカに帰国したウェルマンは、サンディエゴで新人パイロットの教育を行っていました。その頃、週末には戦闘機でハリウッドに行ってダグラス・フェアバンクスに会っていて、彼の勧めで映画界入りします。最初は俳優になりますが、監督を目指して雑用係から助監督・第2監督となり、1923年に監督デビューします。1927年の『つばさ』は第1回アカデミー賞の作品賞を受賞し、様々なジャンルの映画を送り出しています。1931年『民衆の敵』、1932年『立ち上がる米国』、1933年『飢ゆるアメリカ』、1937年『スター誕生』、1939年『ボー・ジェスト』、1943年『牛泥棒』、1944年『西部の王者』、1945年『G・Iジョー』、1949年『戦場』、1951年『ミズーリ横断』、1952年『女群西部へ!』、1954年『紅の翼』、1955年『中京脱出』などを監督しました

ハンナ・セプラー・ホイト役
バーバラ・スタンウィック(35歳)

 主役のハンナ・セプラー・ホイトを演じるのは、演技派の名優バーバラ・スタンウィック(1907年7月16日~1990年1月20日)です。彼女はニューヨークで5人兄弟の末っ子として生まれました。4歳の時に母親が車の事故で亡くなり、その後父親は彼女を置き去りにして出て行ってしまいます。彼女は里子に出されて里親のもとを転々とし、10歳の時に姉のミルドレッドに引き取られ姉の恋人からダンスを習います。13歳で学校を中退して働き出し、1922年15歳の時にジークフェルド・フォーリーズのコーラス・ダンサーになります。1927年20歳で『ブロードウェイ』で映画デビューしますが舞台の仕事を続けて、1933年26歳でブロードウェイ舞台の主役を演じるようになります。1928年にフランク・フェイと結婚し、共にハリウッドに渡り映画に出演するようになります。  

 1930年にフランク・キャプラ監督の『希望の星』に出演して、実力派俳優として認められるようになります。その後はキャプラ監督を始め、ジョージ・スティーブンス、ハワード・ホークス、セシル・B・デミル、ブレストン・スタージェスと多くの監督の映画に出演します。ジャンルもラブ・ストーリー、ヒューマン・ドラマ、ラブ・コメディ、西部劇と多岐に渡り、演じる役も様々で演技の幅を広げていきます。1931年『奇蹟の処女』、1933年『風雲のチャイナ』、1935年『愛の弾丸』、1936年『鍬と星』、1937年の『ステラ・ダラス』でアカデミー主演女優賞に初ノミネートされます。(4度オスカーにノミネートされますが、受賞する事はありませんでした。信じられません。)

 1939年『大平原』『ゴールデン・ボーイ』、1941年、『レディ・イヴ』『群衆』『教授と美女』、1944年にビリー・ワイルダー監督の『深夜の告白』で、男を破滅させる魔性の女を演じて更に芸域を広げます。1946年『呪いの血』、1947年『カリフォルニア』、1950年『復讐の荒野』、1954年『重役室』でヴェネチア国際映画祭の審査員特別賞を受賞しました。1955年『欲望の谷』、1956年『烙印なき男』、1957年『四十挺の拳銃』、1964年『青春カーニバル』等に出演しました。

 1950年代まで映画に出演し続けますが、1960年からTVに進出して「バーバラ・スタンウィック・ショー」のホストと主役を1年間務め、1965年から1969年まで「バークレー牧場」では出演とプロデューサーもしました。日本でも人気のあったTV映画で、アメリカでも好評で多くのファンに愛されました。この両作品でエミー賞を受賞しています。気取らず性格の良い彼女は、共演者やスタッフから愛され尊敬をされていました。映画の主演本数も多く、素晴らしい演技の作品が多いです。スタンウィックは1981年にフィルム・ソサエティの特別賞、1982年にはアカデミー名誉賞、1983年にはゴールデン・グローブ賞とエミー賞を受賞しています。1990年カリフォルニア州サンタモニカで心不全の為亡くなりました。82歳でした。

イーサン・ホイト役
ジョエル・マクリー(37歳)

 後に英雄となるイーサン・ホイトを演じるのは、ジョエル・マクリー(1905 年 11 月 5日~1990年10月20日)です。彼はカリフォルニア州サウス パサデナ出身の映画俳優で、1927年からエキストラやスタントマンの出演から始まって1976年の『アドベンチャー・カントリー』までの50年間に100本以上の映画に出演しました。彼はハリウッド高校を卒業後、ポモナ大学で演劇とパブリック・スピーキングのコースを受講し1929年に卒業しました。

 1932年『銀鱗に躍る』から主役を演じるようになり、1930年RKOに移籍して、1932年『南海の劫火』でドロレス・デル・リオと共演し、ドラマやコメディも演じられる二枚目スターとして認められるようになります。1932年の『猟奇島』ではフェイ・レイと共演していますが、『キング・コング』のジャングルのセットの一部を使って撮影されました。昼間は『キング・コング』の撮影で使い、夜間に『猟奇島』の撮影がされました。

 マクリーは、様々なジャンルで多くのキャラクターを演じました。1935年『私のテンプル』、1936年『大自然の凱歌』、1936年『バーバリー・コースト』、1936年『紐育の顔役』・『新天地』、1939年『大平原』、1940年『海外特派員』、1941年『サリヴァンの旅』、1943年『陽気なルームマイト』等に出演しました。彼は自分の信条に合わない役や、以前演じた様な役のオファーは断っています。特に第二次世界大戦中は、英雄の軍人役は断っています。

 1940年代に入ってからは出演映画の殆どが西部劇で、歳を取るに従って西部劇に出演するのが快適だったと、晩年インタビューで答えていました。1944年『西部の王者』、1946年『落日の決闘』、1947年『復讐の二連銃』、1949年『死の谷』、1953年『ローン・ハンド孤高の男』、1959年『ダッジ・シティ』、1962年『昼下がりの決斗』等に出演しました。彼はランドルフ・スコットと共にB級映画の2代スターと言われています。ランドルフ・スコットは保安官とか南軍の将校役を多く演じていて、そんなイメージがあって似合っていると思っています。一方、ジョエル・マクリーには固定したイメージが浮かびませんので、演技力のある俳優さんだと思います。以前、キャサリン・ヘップバーンが一緒に仕事をした最高の俳優の一人であると感じたと言っていました。又、ジョエル・マクリーはスペンサー・トレイシーやハンフリー・バガートと並んでランク付けされるべきだったとも語っていました。1990年10月20日、ロサンゼルスのウッドランドヒルズにあるモーション・ピクチャー・アンド・テレビジョン・カントリーハウス・アンド・ホスピタルで肺炎の為84歳で亡くなりました。

ギャンブラーのスティリー役
ブライアン・ドンレヴィ(41歳)

 ギャンブラーのスティリーを演じるのは、ブライアン・ドンレヴィ(1901年2月9日~1972年4月5日)です。彼は北アイルランド出身で、アメリカで活躍した映画俳優です。生後10ヶ月でアメリカのウィスコンシン州ラシーンに移住し、9歳の時にオハイオ州クリーウランドで移住しました。彼は15歳の時にメキシコに渡り年齢を偽ってパンチョ・ビリャの革命を阻止する政府軍に入隊し、第一次世界大戦に従軍してラファイエット戦闘機隊で活躍しました。1920年代に入ってからニューヨークの舞台で俳優として出演するようになり、サイレント映画にも出演するようになります。1935年の『バーバリー・コースト』で人気が出始め1936年『当たり屋勘太』1937年『シカゴ』、1939年『大平原』『地獄への道』と出演し、同年の『ボー・ジェスト』では冷酷非情な悪役を見事に演じました。

 1941年『ブルースの誕生』、1942年『ガラスの鍵』『ウェーク島攻防戦』、1943年『死刑執行人もまた死す』、1944年『モーガンズ・クリークの奇跡』、1945年『落日の決闘』『ハリウッド宝船』、1946年『インディアン渓谷』、1947年『死の接吻』、1948年『戦略爆撃指令』、1949年『狂った殺人計画』、1950年『命知らずの男』、1953年『死刑(リンチ)される女』、1955年『原子人間』、1957年『宇宙からの侵略者』、1965年『蠅男の呪い』等に出演しました。1959年の『戦雲』では映画の最後に登場し、少ない出番ながら存在感の演技を披露しています。1950年代末まで西部劇・戦争映画・ギャング映画等、様々なジャンルの映画に出演しています。1950年代からTV映画にもゲスト出演するようになり、日本で1858年に放映された「Gメン」(1952年製作)では、世界各地を飛び回って密輸団・暗殺団・スパイ団を相手に活躍する、アメリカ政府のシークレット・エージェントのスティーブ・ミッチェルを演じました。ドンレヴィは1971年に喉頭癌の手術を受け、1972年4月6日にカリフォルニア州ロサンゼルスのウッドランドヒルズにあるモーション・ピクチャー・アンド・テレビジョン・カントリーハウス・アンド・ホスピタルで亡くなりました。71歳でした。

女流伝記作家役
K・T・スティーブンス(23歳)

 若い女流伝記作家を演じるのは、K・T・スティーブンス(1919年7月20日~1994年6月13日)です。彼女はロサンゼルス生まれの映画及びテレビ俳優で、サム・ウッド監督の娘さんです。父親が監督した1921年のサイレント映画『ペックの悪い少年』で、2歳の時の映画デビュー(?)しています。その後、自分の意志で映画に出演するようになった時は、サム・ウッドの娘だと知られぬようにK・T・スティーブンスと名乗っていました。当初キャサリン・スティーブンスとも名乗っていた時期もありましたが、最終的にK・T・スティーブンスとなっています。

 メイン州スコヒガンで演劇を学びブロードウェイの舞台にも出演するようになります。その後父親が監督した1940年の『恋愛手帳』に出演し、1944年『住所不明』、1949年『ニューヨーク港』、1950年『ハリエット・クレイグ』、1958年『月へのミサイル』、1969年『ボブ&キャロル&テッド&アリス』、1994年『コリーナ、コリーナ』が最後の映画出演でした。1960年代からは『マッコイじいさん』、『反逆児』、『ブラナガン』、『ライフルマン』、『アイ・ラブ・ルーシー』等、多くのテレビ映画に出演していました。スティーブンスは1994年6月13日、カリフォルニア州ブレントウッドの自宅で肺癌の為、74歳でした。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.45『チップス先生さようなら』の最終章

『チップス先生さようなら』のトップはこちら

コリー2世とパーキンスを仲直りさせるチップス先生(左)
校長から引退を勧められるチッピング(右)

 画面が変わり、校舎の入り口で生徒たちが点呼を取られているシーンになります。点呼を終えた生徒たちの会話で、時の流れを簡潔に表現しています。1899年10月10日の南ア戦争(ボーア戦争とかズール戦争とも云われています)から始まり、ビクトリア女王(1819年5月24日~1901年1月22日)の葬儀と時は進みます。校舎の入り口で点呼を取っているチッピングは、既に60歳代になっています。そこに校長からの呼び出しがあり、校長室に向かいます。途中で喧嘩している新入生のコリー2世とパーキンスを見付けて、仲裁に入り仲直りをさせます。チッピングが校長室に入ると、校長から最新式のラテン語の発音を採用する様に言われます。時代は変わっている、古いものに固執するなら引退するように言われます。古き伝統を重んじるチッピングは、時代が変わって古き良きものが失われて行く、自分は引退しないでここまま行くと言って退室します。(この時のチッピングの台詞に“子供たちを自立させる為に教えている”と云うのがありますが、この言葉は世の大人が永遠に伝え続けなければならない事ですね)

5年前のエピソードを話す校長(左)
全校生徒からの贈り物を受け取るチップス先生(右)

 それから5年後、チッピングは引退します。講堂でチッピングの引退式典が開催され、校長から引退勧告時のエピソードが話された後全員で乾杯し、全校生徒からプレゼントが贈られます。チッピングの引退時のスピーチはユーモアに溢れ、語り口や表情は長年教壇に立っていた70歳の先生そのものです。校舎から出る時。門番の老人がこれから会えなくなるのが寂しいと声を掛けて来て、校長先生になれると思っていたと伝えます。チッピングは、亡くなった妻のキャサリンの事を思い出します。老人はオーストリアの皇太子が暗殺された事も話します。(1914年6月28日のサラエボ事件で、この暗殺によって第一次世界大戦が始まります)

通りを行進する志願した生徒たち(左)
戦争は直ぐ終わると話すチップス先生(右

 通りを軍隊が行進している画面に変わります。チップス先生の家に集まった生徒たちは窓からそれを眺め、卒業生が入隊したとか自分も志願するとか戦争の話をしています。その当時殆どのイギリス人が思っていたように、チップス先生も戦争は数週間で終わると生徒たちに話します。

チップス先生に会いに来たコリー2世(左)
青年になったパーキンス(右)

 しかし、予想に反して戦争は長引き出兵した卒業生や教師が戦死し、校長が講堂で全校生徒に報告します。そこに青年になったピーター・コリー2世が現れ、チップス先生に自分の出兵後に家を訪問して妻の話し相手になってくれるように頼みます。コリー2世を見送る為に外に出るとパーキンスが待っていました。コリー2世とパーキンスは新入生だった頃に取っ組み合いの喧嘩をしましたが、パーキンスは士官のコリー二世の部下で仲良くやっています。

校長就任を依頼する理事長(左)
校長室でキャサリンの写真に報告するチップス先生(右)

 帰宅すると理事長は待っていて、校長が軍隊に志願したのでチッピングに戦争が終わる迄校長になるように依頼されます。チッピングは申し出を受け、翌日校長室でキャサリンの写真を眺めながら“君が言った通り、校長になった”と写真のキャサリンに報告します。

戦地に向かう生徒たちを見送るチップス先生と軍人(左)
校長室でバートンに罰を与えるチップス先生(右)

 学校から出兵する生徒たちを見送るチッピングに、軍人が彼らは明日の将校だと言います。チッピングは、明日が来なければいいと返します。(イギリスの名門校の生徒は、ノブレス・オブリージュ<noblesse oblige>と云う道徳観に基づき、開戦時には国を守る為に志願して戦地に向かいます)画面が変わって校長室、教師に反抗的な態度を取ったバートンに罰を与えます。バートンは学校に残って教えている教師は臆病者だと思っていて反抗していましたが、教師全員は志願をしているが学校を守る為に残った教師がいる事を教えます。

チップス先生の家を訪問するコリー3世(左)
お茶を淹れて語り合うコリー3世とチップス先生(右)

 学校の教会でチップス先生はコリー2世の戦死を伝え、親友のドイツ語教師マックス・シュテフェルの戦死も伝えます。チッピングが帰宅すると終戦を知らせる電話があり、講堂で生徒たちに終戦を伝えます。終戦によりチッピングは臨時校長から元の生活戻ります。時が流れ83歳になったチッピングの家に新入生のコリ―3世が訪問して来ます。先輩の悪戯で訪問したコリー3世を家に入れて二人でお茶を飲みながら語り合います。以前、コリーに2世の家を訪問した時は赤ん坊だった子です。コリー3世が帰る時、チッピングは体調不良を感じ見送らずに椅子に座ったままです。コリー3世が、“さよならチップス先生”と言ってドアを閉めます。その言葉を耳にしたチッピングは、過去の出来事が思い浮かびますが体調が悪くなっていきます。

病床のチッピングを見舞う理事長と校長(左)
私には何千人もの子供がいると話すチッピング(右)

 画面が変わり病床につくチッピング、校長が見舞いに来ていて“子供がいればよかったのに”と話しています。その時、チッピングは“私には何千人もの子供いる”と言います。画面に今まで卒業した生徒たちの映像が流れ、最後にピーター・コリーが笑顔で“チップス先生、さようなら”と言って映画は終わります。

さようならを告げるピ-ター・コリー

 この映画は、ごく普通の教師の半生記を描きながら多くの事を学ばせてくれます。ヒューマン・ドラマであり、ラブ・ストーリーであり、反戦ドラマでもありますが、決して押し付けがましくなく自然に受け入れられると思います。これこそ名作です。是非、多くの方々に観て頂きたい映画です。手元に置いて、時々観て頂きたいと思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

発売元:ワーナー・ホーム・ビデオ

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース

Vol. 44 『チップス先生さようなら』の続きの続き

40歳代になったチッピング(左)   ハーグリーブスとチッピング(右)

 時は大きく流れ、チッピング先生は40歳代になり最古参の教師になっています。(中年になったチッピングは、表情も所作も話し方も変わっていて時間の経過が分かります。)終業式が終わり、生徒も教師も待望の夏休みに入ります。生徒たちは実家に帰省し、教師たちは旅行に出掛ける準備を始めます。チッピングは自分の部屋に向かう途中の道で、ハーグリーブスに会います。彼はチッピングが列車の中で声を掛けたら、突然泣き出した少年で20年振りの再会です。今年は寄宿生を監督する舎監になれるかも知れないと、チッピングは彼に話します。

チッピング舎監就任の話で盛り上がる教員室(左)
校長から舎監就任が無い事を伝えられるチッピング(右)

 教員室でもチッピングの舎監就任の話題で持ちきりです。教師たちが生徒から貰ったケーキを食べている時に、チッピングが入って来て一緒にケーキを食べ始めます。そこに校長先生の呼び出しがあり、皆は舎監就任の話だと励まします。しかし、校長からの話は優秀なギリシャ語教師のチッピングには煩雑な舎監ではなく、教師の仕事に専念して欲しいと言われ落胆して部屋に戻ります。

暗い部屋で呆然とするチッピング(左) 徒歩旅行に誘うステュフェル(右)

 暗い部屋に呆然としていると、友人のシテュフェルが入って来て一緒に旅行に行こうと誘います。チッピングは毎年訪れるハロゲットの宿で一人過ごすと言いますが、シテュフェルトはチロルからウィーンに一緒に徒歩旅行する事に決めてしまいます。

女性の声を聞きつけたチッピング(左) 危険な岩場を登るチッピング(右)

 その日の夜から二人は汽車でチロルに向かい、翌日チッピングは一人で山に登ります。登山途中で霧が出て来て待機していると、上の方から女性の声が聞こえたので無謀にも山を登り始めます。危険な岩場を登る途中で危うく落ちそうになり、杖を落としてしまいます。

上に辿り着いたチッピング(左)
サンドイッチを食べているキャサリン・エリス(右)

 やっと登ってみると、若い女性が岩に腰かけて平然とサンドイッチを食べています。助けを呼んでいると思って登って来たとチッピングが言うと、その女性はなんと無謀な人だと言います。命を落とすかも知れないのに心配して登って来てくれた事に彼女は感謝します。

一緒にサンドイッチを食べるチッピング(左)
楽しく語り合う二人(右)

 そして二人で岩に腰かけてサンドイッチを食べ、その女性キャサリン・エルスはチッピングに教師の素晴らしさを語り出します。女性と付き合う事の無かったチッピングは、自分の心の高揚に驚きながらキャサリンの話を聞きます。(このシーンのドーナットとガーソンの演技は自然で、恋した事の無い中年男と行動的で聡明な女性との素晴らしいやり取りが続きます。)

ドナウ川を眺めるチッピングとステュフェル(左)
2階のデッキでドナウ川を眺めるフローラとキャサリン(右)

 やがて霧が晴れて下山すると、チッピングの勇敢な行動を称えてホテルでパーティーを用意しますが、主賓のチッピングは怖気づいたかのように部屋に戻ってしまいます。キャサリンたちは翌朝出発してしまい落胆しつつ旅を続け、船のデッキでドナウ川を眺めているチッピングとシテュフェル。シテュフェルがドナウ川は茶色で青く無いが、チッピングには青く見えないかと尋ねます。丁度その頃、船の2階のデッキではキャサリンとフローラが同様の会話をしていて、キャサリンにはドナウ川が青く見えています。(このシーンの監督の演出は素敵です。)

踊るチッピングを見て驚くフローラとステュフェル(左)
楽しく踊るチッピングとキャサリン(右)

 先に船から降りたチッピングは、キャサリンを見付けて駆け寄ります。その日の夜、舞踏会に出席した二人は取り留めのない会話をしていますが、キャサリンが旅の一番の思い出は舞踏会で踊った事だと言います。チッピングはその言葉に狼狽しますが、勇気を振り絞って彼女と踊ります。(このシーンも二人の表情の変化が素敵で、このダンス・シーンは観ていて幸せな気持ちになります。)

言いたい事が言えないチッピング(左)
走りながらプロポーズをするチッピング(右)

 汽車で発つキャサリンを見送るチッピングは、言いたい事が言い出せないまま汽車が発車し始めた時、キャサリンが軽くキスをして乗車します。発車した汽車を追いかけながら、チッピングはキャサリンにプロポーズします。しかし、汽車はキャサリンと共に行ってしまい、もう会えないと絶望しているチッピングに親友のステュフェルが声を掛けます。“心配するな、教会の手配はしたから明日は結婚式だ”と言って二人で祝杯を挙げに行きます。

チッピング夫人の事をステュフェルに聞く教師たち(左)
チッピングと共に現れたキャサリン(右)

 画面が変わって学校の教員室、新聞でチッピングの結婚を知った同僚はステュフェルに、奥さんは器量が悪いんだろうとか最悪なんだろうとか言っています。そこにチッピングが奥さんを連れて現れます。奥さんを見た途端に全員の顔が笑顔になり、女性入室禁止の教員室なのに大歓迎で受け入れます。(このシーンは観ていて一緒に笑顔になります。それにしてもグリア・ガーソンの笑顔は素敵です。)

生徒たちにキャサリンを紹介するチッピング(左)
生徒たちをお茶会に招待するキャサリン(右)

 この時キャサリンが、チッピングを“チップス”と呼びます。それを聞いた同僚は、チッピングを“チップス”と呼ぶようになります。教員室を二人で出ると、キャサリンを一目見ようと教え子たちが集まっていました。キャサリンは教え子たちに、“先生は日曜にお茶会を開くから、皆来てね”と言い、戸惑うチップスに“4時だったわね”と言います。彼女の突然の提案に“ああ、そうだった”と言い、それから毎週お茶会は開催されます。

お茶とケーキで持成すキャサリン(左)
授業で冗談も言うようにアドバイスするキャサリン(右)

 お茶会の後、キャサリンはチップスに授業中に冗談も言って生徒たちと友達になるようアドアイスします。この先キャサリンは事ある毎にアドアイスし、チップスはドンドン変わっていきます。(なんと素敵な奥さんでしょう。グリア・ガーソンが登場するシーンを観ていると、幸福感に浸れます。)

舎監になった事を告げるチップス(左)
チップスの素晴らしさを伝えるキャサリン(右)
”セルブス”と言って乾杯する三人

 時は流れてクリスマス、生徒たちは帰省し始めチップスは今では生徒たちの人気者になっています。キャサリンがクリスマス・ツリーを飾り付けていると、チップスが慌てふためいて帰宅して舎監になったと言います。喜びあっている二人の許にステュフェルがシャンペンを持って現れます。そして3人で祝杯を挙げます。二人が山で出会った日の夜の様に“セルブス”と言って乾杯します。

出産が難しい状態だと聞かされるチップス(左)
妻が死んだ直後に授業を始めるチップス(右)

 画面が変わって翌年の4月1日、エイプリルフールの日にキャサリンは出産をします。しかし、出産は難産で母子共に亡くなってしまいます。(1890年頃の医学では細菌の存在は広く認識されていない為、出産は不衛生な状態で行われていたので母子共に死亡する事はよくあったようです。)その日生徒たちは、チップス先生にエイプリルフールの悪戯を皆で用意していました。腑抜け状態になったチップスは、そんな状態でも授業を行います。生徒たちの悪戯をチップス先生が喜んでくれると思っていましたが、期待は裏切られます。

チップス夫人が亡くなった事を伝える生徒(左)
教科書を読むコーリー(右)

 そこに遅れて一人の生徒が教室に入って来て、チップス夫人と子供が亡くなった事を皆に伝えます。チップスは授業を始め、コリーに教科書を読むように言います。(キャサリンが亡くなってから授業までのロバート・ドーナットの表情は、正に魂が抜けたように感じるものです。名優です。)

魂が抜けたようなチップス

 この映画でデビューして素晴らしい演技をしたグリア・ガーソンは、後に自分のキャリアに大きな影響を与える映画だとは思っていなかったと語っています。それが逆に気負いもなく自然な演技に繋がったのではないかと、思っております。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース

Vol.43『チップス先生さようなら』の続き

新任教師に学校の歴史を語る先輩教師(左
登校して来る生徒たち(右

 高く聳え立つ塔が映しだされた画面から始まり、ジョブサン・ブルックフィールドにある1492年創立のブルックフィールド校の校内が俯瞰で映しだされます。先輩教師が新任教師に学校の歴史の話をしています。やがて汽車が到着し、生徒たちが続々と登校して来ます。

講堂に集合した全校生徒(左
訓示の後、チップス先生が欠勤した事を伝える校長(右

 全寮制の寄宿学校なので生徒各自がベッドに荷物を置き、講堂に集合します。校長が新学年の訓示を全校生徒にし、今日は58年間無欠勤だったチップス先生が風邪で欠勤した事を伝えています。

83歳のチップス先生(左
ピーター・コリー3世と話すチップス先生(右

 その頃、道路では小走りで講堂に向かう83歳のチップス先生が登場します。白髪でふさふさの立派な口ひげを生やし、帽子を被って杖を持ち眼鏡を掛け、その眼はクリクリっとして愛嬌があります。額の皺や頬の皺、話し方も動きも如何にも83歳と思わせるような表情です。(現在の様に特殊メイクが無い時代ですから、ロバート・ドーナットは表情や動作の演技でカバーしています。モノクロ映画とは言え、お見事としか言いようがありません。)講堂に向かう途中で遅刻した新入生のドーゼット(ピーター・コリー3世)と出会います。二人が講堂に着いてドアを開けようとしたら錠が掛かっていて入れなので、その場で話をしながら待ちます。

次々と生徒から声を掛けられるチップス先生(左)
校長に抗議するチップス先生(右

 やがて講堂のドアが開き、生徒たちが続々と出て来てチップス先生に声を掛けます。生徒たちの声掛けに冗談で返す光景は、チップス先生が全校生徒の人気者である事がよく分ります。校長はチップス先生が登校してきたので驚き、体調を気遣いますがチップス先生は外出禁止の処置に不満を言います。

新任教師にアドバイスをするチップス先生(左
暖炉の前で転寝をチップス先生(右

 その時、新任の教師を紹介され彼はチップス先生の人気の秘訣を聞きます。そうなるには長い月日が掛かったが、“ある人”のお蔭だと彼に言います。新任教師は初めての授業に向かい、チップス先生は家に戻って暖炉の前の椅子に座って転寝をします。

駅のホームで先輩教師に声を掛けるチッピング先生(左
生徒たちと列車に乗り込んだチッピング先生(右

 画面が変わって22歳のチッピング先生(未だチップス先生とは呼ばれていません。)が、ブルックフィールド行きの汽車に乗る為に駅のホームを歩いている場面になります。(83歳のチップス先生から一転して若返り、実年齢34歳ながら22歳に変身しています。勿論、顔には皺も無く眼もキリッとした好青年で、画像を観ても驚くと思います。)ホームは汽車に乗る生徒たちで溢れかえっています。

生徒が突然泣き出して
困惑するチッピング先生

 生徒たちと共に汽車に乗って席に着くと、向かいの席の生徒が不安げに下を向いているので声を掛けると、その生徒は突然泣き出してしまいます。(この生徒の名はハーブリーブス、大人になってから登場します。)

先輩教師からアドバイスを受けるチップス先生(左
教室で帽子を巡って一騒動(右

 学校に着いたチッピング先生は、先輩の案内で自分の部屋に入り荷物を置いて校長室に向かいます。教員室で校長から先輩教師に紹介され、生徒たちが行う新任教師の洗礼に対する様々なアドバイスを受けます。教室に入ると早速生徒たちの悪戯が始まり、帽子を巡って一騒動あります。

生徒たちに罰を与える事を伝える校長

 生徒を席に着かせて課題の感想文を書かせますが、生徒たちはチッピングを困らせるような質問をし始めます。その内生徒たちが言い合いを始め乱闘になります。チッピングが仲に入って収めようとしますが、騒ぎに巻き込まれている最中に校長が教室に入って来ます。校長は生徒たちに罰を与える事を伝え、チッピングには校長室に来るように言われます。

クリケットの試合に勝つように檄を飛ばす校長(左
生徒たちに自習をさせる事を伝えるチッピング先生(右

 校長からは退職を勧められますが、もう一度チャンスをくれる様に頼み、威厳を持って厳しく生徒に接するようなります。しかし、大事なクリケットの対試合の日に生徒たちの態度が悪かったので、自習させる事にしたので主要メンバーが欠場して試合は負けてしまいます。

先生は大っ嫌いだと言うジョン-コリー

 生徒のジョン・コリーから母校が負けたのは悔しい、先生は大っ嫌いだと言われます。チッピングは、厳しく対応した事を大いに反省し、生徒と信頼関係を築く事の大切さを知ります。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『チップス先生さようなら 』 作品データ

原題:GOODBYE, MR. CHIPS

アメリカ・イギリス 1939年 モノクロ 114分

監督:サム・ウッド

製作:ヴィクター・サヴァル

原作:ジェームズ・ヒルトン

脚本:R・C・シェリフ、クローディン・ウェスト

   エリック・マスクウィッツ

撮影:フレディ・ヤング

編集:チャールズ・フレンド

音楽:リチャード・アディンセル

出演:ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン

   テリー・キルバーン、ポール・ヘンドリード

   ジョン・ミルズ、ジュディス・ファース

Vol.42『チップス先生さようなら』

 今回ご紹介するのは、ジェームズ・ヒルトン原作の有名な『チップス先生さようなら』の初映画化されたもので日本では未公開作品です。主演はロバート・ドーナット、共演は映画初デビューのグリア・ガースン、サム・ウッド監督の1939年の作品です。物語の舞台は、架空の全寮制男子校のブルックフィールド校です。そこに就任した22歳の新任教師チャールズ・エドワード・チッピングの生涯を時の移り変わりと共に描かれた作品です。

発売元:ワーナー・ホーム・ビデオ

【スタッフとキャストの紹介】

サム・ウッド監督

 サム・ウッド(1883年7月10日~1949年9月22日)は、アメリカ合州国ペンシルベニア州フェラデルフィア出身の映画監督です。20世紀初頭に不動産ブローカーをしながら、チャド・アプリゲートの名で俳優をしていました。1915年からセシル・B・デビルの助監督からスタートして1919年からは監督になっています。大女優のグロリア・スワンソンやウォーレシ・リードが出演する映画を数多く撮っています。1927年にはMGMでマリオン・デイヴィス、クラーク・ゲーブル、ジミー・デュランテ等の映画を監督しています。ウッドは、同じシーンを20回くらい繰り返し撮影するので有名でした。

 1935年『マルクス兄弟オペラは踊る』、1937年『マルクス一番乗り』、1939年『チップス先生さよなら』、1940年『恋愛手帳』『我らの町』、1942年『打撃王』『嵐の青春』等を監督しました。1943年の『誰がために鐘は鳴る』は大ヒットしました。1944年『クーパーの花婿物語』『サラトガ本線』、1948年『戦略爆撃指令』、1949年『蘇る熱球』『アパッチ族の最後』等を監督しました。ウッドは1919年9月22日に心臓発作により、66歳で亡くなりました。

チャールズ-エドワード-チッピング役
ロバート・ドーナット(34歳)

 ロバート・ドーナット(1905年3月18日~1958年6月9日)は、マンチェスター・ウィシントン出身の舞台俳優で映画俳優です。ドーナットは、酷い吃音を治す為にジェームズ・バーナードの弁論レッスンを受けていました。15歳で学校を辞めて、バーナードの秘書として働きました。1921年バーミンガムのプリナス・オブ・ウェールズ劇場の「ジュリアス・シーザー」で舞台デビューし、その後も舞台の仕事を続けます。

 1932年『Men of Tomorrow』で映画デビューし、1933年『ヘンリー八世の生活』に出演して高い評価を受けます。キリっとした顔立ちと英国紳士らしい立ち振る舞いで、1934年『巌窟王』、1935年『三十九夜』『幽霊西へ行く』、1937年『鎧なき騎士』、1938年『城砦』等に出演しました。1939年『チップス先生さよなら』でアカデミー主演男優賞を受賞し、1948年『ウィンスロー少年』、1858年『六番目の幸福』では北京語で演じています等に出演しました。ドーナットは長い間喘息の発作に悩まされ、撮影が休止したり役を降りたりしていました。又、彼は映画出演のオファーが来ても断る事多く、アルフレッド・ヒチコック監督の『間諜最後の日』『サボタージュ』『レベッカ』のオファーを断っています。出演した映画は20本足らずですが、彼の演技の凄さは本作を観れば一目瞭然です。25歳のチップス先生から40歳代・60歳代・83歳まで、鬘とメイクに加えて顔の表情や立ち振る舞いを年齢に合わせて変えています。特に眼の演技と話し方は、一人の俳優が演じているとは思えない位です。(チップスは妻のキャサリンが彼を呼ぶ時の愛称で、チャールズ・エドワード・チッピングが本当の名前です。劇中前半では、チッピングと呼ばれています。)

キャサリン・エリス役
グリア・ガーソン(35歳)

 グリア・ガーソン(1904年9月29日~1996年4月6日)は、イギリスのロンドン出身のイギリス系アメリカ人の女優・歌手です。彼女は、キングス・カレッジ・ロンドンでフランス語と18世紀の文学を学び、グルノーブル大学の大学院を卒業しました。卒業後、レバー・ブラザーズのマーケティング部門で働きながら、1932年1月、27歳の時にバーミンガム・レパートリー・シアターで舞台デビューし、地元で舞台俳優をしていました。1937年5月14日、ロンドンのBBCテレビの生放送で、シェークスピアの「十二夜」に出演しました。彼女の舞台を観たルイス・B・メイヤーがスカウトし、1937年後半にMGMと契約しました。

 1939年『チップス先生さよなら』で映画デビューしました。この映画に出演した時は分からなかったが、後の自分のキャリアに大きく影響した事を知ったと語っていました。その後、1940年の『高慢と偏見』で、主演のローレンス・オリビエを相手に堂々とした演技を披露して注目されるようになり、1941年『塵に咲く花』に出演します。そして1942年の『ミニヴァー夫人』でアカデミー主演女優賞を受賞し、『心の旅路』や1943年『キューリー夫人』等で素晴らしい演技をする知的な美人俳優です。その反面、1948年の『奥様武勇伝』のようなラブ・コメディにも出演して歌や踊りも披露しています。1953年『ジュリアス・シーザー』、1955年『荒野の貴夫人』、1960年『ルーズベルト物語』、1966年『歌え!ドミニク』に出演し、1967年の『最高にしあわせ』が彼女の最後の映画出演でした。ガーソンは、晩年をダラスの長老派病院のペントハウス・スイートで過ごし、1996年4月6日に心不全の為91歳で亡くなりました。

コリー家の4世代の少年時代のピ-ター
テリー・キルバーン(13歳)

 テリー・キルバーン(1926年11月25日~)は、ロンドン出身の映画俳優・舞台俳優・舞台監督です。幼少期から有名人の物真似で寄席芸人として活動し、エージェントの勧めで1937年に母親と二人でアメリカのハリウッドに移住し、父親は翌年に渡米しました。エディ・カンターのラジオ番組に出演している時にスカウトされ、1938年の『海国魂』で映画デビューしました。1938年『クリスマス・キャロル』、1939年『チップス先生さようなら』に出演し、この二作ではラスト・シーンで物語を締めくくる最後の台詞を言っています。1939年『シャーロック・ホームズの冒険』、1940年『新・ロビンソン漂流記』、1944年『緑園の天使』等に出演しました。

 キルバーンは高校卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で演劇を学び、舞台に出演していました。彼はテレンス・キルバーンの芸名で、ブロードウィ・デビューし、1952年にジョージ・バーナード・シューの「カンディダ」に出演しました。1946年『黒馬物語』、1950年『海賊ブラッドの逆襲』、1951年『勇者のみ』、1958年『顔のない悪魔』等に出演し、最後の映画出演は1962年の『ロリータ』での端役でした。1970年から1994年までミシガン州ロチェスターのオークランド大学のメドウブルック劇場で芸術監督を務めました。

ピーター・コリー2世役
ジョン・ミルズ(31歳)

 ジョン・ミルズ(1908年2月22日~2005年4月25日)は、イギリスのノーフォーク州ノース・エルムハム出身の俳優です。彼はロンドン・バラムのグラマー・スクール、ベックルズのサー・ジョン・レマン高校、ノリッジ男子高校で学び、1929年ロンドンのヒポドローム劇場の舞台コーラスとしてデビューしました。アジア巡業中にノエル・カワード(イギリスの俳優・脚本家・監督・作曲家・作詞家等として知られる著名人)に出会い、1931年から彼の舞台劇の「ロンドンの壁」や「カヴァルケード」など彼の舞台に出演し、オールド・ヴィク座にもしゅつえんして舞台俳優のキャリア積みました。

 1933年には映画デビュー、1936年『友情と兵隊』、1939年『チップス先生さようなら』、1942年『軍旗の下』、1943年『潜水艦シー・タイガー』、1946年『大いなる遺産』、1948年『南極のスコット』、1949年『暁の出航』、1954年『ホブスンの婿選び』、1955年『潜水艦帰投せず』、1956年『戦争と平和』、1959年『追いつめられて…』、1960年『南海漂流』、1965年『クロスボー作戦』、1967年『砦のガンベルト』、1969年『素晴らしき戦争』等に出演しました。

 1970年『ライアンの娘』でアカデミー賞助演男優賞を受賞し、1978年『大いなる眠り』、1979年『ズール戦争』、1982年『ガンジー』、1986年『風が吹くとき』(声の出演)等に出演しました。映画と同時に舞台にも出演し、1970年代からはテレビにも出演していました。1976年にエリザベス2世より騎士の称号を授与されています。ミルズは2005年4月23日バッキンガムシャーのデナムで、脳卒中の為97歳で亡くなりました。

マックス・ステュフェル役
ポール・ヘンリード(34歳)

 ポール・ヘンリードは(1905年1月10日~1992年3月29日)は、オーストリア出身の俳優・映画監督・プロデューサー・作家です。ヘンリードは、ウィーンの全日制学校テレジアニッシェ・アカデミーで学びながら、出版社で働きました。彼は家族の反対を押し切って、ウィーンの劇場で演劇に出演していました。その後、演出家のマックス・ラインハルトの劇団で塗隊デビューしました。1930年代にドイツ映画でデビューし、1935年にオーストリア映画『郷愁』に出演しました。1935年にイギリスに渡り、1937年にロンドンで「ヴィクトリア・レジーナ」に出演しました。1938年ドイツ政府は、反ナチスの彼を“第三帝国の公式の敵”に指定して、ドイツで彼の全財産を没収しました。1939年第二次世界大戦の勃発により、敵国人として国外追放されそうになります。ドイツの俳優コンラート・ファイトの尽力で、イギリス政府は彼が滞在して働く事を許可します。

 1939年『チップス先生さよなら』に出演し、チップス先生の人生を変える切っ掛けを作る、親友のドイツ語教師のマックス・ステュフェルを演じ、1940年『ミューヘンへの夜行列車』に出演しました。同年、ヘンリードはニューヨーク市に移住しました、1941年にブロードウェイの舞台に出演しました。RKOと契約し、1942年『パリのジャンヌ・ダルク』で、ナチス占領下のフランスから脱出するイギリス空軍パイロットを演じました。1942年にワーナー・ブラザーズに移籍し、1942年『情熱の航路』に出演しました。ベティ・デイヴィスと共演して、ヘンリードが二本の煙草に火をつけてベティ・デイヴィスに一本を渡すシーンを演じました。このシーンは、後に多くの映画で模倣されました。『カサブランカ』では反ナチスの指導者ヴィクター・ラズロを演じました。イギリスで国外追放になりそうになった時に、助けてくれたコンラート・ファイトも出演していました。

 1944年『復讐!反ナチ地下組織/裏切り者を消せ』・『霧の中の戦慄』、1945年『海賊バラクーダ』、1946年『まごころ』・『愛増の曲』、1949年『欲望の砂漠』、1954年『我が心に君深く』、1959年『戦雲』、1965年『クロスボー作戦』等に出演しました。ヘンリードは、1946年にアメリカ合州国の市民権を得ています。1950年代初頭から映画とテレビ番組の両方の監督を始めました。1964年の『誰が私を殺したか?』やテレビ映画の「マーベリック」や「バージニアン」等を監督しています。1973年にはブロードウェイの舞台で、バーナーでオ・ショーの「ドン・ファン・イン・ヘル」に出演しています。1977年『エクソシスト2』が、ヘンリード最後の映画出演となりました。1992年に脳卒中を患った後に、カリフォルニア州サンタモニカで肺炎の為、84歳で亡くなりました。

 次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。 

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.41 『生きるべきか死ぬべきか』の最終章

『生きるべきか死ぬべきか』のトップはこちら

見知らぬ男に驚くヨーゼフ(左)  教授の事を中尉に伝えるマリア(右)

 ヨーゼフが帰宅すると妻のベッドに見知らぬ男が寝ています。「ハムレット」の舞台の途中で席を立った男だと分かり、“生きるべきか死ぬべきか”と台詞を言うとベッドの男は飛び起きます。ヨーゼフは彼に質問をし始めますが、そこにマリアが帰宅して教授が明日ゲシュタボに行く事を中尉に伝えます。何も分からないヨーゼフは質問を続けますが、マリアと中尉の会話は進みます。教授を殺害する必要がある事を理解したヨーゼフは、自分が殺害すると言い出します。

白紙に署名させるマリア(左)   自殺を思わせる文を書くマリア(右)

 マリアは教授の部屋を訪れシャンペンで乾杯して、教授に署名の筆跡で性格を調べると言って白紙に名前を書かせます。そこにゲシュタボ本部から兵士が来て、教授に同行するように言います。教授はマリアを部屋に残して、ゲシュタボ本部に向かいます。マリアは、署名された白紙にタイプライターで自殺を思わせる文を書いてベッドの枕に置き、帰宅しようしますが教授が来る迄部屋に監禁されます。

名簿を取り出す教授’(左)
名簿の写しがある事をドボッシュに伝えるヨーゼフ(右)

 教授を迎えるゲシュタボ本部は、劇場にゲシュタボ本部の看板を掲げて変装した劇団員が待ち構えてます。教授はヨーゼフが変装したエアハルト大佐に会い、地下組織メンバーの名簿を渡します。これで名簿奪還の作戦は終わる筈でしたが、ホテルのトランクの中に写しがある事が分かります。報告書を作成すると言ってヨーゼフは退室し、ドボッシュに写しがある事を伝え次の策を練るように言い教授の元に戻ります。

偽のエアハルト大佐を見破った教授(左)
レジスタンスに射殺された教授(右)

 ヨーゼフは時間稼ぎをしようとしますが、マリアと中尉の事を聞いて激怒した為に教授に正体を見破られます。教授はヨーゼフに銃を突きつけ、部屋から逃げ出します。劇団員が総出で教授を探し始め、教授は劇場の観客席から舞台へと逃げますが、レジスタンスに射殺されます。

偽の教授と知らず迎えに来た シュルツ (左)
偽の教授に媚びを売るエアハルト大佐(右)

 場面は変わってホテルの部屋で待つマリアの元に本物のゲシュタボが現れます。教授に変装したヨーゼフが帰宅すると、ゲシュタボのシュルツ大尉が直ぐエアハルト大佐が会いたいと伝えゲシュタボ本部に行きます。大佐は、総統と親しい教授に取り入ろうと色々話し掛けます。ここで大佐が話す事は、既に登場していた冗談で悪い方に話が展開します。偽教授と大佐の会話は、もの凄く面白いです。それに可哀そうなシュルツ大尉が会話に加わり、さらに面白くなります。(ナチスへの皮肉たっぷりのシーンです。)大佐は教授のロンドン行きの飛行機を手配しますが、教授が二人分を要求したので翌日マリアに合う事になります。

マリアに教授の死を伝える大佐(左)
教授の死体が発見された事を伝えるマリア(右)

 翌日マリアが大佐を尋ねると、教授が殺害された事を伝えられます。教授が死んだので、大佐はマリアと親しくなろうとします。マリアが退室した後、死んだ筈の教授から”少し遅れる“と電話が入ります。マリアはヨーゼフにゲシュタボが教授の死を知った事を伝えにホテルに行きますが、ヨーゼフは既にゲシュタボ本部に向かっていました。マリアは劇団員が集まっている所に駆け付け、ドボッシュに教授の死体が見つかった事を伝え、ヨーゼフを助けてくれるように頼みます。

ヨーゼフの作戦に引っ掛かった大佐(左)
ラウィッチ扮する偽親衛隊長がヨーゼフを連行する(右)

 場面が変わってゲシュタボ本部、教授に扮装したヨーゼフは本部の奥の部屋に通されます。そこには本物の教授の死体が椅子に座らされていました。ヨーゼフはポケットにあった予備の髭で細工をします。ヨーゼフは大佐を部屋に呼び入れます。ここからどっちが偽物かの探り合いが始まり、素晴らしい会話のやり取りで話は進みます。大佐はヨーゼフの作戦にまんまと引っ掛かります。ヨーゼフを本物だと思って帰そうとした時、劇団員扮する親衛隊の一団が現れます。親衛隊の責任者が、総統が到着した途端に陰謀が発覚したと言って大佐を責め、この教授は偽物だと言って髭を引っ張り正体を明かします。ヨーゼフは偽の親衛隊に連れ去られ、大佐は途方にくれます。

脱出作戦を話すドボッシュ(左)   親衛隊の中に紛れ込む劇団員(右)

 劇団員が集まってワルシャワから脱出出来ないと話している時に、ドボッシュが脱出作戦を思い付きます。ヒトラーが観劇に来るのを利用して、「ハムレット」で槍持ちをしていたグリーンバークを主役にした大胆な作戦です。劇団員は全員で稽古を始めます。

偽ヒトラーに演説をするグリーンバーグ(左)
偽ヒトラーに退出を進言するヨーゼフ(右)

 大勢の親衛隊の中に劇団員は紛れ込んで隠れます。劇場にヒトラーが現れ、舞台が始まる迄の合間にグリーンバークが廊下に飛び出し、例の台詞で演説をします。ラウィッチ扮する親衛隊隊長は彼を偽の親衛隊員に連行させ、不祥事が起こったのでブロンスキー扮するヒトラーにこの場を離れる様に進言します。偽親衛隊一行は車で空港に向かい、ヨーゼフは途中でマリアを迎えに行きます。しかし、ヨーゼフは付け髭を失くしてしまいマリアを迎えに行けなくなります。

マリアに言い寄る大佐(左)    ヒトラーが現れ恐れをなす大佐(右)

 一方、ヨーゼフの迎えを待つマリアの部屋に大佐は突然訪問して来ます。マリアがポーランド側のスパイ疑惑で質問をしますが、全て見事に交わされてシュルツ大尉が怒られて退室します。部屋に残った大佐は、マリアに言い寄り口説き落とそうとします。マリアは人が迎えに来るからと拒否して逃げ回ります。そこにブロンスキー扮するヒトラーが現れ驚愕する大佐。マリアが部屋を出た後、部屋から銃声一発と倒れる音、そして“シュルツ”の一声。劇団員全員が飛行機に乗りこみ、ドイツ軍のパイロットとソビンスキー中尉が交代してスコットに向かいます。ドイツ軍のパイロット二人は、皮肉たっぷりの面白い方法でいなくなります。

ハムレットを演じるヨーゼフ(左)    席を立つ見知らぬ若者(右)

 スコットランドに着いた劇団員は新聞記者達の取材を受け、ヨーゼフはイギリスの舞台で「ハムレット」を演じる事になります。観客席にはソビンスキー中尉もいます。ヨーゼフが例の台詞を話すと、席を立つ若者が現れます。ヨーゼフもソビンスキーもビックリで、映画は終わります。最後の最後まで楽しませてくれる、ルビッチ監督の最高傑作だと思います。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

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『生きるべきか死ぬべきか』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 99分

原題:TO BE OR NOT TO BE

監督:ルンスト・ルビッチ

製作:アレクサンダー・コルダ

脚本:エドウィン・ジャスタス・メイヤー

撮影:エオドルフ・マテ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:キャロル・ロンバード:マリア・トゥーラ

   ジャック・ベニー:ヨーゼフ・トゥーラ

   ロバート・スタック:ソビンスキー中尉

   フェリックス・ブレザート:グリーンバーク

   ライオネル・アトウィル:ラウィッチ

   スタンリー・リッジス:アレクサンダー・ツレッキー教授

   シグ・ルーマン:エアハルト大佐

   トム・デューガン:ブロンスキー

   チャールズ・ハルトン:ドボッシュ

Vol.40 『生きるべきか死ぬべきか』の続き

ワルシャワの街に一人で現れたヒトラー

 1939年8月、ポーランドのワルシャワから物語は始まります。ワルシャワの街に突然ヒトラーが一人で現れます。街中の人々が驚き、固まってしまいます。

舞台劇「ゲシュタボ」のワン・シーン(左)
ボランスキーに駄目出しをするドボッシュに抗議するグリーンバーグ(右)

 そこでナレーターが、”どうして彼が現れたか”と言って場面はゲシュタボ本部に変わります。しかし、このゲシュタボ本部は舞台劇のもので、本物ではありません。(この場面に登場する少年が言う冗談は、後ほど違う場面でも出て来ます。本作の題名の”生きるべきか死ぬべきか”も、後ほど度々出て来ます。先に使われた台詞が、全然状況の違う場面で云われる事によって、非常に面白い事になります。本当によく練られて書かれた脚本です。)その本部にヒトラーが登場して、軽い冗談めいた台詞を言います。勝手に台詞を変えた事を舞台演出家のドボッシュが怒り、ヒトラー役のブロンスキーに全然似てないと言って駄目出しをします。そこでブロンスキーは、自分はヒトラーそのものだと言ってワルシャワの街に出て行き、誰にも見破られない事を証明しようとした訳です。

偽ヒトラーのボランスキーに
サインを求める少女

 ヒトラーに扮したブロンスキーの周りを群衆が囲む中、一人の少女がヒトラーに近寄り”ブロンスキーさん、サイン下さい。”と言ってサインして貰います。大人は全員、彼の服装とチョビ髭でヒトラーだと思い込みましたが、この少女だけがこのヒトラーは役者が扮装している偽物と気付いていた訳です。

槍持ちに扮した
グリーンバーグとボランスキー

 画面が変わって劇場で上演されている「ハムレット」のポスターが映しだされます。楽屋から出て来たブロンスキーとグリーンバークは、槍持ちの扮装で愚痴を言い合ってます。グリーンバークは、得意の「ベニスの商人」の台詞を言い、ブロンスキーが褒め称えます。(この二人、舞台では槍を持っている役しか貰えませんが、後半で大役を与えられます。)

ハムレットを演じるヨーゼフ(左)
台詞を聞いて席を立つソビンスキー中尉(右)

 座長のヨーゼフ・トゥーラが楽屋から出てきて、電話でサンドイッチとビールを注文します。そこに妻のマリアが現れ、二人の面白い会話が続きます。楽屋でマリアが椅子に座って鏡に向かっていると、ヨーゼフが現れ3日間贈られて来る花を見て、誰からの贈り物か問い質します。マリアが曖昧な返事をしている時に、ヨーゼフは出番になって舞台に向かいます。ここでマリアと付き人のおばさんが花の送り主の話をしていると、その送り主からの会いたいと云う手紙が届きます。マリアは付き人に言い訳がましい事を言いながら、ハムレットが”生きるべきか死ぬべきか”の台詞を言った時に楽屋に来るように返事を書きます。舞台でハムレットが登場して台詞を言った途端に、花の贈り主であるソビンスキー中尉は堂々と席を立ちます。(この出来事が、大物俳優のヨーゼフ・トゥーラを悩まし続けます。)喜び勇んで中尉は、マリアの待つ楽屋に向かいます。中尉はマリアの舞台は全部観ているし、雑誌の記事も読んでいるので色々質問をします。マリアは調子を合わせているだけですが、中尉は有頂天です。彼は爆撃機のパイロットで、翌日空港で爆撃機を見せる約束をして楽屋を出ます。入れ替わりにヨーゼフが入って来て、舞台の途中で客が席を立ったので酷く落ち込んでいます。マリアは素知らぬ顔で、ヨーゼフを慰めます。

マリアに求婚するソビンスキー中尉(左)
戦争が始まった事を知るヨーゼフ(右)

 画面が変わって舞台劇「ゲシュタボ」の稽古中、全員がラジオでヒトラーの演説を聞いています。そこに外務省のボヤルスキー博士が現れて、「ゲシュタボ」の舞台公演中止を伝えます。それで再び「ハムレット」を講演する事になりますが、ハムレットが台詞を言うと昨日と同様に中尉が席を立ちます。楽屋に入った彼は、マリアに結婚しようと言い出します。困惑するマリアの事はお構いなしに、彼はヨーゼフに二人の結婚話をすると言い出します。そこに付き人のおばさんが、新聞を手に戦争が始まったと言って楽屋に入って来ます。彼はマリアに別れを告げて基地に戻ります。ドボッシュ達も戦争が始まったと言って楽屋に入って来ます。そこに客が席を立った事に怒り狂ったヨーゼフが入って来ます。ドボッシュと噛み合わない怒鳴り合いになり、ヨーゼフは皆の話から戦争が始まった事を知ります。

破壊されたワルシャワの街(左)   瓦礫の中を更新するドイツ兵(右)

 その時、空襲警報が鳴り空爆が始まります。観客は劇場から逃げ出し、団員は地下室に逃込みます。空爆によりワルシャワは破壊されて瓦礫の山となり、そこをドイツ軍兵士が行進していきます。それを漠然と見るワルシャワ市民、この場面からルビッチ監督の思いが描かれています。

エアハルト大佐によるゲシュタボのポスター(左)
グリーンバークは「ベニスの商人」での台詞を語ります(右)

 街にはエアハルト大佐によるゲシュタボのポスターが張られます。ブロンスキーとグリーンバークのコンビが登場し、グリーンバークは例の台詞を語ります。しかし、ここからワルシャワ市民のレジスタンス活動も始まり、ポーランドの若い兵士は英国空軍に入り飛行機での反撃が始まります。

歌う兵士たちの中にいる教授(左) 教授にマリアへの伝言を頼む中尉(右)

 ロンドンの空軍基地で、ポーランドの兵士が歌っている中にシレッキー教授がいます。彼は兵士たちにワルシャワに行く話をすると、兵士たちは危険だから止める様に言います。教授は極秘の任務があるから行かなければならないと言い、兵士たちの家族の住所を教える様に言います。中尉は、教授にワルシャワにいるマリア・トゥーラに伝言を頼みます。伝言は例の台詞です。処が教授は、ワルシャワで有名なマリアの事を知りません。その後兵士たちは家族の住所を書いた紙を教授に渡します。

軍情報部に教授の事を伝える中尉(左)  v教授の写真を靴に仕込む(右)

 翌日ソビンスキー中尉は軍情報部に行き、シレッキーは疑わしい人物だと伝えます。ワルシャワでは誰でも知っているマリア・トゥーラを知らないので、ワルシャワ行きを止めて欲しいと伝えます。教授は既に船で出発しているので中尉は飛行機で移動し、地下組織に渡す教授の写真を持参させ、住所が書かれた名簿を回収する様に命令します。

不審者を追跡するドイツ兵(左)   ドイツ兵に発見された中尉(右)

 対空砲火の中、中尉はパラシュートでワルシャワ郊外に着地し、ドイツ兵の追跡を交わし乍ら逃げ回ります。写真を受け渡しする場所のシュタルガ書店(レジスタンスとの中継場所)まで辿り着きますが、ドイツ兵に見つかりその場から逃げ去ります。

本に写真を挟んで店主に渡すマリア(左)
写真を確認し、指令を読む店主(右)

 画面が変わり同じ書店の前に、マリアが登場します。店内にはドイツ兵が二人、マリアは店主に「アンナ・カレーニナ」(『桃色‘ピンク』の店』でも登場した本です)の本を見たいと言います。ページを捲りながら150ページに教授の写真を挟みます。本の価格を聞き、高すぎて変えないと言ってマリアは店を出ます。ドイツ兵が帰った後に店主は奥の部 屋へ行き、教授の写真を見て裏面に書かれた指令を読みます。

ドイツ兵に連行されるマリア(左)
マリアにスパイになるように進言する教授(右)

 マリアが帰宅するとドアの前にドイツ兵がいて、教授がいるホテルに連行されます。彼はマリアに中尉の伝言を伝えます。その時電話に出た彼の会話からゲシュタボの手先である事を知ります。彼はマリアにドイツのスパイになるように勧めます。マリアは即答せずに、ディナーの招待を受けて帰宅します。

次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『生きるべきか死ぬべきか』 作品データ

アメリカ 1942年 モノクロ 99分

原題:TO BE OR NOT TO BE

監督:ルンスト・ルビッチ

製作:アレクサンダー・コルダ

脚本:エドウィン・ジャスタス・メイヤー

撮影:エオドルフ・マテ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:キャロル・ロンバード:マリア・トゥーラ

   ジャック・ベニー:ヨーゼフ・トゥーラ

   ロバート・スタック:ソビンスキー中尉

   フェリックス・ブレザート:グリーンバーク

   ライオネル・アトウィル:ラウィッチ

   スタンリー・リッジス:アレクサンダー・ツレッキー教授

   シグ・ルーマン:エアハルト大佐

   トム・デューガン:ブロンスキー

   チャールズ・ハルトン:ドボッシュ

Vol.39 『生きるべきか死ぬべきか』

 今回も引き続き、エルンスト・ルビッチ監督の1942年の作品です。ヒトラーとナチス政権を茶化した、スリルありサスペンスありの笑いありのコメディの大傑作です。物語はキャロル・ロンバード扮するマリアを中心に、男たちが入り混じって複雑に展開されます。この映画はメル・ブルックス製作・主演で、1983年に『メル・ブルックスの大脱走』としてリメイクだれています。

『生きるべきか死ぬべきか』
販売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

【スタッフとキャストの紹介】

エルンスト・ルビッチ監督

 エルンスト・ルビッチ監督の履歴は、『桃色(ピンク)の店』をご覧ください。

マリア・トゥーラ役
キャロル・ロンバード(33歳)

 キャロル・ロンバード(1908年10月6日~1942年1月16日)は、アメリカ合州国インディアナ州出身の女優です。12歳の時に『陰陽の人』の端役で映画デビューしますが、その後は普通に生活していました。15歳で学校を辞めて劇団に入り、いくつかの舞台に出演しました。1925年にFOX社から再デビューしますが、翌年交通事故で顔に傷を負って契約をキャンセルされます。その後、マック・セネットのコメディ映画に端役で出演していました。

 1930年にパラマウント社が、彼女の美貌を認めて契約します。サイレント映画からトーキー映画に変わり、声や訛りが酷くて人気が落ちていく俳優が多い中、セクシーな声と知的な美貌で人気が出て来ます。1930年『令嬢暴力団』、1932年『紅蘭』、1933年『鷲と鷹』、1934年『ボレロ』と出演し、『特急二十世紀』のヒットでコメディエンヌとしてスターになりました。それからは主役として、1934年『久遠の誓ひ』『街で拾った女』、1935年『ルムバ』、1936年『襤褸と宝石』、1937年『無責任時代』、1939年『貴方なしでは』、1941年『スミス夫妻』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』と出演しました。ロンバートは、1930年代から1942年の本作までラブ・コメディで活躍し、「スクリューボール・コメディの女王」と云われていました。

 第二次世界大戦中、1942年1月16日にインディアナで戦時国債キャンペーンに参加してロサンゼルスに戻る途中で、飛行機がラスベガス近郊で墜落して母親と共に死亡しました。33歳でした。二度目の夫であるクラーク・ゲーブルは彼女が最愛の妻だったと云い、彼の死後遺言で彼女の隣の墓に埋葬されています。

ヨーゼフ・トゥーラ役
ジャック・ベニー(48歳)

 ジャック・ベニー(1894年2月14日~1974年12月26日)は、シカゴ生まれのコメディアン・ヴォードヴィリアン・俳優です。1930年代から1950年代のラジオ番組やテレビ番組で人気を博し、後のシュチュエーション・コメディに影響を与えています。1929年からは映画にも出演しました。ベニーは6歳からバイオリンを習いますが、天性か振動と云われました。14歳の時にダンス・バンドと高校のオーケストラで演奏していましたが、勉強が苦手で高校は退学になります。1911年に地元のヴォードヴィルの劇場でバイオリンを弾き始め、マルクス兄弟と同じ劇場で演奏していました。17歳の時に母親の反対を押し切ってマルクス兄弟とツァーに参加します。翌年、ピアニストとヴォードヴィル・ミュージカル・デュオを組みますが、有名なバイオリニストのヤン・クーベックを怒らせ、芸名をベン・K・ベニーと名乗るようになります。最初のパートナーが去り、新しいピアニストとコメディ刀子を取り入れて5年間一緒に活動しました。その後、ヴォードヴィルのメッカの“パレスシアター”に出演しましたが、上手くいかなかった為に1917年にショー・ビジネスから一時離れます。第一次世界大戦中、アメリカ海軍に入隊し、余興でバイオリンを演奏していました。ある日、ブーイングを受け、ジョークなどを交えながら笑わせるようにしました。これがコメディアンとミュージシャンとして、ベニーのスタイルの始まりとなります。

 戦後間もなく、ベニーは「ベン・K・ベニー:フィドル・フノロジー」という一人芝居を始めましたが、ベン・バニーから芸名を改名する訴えがあり、船員の頃のニックネームのジャックを採用して、“ジャック・ベニー”に改名しました。1927年にセイディ・マークスと結婚し、彼女はメアリー・リギングストンの芸名でベニーとコンビを組んで、一緒にヴォードヴィルを演じました。ベニーは1929年にMGMと契約して、『ハリウッド・レビュー』、1930年『虹を追いかけて』に出演しましたが、上手くいかず数か月後に契約は解除されました。その後、ブロードウィに戻ってアール・キャロルの「ヴァーニティーズ」に出演し、ナイトクラブで公演していました。

 1932年にエド・サリヴァンのラジオ番組にゲスト出演し、初めてラジオの仕事をしました。ベニーは1932年から1948年までNBCで、1949年から1955年までCBSでラジオ番組「ジャック・ベニー・プログラム」に毎週出演し、この番組で彼は全国的な人気者になりました。1949年にロサンゼルスのKTTVでテレビ・デビューし、1950年10月28日から1965年まで「ジャック・ベニー・プログラム」のテレビ版に出演しました。映画は、1935年『踊るブロードウェイ』、1936年『パラマウント恋のグランド・ショー』、1937年『画家とモデル』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、1944年『ハリウッド玉手箱』、1957年『ボー・ジェムス』、1963年『おかしなおかしなおかしな世界』、1972年『ザ・マン/大統領の椅子』等に出演しています。1960年代は、バイオにスチ、スタンダップ・コメディアンとしてライブを行っていました。1974年12月に体調を壊して何度かの検査の結果、手術不能な肝臓がんと判明しました。1974年12月22日に自宅で昏睡状態に陥り、12月26日に80歳で亡くなりました。

ソビンスキー中尉役
ロバート・スタック(23歳)

 ロバート・スタック(1919年1月13日~2003年5月14日)は、アメリカ合州国カリフォルニア州生まれの俳優・声優です。幼少期にヨーロッパで育ったので、フランス語とイタリア語を習得していましたが、英語は再びロスアンゼルスに戻ってから習得しています。マサチューセッツ州にある大学で演劇を学びました。スタックは優勝なスポーツマンで、スキーと射撃では全米記録を更新していて、1971年にはその功績が称えられて殿堂入りしています。

 俳優を目指してハリウッドに渡り、1939年『銀の靴』で映画デビューします。1941年『無法地帯』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』『荒鷲戦隊』に出演しました。第二次世界大戦中は、アメリカ海軍に入隊して従軍しました。戦後、1948年『スイングの少女』『特攻戦闘機中隊』、1951年『美女と闘牛士』、1953年『騎兵隊突撃』、1954年『紅の翼』、1955年『東京暗黒街・竹の家』、1956年『硝煙』『風と共に散る』等に出演しました。

 テレビ映画では、1959年から1963年の『アンタッチャブル』でエリオット・ネスを演じてエミー賞を受賞しました。1968年から1971年『ネーム・オブ・ゲーム』、1976年から1977年『特捜隊長エバース』、1981年から1982年『ロス警察特捜隊』のシリーズに出演していました。その他、ゲスト出演で「ルーシー・ショー」や「ジェシカおばさんの事件簿」等に出演しています。

 1959年『大海戦史』、1960年『最後の航海』、1966年『パリは燃えているか』、1967年『太陽のならず者』、1979年『1941』、1980年『フライングハイ』、1983年『地獄の七人』、1990年『ジョー、満月の島へ行く』、2001年『ハッピー・カップルズ』等に出演しました。2003年5月14日に癌で闘病中、心臓発作の為84歳で亡くなりました。

グリーンバーク 役
フェリックス・ベラサート (50歳)

 グリーンバークを演じるのは、フェリックス・ベラサートの履歴は『桃色(ピンク)の店』をご覧下さい。『桃色(ピンク)の店』では髭を生やして眼鏡を掛けて、ピロビッチを演じていました。今回は端役の舞台俳優役を素顔で演じています。事ある毎に「ベニスの商人」の台詞を言いますが、後半では主役となってこの台詞を言う事になります。

ラウィッチ役
ライオネル・アトウィル(57歳)

 イオネル・アトウィル(1885年3月1日~1946年4月22日)は、イギリス・ロンドンのクロイドン生まれの舞台・映画俳優です。彼はイギリスの1918年ギャリック劇場で舞台デビューし、オーストラリアでキャリアを積んだ後に渡米しました。多くのブロードウェイの舞台に出演し、1918年の『野生のアヒル』に出演した頃にはスターになっていました。1918年『イブの娘』で映画デビューし、1930年代からは多くのホラー映画に出演しています。1932年『ドクターX』、1933年『肉の蝋人形』『恋の凱歌』、1934年『女優ナナ』『スペイン協奏曲』、1935年『古城の妖鬼』『海賊ブラッド』1938年『グレートワルツ』、1939年『ベイジル・ラスボーン版シャーロック・ホームズ バスカヴィル家の犬』『フランケンシュタインの復活』、1940年『ブーム・タウン』、1942年『ベイジル・ラスボーン版シャーロック・ホームズ シークレット・ウェポン』・『凸凹宝島騒動』・『フランケンシュタインの幽霊』『生きるべきか死ぬべきか』、1943年『フランケンシュタインと狼男』、1944年『フランケンシュタインの館』、1945年『ドラキュラとせむし女』等に出演しました。アトウィルは1946年4月22日に肺癌と肺炎の為、ロサンゼルスのパシフィック・パリセーズの自宅で亡くなりました。61歳でした。

ツレッキー教授役
スタンリー・リッジス(62歳)

 スタンリー・リッジス(1890年7月17日~1951年4月22日)は、イギリス・ハンプシャー生まれのアメリカの俳優です。本作ではナチスのスパイ役を好演し、キャロル・ロンバードとは2回もキスをする美味しい役を貰っています。リッジスは、ミュージカル・ステージ・コメディのスターのベアトリス・リリーの弟子になり、舞台での技術を長年に渡って学びました。その後、渡米してブロードウェイの舞台に出演し、1933年「スコットランドのメアリー」、1934年「バレー・フォージ」の初演に出演しています。

 リッジスは1923年のサイレント映画『サクセス』で映画デビューし、スぶれた言葉遣いと豊かな声で、トーキー映画に出演するようになります。1934年『情熱なき犯罪』、1937年『紐育の顔役』、1939年『大平原』、1941年『ヨーク軍曹』『海の狼』『壮烈第七騎兵隊』、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、1943年『ターザンの凱歌』、1944年『ウィルソン 』、1947年『失われた心』、1949年『機動部隊』、1950年『情事の代償(別名血塗られた代償)』等に出演しました。1950年までにテレビにも出演するようになりましたが、1951年4月22日にコネチカット州ウェストブルックで亡くなりました。60歳でした。

エアハルト大佐役
シグ・ルーマン(58歳)

 シグ・ルーマン(1884年10月11日~1967年2月14日)は、ドイツ帝国のハンブルグ生まれのアメリカの性格俳優です。私には『グレン・ミラー物語』での質屋の主人役が忘れられないです。出番は2カットだったと思いますが、印象に残っています。本作ではゲシュタボのエアハルト大佐を演じ、準主役級の活躍で大いに笑わせてくれます。彼は100本以上の出演映画で、尊大で偉そうにする役人や悪役を演じていました。

 ルーマンは電気工学を学んだ後に、俳優や音楽家として働き始めました。第一次世界大戦中にはドイツ帝国軍に従軍しました。戦後、俳優として再開し、1924年にアメリカに移住してブロードウェイの舞台に出演して成功を収めました。1929年『ラッキー・ボーイ』で映画デビューし、1935年『結婚の夜』『男の魂』と出演しました。彼はマルクス兄弟に気に入られて、1935年『マルクス兄弟オペラは踊る』、1937年『マルクス一番乗り』、1946年『マルクス捕物長』の3作に出演しています。

 1936年頃にルーマンは、第二次世界大戦の勃発直前に反ドイツ的な偏見が高まっていた為、ドイツ人らしさを少しでも和らげる為に芸名を、ジークフリート・ルーマンからシグ・ルーマンに改名しました。1937年『無責任時代』『ハイデイ』、1939年『スエズ』『コンドル』、1939年『ニノチカ』『踊るホノルル』、1941年『淑女超特急』、1943年『制処女』『ターザンの凱歌』、1944年『夏の嵐』、1948年『皇帝円舞曲』、1949年『国境事件』、1953年『第十七捕虜収容所』『魔術の恋』、1954年『グレン・ミラー物語』、1955年『渡るべき多くの河』、1964年『36時間 ノルマンディ緊急指令』、1966年『恋人よ帰れ!わが胸に』等に出演しました。ルーマンは1967年2月14日カリフォルニア州ジュリアンの自宅で、心臓発作の為亡くなりました。82歳でした。

ブロンスキー役
トム・デューガン(53歳)

 トム・デューガン(1889年1月1日~1955年3月7日)は、アイルランドのダブリン生まれのアメリカの映画俳優です。本作では端役の舞台俳優役で、映画の冒頭からヒトラーに扮して登場して公判では重要な役を演じます。幼い頃に彼の家族はフィラデルフィアに移り、その後フィラデルフィア高校を卒業して就職します。仕事が上手くいかず、テノールの声が良かったので巡回医療ショーに出演しました。その後、ミンストレル一座に出演し、ニューヨーク市のミュージカル・コメディやヴォードヴィルの劇場に出演していました。最終的に彼は、ブロードウェイのコメディアンになりました。

 デューガンは1927年から1955年の間に約270本の映画に出演しました。彼の映画デビューは1928年の『紐育の灯』で、全編を通して音声が収録された、世界初のオール・トーキー映画です。1927年にトーキー映画として『ジャズ・シンガー』が公開されましたが、この映画は台詞の一部と歌の部分がトーキーのパート・トーキー映画です。1935年『二つの顔』、1936年『黄金の雨』、1940年『ゴースト・ブレーカーズ』、1949年『私を野球につれって』等に出演しました。デューガンは交通事故で負傷した後に、1955年3月7日カリフォルニア州レッドランドで亡くなりました。66歳でした。

ドボッシュ役
チャールズ・ハルトン(66歳)

 チャールズ・ハルトン(1876年3月16日~1959年4月16日)は、アメリカの性格俳優です。彼は180本以上の映画に出演していますが、半数以上はノン・クレジットです。本作では舞台演出家のドボッシュ役で、トラブル解決の作戦を練ったり、切れ者舞台演出家を演じています。彼は、前回紹介した『桃色(ピンク)の店』では探偵の役で、ワン・シーンだけ登場していました。

 ハルトンは、ニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで学び、1901年にブロードウェイ・デビューをして、その後50年間で約35の作品に出演しました。1911年の夏、彼はコロラド州デンバーのエリッヂ・シアターに出演しました。1920年代から、ハルトンの薄くなった髪、縁なし眼鏡、厳しい顔、気難しい態度は、何世代にも渡ってアメリカの映画ファンにも親しまれていました。彼が演じるキャラクターは、厳格な政府官僚、葬儀屋、イタチのような弁護士、非情な役人など嫌な役が多いです。数多い出演作品の中で、1946年『素晴らしき哉、人生!』の銀行検査官、1942年『生きるべきか死ぬべきか』、のポーランドの舞台演出家、1941年『スミス夫妻』のアイダホ州の役人役などは、非常に印象深かったです。

 1919年『宝石の塔』、1933年『夜明けの嵐』、1936年『大自然の凱歌』・『流行の女王』、1937年『大都会の谷間』、1940年『3階の見知らぬ男』、1940年『西部の男』『海外特派員』、1942年『パナマの死角』『西部の顔役』、1945年『ブルックリン横丁』、1949年『三人の名付け親』、1953年『ムーンライター』等に出演しています。ハルトンは1959年4月16日、ロサンゼルスで肝炎で亡くなりました。63歳でした。次回に続きます。最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

※文中の太字になっている作品は、日本でDVDが発売されています。

Vol.38 『桃色(ピンク)の店』の最終章

桃色(ピンク)の店』のトップはこちら

電話で社長の奥さんを茶化すペピ(左)
ヴァダスを解雇したクラリック(右)

 ぺピは社長の奥さんにヴァンダスと浮気している事を、社長が知った事をぺピお得意の口調で話して電話を切ります。クラリックはヴァダスを事務所に呼び、クビを言い渡します。色々反論するヴァダスをクラリックは突き飛ばし、用意していた給料を渡した時にペピがヴァダスのコートを持ってきて、ヴァダスが受け取ろうとした瞬間床に落とします。(非常に良いテンポで展開され、スカッとする場面です。それにしてもヴァダス役のジョゼフ・シルドクラウトは演技が上手い役者さんで、憎たらしさは満点です。)

私書箱の中を覗くクララ(左)     社長に会いたいと言うクララ(右)

 場面は変わって郵便局の私書箱の裏側が映り、237号の棚の中を探し回る手があり、何も無いのを確認するクララの顔が映し出されます。クララは店に出勤し、事務所に入ります。中にクラリックがいたので驚きますが、社長のマトチェックに会いたいと言います。クラリックが社長は不在で自分は主任だと言いますが、クララは具合が悪いから冗談は止めてくれと言います。そこに取引先から電話が来てクラリックが対応するのを見て、状況を把握しますがその場に倒れ込んでしまいます。

クララを見舞いに来たクラリック(左)
手紙を読んで元気になったクララ(右)

 クラリックは閉店後、クララを見舞いに行きます。病気の具合を尋ねると、「恋煩い」だと分かります。そこに同居しているお婆さんが手紙を持って来ると、クララは一気に元気になります。彼女は手紙を読み、彼へのクリスマス・プレゼントは「オルゴール付き煙草入れ」にすると言い出します。クラリックは「財布」を勧めますが、彼女は考えを変えません。(この場面のクララ役のマーガレット・サラヴァンの演技が素晴らしいです。)

恋人へのプレゼントを財布に変えさせるピロビッチ(左)
繁盛している店を見て喜ぶ社長(右)

 翌日のクリスマス・イヴ、店の前で配達の準備をしているルディに、ペピが指示を出します。(未成年のくせに貫禄充分なペピです。)クラリックは従業員に社長への最高のクリスマス・プレゼントを贈ろうと言い、店の商品を全て売り尽くそうと檄を飛ばします。商品の準備しているクララにピロビッチが話しかけ、恋人へのプレゼントを「オルゴール付き煙草入れ」から「財布」に変えさせます。店は大繁盛で商品は売れ捲ってます。そこに病院を抜け出した社長が現れます。

皆にボーナスを渡す社長(左)    ルディをレストランに誘う社長(右)

 閉店後に売り上げを確認すると、店始まって以来の新記録に社長は上機嫌です。皆にボーナスを渡し、帰り支度をしながら従業員の誰かと食事をしようと思いますが、皆予定があり思うようになりません。そこに入ったばかりのルディが現れ、彼が一人でイヴを過ごす事が分かり、喜び勇んで彼を連れてレストランに向かいます。

クララにプレゼントするペンダントを見せるクラリック(左)
文通相手は自分だとクララに告げるクラリック(右)

 更衣室でクララが「財布」を箱詰めしている処にクラリックが現れ、彼が恋人に贈る「ダイヤ付きのペンダント」を見せてクララに着けて貰います。この場面での二人のやり取りは面白くて、クラリックがちょっと狡い駆け引きをして彼女の幻想の恋人を諦めさせます。そこでクラリックは、手紙の相手は自分だと打ち明けます。本当はクララも彼が好きだった事を伝え、見事にハッピー・エンドとなります。 最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

「一度は観たい! 名作映画コレクション 三十四丁目の奇跡」
このセットに収録されている作品は、全てクリスマスの物語です。

発行:株式会社コスミック出版 1,800円+税

『桃色の店』 作品データ

1940年製作 アメリカ モノクロ 99分
原題:The Shop Around the Corner

監督:エルンスト・ルビッチ

製作:エルンスト・ルビッチ

脚本:サムソン・ラファエルソン

原作戯曲:ニコラス・ラズロ

撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:マーガレット・サラヴァン、ジェームズ・スチュアート

   フランク・モーガン、ジョゼフ・シルドクラウト

   フェリックス・ブレザート、サラ・ヘイドン

   ウィリアム・トレーシー、イネズ・コートニー

   サラ・エドワーズ、エドウィン・マクスウェル

   チャ-ルズ・ハルトン、チャールズ・スミス

Vol.37 『桃色(ピンク)の店』の続き

 この映画は、基本的に二人芝居が続く構成になっていて、非常にテンポ良く物語が展開されます。この映画に登場する俳優全員が、素晴らしい演技をしています。出番が少ないルディ役のチャールズ・スミスも含めて、とても良い二人芝居が観られます。素晴らしい台詞のやり取りが書かれた脚本は最高で、ルビッチ監督の無駄のない演出で最後まで引き込まれます。この作品はルビッチ監督が、ヨーロッパに住んでいた頃の思い出を基に作られていますので、監督の思い入れタップリの映画になっています。

開店前に集まっている従業員(左)
社長が乗って来たタクシーのドアを開けるペピ(右)

 物語の舞台はハンガリーのブタペストですが、会話は全て英語です。街角にある雑貨店「マトチェック商会」の店の前から始まります。開店前に従業員全員が店の前に集まり、社長が店を開けるのを待っています。この場面で従業員の人間関係が分かります。クラリックは皆の信望があり、気障なヴァダスは嫌われています。使い走りのペピは抜け目のない若者で、社長の乗ったタクシーが着いたらいち早くドアを開けて挨拶をします。

文通している事をピロビッチに話すクラリック(左)
オルゴール付き煙草入れをクラリックに見せる社長(右)

 開店準備をしている時にクラリックは、ピロビッチに私書箱を通じて女性と文通している話をします。(今風に説明すると、手紙はメールで私書箱がチャット・ルームになります)クラリックは今まで4回文通をして、彼女を非常に気に入っているとピロビッチに話します。二人で話をしている時に、クラリックは社長のマトチェックに呼ばれて事務所に行きます。社長は蓋付きの小箱を手に持っていて、この商品の感想を聞いて来ます。それは「オルゴール付きの煙草入れ」で、社長は一時間悩んで迷っていました。クラリックは、一目見て売れないと即答します。社長は他の従業員を呼んで感想を聞くと、立場を考えて悪くは言いません。社長は再びクラリックに感想を聞きますが、彼の答えは変わりません。

店員の募集は無いとクララに伝えるクラリック(左)
社長に職を求めるクララ(右)

 そんな時に女性客は入店し、ハンド・バックを見ていたのでクラリックが対応します。その女性と話をしていると、彼女は客では無く職探しの為に来店した事が分かります。今は従業員数は足りているので、雇う事は無いと伝えますが彼女は引き下がりません。今度は、社長に会いたいと言います。そのやり取りを遠くから見ていた社長は、彼女が客だと思い対応します。しかし、この女性が求職中だと知ると事務所に逃げ込みます。彼女はクラリックに住所を伝え、募集があったら連絡をくれる様に頼みます。

クララに煙草入れの感想を聞く社長(左)
キャンディー入れだと言って売るクララ(右)

 クラリックは社長に呼ばれて事務所に入ります。二人が話している時にヴァダスが入って来て、煙草入れが売れそうだと言ってきます。二人で店内に戻ると、先程の女性が煙草入れを手に取って見ていました。そこで社長は、彼女に煙草入れの感想を聞きます。彼女は口から出任せで適当な事を言いながら褒めて小売り価格を聞きます。彼女が“お買い得ですね”と大声を出したら、店内にいた女性客が興味を示したので、彼女は煙草入れをその女性に見せます。煙草入れを手に取った女性は、“キャンデー入れね”と言います。彼女は、個性的なキャンデー入れです云い、蓋を開けて“黒い瞳”のメロディが流れますと説明します。キャンデーを取り出す度にメロディが流れるのは最悪だと言って女性客は拒否します。そこで彼女はキャンデーを食べ過ぎないように、注意を促す為にメロディが流れるように作られていると言います。女性客はそれで納得して購入しますが、彼女は社長から聞いた価格よりも高い価格で売ります。この実績でクララ・ノヴァックは店員になりますが、ここからクラリックとの仲は悪くなります。

開店前から言い争いをするクララとクラリック(左)
最近社長の態度が変だと言うクラリック(右)

 それから半年後、店のショー・ウィンドーには売れ残った煙草入れが、仕入れ価格で並べられています。店の前でクラリックは、ピロビッチに文通相手と今晩会う事になった事を伝えます。そこにクララが現れて、本を読み始めます。クラリックは彼女の服装の事で社長に言われた事を伝えますが、ここから言い争いが始ります。この6か月間、二人は何かにつけ言い争いを続けています。そこにヴァダスがタクシー出勤し、大金を見せびらかしながらタクシー代を払います。社長が出勤してきてショー・ウィンドーを見るなり、今日は残業して全員で飾り付けをするように言います。今日は文通相手と初デートなので、クラリックは社長に早退したい事を伝えに行きます。しかし、社長は忙しいと言って取り合わないので、最近の社長の態度が変だと言いますが冷たくあしらわれます。

クラリックに解雇を伝える社長(左)  皆に別れを告げるクラリック(右)

 倉庫でクラリックとクララが店に出す商品を揃えている時、クララが急に優しい態度で話しかけてきます。仲良くなれそうになった時、早退したいから社長に頼んで欲しいと言い出します。それを聞いたクラリックは彼女が媚びを売ってきた事に怒り出し、再び二人の仲は険悪になります。それでクララは、直接社長に早退を申し出ます。社長はクラリックに彼女を帰しても飾り付けが出来るか聞きます。するとクラリックも大事な用があるので、自分も早退したいと言います。それを聞いた社長は激怒し、全員残業させられます。飾り付けが進む中、社長はクラリックを事務所に呼び彼を解雇します。9年間完璧に近い仕事をしてきたクラリックには、納得出来ない解雇ですが受け入れるしかありません。事務所から出て来たクラリックが解雇されたと言うと、従業員全員も彼同様に納得出来ずにいますがどうしようもありません。クラリックは皆に別れを告げて店を出て行きます。事務所にいる社長に探偵から電話があり、従業員全員を帰します。クララは走って更衣室に行き、急いで着替えして待ち合わせの場所に向かいます。普段、絶対社長に意見を言わないピロビッチが、社長に解雇を思い直すように言いますが拒否されます。

店の外から文通の相手を探すピロビッチ(左)
店内でも言い合いが始まる二人(右)

 クラリックの事を心配してピロビッチは、クラリックに同行して彼の待ち合わせ場所に行きます。クラリックは失業したから彼女に会えないが、どんな女性か見て欲しいとピロビッチに頼みます。ピロビッチが外から店内を見てみると、目印の赤いバラを本に挟んだ女性はクララだと言います。驚いた二人は一旦帰りますが、クラリックは再び戻って来て入店します。惚けながら彼女と会話をしますが、いつもの言い合いが始まります。彼女が待っている男性は自分だと言えず、クラリックは店を出ます。

探偵から調査報告を聞く社長

 店で待つ社長の許に探偵が訪れ、奥さんの浮気の調査結果を報告します。社長は奥さんの浮気相手はクラリックだと思っていましたが、実際の浮気相手はヴァダスでした。社長は自分の間違いに愕然とします。探偵を帰して社長は事務所に入ります。その時ペピが店に帰って来て社長を探します。事務所を覗くと社長はピストル自殺をする処でしたが、間一髪自殺を止めます。

社長は勘違いで解雇した事をクラリックに話す(左)
命の恩人のぺピは店員に昇格します(右)

 翌日ペピの連絡で病院に駆け付けたクラリックは、病室で社長に会います。社長は奥さんの浮気の相手がクラリックだと思い込んで解雇したと言い、復職して主任になって欲しいと頼みます。そしてヴァダスを穏便に解雇するように頼みます。店に帰るクラリックと入れ替わりにペピが入って来ます。ここで社長とペピの面白いやり取りがあって、ペピは使い走りから店員に昇格します。 次回に続きます、最後までお付き合い頂きまして、有難う御座いました。

『桃色の店』 作品データ

1940年製作 アメリカ 99分
原題:The Shop Around the Corner

監督:エルンスト・ルビッチ

製作:エルンスト・ルビッチ

脚本:サムソン・ラファエルソン

原作戯曲:ニコラス・ラズロ

撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ

音楽:ウェルナー・R・ハイマン

出演:マーガレット・サラヴァン、ジェームズ・スチュアート

   フランク・モーガン、ジョゼフ・シルドクラウト

   フェリックス・ブレザート、サラ・ヘイドン

   ウィリアム・トレーシー、イネズ・コートニー

   サラ・エドワーズ、エドウィン・マクスウェル

   チャ-ルズ・ハルトン、チャールズ・スミス